第8話 四級狩人の矜持

 ブラゼ達はドラゴンに近い木々の陰に隠れていたのか、ルハナが気付いた頃にはもうかなりドラゴンの近くに立っていた。対してルハナが身を潜めていた場所は拠点から最も離れていると言ってもいい西側。結果としてブラゼ達に後れを取るような形となった。


 とは言え、ドラゴンの討伐を目論んでいるあの三人とは違い、ルハナは組合からの援軍が到着するまで、手出しなどする気は無かったのだが。


 成獣となったドラゴンは、大型モンスターに分類され、一人で狩るのであれば上級狩人相当の腕が妥当である。事実、ルハナも二級の昇格試験で一頭、その一週間後に受けた依頼で一頭を単独で狩った。しかしどちらも意図的に翠の魔力を持った個体を選び、討伐に挑んだ。ルハナが主に使う紅の魔導で相手をするには最も適しているからである。


 しかし今回のドラゴンは恐らくルハナと同じく、紅の魔導を使う個体だろう。相性が良いのは蒼の魔導の使い手なのだが、ルハナは蒼の魔導に関しては初等のものしか扱えない。ドラゴン相手では文字通り、焼き石に水となるおそれがある。


 そういった理由からルハナは蒼の魔導を操れる上級狩人か、少なくとも中級の者が来るまで様子を見るつもりでいたのだ。勿論腕の確かな中級狩人であれば、高等蒼魔導を使える二名を含め、合計で三人でも揃えばルハナが狩りに参加しなくともドラゴン一頭は倒せる。しかしそれは飽くまでも「腕の確かな」中級狩人である。


 間違っても四級狩人試験から既に落第している狩人が二人も紛れ込んでいる、下級狩人三人組には勝機など無い。


 案の定ドラゴンはブラゼ達が攻撃を仕掛ける前に彼らの存在に気付き、大きな体を捩るように振り向いた。長い尾が鞭のようにしなり、少し掠っただけでケラの作業台が吹っ飛んでいく。あっという間にドラゴンの背後から忍び寄っていたブラゼ達を、ドラゴンは正眼に捉えていた。


 対してルハナはドラゴンからまだ距離がある。状況は芳しくない。


 ドラゴンは翼を大きく広げ、大人一人を丸呑みにできそうな程に口を開き、耳をつんざく警戒音を発する。


 その事実にルハナは嫌な予感がした。だが現状を打開する事が先決だと考え直し、鋭く口笛を吹いてみせた。ドラゴンの気をこちらに向ける為である。


 音に気付いたドラゴンはその長い首を持ち上げ、ルハナの方へ注意が向かう。だがその隙を好機と捉えたのか、ブラゼ達がドラゴンに攻撃を仕掛けた。


 銃声が鳴り、折角ルハナの方を見ていたドラゴンは改めて目の前のブラゼ達に焦点を合わせる。続いて銃声が二発、三発、四発と響くも、何も起こらない。


 それもその筈である。ドラゴンの鱗は下手な銃弾など通さない。その丈夫さとしなやかな動きを可能とする構造から、狩人の間ではドラゴンの皮から作った防具というのはある種、憧れの装備であるのだ。経験豊富な上級狩人であればまず間違いなく一着は仕立てている。だが防具としての優秀さと相まって目が飛び出る程の高値で取引されるので、逆に言えば上級狩人でないとなかなかに手を出しにくい一品でもある。


 ルハナも以前倒したドラゴン二頭の皮は売らずに手元に置いていた。充分に質の良い皮が集まれば装備にする腹積もりなのだが、ドラゴン程の強敵を鱗や皮を極力傷付けずに仕留める事は、大剣を使い炎の紅の魔導を駆使するルハナには至難の業である。切り傷が無く、焼かれていない箇所を切り取ってしまうと、存外素材として残る皮というのは少ないのだ。


 ルハナはしつこい程口笛を吹き、ブラゼ達を睨みつけているドラゴンの注意を引こうとするも、離れ過ぎている。煩いが害は無いと思われているのか、見向きもされない。


 ドラゴンの縦長な目は、ブラゼ達しか映していない。三人を獲物かどうかを判じているのだろう。


 一方ブラゼ達は銃が効かない事に気付いたらしい。槍と斧で同時に前脚に斬りかかった。しかし巨体の割にドラゴンの動きは俊敏であった。少し後ずさり前脚を持ち上げる事で攻撃を回避する。


 左前脚に斧を振り下ろしていたブラゼは後退するドラゴンの懐へ更に踏み込み、今度は力一杯斧を振り上げた。この一撃は見事ドラゴンの左肘を捉えた。ギャウンッと一声を上げた様子から、攻撃は効いた様子である。


