第6話 狩人としての器用さ

 魔導は白に始まり、白に終わる。


 この言葉は、誰しも生まれながらに微量な白の魔力を持っている事と、強力な高等白魔導を扱えるのは一流の魔導師である事が起因している。この満ち引きの白の魔導を使って、誰しも物を引き寄せたり、逆に弾いたりする事ができる。その力に個人差はあるものの、大人であれば白の魔導で林檎を一個、机の上をコロコロとゆっくり転がせる程度である。


 この基礎の白の魔導の上に成り立つとされているのが、先の三大魔導を含む、色付きの魔導である。魔導の教科書にはよくこの三大魔導が三本の太い支柱のように、礎石となっている白魔導の上に築かれていると図解されている。平たく横に広がる礎の白に比べ、色付きの魔導はそれぞれ特色があり、訓練により能力を伸ばすのが白よりも容易い。


 一流の魔導士であれば、三大魔導の腕を磨き、それぞれの高等魔導まで発動できるようになったら、三色の魔力を等しく練り合わせる事で特色を相殺し、より強力な白の魔導に昇華させることができる。その威力は林檎一個を転がすどころではなく、上手く扱えば道を塞ぐ大岩を動かし、滝を割り、意の者を縫い付ける封印やどんな攻撃も跳ね返す防壁を作る事ができる。図では三本の柱の上に建てられる華美な屋根として表現されている事が多い。


 色付きの魔導を扱う器量があるのかは産まれた時に決まる。大抵は三大魔導のいずれか、或いは複数を使う能力があり、全てを扱えるという人も十人に一人はいるであろう。訓練で伸ばせるのは、飽くまでもその個人の魔力量と陣を要する高等の色魔導や白魔導の組み立て方の知識である。


 つまりスバキの言う白魔導しか使えないという言葉は、産まれながらに色付きの魔導を扱う才能に恵まれず、林檎一個を転がす程度の能力しか無いと言っているようなものなのだ。本人はまぁまぁな威力と呼んでいるが、どんなに上等な魔石で魔力を増幅させたところで、林檎を二個三個投げるというのが関の山であろう。


 ナゴの二人は気まずそうに視線を交わしている。きっとスバキの事を不憫に思っての事だろう。事実、スバキの様に色付きの魔導が一切使えないという体質の者は稀有な存在で、何人もの魔導師とは以前の仕事で会ったことのあるルハナでさえ初めてであった。二十三歳にして遅咲きながら狩人登録したのも、そういったことが背景にあるのかもしれない。顔には出さなかったが、ルハナの中でスバキの午後の試練への参加権は、大きく揺らいだ。


 当のスバキは三人の動揺に気付いていないのか、気にしていないのか、湿気た薪にイライラしながら着火器で火を点けずとも紅の魔導で一発で済ませられるなんて羨ましい限りです、などと明るく笑っている。


 魔力の量は鍛錬で増やせる。だが魔力の色は。こればかしは生まれ持ったものである。


「で、どうします? 何を捕獲しに行きます?」


 スバキは薄暗い森を見回しながら、姉弟に尋ねた。話題が変わったことで気まずい空気も散る。既に一行がいる場所は広場から離れており、モンスターが出てもおかしくないくらい深いところである。一番前を走っていたナゴの姉は足を止め、周りを見渡した。


「そうだな。捕獲となるとやはり小さめの獲物の方が持ち帰るには好都合だろう」

「春だし、モンスターの赤ちゃんなんかはどう、姉さん? 幼い方が調教もしやすいだろうし、大人しい種類なら麻酔も使わず捕獲できるかもよ」


 ブラゼ達の連れ戻した大きなヘルハウンドを見ての感想だろう。先行は向かう方向が自由に選べる反面、後攻だと先行から学ぶ機会がある。姉弟の会話はどうやってモンスターの棲み処を効率良く見つけるかという課題に移行し始める中、スバキが控えめに手を挙げた。


