第34話:ルカ・ラッシュアワー①

 ルカは全力で森を駆け抜け、すでに山の中に足を踏み入れていた。

 不思議ほどに魔獣の気配はなく、むしろ拍子抜けと思う者もいたかもしれない。

 だが、ルカは確かに感じ取っていた。

 山を包み込むような、恐ろしいほどの細く広げられた殺気を。


「……こっちね」


 殺気を感じ取りながら、さらにハウザーが付けた目印を手掛かりに山の中を進んでいく。

 ルカの鼻腔にはまだ新しい血の匂いが入り込んでくる。

 これが誰のものでもなければ特に気にはならなかっただろうが、誰のものなのかを知っているとなれば、わずかながら苛立つものだ。


「……大輪の花の人間を傷つけた罪、償わせてあげるわ」


 血の匂いがハウザーのものであると知っているルカとしては、苛立たないわけがない。

 ハウザーだけではなく、大輪の花のメンバーはフェリシアが大事にしている者たちだ。


「そして何より――フェリシアにあんな顔をさせたのだからね」


 ルカの怒りの根源にあるのは、いつでもフェリシアが関わった場合のみ。

 フェリシアが大事にしている者が傷つけられ、フェリシア自身が苦しそうな表情を浮かべていた。

 ならば、その原因を排除するのはルカにとって最優先事項となる。


「……そう。あなたも、私に来て欲しいのね」


 そして、ルカは洞窟に到着した。

 洞窟の奥からは細く広く発せられていた殺気が、今はルカめがけて放たれている。

 まるで、早く中に入って来いと言っているかのように。


「すぐに殺してあげるわ、リントヴルム」


 洞窟に足を踏み入れたルカの足取りは、いつも通りのものだった。


 ◆◆◆◆


 一方、フェリクスを放ったフェリシアは、部屋の中でスタンピード対策を考えていた。

 大輪の花の最大戦力であるルカがいない状態で原因となっている魔獣を討伐、もしくはルカが帰還するまで戦線を保たせる必要がある。

 前者は魔獣の強さや種類によって成否の確率が変わってしまう。

 後者は保たせるだけなので倒すよりも確率は上がるが、ルカがいつ戻るのかがカギになってくる。


「ハウザーさんが怪我を負ってしまうほどの魔獣かぁ。いくらルカでも、スキルなしとなれば時間は掛かるかもしれないなぁ」

「……ルカ殿が失敗する、とは考えないのですね」

「えっ? 当然でしょ。ルカが負けるはずないもん」


 当たり前といった感じで口にしたフェリシアを見て、アンジェリカは苦笑してしまう。

 アンジェリカもルカが失敗するとは思っていないが、もしものことを考えないわけにはいかない。

 普通はギルドマスターであるフェリシアが全てに対応できるよう考えるべきだが、その部分を普段はアンジェリカがサポートしている。


「……ですね。では、ルカ殿はスキルを使わずに戻ってくるはずですから、私たちは戦線を保たせることで帰りを待つ方がいいでしょう」


 しかし、今回に限ってはアンジェリカもルカが戻ってくると信じることにした。

 だから、もしもを考えることはしない。


「俺がルカ様の代わりを務めます!」

「ちょっと不安だけど、仕方ないねー。それじゃあ、私は魔獣の足止めに全力を注ぐかな!」

「でしたら、私はいつも通りに精霊魔法で支援と援護、両方を担って――」

「ちょっと待ってちょうだい」


 ヴィッジ、エリリス、アンジェリカが話を進めていると、フェリシアが待ったを掛ける。

 そして、誰もが思いもよらない提案を口にした。


「私はルカを信じているし、みんなを信じている。その上での提案なんだけど――ヴィッジはアルカンダリア防衛に残って欲しい」

「…………えっ?」


 驚きの声を漏らしたのは、名前を呼ばれたヴィッジだった。

 アンジェリカやエリリスも、声には出していないが驚きの表情を浮かべている。


「……ど、どういうことですか、フェリシア様!」

「確かに原因となった魔獣を足止めする方が大事よ。だからといって、アルカンダリアの防衛に人員を配置しないわけにはいかないの」

「ですが、それでは原因の魔獣にアンジェリカ様とエリリス様の二人で挑むことになります!」

「足止め程度なら、二人でも十分だと私は思っているよ」

「危険過ぎますよ!」


 ヴィッジは必至になってフェリシアに意見するが、その視線を真っすぐに受け止めながらフェリシアはさらに口を開いていく。


「分かっているわ。でも、原因の魔獣が危険なように、それ以外の魔獣がアルカンダリアに殺到することも事実よ。……これを見てちょうだい」


 そう言ってフェリシアが手に持ってきたのは、机の上に置かれていたこぶし大の青い水晶玉。

 次元の耳と同じ魔法具であり、次元の眼と呼ばれている。

 対となる赤い水晶玉はフェリクスの首輪に嵌められており、次元の眼は声ではなく映像を映すことができる。

 そして、青い水晶玉に映し出された光景を見て、アンジェリカが、エリリスが、先ほどまで声をあげていたヴィッジまでもが、声を失ってしまう。


「数の暴力とはよく言ったものよね。原因の魔獣を倒せたとしても、これだけの数の魔獣がアルカンダリアに殺到したら、それだけで被害は甚大になるわ」


 青い水晶玉からヴィッジに視線を移したフェリシアは、再度口にする。


「ヴィッジには、アルカンダリアに残って魔獣の群れの相手をしてもらうわ。これは、アンジェリカやエリリスよりも、ルカよりも、アルカンダリアに直接影響を及ぼすかもしれない重要な任務になるわ」

「……」

「自信がないならエリリスにやってもらうけど、どうする?」


 ヴィッジの視線はいまだに青い水晶玉を見ている。

 あまりに異常な数の魔獣を見て、怖気づいている――わけではない。

 この任務を、誰でもなく自分へ一番に言ってくれたフェリシアの期待に応えたいと、自分自身に言い聞かせる時間だった。


「……いいえ、俺がやります」

「ありがとう、ヴィッジ。それじゃあ、私たちは原因の魔獣の足止め、及び討伐。さらに、アルカンダリアの防衛の任務に就きます!」

「「「はい!」」」


 そして、三人はフェリシアの部屋を飛び出して準備を始めた。


「……早く戻ってきてね、ルカ」


 フェリシアは部屋の窓から、月が雲で隠れた漆黒の空を見つめるのだった。

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