第10話 俺のことが好きな先輩
「とりあえず、服持ってきたんで使ってください」
「ありがとう」
志保先輩は俺からスウェットを受け取って着始めた。そう、俺の目のまで普通にね。見たいか見たくないかで言えば圧倒的に見たい。女性の身体の曲線美もたわわに実った豊満な果実も、きめ細やかで色白の四肢だって眺めたい所ではあるけど……
「お、俺の目の前で着替えないでください……!」
「見たくないの?」
「そりゃ見たいですけど」
「ならいいじゃない」
「志保先輩はいいんですか? それで」
「いいって、なにが?」
「好きでもない異性にそう簡単に裸を見せることですよ」
「私はキミが好きよ」
「またそうやって口からでまかせ――」
この感触は1度味わった事がある。この柔らかい感触と甘い匂いは、キスの味だった。それこそ他でもない志保先輩から奪われた俺のファーストキス。
「キミは、好きでもない人とキスできる?」
「俺は、したくないです。だからできないです」
「そ。ならキミの理屈だと、私は好意を持ってるからキスをできたって事になるわ」
「でもそれは俺の理屈であって志保先輩の理屈じゃない。第一俺は志保先輩に何かしましたか? 好かれるくらいの何かをした覚えはありません」
「パンを、くれたわ」
「え?」
「お腹を空かせてる私に、パンをくれた」
「やっぱり空いてたんじゃないですか」
「お腹は空かせてないけど、私にパンをくれた」
「別に言い直さなくてもいいですけど……」
「私を家に入れてくれた。温かいお風呂があって、着る物も用意されていて」
「それは、その……」
「こんなわがままで自分勝手な私に付き合ってくれた。いろいろ振り回して、利用して傷つけても、私の背負ってる物を半分背負わせて欲しいとキミは言った。言ってくれた」
志保先輩は真剣な表情で俺を好きになった理由を語ってくれた。それだけで? って思う自分もいるし本当に俺の事が好きなのか? って疑う自分もいる。
「それと、キミは見返りを求めないから」
「見返り?」
「自分の価値は自分で良く分かってる。年頃の女の子がどういう視線で見られるのかも、知ってる」
自分の身体を覆い包むように両手を回した志保先輩。その姿には先程までも強気な先輩の雰囲気はなかった。ただ悲し気に憂いている年頃の女の子の姿だった。
「身体を求められてお金を求められて、拒否したら私は追い出されて。みんな結局私を救おうとしてくれなかった」
「…………」
「でもキミは違った。私に知らない世界、憧れの世界を見せてくれた。キミにとっては日常なのかもしれないけど私には無い日常だった。私がいいよと言ってもキミはパンツを見ようとしない、私に触れてさえこない。それはそれで腹立たしいけど、キミのその優しさが嬉しくてたまらなく愛おしいのよ」
「志保先輩……」
抱えてる闇の大きさも、不条理な現実の尺度だって分からない。俺が志保先輩の境遇を理解できないのは仕方がないことかもしれない。それでも、今先輩が悲しんで苦しんでいることくらいは分かる。
志保先輩の俺に対する好意が本物かどうかはまだ分からない。それでも丸っきり全部が嘘にも思えなかった。
「私はキミが思っている以上にキミの事が好きよ」
「そう、なんですね」
「パンツは見たい?」
「いえ、今のしんみりとした雰囲気返してくださいよ」
「嫌な話はもう終わり。じゃあ行くわよ」
「え? どこにですか?」
「コンビニ。プリンが食べたいの。もちろんキミの奢りでね」
「後輩にたかるんですか……」
「キミが買ってくれたプリンならきっととても美味しい気がするから」
「ほんと、めちゃくちゃですね先輩は」
「うん、私ってめちゃくちゃだから」
志保先輩は相変わらずめちゃくちゃだ。発言も行動もなにもかも俺の思考の遥か先に行く。でも、そんな志保先輩の事をほんの少しだけ理解してみたいとも思えた。
▼
志保先輩と一緒にコンビニへと向かう。スウェットだけじゃ寒そうだから俺が着ていたコートを差し出すと、いいの? っと先輩らしくない発言と仕草で少しだけ戸惑う。
「志保先輩が風邪引いたら困りますからね」
「優しいのね、キミって」
俺の隣を志保先輩が歩く。別になんら変わりない日常のワンシーンに過ぎないかもしれないけど、誰かと夜にどこかへ出かけることは久しぶりな気がした。
「息が白いわね」
「そりゃ、冬ですからね」
「手も冷たいわ」
「そりゃ、冬ですからね」
