第7話 非常事態発生
ホッパーの町はマンティス王国との国境近くの町という事もあり、かなり大きい。実力のある狩人も大勢滞在しているので、周辺に特別危険なモンスターを見掛けることも少ない。
この丘も森も中型モンスターは居るが、大型モンスターとなると餌がもっと豊富な人里離れた地域を棲み処とするのが普通である。ルハナも二級狩人として何回か大型モンスターの討伐に関わってきたが、殆んどが一番近くの町や村から数日掛けて辿り着くような場所だった。
だが、それにも例外はある。大型モンスターや気性の荒い中型モンスターは、一度人を襲うと再度襲う事が多い。人の持っている荷物から簡単に餌にありつけると学習するからだ。人肉の味まで覚えてしまったモンスターであれば、人里を襲う事例も珍しくない。
よって町に大型モンスターが向かっているという疑いがあれば、早急にその真偽を明らかにし、事実とあらば被害が広がる前に獲物を仕留める事が望ましい。逃がしてしまえば次の機会が来る前にどこかの町が襲われる
スバキは咆哮は北から聞こえたという。丘の北には草原が広がり、その更に北には険しい山々が連なっている。山の梺の村といえば北西に一つある程度で、後はモンスターの楽園と呼べる程、大型モンスターが多い地域である。山の奥の方は、狩人組合が配布している地図ではほぼ橙色に染まっており、所々は赤い。中級狩人以上の実力が必要とされる未踏区域の橙色と、上級狩人のみ踏み込む事が許される危険区域の赤だ。
そしてこの山々は人の足では数日から数週間は掛かる程の道のりでも、翼を持つ大型モンスターであれば、文字通り一飛びなのである。
とは言え、何も鳴き声の主であるモンスターがホッパーの町まで来るとは決まっていない。聞こえる程の近さではあるが、スバキも向かっている方角に関しては確かな自信を持っていない様子であった。草原で獲物を適当に狩って
よって今ルハナがすべき事は、受験者の安全を確保しつつの状況確認である。大型モンスターの姿を目視できれば、
その為に見渡しの良い拠点に戻るつもりなのだろう。ブルーバードを捕獲した古木は拠点のある広場からみて南西にあり、ここらで木々を登り切っても丘の緩やかな傾斜を背に、南にあるホッパーの町しか見えない。丘の反対側の草原を見るには、少なくとも頂上付近の木からの眺めを必要だ。
四人が拠点までの距離が残るところ一キロメートルを切った時だった。前方から鋭い笛の音が木々を突き抜けると同時にルハナの懐の割符の一枚が激しく震える。
拠点の誰かが割符を吹いたのだ。
非常事態。その単語がルハナの脳裏を掠める。
ルハナは引き連れていた三人を振り返る。駆けている速度が速い為、ナゴの姉弟は苦しそうな表情である。スバキはまだ余裕がありそうだ。ルハナは口早に告げる。
「緊急事態だ。各自、身の安全を確保してくれ」
言い終えるとルハナはまた一段と走りを速めた。スバキは間を開けずに付いて行くが、ナゴの二人は走る速度を緩め、呼吸を整えながらゆっくりと前方の二人を追う。全員、安全に動く為にもまずは状況を把握しようという考えのようである。
ルハナはぴったりとついてきたスバキの足音がほぼしない事に驚きと敬服を抱いていた。色付きの魔導の才には恵まれなかったかもしれないが、スバキの身のこなしはやはり中級狩人以上に相当するようである。非常事態であっても、彼女に対して特別気を配る必要はないかもしれないとルハナは少し安堵した。
スバキの存在を認識しながらも、ルハナは神経を前方の拠点の方に集中させた。すると笛の音がもう一度鳴り響く。綺麗に鳴らせている事を鑑みると、吹いているのはケラの可能性が高い。
三度目の笛の音が鳴るのと同時に、モンスターの咆哮が空気を震わす。確かに方角は北であり、そして明らかにホッパーの町に近づいている。最初の鳴き声の音量と比較して考えると、翼を持つ大型のモンスターでしか成し得ない速度である。先程ルハナの頭を過った考えが蘇る。
翼を持った大型モンスター。北の山脈。早朝にちらりと目にした上級狩人向けの依頼書の中の一つ。
木々の切れ間から草の刈られた広場が見えた時、ルハナの前方左方向、広場の北側の森の木々が幹を軋ませ、葉っぱが騒がしく擦れあい、聞く者の緊張を誘う合唱をした。ルハナは本能的に大きな木の陰に息を潜める。スバキもいつの間にか姿を消していた。
何か。何かが来た。ルハナの研ぎ澄まされた感覚は告げていた。
一拍置いて、地面が鈍く揺れる。続いて大きな何かが広場で動く気配。
ルハナは木の陰を伝い、広場の少し手前の木に辿り着くと、癖から左手で拳を作り、耳の高さまで上げた。騎士時代に使っていた合図である。しかし直ぐにここがホーネット帝国の騎士団ではない事を思い出し、後ろからついて来ている気配がするスバキに小声で伝えようと振り返った。
