第11話 温もりを知る先輩


 家に戻ると志保先輩は眠いと言い出した。お泊り用の歯ブラシもコンビニで買っていたのでそれを渡して歯を磨いてもらう。寝るのに使える部屋は1部屋しかなく、そこは志保先輩に使ってもらって俺はリビングのイスを並べて寝ようと思ったけど……


「え……?」

「ほら、キミも早く寝ないと」


 志保先輩に手を引かれてベッドの中へと入れられてしまう。少し温いその空間は動いてもいないのに身体が熱くなっていく。


「俺、リビングのイスで寝れるんで」

「別にここでいいじゃない」

「いや、いろいろとマズいと言いますか……」

「キミは私に手を出さないんでしょ? ならこのままでもいいじゃない。それともキミはやっぱりケダモノさんなの?」


 見え見えの分かりやすい挑発だった。それでもノリたくなってしまうのが俺のプライドだった。俺をそんな欲求に忠実な獣と一緒にされたくないって抵抗が俺を布団の中へと縛りつけた。


「ふふ、キミって案外単純なのね」

「うるさいです」

「ドキドキしてる?」

「してません」

「ナニかを期待してる?」

「してません」

「そっ。それはそれでつまらないな」

「志保先輩は俺に何をさせたいんですか……?」


 自分は散々質問しておいて俺の質問には答えずにあくびをする志保先輩は相変わらず自分勝手な人だった。でも、変な誘惑があるよりかは大人しく眠ってもらった方が俺の精神衛生上にも良かった。


 右に身体を向ければ志保先輩の顔が近くに来る。普段はもう見慣れたはずのその顔はベッドの上では違って見えた。変な気を起こさないように反対側を向いて寝る。邪心に打ち勝つんだ。


「し、志保先輩……?」

「少し、こうしてたいの」


 背中により強い熱を帯びるのを感じた。そして腰に回される少しひんやりとした腕は間違いなく志保先輩のものだった。


「ちょ、先輩……」

「誰かとこうやって寝たこと、無いの」

「え?」

「普通の家族はこうやって家族と川の字になって寝るって聞いた事あるの。こうやってくっついて夏は暑がったり冬は温め合ったりして」


 その声音をもう知っている。今までの境遇に悩まされて苦悩して、普通を求めた志保先輩の寂しい嘆き、縋りたい憧れ。


「俺の家でも川の字で寝た事はありませんよ」

「そうなの?」

「はい、けど母さんと一緒に寝た事はあります」

「どんな感じなの?」

「どうって、特になんともないですけどね」

「そうなのかな? 私は今すごく、すごーく温かい。初めて」

「背中くらいなら、いつでも貸しますから」

「ありがとう。温かくて、柔らかくて、気持ちがいいわ」


 その後しばらくしてから志保先輩はその温もりを離さぬように、慈しむように俺を抱き枕代わりにして寝息を立て始めた。











 志保先輩を匿う生活が1週間続いた頃に問題が起きていた。


「金ねぇ……」


 志保先輩を泊めてる間の食事代が尽きたのだ。パンが余った時はそれを志保先輩に渡していたが、母親がパンを作らないと余らなくて父親だときっちりと無くなるのだ。

 そんでもって俺に貯金なんかないし手持ちのお金を使ってなんとかやりくりはしてるものの、あっという間に底をついたのだった。


「食べる物どうしよっかなー」


 家の料理を持っていくか・ いや、それは流石に怪しまれるな。冷蔵庫の中の食材を勝手に取るのも1回2回くらいならバレないかもしれないが毎回なら普通に気が付くだろう。


「お金ないの?」


 すると余り物のパンを食べながら志保先輩がやってきて俺に聞いてきた。ここで直接話すと志保先輩が気を遣ってしまうのは明白だった。そのままもうお世話にはならないとか言い出して自殺されても困るけど、じゃあどうすればいいのか、どう誤魔化せばいいのか、どうすればこの場を凌げるかが分からない。それでも無い頭を必死に回転させる。


「キミ、バイトしないの?」

「え……?」

「お金無いならバイトすればいいじゃない」


 そんなことはありませんでした。志保先輩に限ってそんな気をつかうとか心配するとかはなく、非常に前向きな発言でした。ってかそれそっち側が言うんですかね? なんか俺の優しさを返して欲しいんですけど……?


