part.2
繁華街の新年にしては静かな夜だった。何処かの街の賑わいとは大違いの裏寂しい元旦の夜だった。
積もり始めた雪のせいなのか、それとも何か奇跡でも起きる前触れなのか。
いずれにしても、この静けさがあったからこそ二人がこの微かな異変に気づく事が出来たのだ。
「何だろう?酔っ払いが店の前でひっくり返ってたら嫌だな」
「ひっくり返ってるだけじゃあ良いが、死んでたりしたら堪らんなあ!ハハっ!」
「やめて下さいよ八神さん!新年そうそう縁起でも無いことを」
あり得ないと思いながらも、そんなあり得ない事が不思議と起こるのがこの理髪店なのだ。
二人は嫌な予感がしながらも恐る恐る店のドアから外を覗いて見た。
だが人の気配も、無論酔っ払いが倒れている事も無く、二人はほっと胸を撫で下ろした。
だが秋山がドアの足元に何か毛糸か毛皮の帽子のような物が落ちている事に気がついた。
「…帽子?」
じっと目を凝らすと、帽子にしてはやけにリアルな耳と尻尾が付いていた。
秋山は思わず声を上げた。
「猫だ…!猫だよ八神さん!」
「猫ぉ?」
秋山が慌ててドアを開くと、僅かに雪の積もる玄関にまるで誰かが落とした帽子のように猫が蹲っていた。
秋山がかがみ込んで薄らと雪を纏った背中に手を伸ばしたが猫は微動だにしなかった。
その冷たい感触に秋山は慌てて猫を拾い上げた。だが猫の四肢や尻尾はダラリと力なく垂れ下がった。
「おいおい、こいつ死んでるんじゃねえか?」
「死ぬとか言わないで下さいよ!まだ分からないじゃないですか」
そう言うと秋山はぐったりとなった猫を抱えて店のだるまストーブの前に座り込んだ。
「八神さん、タオルタオル!」
八神が店内にふんだんにあるタオルを持って来て湿り気を帯びた身体を拭き、秋山は濡れて冷たくなった肉球を握りしめて温めた。
その間も猫はぐったりとされるがままだ。
「大丈夫そうか」
「分からないけど息がありますし死相も出てません」
「死相?猫の死相?そんなもん分かるのか先生」
「僕は割と猫の死に際に立つことが昔から多くて、そう言う猫は顔つきが違うんです。目玉にハリがなくなってブヨブヨになっちゃうし、目の周りも落ち窪んでしまうんですが、この子はまだ…」
覗き込んだ猫の目元は瞳こそ虚だったが、ブヨブヨでも落ち窪んでもいなかった。
それから八神は何軒か近所の動物病院に電話をかけてみたが元旦から電話が繋がる病院は生憎この界隈では見つからず、仕方なく秋山と八神で交代で猫を毛布に包んで抱いてみることにした。
「何処から来た猫だろう。この辺りではこんな毛色の子は見かけたことがないですよね?」
二人で甲斐甲斐しく猫の毛をタオルで乾かすと、猫は綺麗なグレーをしていることが分かった。
地域猫の耳には目印となるV字の切れ込みが入っているはずだが、この猫にはその形跡がない。
「どっかの飼い猫が家を飛び出して迷子になったんじゃねえか?」
ニャアとも言わぬ猫をバスタオルに包んで抱いている八神は何処となく新米パパが赤ちゃんを抱っこしているように見えて、こんな時だが秋山は口元を綻ばせた。
「八神さん何だかパパみたいだ。八神さんの歳なら子供の一人や二人居てもおかしくないですもんね」
「それは俺がおっさんだって言いたいのか」
「違いますよ、パパもお似合いだろうなって言いたかったんです」
「なぁにがパパだ。オレのガラじゃねえ」
ぶっきらぼうに言う八神だが、本当に似合って見えて秋山はふと想像した。
もしも自分が八神の奥さんだったら、将来こんな風景もあったかも知れない。
「なあ、先生。アンタは明日も仕事だろう。後はオレが見てるから先生は上でちゃんと寝てこい」
そうは言われても秋山は猫か気になって仕方ない「でも…」と口籠る秋山に八神が被せた。
「助かるか助からないかはこいつの生命力次第だ。今のオレ達にはこれ以上してやれることは無いぞ。オレが見ててやるから寝てこいよ」
理髪店は今年は元日も営業すると秋山は決めていた。
繁華街では正月から働く水商売の人達は以外と多い。
にもかかわらず、このところ毎年のように何やかやと年末年始、休業を余儀なくされていた。
今年はそんないつも贔屓にしてくれているお客さん達への罪滅ぼしのつもりで店を開ける事に決めたのだ。
朝の十時には既に予約客が入っている。八神の言うように、少しは寝ておかないと身が持たないのは目に見えていた。
秋山は後ろ髪を引かれながらも八神に猫を託して二階へと上がっていった。
寝付けない独寝の布団にもぐり、浅い夢の中で秋山は猫の夢を見た。その夢の中で猫は元気にニャアと鳴いていた。
「八神さん、猫は?」
朝起きた秋山の開口一番がそれだった。
朝日で目覚めた秋山は、あの夢が正夢になったのではないかと期待しながら勢いよく階段を駆け降りてきた。
だが八神は穏やかな顔でゆるく首を横に振っていた。
猫は八神が設えた段ボールの寝床で毛布に包まれてぐったりとなったままだった。
「毛布の下に湯たんぽを入れてやった。助かると良いが…」
元旦になったあの瞬間まで秋山は八神が言う通り、幸先良いと思っていた筈なのに今はブルーな気分だった。
年末は何とか無事にやり過ごしたと言うのに今年は最速で事件が起きてしまったのだ。
だが、これが最速最悪の事件というわけでは無いことを秋山も八神もまだ知らなかった。
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