「小型の鳥型モンスターの巣でしたら私、見つけられるかもしれませんが……」


 どうしますと、スバキは二人に問い掛ける。少し驚いた表情で姉の方が訊き返す。


「小型の鳥型とは、例えばどんな?」

「ここいらですとナイティンゲールとか、ブルーバードあたりでしょうかね」


 そう言いながらスバキは頭上に広がる梢を見上げる。帽子のつばを左手で抑えながら上を仰ぐと、深緑の色味のゴーグルが木漏れ日に照らされる。ナゴの二人もつられて高い枝に目が移る。


『テゥウィッテゥウィッ、テゥウィウィウィウィウィ……』


 スバキは鋭く口笛を吹いて、複雑な抑揚を流暢に奏でる。先程の二種の鳥型モンスターのどちらかの鳴き真似であろう。


 上手いものだとルハナは感心していた。目の前で吹いているのを見なければ、鳥が鳴いていると勘違い程だ。


 そして木々の中から返事は直ぐに響いてきた。返歌が鳴り終えたところでスバキが再び口を開く。


「ブルーバードは居ますね。近くに二つ三つ程巣がありますよ」


 耳も良いらしいスバキは一番近い鳴き声の方向を指し示す。ナゴの姉は頷く。


「ブルーバードならば愛玩用に良く飼われているモンスターだ。雛か卵を手に入れれば、無事に試練の条件は満たせているだろう」


 そうして一行は鳴き声がした方向へと進行方向を変え、再び駆けだす。数百メートル進んだところでブルーバードが好みそうな大きな老木が立っていた。スバキがもう一度鳴き真似を披露すると老木の遥か上の方から返答があった。どうやら巣の一つはこの木の上にあるらしい。


 ナゴの二人は登る為に背中の荷物を老木の根元で下ろしていたが、スバキは構わず大きな鞄に例の長い棒を背負ったまま、一番低い枝に手を掛ける。彼女は鞄の重みもかさもものともせず、そればかりか時折棒を上手く使って猿の様にひょいひょいと枝から枝へと移り、登っていく。三人の中で最も早く登り始めた事もあるが、先頭を走っている。対してナゴの姉弟は弟が高等白魔導を使ったのか、手足に小さく点る白い魔導陣を浮かべながら、ぺたりぺたりと揃ってヤモリの様に幹を登っていく。


 三人が木々の枝で姿が見えなくなったのを見届けたルハナは懐の試験官手帳を取り出し、受験者についてのメモを加筆していく。午後の試練は午前の部の試練全てを通過した受験者達一人一人が順に、下級狩人では正式に依頼を受けられない中型モンスターを基本一人で狩るのが課題である。ルハナも共に行動するが、飽くまでも補助であり、理想としては見守る立場に徹することである。よって受験者は自身の実力に見合った中型モンスターを見つけ出し、武器のみでは厳しい場合は罠や魔導を駆使して狩りをする事は求められる。午前の試練よりも一層危険が伴う試練である。


 勿論危険を事前に回避する為、試験官であるルハナは午後の試練に向かって受験者一人一人を厳しく評価し、必要とあらば試練中に危機的状況から救出せねばならない。同時に受験者がそのような状況に陥りそうになっても、ルハナが駆け付けるまで耐え忍ぶだけの能力が、午後の試練への参加の最低条件と言えるのだ。


 ナゴの弟の方は、間違いなく午後の試練まで進むだけの実力を持っている。パンテオンの首筋を狙って的確に矢を射る能力に加え、高等白魔導が使えるという事実から、彼は受験者の中で最も合格に近い人物と言えた。姉の方はやはり筋力が気になるが、現場の指揮は問題なく執れるようであり、冷静に物事を判断できるようだ。力の無さを補う程の身軽さがあるかは午後の試練で判断すべき事案となっていた。


