第5話 白の魔導しか使えない狩人

 地面にうつ伏せに寝ているスバキを見て、一瞬ルハナは彼女が倒れているのかと慌て、駆け寄ろうとした。だが彼女が首だけルハナの方に振り向き、口元を覆う布の上から唇に指を当てた様子を目にして、足を止めた。よくよく見ると、彼女は朽ちた倒木の後ろに身を潜め、ルハナからは見えない場所に獲物が通るのを待ち伏せしているようである。


 スバキが前を向き直し暫くすると、パシィンッと鞭打つような音が響き、彼女は倒木の上をひらりと飛び越え、音の鳴った方へ走って行った。ルハナが彼女の後を追うと、スバキはミルクラビットの喉を掻っ切り、血抜きをしているところだった。


「あれ? まだ一時間じゃないですよね?」


 スバキは色のついたゴーグルの奥からルハナを見上げ、首を傾げる。まだ大丈夫だと答えるルハナはしかし、第二の試練で彼女が落ちるのではないかという考えが頭を過っていた。ミルクラビットは癖の無い肉質で、食肉として高く取引される。しかしこの兎型のモンスターは小さく、十キログラムの食肉ともなると五匹、少なく見積もっても四匹は必要である。一時間以内に十キログラム分のミルクラビットを捕まえたとしても、時間内に全て捌けるのかが疑問であった。しかし少し離れている木に吊るされていたスバキの荷物を目にした時、その疑問は掻き消された。


 スバキが地面に打たれている杭に引っ掛けてある縄を解き、木の枝にぶら下げてあった鞄をスルスルと下ろすと先程は無かった麻袋と、二対の角が括りつけてあった。スクヴェルダーの角だ。ミルクラビットと同じく、兎型の小型モンスターである。恐らくスバキは既に何匹か小型モンスターを狩っては、その場で捌いていたのだろう。となると気になるのは袋の中身である。ルハナは縄を回収するスバキに声を掛けた。


「袋の中身を改めても良いか?」


 どうぞぉ、とスバキは麻袋をルハナに差し出してから鞄からナイフと小さなまな板を取り出した。やはりこの場で先程のミルクラビットを捌くつもりらしい。ルハナが麻袋の中を覗き込むと、そこにはいくつもの袋が入っていた。どの袋も蒼の魔導が施されており、それは狩人が血が滴る素材を持ち歩く為によく使う代物である。防水加工もされていてにおいも漏れにくい為、立て続けに何匹も狩りをする際、血の匂いを抑えながら続行できる。スバキは身につけている服や防具こそ下級狩人には及ばないようだが、どうやら鞄の中身はそれなりに良いものを揃えているらしい。


 ルハナは小袋の一つを取り出し、中身を確認する為に口をきつく縛ってある紐を解く。掌からじわりと仄かな熱が伝わり、狩ってからそう時間が経っていない事が窺えた。受験者は受付の際に手持ち検査を受ける為、鞄に食肉が仕舞われていた事は無い。だが、あらかじめ狩っておいたものを森の中に置いておいた可能性は否めない。その場合は肉はすっかり冷めていて、酷い場合は腐敗臭がする。ルハナの手の中の袋に入っている捌かれた肉からは新鮮な血の匂いしかしなかった。


 二つ三つと袋を開けるが、中身はスクヴェルダーとミルクラビットの肉の他、足や毛皮だったり、どれもまだ少し温かく、変な匂いもしない。間違いなく第二の試練が始まってから捌かれたものであろう。罠だけ先に仕掛けたという線は完全には消えないが、森の中で身動き取れない兎型モンスターが長く放置されていれば、ほぼ間違いなく中型モンスターに食われてしまう。スバキが手早く捕獲し、素早く捌いたという方が妥当である。


 小袋を結わき直し、麻袋に仕舞うとルハナはスバキの方に目線を巡らした。ミルクラビットを捌き始めてからそう時間は経っていないのだが、既に皮は剥ぎ終わるところであった。手慣れた様子で臓器と骨を取り除き、ミルクラビットはあっと言う間に食肉とその他の素材とに解体された。肉、皮、足を別の小袋に詰めると、スバキは鞄から携帯用スコップを取り出し、内臓や骨といった、素材として売れないものを地中に埋めた。兎型モンスターに関しては、しっかりした知識があるらしい。


 ルハナはスバキのその一連の作業を感心しながら観察していた。狩人登録してから日は浅いようだが、以前から生活の為に狩りをしてきたのであろう。彼女が水筒の水で手を清め、鞄を背負い直したので、二人で拠点に向かって駆けだした。


 広場にルハナ達が戻った時、ケラは既にフライングピッグを捌き終えており、買取価格を記した紙をブラゼ達に渡していた。ナゴ姉弟は随分パンテオンの解体に手こずっているようで、まだ二人で捌いている。だがその様子からどうやら彼らももうすぐ終えるように思えた。


