第31話:隠密②

 一方、ギルド本部ではいつも通りに幹部は魔獣狩りを周辺の森で行い、新人二人は都市内の依頼をこなして過ごしている。

 フェリシアはと言うと、部屋で使っていたインクが切れてしまったので、その補充をするために事務室に足を運んでいた。


「インクは確か、こっちの棚の中に……あぁ、あったあったー!」


 棚の中から小分けにされたインクを取り出すと、個数管理をしている表に一つ使用したというチェックを入れる。


「さて、部屋に戻って仕事の続き~……ん? これって、ハウザーさんのやりかけの仕事かな?」


 ハウザーが外に出る仕事をする時には、中途半端な状態で仕事を残すことはない。

 いつもなら机の上に何も残っておらず、綺麗な状態で出かけるはず。

 そのせいもあり、フェリシアは何となく机に置かれていた書類に手を伸ばした。


「えっと~……ギルドの運営費管理表かな? まあ、ちょっと前に聞いた時は三ヶ月分は問題ないって言ってたし、大丈夫だと思うけど……んん……んん~ん?」


 フェリシアの言う通り、運営資金は確かに問題が無いはずだった。

 だが、ハウザーとグレイズの間で行われた給料の前借により、運営費管理表に書かれている金額はギリギリ一ヶ月持つかどうかという金額になっていた。


「……ど、どどどど、どういうことおおおおぉぉっ!?」


 そして、残りの書類にも手を伸ばしていくと、その原因を見つけることができた。


「これは、グレイズさんの給料明細……んん? なんで、前借なんかしたんだろう。グレイズさんがお金に困っているなんて話、聞いたことがないんだけど?」


 先日も懸賞金で中銀貨5枚という大金を手にしていたグレイズである。

 もし困っていたとしても懸賞金でどうにかなっているはずだし、それ以上の金額で困っているとしたら、由々しき事態だ。


「何か事情があると思うんだけど……ハウザーさんが許可を出したってことは、グレイズさんから相談されたってことだよね? 帰ってきたら、聞いてみようかな」


 直接グレイズに聞くこともできたが、ギルドマスターである自分にも相談できないことなのだろうと考え、思い止まった。

 インクを手に部屋に戻ろうとしていたフェリシアは、玄関の扉がゆっくりと開いたことに気がついた。

 誰かが依頼から戻ってきたのだろうと立ち止まったフェリシアは、手に持っていたインクを床に溢してしまう。


「ハ、ハウザーさん!?」

「……マス、ター。すみま、せん。しくじり、ました」


 顔面蒼白のハウザーは、開けた扉の隙間から顔を覗かせたのだが、そのまま倒れ込んでしまう。

 慌てて駆け寄ったフェリシアは、唯一ギルド本部に残っているアニマの名前を大声で叫びながら、ハウザーを抱き上げる。


「どうしたんですか、リクルートさん! ……えっ、マーネリーさん!?」

「私の部屋から魔法具、次元の耳を持ってきてください!」

「わ、分かったわ!」

「……私としたことが、すみません」

「今は黙っていてください! すぐにアンジェリカを呼び戻しますから!」


 アニマが階段を駆け上がっていく姿を見ていたフェリシアだが、ハウザーは震える腕に力を込めて洋服の裾を引っ張る。


「ハウザーさん!?」

「聞いて、ください! 西の山に、ランクSの魔獣が、います!」

「えっ? でも、西の山には高ランクの魔獣はいないはず。それに、その先にも……」

「最悪の状況が、考えられます!」


 そう口にするハウザーの瞳には、強い意志が込められている。

 このまま話を聞くべきだと、この瞳を見てしまうと思わずにはいられない。


「魔獣は、リントヴルム! おそらく、進化した可能性が、あります!」

「魔獣の進化? ……嘘、まさか、それって!」


 ハウザーが言わんとしていることを理解したフェリシアは驚愕する。

 だが、レベル40のハウザーが手傷を負ったこと。そして、治療することをせずにここまで戻ってきたことを考えると、この言葉を信じないという選択肢はフェリシアにはなかった。


「西の方で――スタンピードが起きた可能性があります!」


 100を超える数の魔獣が発生すると言われているスタンピードが、大都市であるアルカンダリアの間近で起きてしまった。

 その事実を伝えたハウザーは意識を失い、そのタイミングでアニマが戻ってきた。


「リクルートさん!」

「アンジェリカ! 急ぎ戻ってきてちょうだい! 緊急事態よ! 他のみんなも戻ってきて!」


 手渡された青い宝石が嵌められたイヤリング、次元の耳に大声で告げると、ハウザーをアニマと協力して事務室のソファへと運んでいく。

 次元の耳は対となる赤い宝石が嵌められたイヤリングの魔法具があり、遠くの人物に声を届けることができる。

 この魔法具は、フェリシアと幹部四名が所有していた。


「……これは、マズいことになりそうね」


 まぶたを閉じているハウザーの顔を見つめながら、フェリシアは不安を口にするのだった。

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