不思議な事にスバキは合図通りにルハナから姿を認められる近くの木の陰で待機していた。もしかしたら単純に状況から判断しただけかもしれないが、結果として正しい判断である。一安心したルハナは改めて広場に目を向ける。
広場の向こう側、拠点が築かれた東側の森との境には、ルハナが恐れていた通りに一頭のドラゴンが居た。
空を飛んで来たらしいドラゴンは硬そうな赤がかった茶色の鱗にびっしりと覆われた体をぶるりと震わせると、大きな翼を器用に畳み込んだ。鱗は広場に降り注ぐ正午の日を浴び、反射の具合から体の凹凸がはっきりと分かる。まるで鱗という鎧を纏った、しなやかな筋肉の塊である。
いかにも捕食者のそれと言うような針の如く細い縦長の瞳孔は周りの虹彩の黄色に引き立たされ、睨まれれば恐怖から体が固まってしまう事だろう。瞬きすることなく、ぎょろりぎょろりとケラが組み立てた解体用の机や燃え続けている焚火に視線を走らせている。ブラゼ達が捕まえたヘルハウンドは麻酔が足りてなかった事に加え、強者の気配を察知したのだろう。逃げたようで、姿が見当たらない。
ドラゴンはやがて捌かれた肉が入っている保管箱を探し当て、前脚で軽く押さえつける。丈夫な木箱はばきりと音を立ててあっけなく壊れる。中から出てきた袋の匂いを少し嗅ぐと、大きな口で袋ごと呑み込んでいく。遠目からも二重にびっしりと生えている鋭い牙が見える程、立派なドラゴンである。
割符が三度吹かれた事から予想できるように、広場に残っていたケラやブラゼ達も、避難するくらいの余裕はあったらしい。彼らの姿はルハナからは見えず、捌かれた肉に夢中の様子であるドラゴンも特に彼らを見つけたような素振りを見せていない。恐らく最も近い東側の木々に身を隠したのだろう。
ドラゴンの赤茶色の鱗から、紅の魔力を持っているモンスターだとルハナは当たりを付けた。ドラゴンは魔導を扱うモンスターであり、その魔導の色も体色に反映されるのだ。尾や前足には
拠点に着いてまずルハナはモンスターが嫌う香を焚火に投げ込んだ。それ以降はケラが定期的に香を焚いていた筈で、この雌のドラゴンがわざわざ広場に降り立つというのは、ルハナには腑に落ちないものがあった。
しかしドラゴンを注視しながら考えていると、ふとルハナの鼻に届く、モンスター除けとは違う別の香り。思わずといった様子で眉をしかめる。
モンスター除けの香に交じり、モンスター寄せの匂いがするのだ。まさか四級狩人であるケラがその二つの香を取り違えるという初歩的な間違いを犯すとは思えない。ともすると、故意という可能性が浮かび上がる。だがそうなると何の為に、誰が、という疑問が残る。
ひとまず考えることは止め、ルハナは肉を貪るドラゴンから視線を外さずに背負っていた鞄を下ろし、中から手帳を出す。試験官手帳とは違い、簡素なそれは
ルハナは紅の色を帯びた雌のドラゴンを一頭確認できた事。現在は人は襲われていない事。万が一の際は自身が対処するも至急応援を要する旨を一枚に簡潔に書き込み、最後に二級狩人ルハナ・バンブルと荒々しく署名して用紙を手帳から切り離す。
鞄から受験者に配布された割符と同じ物を新たに取り出し、割った。この割符は組合が送り出す応援がルハナの位置を把握する為のものだ。それ故片方を懐に、もう片方を先程の
紙飛行機ができたところで、鞄から先程の割符より二回りは大きい木の塊を取り出す。何度もナイフで削られて形を崩しているが、こちらは狩人組合に片割れが置かれている割符である。ナイフで割符を薄く削ると、微力な白の魔導を使い、削った欠片を紙飛行機の先端に取り付ける。
ルハナが南に向かって小さく飛ばせば、
ドラゴンはミルクラビットとスクヴェルダーの肉を丸呑みした後、パンテオンの肉に目を付けた。美味い順に食べているようだ。丁度ナゴの姉弟が追い付き、肩で息をしながらルハナの許へ寄って来た。広場にドラゴンという状況の中、二人の顔色は優れない。特に姉の方が真っ白を通り越して青い程だ。
弟の方が筆談でルハナの判断を仰いてきた。ルハナは組合に応援を要請した為極力刺激せずに様子を見ようと、渡された手帳に書き、ナゴ姉弟とスバキに見せた。取り敢えずケラとブラゼ達との合流を目指すとルハナが書いている途中に、広場の方から異変を感じたのか、鋭い目線で広場を見やる。
直後、ルハナは鞄も手帳もその場に投げ捨て、ドラゴンの方へと一直線に駆け出していた。
彼が向かう先、ドラゴンの背後にはブラゼ達三人が武器を構えてそろりそろりと近づく姿があった。
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