 スバキは肉だけ詰めた五袋をケラに差し出し、買取価格の計算を興味深そうに覗いている。二匹のスクヴェルダーと三匹のミルクラビットはどれも綺麗に捌かれており、ミルクラビットの食肉としての高い価値もあり、良い値が付いたとスバキは喜んだ。


 とは言え、実際に買い取られるのは、試験終了後となる。それまで捌かれた肉はそのままケラが組み立てた保管箱に入れられ、試験終了時に組合職員が回収する手筈となっているのだ。ナゴの姉弟もパンテオンの肉を一時間以内に捌き終え、第二の試練は無事終了した。


***


 ルハナは受験者から少し離れた場所で試験官手帳に試練の結果や、彼自身が気付いた事を記入していた。午後の試練は、参加権を得た受験者がルハナと二人で中型モンスターを見つけ出し、狩ることが求められる。現時点で参加権を失ったのは銃の男のみだが、ルハナはこの試験では不合格者はもっと出るだろうと予測していた。


 ブラゼはその恵まれた体格から、力強い攻撃を繰り出し、獲物を仕留める事を得意としているようだ。事実、四級狩人でも彼ほどの力を持っている者はそうそう居ないであろう。しかしその大振りな攻撃から隙が多いのが少し気掛かりである。今は槍と銃の男二人と標的が分散されることで何とかなっているが、いつもその状態で狩りができるとは限らない。第三の試練を無事乗り越えたとしたら、その弱点を補うだけの実力が備わっているのかは、午後の試練でルハナが判断する必要がある。


 槍使いの男はその長い得物を扱うだけの筋力が無いのか、時折軸がぶれてあらぬ方へと攻撃が飛ぶことがあるようだ。今のところ味方へと攻撃が逸れていないようなので、落とすほどではないが、第三の試練を通過できるか疑問が残る。


 対してナゴの姉弟は拙いながらも連携が取れており、近接戦の姉と遠距離から攻撃を仕掛ける弟と、バランスが良い。特に弟の方はパンテオンを狩った直後に言葉を交わした様子から、常時落ち着いていることが分かっていた。姉の方はもう少し力強さが必要であるように思え、第三の試練で判断できなければ、午後へと持ち越しとなる。パンテオンを捌く手つきは不慣れなようだったが、きちんと知識はあったようで、内臓の処理はきちんとなされていた。


 一番謎なのはスバキである。彼女は今のところなんらミスをしておらず、試練も危なげなくこなしているのだ。十キログラムの食肉の確保という一人では難しい試練も、難無く完遂しており、組合での対話でものらりくらりと危険を躱してみせた。正確には危機的状況に陥る前に状況を収めてしまったのである。他の受験者と違い狩人として日の浅いスバキには今までの狩猟実績も大して参考にならず、ルハナは彼女の本当の実力を測りかねていた。


 例えば第二の試練でスバキが狩ってきた兎型のモンスター。あれらは小型であり、駆け出しの下級狩人でも狩れる獲物である。特に今回彼女は罠を仕掛けたようであり、中級狩人としては避けて通れないモンスターとの戦闘における実技を披露せずに終えている。それこそ、単に小型モンスターを狩り慣れている下級狩人程度の実力なのかもしれない。だがそれを断定できる判断材料が無いのである。午後の試練に参加できるだけの実力があるかどうか、第三の試練で見極めなければとルハナは身を引き締め、手帳を閉じた。


***


 午前最後の試練は小型モンスターの捕獲である。調教して狩りを覚えさせたり、はたまた愛玩用として飼う事を見越して無傷である事が好ましく、狩人としての力に加え器用さが試され、それ故中級狩人でも手こずる案件である。この試練では他人との連携も採点される為、三人一組に分かれ、試験官としてルハナの同伴の元、一組ずつ森に入る。


 ブラゼは当然お供に銃の男と槍の男を選び、ヘルハウンドの捕獲を試みた。麻酔弾を大量に使い、若い雄のヘルハウンドを一匹捕まえるも、槍の男の不注意でヘルハウンドの後ろ脚に不必要な傷を負わせてしまった。よって午後の部への参加は、三人組からはブラゼのみとなった。


 そして拠点まで苦労して連れ帰ったヘルハウンドだったが、ケラからはかなり安い買取価格を提示された。万能薬でも持っていれば、骨折を始め、火傷、切り傷、擦傷とどんな外傷であっても全て直し、もう少し高い値段が付いただろうが、三人組は万能薬を持っていないのか、或いは持ってはいるのだがその安くはない薬を使うのを渋ったのか、そのままケラに引き渡したのも一つの理由だろう。だがそれ以上にヘルハウンドの年齢が問題であった。