 問題はスバキである。彼女はミルクラビットを捌く手つきも、ブルーバードの巣の居場所を簡単に探り当てたその技も、ある種の器用さが垣間見える。それは間違いなく狩人としては役立つ技能と言えるのだが、ルハナが最も懸念していることは、果たしてその器用さが中型モンスターとの戦闘という緊迫した状況下で同じように発揮できるかということである。


 何せ、ナゴ姉弟やブラゼ達の身につけている服とは違い、防御力皆無の服装であるスバキでは、モンスターの種類によっては放つ色付きの魔導を諸に喰らってしまうと、大怪我に繋がる可能性がある。下手したら狩人生命に関わる程の重傷を抱える事となるかもしれないのだ。加えて彼女が色付きの魔導が使えないとすると、攻撃も防御も種類が限られてしまう。ルハナが救出するまでの間、彼女は持ち堪えることができるのか。


 せめて彼女の装備がもう少しマシなものであれば、午後の試練も彼女の実力を知る為と気軽に臨めたのだがとルハナは頭を悩ませていた。ブラゼの下世話な言葉に対して己がつい口を挟み、張り詰めかけた空気を和ませてみせた彼女の話術と、試験中にみせる彼女の巧な技はルハナでは真似できない芸当だと彼自身自覚しており、それ故もう少し見てみたいという欲があった。


 四級狩人昇格を目指す九級狩人という異色の肩書抜きで、ルハナはスバキの腕に興味を持ち始めていたのだ。


 難しい顔で試験官手帳を睨んでいたルハナだが、弾かれるように顔を上げ、頭上に目線を送り、耳を澄ませる。


 一瞬にして森が静まり返った。


 何かがおかしいとルハナは肌で感じながら、いつでも抜ける様にと腰の剣に手を掛ける。息を殺し、耳に神経を集中させた。


 すると遠くの方から微かだが音がした。モンスターの鳴き声にも聞こえた。


 あの声は? いやまさか。ルハナはとっさに浮かんだ考えを振り払う。こんな町の近くに奴らが姿を現す筈がない。


 音がして間もなく、老木を凄い勢いでスバキが降りて来た。ほぼ自然落下に身を任せ、時々枝に手を掛けたりして速度を緩めている。ナゴの二人も急いで降りているのか、折れた小枝がパラパラと散っている。スバキが地に足を着けた時、やっとナゴの二人の姿を枝の間から見えた。弟は庇う様に小箱を抱えており、どうやらブルーバードの捕獲は成功したようである。スバキは真っ直ぐルハナに駆け寄り、断言した。


「今、遠くから大型モンスターの咆哮が聞こえました」


 耳の良いスバキにも聞こえたらしい。ナゴの二人は地面に降り立つと慌てた様子で木の根元に置いてあった鞄を背負い直す。ルハナは一応二人にもモンスターの鳴き声が聞こえたかを確認する。木の上に居た彼らにはルハナが気付けなかった事が見えたり聞こえたりしたのではないかという、淡い期待が込められていた。しかし二人には鳴き声は聞こえなかったらしい。それでも森が急に静かになった事と、スバキが木の上で咆哮が聞こえたと注意を促した為、緊張しているようだ。ルハナはスバキに駄目元で訊いてみた。


「方角は? 分かるか?」


 ルハナ自身声の方角まで特定できなかった。それほどまでに微かで、遠いものであったのだ。しかしスバキは迷うことなく答えた。


「北です。草原の方だと思います」


 一拍置いてから付け加えた。


「聞き間違いでなければ、こちらに……ホッパーの町に向かって来ています」


 ルハナは眉間に皺を刻む。確証は無い。だが万が一自分の勘が当たっているとしたら、一大事である。ルハナはすぐに決断を下した。


「悪いが帰りは少し飛ばす。いざという時は自分の身の安全を第一に動いてくれ」


 そうして一行は丘の頂にある拠点を目指して、北東に走り出した。

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