「ものすごく手が、冷たいわ」
「そりゃ、冬ですからね」
「誰かが温めてくれないかしら。ポケットに手を入れてると転んだ時にケガをしてしまうし」
「それなら、手を繋いでいても塞がれてるのは変わらないのでオススメできませんね」
そのあとに志保先輩は何も喋らなくなり、隣をチラっと見るとものすごい勢いで睨まれていた。冬の寒さのせいにしてしまえば繋げるはずのその白い手も今の俺には繋げない。ただ恥ずかしさってだけじゃなく、俺の手で志保先輩を汚してしまいそうだったから。
「私って、そんなんい魅力ないかしら?」
「黙ってれば最高だと思います」
「じゃあずっと黙ってたら付き合ってくれる?」
「ずっと黙られるのは不便ですよね」
「黙ってればって言ったのはキミなのに」
「極論過ぎるんですよ。ずっと黙ってるって」
魅力がないわけじゃない。見た目は清楚で綺麗だし、歳上女性の少しエロチックな部分は刺激になるし、いろいろなしがらみもなく普通に出会って普通に友達になって、そんなありきたりの過程を過ごしていたら恋人にしたいと心から思えたはずだ。
背負うにはあまりにも重く、手放せばそれよりも重い現実が待っているデスゲーム。俺の選択の重さより先輩の選択の重さの方があるのに、それを平気でやってのけそうな恐さがある。
「なら、私は待ってるから」
「え?」
「キミが自分から私の手を引いてくれるくれるのを」
その凛とした声音からはどんな表情で、どんな想いがあるかは分からないけど、今はいくら考えても答えは出せそうにない。
「コンビニ、あそこ?」
「そうですね。あそこです」
店内に入ると暖房の熱気が一気に押し寄せてくる。志保先輩は真っ先にデザートコーナーで行ってお目当てのプリンを手に持った。
「これが好きなの」
「それだけでいいですか?」
「他にも買ってくれるの?」
「物に寄りますが、そこまで高くないなら」
「それじゃあ……」
志保先輩は急にモジモジし始める。そんな卑猥な物でも買おうとしてるのだろうか? いや、売ってはいるだろうけど。手すら握れない俺にその先を求めたってその期待には応えられそうにないんですけど。
「カップラーメン」
「え?」
「カップラーメンをコンビニの前で食べてみたくて、でもひとりじゃ勇気がなくって」
「そ、そうですか……」
美味しい展開を予想したけど全く違っていて、ただの志保先輩の好奇心だった。
「いいですよ。好きな味選んできていいですよ」
「本当!?」
経験したことのない物に興奮する気持ちは俺にも理解できる。でも、普段の先輩とは違い小さな子供がお菓子を買って貰えたような、そんな無邪気な笑顔と行動だった。
レジでお会計をして志保先輩が好きなプリンとカップ麺、俺はレジ横で売っていた中華まんを買って店を出た。
「お湯、入れてくるから待っててね」
「はいはい分かりました」
ものの数十秒で志保先輩は戻ってきて、期待に胸を膨らませている様子だった。
「もう3分経ったかしら?」
「まだ1分も経ってませんよ」
「時間の経過が早くなる魔法とかないの?」
「俺普通の人間なんですけど」
「役立たず」
「えぇ!? えぇ!?」
そんな不毛なやり取りをしていると時間はあっという間に過ぎてカップ麺は食べごろを迎えた。上蓋を取ってから志保先輩はカップ麺を見つめ、生唾を飲み込んでから箸で麺をすくって食べ始める。
「お、おいしい……!」
「それは良かったです」
わざわざ寒空の下でカップ麺を食べる必要はないだろうけど、そんなデリカシーのない発言で志保先輩の機嫌を損ねられない。ラーメンを微笑みながら食べる志保先輩を見ながら俺も中華まんを食べ進める。
「ありがとう」
「お礼なんていいですよ」
「どうしてだろうね。キミといるとどんどん願いが叶っていく。どうしてキミは私の願いをこんなに叶えてくれるの? もしかしてキミは神様?」
神様だなんてそんなおこがましいことは言えない。俺は先輩を救おうとして何も救えてない。足元の小さな幸せを拾い集めたって最終的に守れなければなんの意味もない。
「俺は神様じゃなくて、ただの志保先輩の後輩ですよ」
俺は神様じゃない。ただの後輩だ。人並みの能力しか持っていないただの後輩。それでも今はこの世で唯一先輩と一緒にいられる後輩でもあった。
その事が少しだけ嬉しく思えた冬の夜。
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