第26話 重い先輩



 最近よく目にしていたのは黒塗りの車だった。ここら辺は住宅街って所もあってそこまで車の通りは激しくなかったけど、最近はやけに黒塗りの車ばっかりを見るようになった。


 それも決まって俺のパン屋付近で見かけていた。でも、そこまで大袈裟にも考えていなかったから、またいるなぐらいの感覚だった。


「何を余所見してるのかしら? 電信柱にぶつかるわよ。そんな暇があるなら私を見なさいよ」

「志保先輩を見てても電柱にぶつかると思うんですけど」

「細かいキミは嫌い。うそ、好きよ」

「情緒不安定なんですか?」


 今日は珍しく夜に志保先輩と一緒にお出かけ。デートと言って聞かないけど、これはデートではない。ただのお出かけ。


《銭湯に行ってみたいの》


 志保先輩の発言からすべてはいつも始まる。

 わがままプリンセスのわがままに応えるのが執事の役目で、まだ志保先輩のバイト代や俺のお小遣いが残っていたから承諾した。


「銭湯に行ったことはある?」

「銭湯はないですね。旅行とかの露天風呂ならありますけど」

「私もそれならあるけど、いつも1人で入らされてつまらないし、退屈なのよ」

「志保先輩は誰かと一緒に居たい人なんですか?」

「誰かではなく、キミとがいいわね」

「ちょ……」

「そんなに赤くなって可愛らしいわね」

「冗談はやめてください……」

「冗談ではないわ。でも、キミじゃなくてもいいのかもしれない。私はずっと1人だったから、誰かと一緒にってのは嬉しくて楽しいのよ」

「それがたまたま俺だったって事ですね」


 志保先輩のことを理解してくれる相手なら別に俺じゃなくてもいい、誰だっていいんだ。そう聞こえた。


「運命よ」

「え?」

「この出会いはたまたまなんて呼ばせない。確かにキミじゃなくても良いのかもしれない。でも私達は出会ったわ。これってもう運命じゃないかしら?」

「運命、ですか」


 志保先輩の尺度は俺には分からない。でも、嫌味っぽく自分をあからさまに下げて、承認欲求を満たそうとした。

 それに気づいているのかは分からないけど、それでもちゃんと俺の求める答えを、求めてるタイミングでくれる志保先輩はやっぱり魅力的だった。


「かけがえのない出会いだと私は思ってる。もしキミがそう思っていなくても、私はそう思い続ける」

「志保先輩って結構重いんですね」

「そうよ。だって思いって呼ぶくらいだから重いのよ」

「なんですかそれ」


 満たされた気持ちのまま、2人で足並みを揃えて銭湯へ向かう俺たち。これからもこんな日常が続くと思っていた。











「ここが銭湯?」

「はい。昔ながらの銭湯ですね」


 屋根に煙突があり、正面玄関は2つ、片方の暖簾には男と書かれていて、もう片方の暖簾には女と書かれている、シンプルかつ絶滅危惧種の銭湯。


 実際に行ったことはなかったけど、何度かこの前を通ったことはあったので把握だけはしていた。


「ここは混浴じゃないの?」

「もちろん男女別ですよ」

「キミと一緒に入れないじゃない」

「いや、そうですけど? むしろ入るとつもりだったんですか?」

「もちろんよ」

「もちろんってあんた……」


 俺と一緒にお風呂に入る気満々だったこのエッチな先輩の夢は早々にやぶれてしまっていた。

 っとは言ってもこればっかしは流石に俺がどうこうできる問題じゃなかったから、志保先輩には納得してもらうしかない。


「まぁいいわ。仕方ないから1人で入ってくるわ」

「じゃあ入り終わったらここで待ち合わせでいいですか?」

「寒くないかしら?」

「しっかり湯船に浸かれば外に出ても寒くないですよ」

「それもそうね」


 そして俺と志保先輩はお互いの暖簾をくぐった。銭湯に来たからって特別するようなことなんてなくって、普通に頭や身体を洗って、少し熱めな湯船に浸かって、気が済んだら出る。


 多分普通の人より早い湯上がりだったと思う。銭湯を出ようとした帰りがけに、コーヒー牛乳的なやつを2つ買って、外のベンチに向かうと、そこにはもう志保先輩が座っていた。


「志保先輩!? 早くないですか?」

「うん。なんか、ね」

「どうかしました?」

「キミがいないと、つまらなくて」


 俺と視線を合わそうとせず、ただ俯きながらそんな言葉を零す志保先輩。

 風呂上がりの少し蒸気した頬、髪を結いているから見える首筋、そしてなによりその横顔が美しく、その言葉とも相まって魅力的だった。


「…………」

「帰る?」

「えっと、志保先輩、これ」

「何かしら?」


 志保先輩に話しかけられて、我に返ってから手に持っていたコーヒー牛乳を志保先輩の前に差し出した。


「お風呂上がりに飲むと、最高なんですよ……!」

「そうなの?」


 俺がフタを開けると志保先輩も同じようにフタを開ける。

 

「美味しいの?」

「お風呂あがりに飲むと最高って聞いたことあるので」

「そうなのね」


 俺は温まった身体にキンキンに冷えたコーヒー牛乳を流し込む。甘い、とても甘くて見に染みる。


「確かに、美味しいわね」

「気に入りましたか?」

「うん。それと1つ、分かったことがあるの」

「分かったこと?」


「やっぱり私はキミがいないとダメみたい。キミがいるからこれだって甘くて、キミがいるからお風呂に入るよりこうして喋ってる方が楽しい」


「志保先輩……」

「本当の好きって感情は、尊いわね」


 本当にこの人は純粋で真っ直ぐだ。俺なんかが言えないような恥ずかしい言葉をすらすらと言えちゃうくらいには真っ直ぐだ。


 志保先輩が真っ直ぐな感情を俺にくれるから、俺もそんな志保先輩に魅了されて気持ちが変わっていくんだ。


 満たして満たされる。そんな関係になれてる気がした。志保先輩が俺を必要としているように、俺も志保先輩を必要としている。

 言ってしまえば俺の両親も志保先輩を必要としている。


「だから今度は、2人で一緒にお風呂に入りましょう」

「はい! え? えぇ!?」

「なによ、武士に二言はないでしょ?」

「いや、俺は武士じゃないんで……」

「男に二言はないでしょ?」

「いや、それは――」

「じゃあ、私とキミの約束」


 その言葉がなぜだかすんなりと頭に入ってきて、それでいてとても嬉しかった。

 たかが約束だけど、この先の未来に志保先輩と一緒に居られる時があるんだと思えただけど、気持ちは弾んだんだ。

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