 ドラゴンは大きく後ろに跳んで距離を取る。体を捻り長い尻尾を横薙ぎに払えば、三人は寄り付けない。


 間合いを確保したドラゴンは鎌首を上げ口を大きく開き、その構えのまま固まった。


 まずい。ルハナの直感は告げていた。一層走る足には力が入るが、詰められた距離は半分をちょっと超えた程度。間に合いそうにない。


 大きく口を開いた状態でドラゴンが構えるというのは、魔導を使う前触れの一つである。この場合は火を吹くつもりだと思われた。正面に立っているブラゼ達からは、恐らくドラゴンの喉奥に視認できる程に濃い魔力が渦巻く様子が見れるだろう。彼らが身に着けている防具は弱い防御の魔導が掛けられているが、紅の魔導に特化したものは付加されていないようだ。ドラゴンの火炎攻撃に耐えられるかどうか、確率として半々といったところか。


 いつものルハナであれば、主力が剣だとしても遠距離から攻撃できる手段を準備して依頼に臨む。しかし今回は運悪くそれらが手元に無い。


 人間とは比べ物にならない程の紅の魔力を持っているドラゴン相手に紅の魔導は使いたくなかったが、背に腹は代えられないとルハナは高等魔導の陣を思い浮かべたその時だった。雄叫びが広場に響く。


 ケラである。ブラゼ達同様、拠点近くの木々の陰からドラゴンの様子を窺っていたのか、ルハナよりもドラゴンとの距離が近い。


 ケラは大声を上げながらドラゴンに向かって走っていた。恐怖のせいか、足がもつれるらしく、転びそうになるも手に握っていた小瓶をドラゴン目掛けて投げつける。放物線を描きながら小瓶はくるくると回転し、太陽の光が不規則な強弱で反射される。ドラゴンの横腹に瓶は当たると割れ、中の液体が鱗に掛かる。


 直後、ドラゴンは当たった左側を庇う様にもがき、大きな口からは火ではなく、少し情けない鳴き声が上がった。次いで空気を震わすような、低い怒りの声。


 狙いは完全にケラに移っていた。


 ドラゴンに睨まれながらも、小剣を構えているケラの顔は全身の血を抜いてしまったのではないかと思える程に白かった。


 ケラは小剣を手に、ドラゴンと対峙していた。絶え間なく震える剣先から、先程の三人とは違い、己とドラゴンの力量の差を理解している事が窺える。その判断は正しく、翠の魔導を使い小剣を扱う四級狩人であるケラにとっては、この赤茶色の鱗に覆われたドラゴンは歯が立たない相手である。


 しかし、このままドラゴンに火を吹かれてしまっては、恐らく三人の受験者達は炎の餌食となってしまうだろう。万能薬すら買うのを渋っている彼らが高価な護符やお守りを持っているとも思えない。装備の防御力によって一命を取り留めたとしても、重傷を負った彼らは治療できるほど状況が落ち着くまで、もつだろうか。


 それだけではない。ドラゴンが吹いた火が、或いは火の粉が飛び、離れた場所から山火事などとなれば、ホッパーの町に甚大な被害が及ぶ。初期に全て消し止められず燃え広がれば、例えドラゴンを追い払っても何週間も続く煙により、肺を患う者が出てくる。森を棲み処としているモンスター達は火から逃れ、餌を求めて町まで下りてくるだろう。森を抜ける道は閉鎖され、物流は滞り、物価が上がれば人々の不満も不安も膨れ上がり、治安の悪さに繋がる。紅の魔力を帯びたドラゴンと町の近くで戦うというのは、それだけの問題の火種を抱えながら挑まなければならないのだ。


 そういう観点から見ると、実力差を知って尚ドラゴンの攻撃を止めたケラは流石中級狩人、流石組合職員とも言える判断力、胆力に行動力と言えるだろう。


 ケラを敵と見做したドラゴンはケラまでの距離を一気に縮め、前脚を一際高く上げた。後退するケラは石にでも躓いたのか、或いはとうとう自分の足がもつれたのか、二、三歩と下がったところで尻餅をついてしまう。長く鋭く禍々しい程黒々とした爪の一本一本がケラに飛び掛かる機会を窺う毒蛇のようである。人の手首程の太さのそれらが首などを撫でる様にかすめるだけで、出血多量でお陀仏だろう。


 ケラが危険を冒してまでドラゴンに攻撃を仕掛けた理由は狩人組合の一員としての使命感や四級狩人としての矜持きょうじだけではない。不利な敵を前にしても、一年足らずで二級狩人まで登り詰めたルハナという剣士に対しての信頼もあった。


