第22話 寝不足な先輩


「志保先輩、早くしないと遅刻しますから!」

「分かってるわよ」

「分かってるならなんで呑気にまだパン食べてるんですか!?」

「朝食はしっかり食べないと勉強に集中できないわ」

「それよりも遅刻を避けないといけないですから!」

「なによ、昨日はキミが中々寝かせてくれなかったんじゃない」

「知らないですよ。志保先輩があんなに食いつくとは思わなかったんですから」

「そうやってキミはまた私のハジメテを奪っていくのね。罪な男の子」


 昨日の志保先輩の表情は今でも鮮明に覚えてる。こんな表情もするんだなって思って、ついつい色々と試したくなってしまった結果、夜更かしをしてしまったのだ。


「意味分からないですしなんか言い方が卑猥なんですけど、ただの遊園地のサイトを見せただけじゃないですか」

「私にとってはハジメテなのよ」

「頬を赤らめながら言うセリフでもないと思うんですけど?」


 相変わらず俺と志保先輩の日常は変わらない。このパン屋から物語が始まってって、なんか前にもこんなフリがあった気がするけど、まぁいいか。


「今週の学校を乗り越えれば念願の遊園地ですから」

「早く終わらないかしら。世界が」

「物騒ですし、遊園地行けなくなりますけど?」

「遊園地以外滅びないかしら」

「そんなトリッキーなことは起こりません!」


 志保先輩が天然にボケて、俺がそれにすかさずツッコむ。いや、そっちじゃなくて発言に対してだからね? 俺はまだ志保先輩とはキスしかしたことないし。


 いや、キスをしてる時点でもう普通の関係ではないか? でも特別な関係、恋人同士でもないし、俺と志保先輩はあくまで先輩後輩として、そんな関係を続けていた。


「ちょっとキミ」

「はい?」

「こっち来なさい」

「え? なんですか?」

「ネクタイ、曲がってるわ」

「え? あぁ」


 そう言って志保先輩はネクタイを整えてくれた。キミは相変わらずだらしないわねと言われながらだけど。

 でもそうやって直してくれる志保先輩の優しさ、あと新婚の新妻感があって形容し難い感情がぐるぐると渦巻く。語彙力無くてもいいなら最高って感じに。


「んぐっ」


 幸せの余韻に浸っているとネクタイを引っ張られる。首が絞められると共に志保先輩の瞳が近づいてきて、俺の視線を覆った。

 ただでさえ首が絞まっているのに、余計に息ができないことで、志保先輩にキスをされていることに気がつく。


 何秒重ねていたかは分からない。合わせてくるのも離すのも両方志保先輩からだった。

 少しだけ名残惜しく感じたけど、きっと俺から志保先輩を求めるのは違うし、志保先輩的にもそれはナシなのだろう。


「行ってきますのキス。これもハジメテよ。感想は?」

「もう一度したいです」

「キミ、変わったわね」

「俺を変えたのは他でもない志保先輩ですよ」

「ふふふ、嬉しいこと言ってくれるじゃない。けどダメよ。またの機会のお楽しみよ」


 頬をつつかれ、志保先輩はカバンを持って玄関へと向かった。

 つつかれた頬にも塞がれた唇にも志保先輩の熱がまだ宿っている。

 分かってはいたけど、おかわりを希望したら案の定お預けだった。


 俺が求めていない時には甘くすり寄って来て、俺が求めるとイタズラに離れていく、そんな猫のような志保先輩。


 だけどそんな釣れない性格が俺には丁度良く、より魅力的に、蠱惑的に見えてどんどん志保先輩にハマっていくのだ。










 春の陽気に包まれている中、陽気を体現したかのように志保先輩は電車の中で踊る心を必死に抑え込んでいるようだった。

 俺と志保先輩は遊園地に向かう途中の電車内にいた。父さんから貰った遊園地のチケットを使う為に、志保先輩と一緒に向かっていたのだ。


「なんだか、少し寂しくなるわね」

「なんでですか?」

