狩人試験

第2話 剣士の狩人、ルハナ 

 春の朝日が山間を掻き分けてホッパーの町に降り注ぐ中、町の大通りを一人の男が歩いていた。腰には真っ直ぐな大剣を携えており、この町では良く見掛けられる狩人といった風貌である。服装も地味な色合いの、防御の魔導を施された性能と丈夫さだけを考慮したような代物だ。見てくれは一端の狩人であるが、顔を見ればその冬の寒空のような明るい青目は若さ故の力強さを覗かせている。上背もあり体格も良いが、十代後半か、精々二十歳かそこらというところだろう。


 ここホッパーの町が位置するローカスト国の面積の大半は開拓の進んでいない、大自然が広がっている。人間があまり住みたがらない主な理由はモンスターが多く生息していることにある。中型モンスターのみならず、大型モンスターがひしめき合うような危険地帯もちらほら存在する程だ。しかしそんな未開の土地には手つかずの資源や珍しい素材が採れ、ローカスト国の大きな収入源となっている。


 その希少な資源を採取し、商人達の旅路の安全を確保するのに必要不可欠な存在が狩人である。報酬に応じてモンスターを追い払ったり、狩ったり、素材を集めたりとするのを生業としている彼らは、ローカスト国の至る町でよく見掛けられる。この若い男も一年程前からホッパーの町に滞在している狩人だ。


 大通りが他の道と交差し広場になった所で、その一角にある大きな建物に男は足を向けた。ホッパーの町の狩人達の活動拠点、狩人組合だ。朝から日雇いの仕事にありつけようと狩人達が建物の外で様々な依頼者と仕事内容の説明や日当の交渉を熱の入った様子でしている。中には契約が成立したらしい者達が建物から出てきて、連れ立って大通りの方へ歩いて行く。依頼書の提出を済ませてきたのだろう。まだ狩人を探しているらしい口入屋に声を掛けられるも、どうやら剣士の若い男はそれらにあまり興味が無いらしい。周旋しゅうせん業者の呼び掛けを断りながら、狩人組合の建物の中へ入って行った。


 外の競りのような活気に比べ、中はかなり落ち着いていた。目当てのものの位置を把握しているらしい男は、仕事の依頼書が貼り出されている掲示板に一直線に向かう。手前の方では子供でもこなせるお使い程度の依頼が貼られており、奥に行けば行くほど難しい仕事がある。人通りの多い簡単な依頼が並ぶ掲示板の前の床板は塗装が剥げて白っぽい木材が覗いている。男はその板を武骨な靴でコツコツと鳴らしながら奥へ向かう。彼が足を止めたのは最も奥の掲示板の前、所謂上級依頼が掲載されている所だ。足元の床板も、先程よりも黒々としている。


 上級狩人らしい剣士の男は腕を組み、貼り出されている依頼を一つ一つ吟味し始めた。ここから二日の砂漠に出るようになった、行商の馬車に多く被害を出しているサンドワームの討伐。近くの山脈に出没するドラゴンの討伐。南の町の家畜を食べてしまうバジリスクの討伐と、殆んどが大型の獲物ばかりである。しかしそれらの依頼書に手を伸ばす前に、男は呼び止められた。


「ああ、ルハナさん! いいところに!」


 ルハナと呼ばれた剣士の男は声の方へ振り返る。狩人組合職員の証である紋章入りのベストを着た男が彼の許へと駆け寄って来た。背は剣士の肩にも届かぬほど小柄であるが、年齢はやや上なのか、或いは単に剣士の性格なのか、その姿を認めたルハナは会釈をしてから返事をした。


「ケラ殿。どうしました、そんなに慌てて」

「兎に角一緒に来てください!」


 そう言うとケラはルハナの腕を掴み、来た道を足早に引き返す。ルハナは連れられるがままに足を動かす。道すがらにケラは説明し始めた。


「本日は推薦を受けた下級狩人達の飛び級での昇格試験を予定していたのですが、試験官を依頼していた狩人の方が、その……とてもではありませんが依頼を受けられる状態ではなくてですね」


 依頼を受けられないとすれば、狩人という稼業には付き物の怪我かとルハナは考えた。しかしケラに連れられた依頼の受付でそうではないと一瞬で悟った。


 狩人が依頼を受ける為には、組合の受付で書類を提出する必要がある。受付では組合の職員が依頼に対して狩人が参加基準に達しているか、書類に不備がないかを確認し、特殊な注意事項の説明などを請け負っている。それは狩人組合が度々出す、試験官の依頼も例外ではない。現在その受付では職員の女性の一人が、手に依頼書をくしゃくしゃに握りしめている狩人らしき男と揉めていた。どうやら女性は書類の受理を拒否しており、それに対して男は文句を言っているようなのだが、男は呂律が回っていない。