 ルハナはケラにとっては後輩狩人であり、彼がホーネット帝国から流れ着いてまだ間もない時、当時五級狩人であったケラも何度か一緒に依頼をこなした。ルハナの剣技は見事なもので、当初からケラなど彼の足元にも及ばぬ実力だったが、ルハナはどこまでも謙虚な良き後輩であった。


 あっという間に階級も越されてしまったが、それでもルハナはケラの豊富な知識と経験を頼り、時には教えを乞い、ケラもルハナの狩人としての腕を買っていた。半年前に組合職員になったケラは、何度も難しい依頼にルハナを推薦してきた程だ。


 だからケラは信じていた。彼の稼いだ時間で必ずルハナは戦況を打開できると。そしてその期待通り、ルハナは自身の攻撃範囲内にドラゴンを捉えてみせた。


 高く掲げられたドラゴンの爪がケラに襲い掛かる前に、ルハナの大剣がドラゴンの軸足となっている右前脚を斬り付ける。鱗もろともドラゴンの皮膚は裂け、少量だが血の滴が剣先から払われ、空で赤い弧を描く。斬られた脚から体勢を崩し、ドラゴンは悲鳴のような鳴き声を上げ、肩が地に着く。


 だがそれも一瞬の事。


 すぐさま尾を振り回し、反撃を繰り出しながら立ち上がる。ルハナは剣で尻尾の攻撃をいなし、再び前脚に剣を振り下ろす。先程よりも深く抉られた傷口から鮮血が散り、ドラゴンは吠えた。尾を再度打ち振るわれる前に今度は胴に対してルハナは攻撃を仕掛ける。しかし剣がドラゴンに触れる前に、ルハナは正面からの爆風により、勢い良く後方へと吹き飛ばされた。


 折り畳んであった翼を一気に広げるのと同時に紅の魔導で小規模な爆発を起こしたのだ。


 ルハナは転がりながら受け身を取る。地に着いた左腕を起点に体を反転させ、ドラゴンを再び正眼に捉える。両の足裏に力を込め靴の爪先で地面を抉り、吹き飛ばされた勢いを殺す。靴底で抉られ、圧縮された土が足裏に蓄積していき、やがて止まった。


 ドラゴンはルハナをこれまでとない強敵と認識したのか、例の甲高い警戒音を大きな声で鳴らしている。不安を感じながらルハナは再びドラゴンの懐目掛けて飛び込んで行く。大剣を構えて駆けているとは思えない素早さである。ドラゴンは警戒音を途絶えさせずに翼を緩く丸め、風を孕ませる。またあの紅の魔導である爆風を起こす気なのかもしれない。それを察したルハナは剣を握り直す。すると刃の部分が仄かに光を帯びる。


 ドラゴンはルハナに懐に潜り込まれる前に魔導を発動させた。それに合わせてルハナは光っている剣を、ドラゴンから距離があるにも関わらず、振り抜いた。


 剣は空を切る。


 先程よりも大規模な爆発音が響いたと思ったら、追随するようにもう一発、少し高めの破裂音が鳴った。土と埃が風によって舞い上がっているが、ルハナは押し返されていない。彼は自身の紅の魔導で局地的にドラゴンの爆風を相殺したのだ。


 爆発を切り抜けたルハナはそのままドラゴンに突進していく。攻撃が全く効かないという予期せぬ事態にドラゴンはあわあわとした様子で、先程ルハナに斬られた前脚に極力体重を乗せぬようぴょこぴょこと引いて行く。


 だがそんな動きではルハナに直ぐに追い付かれ、胸筋に一太刀受ける。少し薄めの赤茶色の鱗に、先の一撃よりも深くて長い赤い筋は走り、ルハナは確信した。初等の蒼の魔導でも、剣に纏わせれば、紅の魔力を使うドラゴン相手でも相応の切れ味を見せるようである。紅の魔導のみでは消耗戦となってしまうが、これを使えば少しは楽にドラゴンを倒せるとルハナは考えた。


 しかしルハナは二撃目を入れずに横に跳び、更に二歩三歩と大きく跳躍することでドラゴンから距離を取った。


 直後、ルハナの立っていた場所に巨大な火の玉が着弾したのだ。側のドラゴンも一瞬炎に呑まれるも、火の勢いが幾分か収まると揺らめく炎の中から一対の黄色い眼がルハナを射抜く。


 流石は紅の魔導を操るドラゴンと言うべきか。燃え盛る炎をものともせず、ルハナに注がれるその視線は滴る程の怒気を含んでいる。


 間一髪で火炎に巻き込まれる範囲から脱したルハナは火の中のドラゴンを警戒しつつ、空を見上げた。そこには火の玉を撃ったであろうもう一頭のドラゴンが、ルハナを見下ろしていた。

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