 ヘルハウンドは狩猟のお供として有名な犬型のモンスターではあるが、人に馴らす必要がある為、子犬の状態での捕獲が望ましい。若いが成犬であるこの固体にはケラは渋い顔でかなり低い値段を提示したのだ。加えて組合職員が回収する試験の終わりまで麻酔を使い続けなければいけないこともあり、費用は嵩む一方である。三人は値段に難癖をつけながらも、杭と縄でヘルハウンドを拠点近くに結わき付けた。麻酔が切れたら千切られてしまうような縛であるが、ヘルハウンドであれば、恐らく人を襲わずに森に逃げるであろう。ルハナは一応ケラにその旨を知らせてから、ナゴ姉弟とスバキと共に南西側の森に足を踏み入れた。


 三人はモンスター除けの香が焚かれている広場から小走りで離れながら、言葉を交わしている。自然とナゴの姉が指揮を執る形となっていた。


「私は見ての通り、レイピアを使う。素早い獲物を追い、腱を切り、仕留める。蒼の魔導も少し使える。弟は弓を武器としているが、三大魔導全てを扱え、それらを駆使した高等白魔導も使える」


 三大魔導という言葉にスバキだけではなく、ルハナの視線も弓を背負った弟の方に吸い寄せられた。三大魔導というのは、魔力の中で最も強力とされている三つ、炎の紅、水の蒼、草木の翠の事を指す。これら三色に加えて白の魔力で魔導は完結すると言われている。紅が発し、蒼で流れ、翠に巡る。そしてそれら色付きの魔導は全て白に始まり、白に終わると唱えられるように、魔力の最も純粋な形は、満ち引きの白とされる。


 個人差はあれど、大抵の人間は三大魔導のいずれかを使える。しかしそれら全てを使いこなせ、絡み合わせる事で生じる高等白魔導ともなれば、一握りの人間しか扱えないものである。注目を集めた弟は照れているのか、頬を掻きながら言い加えた。


「小さい頃魔導師になりたくてね。師匠の許で修業したんだけど、どうにも魔力量を増やせなかったから夢は諦めたんだ。でもおかげで姉さんと一緒に狩人としてやっていけそうだ」


 次いで彼はスバキに尋ねた。


「あなたは? その背中の長い棒が武器ですか?」


 スバキは組合の建物を出てから目深に被った帽子に加えて、目は色付きゴーグルで隠され、口元は首に巻かれた大きな布で緩く覆われており、あの明るい声で喋っていなければ、感情が読みにくい風貌である。だがモンスターの中では酸を吐いたり、火を吹いたりする固体も居る上、戦闘中には砂埃が舞い上がる事など当たり前である為、彼女の装いは狩人としては別段珍しくない。特に彼女は服に防御の為の白や翠の魔導が感じられないこともあり、できるだけ普通の布で肌を覆っているように思えた。駆け出しの狩人によく見られる、金欠であろう。


 だがその反面、確かにスバキの背負っている両端に球状の魔石がついている長い棒は、武器として類を見ない形をしていた。槍や薙刀のように長いが、刃先がなく、逆にハンマーのようにずば抜けて大きな鉄塊が先に取り付けられている訳でもない。ルハナも興味がそそられ、スバキの言葉に耳を傾けていた。


「前は違う得物を使っていたんですが、硬い魔石が二つ手に入ったので職人に頼んで作ってもらったんです。打撃が主な攻撃方法ですが、威力はまぁまぁですよ」


 走りながらスバキは答えた。背中の武器を右手で握ったかと思うと、一つの流れるような動きで抜き、袈裟懸けに振り下ろして、素早く返す。風を切る音がした。長い棒を器用にくるくると回してから再び流れる動作で背に差し直す。変わった武器ではあるが、扱いは心得ているようだ。ナゴの弟は感心したように目を見開き、更に尋ねる。


「魔石ですか。魔導を使う際便利ですものね。スバキさんは何色の魔導を?」


 魔石は魔導の発動を助けたり、魔力を増幅させる鉱石の一種である。ナゴの二人も首飾りや耳飾りという形で小さいものをいくつも身につけている。弟の方の耳飾りに至っては、透き通るような輝きから魔石よりも強力な魔玉か魔結晶ではないかと推測された。


 そして魔石や魔玉は使い手の魔力が大きい程本領を発揮する為、魔石を持っている狩人はそこそこに強い魔導が使えるのが常である。狩りに使えない程度の魔導しか扱えなければ、大量の魔石を使わない限り、増幅させてもその威力は高が知れているからだ。


 よって三大魔導でなくても、魔石を持っている狩人に何色の魔導が使えるのか訊くのはごくごく自然な会話の流れである。対するスバキの答えは意外であった。


「実は私、白の魔導しか使えないんですよ」


 スバキの返事に、一同は戸惑いの色を隠せなかった。

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