「もちろん、志保先輩もしてくれるんですよね?」

「私は家を守るわ」

「完全におんぶに抱っこじゃないですか!?」

「男性が働いて女性が家を守る。それが現代の風潮でしょ?」

「真面目に回答すると、それはそれで思想が少し古いっすよ」


 それでも志保先輩は俺にバイトをしなさいと言ってくる。本当にメチャクチャな人なのに、それでも仕方ないと思っちゃう辺り俺も志保先輩の感覚に惑わされてるんだろうな。


「仮に働くとしても、給料なんてすぐ貰えないですよ?」

「そうなの?」

「日雇いならアレですけど。普通はまとめてって感じです」

「ねぇ、キミの家ってパン屋さんだったよね?」

「そうですけど」

「キミの家でバイト、させてもらえる?」

「誰がですか?」

「私がよ」

「志保先輩が?」

「私以外いないじゃない。キミってもしかしておバカさん?」


 前から思うけど志保先輩ってやっぱり一言余計なんだと思うんだよね。さっきはバイトしないとか言ってたクセに今はバイトするとか情緒不安定なんですかね? まぁ死んでやるって思ってるくらいだから不安定どころか壊滅してるんだろうけど。


「一応聞いてみますけど、あてにはしないでください」

「お願いね。絶対にね」


 そして自宅に帰りバイトの話を両親にすると、即効で承諾が得られてしまい志保先輩が俺の店でバイトをする事が決まった。











「三島志保です。今日からよろしくお願いします」

「志保ちゃんね、こちらこそよろしくね!」


 特に怪しまれることなく志保先輩をアルバイターとして紹介することができた。

 学校の先輩だと言って、俺の友達ならって母親が即答して特に履歴書も要らないって感じに上手く立ち回れた。


「志保ちゃんはパン作りは初めて?」

「はい、経験はありませんが精一杯努めさせていただきます」

「あ~ん志保ちゃん良い子~。うちのどっかのバカ息子にその爪の垢を煎じて飲ませてあげたいわ」

「おいこら、そのどっかのバカ息子ここにいるんだけど? せめていない所で言ってくれない?」

「あら、そんな所にいたのね? 空気過ぎて分からなかったわ」


 実の息子にこんな当たり強くていいんですかね? そんな対応されたら俺ぐれちゃうよマジ? まぁ、そんなつもりないし志保先輩が上手く馴染めてればそれでいいんだけどさ。


「いきなりパン作りは難しいと思うから最初はパンの種類を覚えたりしようね」

「分かりました」


 母さんは志保先輩に付いてパンの種類や豆知識などを教えている。そんな最中に父さんがパンを作り俺が品出しをしているって流れだった。メモ帳を持ちながら真剣に聞いている志保先輩の様子は普段とは違い新鮮さを感じた。


「志保ちゃんは熱心で助かるわ~。どっかのバカ息子なんか――」

「だから俺いるから!?」

「いえ、普段は私が優一くんに頼りっきりなので、私もしっかりできるんだよって姿を見せたくて。少しでも優一くんに近づきたいなって思ってます」

「志保ちゃんは本当に良い子ね……お母さん涙出てきちゃうわ……」


 いや、本当に涙流さないでもらえますか? 志保先輩も志保先輩で絶対本心じゃないし、なんなら家に住んでた時の教養とかそっち系で培った会話術使ってるだけでしょ。


「こんなバカ息子には勿体ない彼女ね……」

「いえ、私にとっては優一さんが勿体ない人ですから」


 はい、この世間知らずお嬢様は思ってもない事をすらすらと言えちゃう道化でした。いや、マジでこの茶番なに? ってかなんだか志保先輩が俺の知らない所で彼女認定されてるし、むしろ志保先輩からそうなるように誘導してるっぽい所もあるけど。


「こんなバカ息子だけど、これからもよろしくね。志保ちゃん」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 外面が良いだけで行動発言めちゃくちゃなんだよな。まぁ、それがなけりゃやっぱり普通のお嬢様って感じなんだけど、俺を立てつつ自分も上手く懐に入ろうとするその手腕は流石といった所か。


 一通り説明が終わった所で少し休憩らしく、志保先輩は母さんからお茶を貰いクロワッサンも貰ってた。俺も仕事してるけど俺の分は無いんですか? そうですか無いんですね。


「キミのお母さん、とても良い人ね」

「志保先輩の外面の良さの方が驚きですけどね」

「その方がいろいろと都合が良いでしょ? 彼女って事にすれば私がキミを訪ねて来るのにも不都合はないでしょ?」

「それは確かにそうですね」

「それに、私は本気でキミと恋仲になろうと思ってるし、私にとっても美味しい話なのよ」

「そこ、まだ諦めてなかったんですね」


 当たり前じゃないと言って志保先輩は残り2つの内の1つのクロワッサンを口に含んだ。自分の書いたメモ帳を見ながらクロワッサンを食べる姿は普通に絵になるし、志保先輩の純粋な美しさを引き立てていた。


「これ、あげるわ」

「いいんですか?」

「うん。お腹いっぱいだから」

「じゃあ貰いますね」


 志保先輩から最後のクロワッサンを受け取った。その後も熱心にメモ帳を見ながら実際に陳列されてるパンを見比べていた。

 真面目に取り組む志保先輩の後ろ姿はやはり美しかった。


「パンを見てるとパンツがチラつくわね。どうにかならないかしら」


 台無しだった。













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