その十


 あの綺麗で清潔感溢れる『洞窟風呂』がある事を信じて、丸裸になった僕達は遂に『大浴場』へと繋がる、擦りガラスの引き戸を開きました。


 目の前に広がる光景は、こじんまりした『大浴場』でした。コンビニの店内程の広さです。しかもなにやら薄っ暗い。というよりも、なんだか全体的に赤茶色なのです。恐らく照明のせいだと思います。『大浴場』内に立ち込める湯気が、四つ角に取り付けられた裸電球の様な照明をぼんやりと反射して、秘境感を演出しているのです。あの写真では下からライトアップされた『大浴場』が青くキラキラと輝いていた筈なのに。

 でも、壁面はなんだか「洞窟」ではあります。ゴツゴツした岩肌が剥き出しになっているなのですが、僕は専門家ではないので「本物」かどうかは判断に迷います。ですが、素人の僕でも先の塹壕の年期が入った岩肌から感じ取れた『隠しきれない本物感』と違うのは確かです。


 こじんまりした『大浴場』の中で、更にこじんまりした石造りの湯槽を覗き込むと、お湯が赤茶色です。これはこういう色なのか照明のせいなのか全く分かりません。なにしろ、こじんまりの大浴場なのでどうしても湯気でモクモクになってしまって、全てが赤茶色に見えるのです。でも、天井を見上げると四つの裸電球の周りに出来た『光の輪』が重なり合っていて、とても幻想的でした。ただ、温泉独特の硫黄の様な匂いはするので「本物」であることは確かです。


「どうなってんだこれ?」友人が久々に口を開きました。「塹壕」のくだり以来です。何か思う所があったに違いありません。多分、図らずも僕を『パッケージ詐欺』に嵌め込んでしまったことで、責任を感じていたのでしょう。

 僕は鼻をつく温泉独特の匂いを感じながら、赤茶色の湯気の向こうで佇む丸出しの友人に対し「どうもこうもないだろ? 写真と全然違うじゃないか。まったく、君は本当にセンスがないな」と返事を返しました。僕は根に持つタイプです。


 しかし、ここまで来たらもう『洞窟風呂』を受け入れるしかありません。


 これは生きていく上で大切なことです。人は脅威に晒された時、「闘争か逃走」どちらかを瞬時に判断しなくてはなりません。判断と言うと少し語弊がありますね。そこには自由意思なんて介在する余地はないのです。その人間がそれまで何を考え、どう生きて来たか、潜在意識の中にある『マニュアル』に従うことになります。「尻尾巻いて逃げ出す」か「出されたものは黙って全部受け入れる」か、どちらかです。

 

 僕は、Photoshop職人のぽっちゃりお姉さんからも、娘さんの写真で誤魔化そうとするお母様からも、逃げた事は一度もありません。そう、僕は土壇場になって『冒険心』を発揮するタイプです。


 『まちがいさがしの正解の方じゃ出会えなかったと思う』そんな歌を聴いた事があります。良い歌だと思います。この一文は後で消す羽目になるかもしれません。



 さて、僕達は大人です。写真と違うなんて野暮な事は言いません(皆さんにはお伝えしていませんが、ここに来るまでの間に何回も言ってます。二人で合計すると途方もない回数言ってます)


 揺らめく赤茶色のお湯だって、見ようによっては秘境の温泉みたいで、いい感じです(観光地なのでそこまで秘境ではありません)


 洞窟内の筈なのに、擦りガラスがはめ込まれた窓から差し込む陽光だって、まるで木漏れ日の様です(恐らく今、皆さんが想像した窓よりも遥かに大きい窓です。皆さんの家のベランダに面した窓くらいの大きさ、と言えば伝わるでしょうか。にも関わらず、何故か大浴場は妙に薄っ暗いのです。多分、湯気の量が半端じゃないせいだと思います)


 それに、入り口の脇に設けられた妙に新しく見える『塩サウナ』と銘打たれた扉だって、嬉しい誤算です(言うなれば、眼鏡を掛けて来なかったお姉さんが、頼んでもいないのに太ももの真ん中まである『黒のニーハイ』を仕込んで来た時の感覚に近いです。女性読者さんに分かりやすく言うと『ハートのピノ』が入っていた時の感覚です)


 

 友人も腹を括った様子で掛け湯の桶を手に取り、頭からお湯を被りました。そして「まあ、取り敢えず入ってみましょうや」と、なんだかニヤニヤしながら桶を手渡してきます。僕はそれを受け取り「まったく。いいかげんにしたまえ」と呆れてみせながらも、実は結構ワクワクしていたのは言うまでもない筈です。


                  (続く)




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