 二日酔いどころではない。まるで酔っているのだ。こんな状態では昇格試験の試験官はおろか、子供達がお小遣い稼ぎに集めてくる薬草の区別すら難しいのではないか。


「もぉもとだぁな。お、お、俺にこぉ仕事をぉ、試験官やってくぁさいっつったのはぁおたくらぁだあたわけさあ。そぉれをう、う、受け付けなあいたぁ、どおいう了見らぁ!」


 酔っ払いが両手を大袈裟に広げる。その勢いでたたらを踏んでいるのだから世話がない。眼鏡の受付嬢は能面のような笑顔で応じている。眉間に深く刻まれた皺を除けば、正しく受付係の鑑とも言えるだろう。


 ケラはルハナに、この通りですと小さく呟くと、今にも受付嬢を殴り掛かりそうな狩人の制止に入った。もしかしたら、単に酔っ払いの介助に入ったのかもしれない。


 ルハナも酔っ払いに背後から近づき、振りかざされていた依頼書を取り上げた。泥酔状態の相手に加え、長身なルハナは男より頭一つ分は抜けている。依頼書は男の手からいとも簡単に奪えた。ルハナが書類にさっと目を通していると、空になった手に一拍遅れて気付いた男はよろめきながら振り返り、焦点の合っていない目でルハナを睨んだ。苦情の矛先が受付からルハナに移った。


「なあんらぁ? てめぇお、お、俺ぇの依頼だぁぞぅ!」


 手を伸ばして来た酔っ払いをひらりと躱し、ルハナは淡々と話し出す。ケラに向けた丁寧な口調ではなく、威圧すら感じる強いものだ。


「狩人昇級試験の試験官の仕事は狩人組合からの依頼である為、難易度は三級であっても保証の水準では上から二番目のBとなる」


 手を伸ばして体勢を崩しかけていた男の鼻先に依頼書を突き付ける。欄の一つには確かに「身元保証:B」と記されている。しかし突き付けられた本人はその意味が分からないのか、先程の横暴な態度とは打って変わって、きょとんとした表情で見詰め返している。ルハナは構わず続けた。


「保証水準Bの任務の場合、依頼主は依頼を受ける狩人に対して検査を要請する権利がある。この場合、依頼主である狩人組合は貴殿に対して酒精検査を求められる」


 今度は理解できたのか、酔っている狩人は小馬鹿にするようにフンと鼻を鳴らし、精一杯背筋を伸ばして腕を組んだ。長身のルハナに対抗しているのかもしれないが身長がまるで足りていない。


「だぁらどぉしたぁ? 検査がぁ怖くて、か、か、狩人んてやってぇらっかぁ!」


 ケラを始め組合職員が固唾を飲んで見守る中、ルハナは至って落ち着いた様子でそうかと小さく頷いた。


「では奥で検査を受けるといい。体内のアルコール濃度が規定の水準以下であれば依頼を受けられる。だが規定以上となると依頼を受けられないだけではなく、罰金が生じ、場合によっては貴殿の狩人階級の降格、最悪、狩人免許剥奪となる」


 免許剥奪という単語に酔っ払った男はぎくりと固まった。狩人免許がなければ狩った獲物を売ることが難しくなる上、狩場が圧倒的に限られてくる。組合の仕事も受けられず依頼料としての収入も無くなってしまう。男は酒を買う金はおろか、碌な生活を送るだけの銭も稼げなくなってしまうだろう。ルハナは依頼書を男に差し出しているが、男は目を泳がすだけで組んだ腕を解こうとしない。やがてじんわりと男の額に汗が浮かび始めた頃に、男は口を開いた。


「まあ、何だ。その依頼、どうしてもお前が受けたいってんなら、俺はぁ別に構わないぜ」


 酔いはすっかり醒めたようで口ぶりもしっかりしている。だがルハナとて別段試験官の仕事を引き受けたくて介入した訳ではない。昨日大きな仕事を終えたばかりで、今日は貼り出された依頼を少し見て、後は町で買い出しを済ませて休養するつもりであった。ただ酔った状態で依頼を受けるというのは規則違反であるからこそ、止めに入ったに過ぎないのだ。しかしケラがここぞとばかりに口を挟んだ。