「今いる街を離れていくの。大した距離ではないのは分かってるけど」

「でも、その先にはまだ俺が居ますよ」

「あら、キミも言うようになったじゃない」

「俺だって身体的にも精神的にも成長してるんですよ!」


 志保先輩のそばにいて気が付くことや考えさせられることがあった。その度び間違った選択をして怒られて気まずくなったりもして、それでも先輩を俺を導いてくれた。

 このまま先輩と関わっていけばもっと強くなれそうな気がした。それが目的ってわけじゃないけど、得られるにこしたことはないから。


「そう、強くなってくれて私も嬉しいわぁ」

「ひぃ……」


 志保先輩に太ももを触られる。撫で回すように、弄るようにそのキメ細やかな白は俺の理性を壊しにきていた。


「ちょ……志保先輩ここ電車ですよ?」

「誰もいないからいいじゃない。それに、精神的に成長したのならこれくらいどうってことないでしょ?」

「それとこれとはまた話が……」


 からかわれてる。完全に遊ばれている。俺の言葉を聞いてイタズラな先輩が俺を誘惑してきている。その気になったってその先には導いてくれないエセサキュバス。でもそんな感覚がちょうどよく刺激されがちなのは否めない。

 パンツは見えるより見えそうで見えないチラリズムが良い的なね。いや、自分でも何言ってるか分かんねぇ……


「公共の場ですからね? 一応」

「少しでも長くキミを感じていたい。そんな私の気持ちを無下にするのかな?」

「だからなんでそこまで飛躍するんですか!?」

「ごめんんさい。やっぱりテンションが上がっちゃってるみたいだわ。それとキミへの復讐もね」


 そう言って離れてくれた志保先輩。多少の名残惜しさはあったけど、どうにか理性は保つことができた。本当に志保先輩は俺にとって毒になる時がある。


「復讐って、俺なにかしました?」

「私は今日のお出かけはデートだと思ってるわ。だから、言って欲しい言葉くらいあったのよ」

「言って欲しい言葉?」

「一応、キミの好みを考えた服装なのだけれど……」


 グレーのプリーツスカートにインナーに白いTシャツ。その上にネイビーなカーディガンをは羽織っていた。確かにそんな服装は今まで見たこともない。

 主張しすぎない程のナチュラルメイクにシャンプーの甘い香り、そのどれもが志保先輩だけど今まで見てきた志保先輩ではない衝撃。


「寒くないですか? 春先とは言えまだ冷え込みますし」

「…………」

「志保先輩?」

「キミって本当にバカ。単細胞。発言する前に5秒時間をあげるから考えなさい」

「えぇ……?」


 疑問の言葉を口にしたら酷く罵倒されてしまった。なにがいけなかったのだろうか? 教えてと聞いても知らないとそっぽを向かれてしまう。それよりも言ってなかった言葉を思い出し、もう一度志保先輩と呼んで、不機嫌そうな表情が俺を捉えた時に、その言葉を贈った。


「志保先輩、すごく似合ってます」

「……ふん、どうせ寒そうよ。今日の私は」

「いや、だから今のは違くってその……」

「罰として、手ぇ、繋いでもらうのわよ」

「え?」

「確かに外に出ると寒いのは事実だし、今回の件はそれでチャラにしてあげるわ」


 そう言われてすかさず志保先輩の手を握る。少しだけひんやりしている志保先輩の手。その綺麗で強く握ったら壊れてしまいそうなその手に躊躇せず触れられる自分に少し驚いた。


「ちょ……別に今繋いで欲しかったわけじゃ……」

「あぁ、ごめんなさい」

「だ、だからって離さなくてもいいわよ。せっかく繋いだんだし……」

「そ、そうですか」


 電車の中で手を繋いでいる高揚感、カップルってこんな感じなのだろうか。俺達だけしかいないこの空間はとても心地が良く、目的の場所に着くのを嫌になるくらいに満たされていた。

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