「そうですね! 上級狩人であるルハナさんならば試験官として申し分ない実力をお持ちですし、何より試験を受ける狩人達にとっても良い刺激となる事でしょう!」


 そうしましょう、そうしましょうと手際良く、そして勝手に書類を準備していくケラの様子からして、鼻からルハナを代わりの試験官に仕立て上げる魂胆が丸見えである。酔いの醒めた男が逃げ腰にその場をゆっくり去ろうとしているのを尻目に、ルハナは改めて手元の依頼書に目を落とした。


 依頼書に記されている任務内容は狩人階級四級への昇格試験の試験官。飛び級の試験の為、受験者はいずれも推薦を受けており、人数も六名と少ない。予定されていた試験場もホッパーの町を見下ろす北側の丘を覆う森であり、遠くはない。それでも責任感の強いルハナは頷かなかった。


「ケラ殿。私は試験官の依頼は受けたことがありません。その上今日は依頼自体受ける気が無かった為、碌な準備もできていない。今の私に試験官は勤め上げることなどできません」


 そのまま静かに退場を試みていた男に再び依頼書を突き返す素振りを見せたが、ずずいとケラが間に滑り込み、熱弁をふるう。


「いえ大丈夫です! ルハナさん自身、何度も飛び級試験を受けた身ですし、そういう意味では適任です! 今回は下級から中級狩人への昇格試験ですので、もとより不合格者が多いでしょう! なのでルハナさんが不合格だと思ったらじゃんじゃん落としていただいて構いません! 必要なものがあれば、組合持ちでご用意させていただきます! 何なら依頼料にも色を付けさせていただきます!」


 あまりの熱量にルハナたじたじとなり、驚きは表情には出ないものの言葉を一瞬失った。その沈黙を否定と受け取ったのかケラは先の積極的な姿勢から一変し、か細い溜め息を吐き、身を縮こめるように弱音を吐いた。


「実は試験の予定開始時刻を既に過ぎていまして……受験者の方々も二階にもう集まっていらっしゃるんです」


 それが試験自体が中止となれば、確かに狩人組合として面目が立たないという事だろう。ケラは涙目に懇願した。


「お願いします、ルハナさん! 人助けだと思ってこの依頼、引き受けてはいただけませんか?」


 余程困っているらしい。それに人助けと言われてしまっては、正義感の強いルハナも断れなかった。


「分かりました、ケラ殿。そこまで言うのであればこの依頼をお受けします。服も剣も問題ないが、組合が貸し出している中級狩人用の用具一式を貸していただきたい」


 ケラは涙を滲ませたまま、嬉々と受付に向かい、後輩に指示を飛ばし、必要な書類を手早く記入していく。依頼料を直そうと算盤を出したところでルハナが制した。


「依頼料はそのままで。私も万全で臨むことができない故、それ以上貰うのは心苦しい」


 ルハナの義理堅い一言に一瞬ケラは驚いた表情をするも、すぐに笑顔で答えた。


「いえ、無理を言っているのかこちらです。緊急依頼という事で依頼料を上げさせてください」


 そしてルハナの返事も待たずにすらすらと算盤で叩き出した少し高めの依頼料を書き入れた。ルハナは少し躊躇ったが、結局ケラの心遣いを素直に受けることにして署名した。ケラがさっと内容を確認し、印を押したところで組合職員が大きな鞄を持って来る。狩人の装備として必要なナイフ、縄、着火器、水筒や雨合羽などが詰め込まれているのだ。ルハナは鞄の中身を軽く改める。特殊な装備は含まれていないが、北の森と丘であれば、充分な内容だ。


 書類を受理したケラはルハナに手帳を渡す。試験官の手帳である。受験者の詳細や試験内容が書かれており、採点もこちらに記入するのである。鞄を背負いながらパラパラとルハナは手帳の内容を確認する。はたと一つの項目で手が止まる。


「ケラ殿。これは記入ミスではないだろうか?」


 尋ねられたケラは横からルハナの手元を覗き込むと、一人納得したかのように頷いた。


「それ、合っているんですよ」


 受付の後ろにある黒板の一角を指差した。


「今回その受験者が合格するかどうか賭けているんですよ、皆」


 黒板には誰がどれだけ、どちらに賭けているのかが記されている。飛び級の試験という事もあり、圧倒的に落第の方に賭けている者達が多い。しかし酔狂にも一人二人と合格の方に名前がある。ルハナは再び手帳に目を落とす。


 受験者六番。スバキ。二十三歳女性。

 狩人階級、九級。


 他の受験者が六級から四級へと昇格を目指している中、一人、場違いな程低い階級の狩人が登録されていた。

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