芽生え

それから幾度か、季節は巡った。鳥居の街の中にある植物は、元の世界と同じ様に四季の巡りを知らせてくれる。初陣は確か春だった。邪神のとんでもない臭いに、桜の心配をしたものだ。

この桜は二回目なので、私はこの世界の中では二つ歳を取ったことになる。

そして、神の子でも大人にはなるらしく、椿は背丈が伸び、牡丹は若干口調や仕草が大人び、他の少女達もそれぞれ纏う雰囲気が微妙に変化していた。

この街は相変わらず繁盛しており、神無月は驚くほどの忙しさだ。二周四季が廻ったくらいでは、特に大きな変化は無い。勿論、邪神の事も同じだ。

邪神は、初めに牡丹が報せを持って来た日から変わらず、何故だか数が多いまま。

橙の少女も、飛翔達特攻も、毎朝毎晩部屋を飛び出して行っては退治に勤しんだ。

闘えなかった私はと言えば、小さな邪神くらいは飛翔に貰った短刀で成敗出来る様になっていた。


そしてそう、これは迷い込んでから暫く経って漸く学んだことだが、邪神の大きさはその個体の力の強さによって決まるらしい。強大な強さを持つ邪神は、とてつもなく大きい図体をしている。つまりは、小さい者しかまだ倒せない私はまだまだだということだ。時折失敗するし、厭になる。きちんと闘える人の其れが使命だとするなら、私のこれは使命だなんてそんな格好良い物では無く、義務だと思っていた。



ただ、自信が欲しかった。

本当は近くに転がってやしないかと、落ち着かない気持ちで日々を過ごした。









*

鳥居のてっぺんで烏が鳴いて居る。泣き濡れた様に滲んだ橙の夕焼け空は、同じ色の着物を着た私達の母親の様に見える。

その橙色の空に一筋桃色が交わっていて、なんとも綺麗な夕暮れである。

「明日はきっと晴れるわね」

私の買い出しに共に着いて来た牡丹が、隣を歩き乍嬉しそうに私を見た。

今まで空を見乍歩いていた彼女の瞳は眩しさからか潤んで居て、空に負けないくらい綺麗だと私は思った。


「そうね、雨が降ったら建物の中の空気も湿ってしまうから、晴れてる方がいいわ」

買い物籠の中には、これでもかと言う程買い込んだ食材たちが、お行儀よく詰め込まれている。だけど、今晩お宿で出すお料理に使われてきっとあっという間に其の体を失くしてしまうのだろう。

「明日は、お休憩の時はお部屋じゃなくて外でお茶を飲みましょう。最近お散歩でよく行く万屋のご主人にね、美味しい御茶の淹れ方を教えて戴いたの。千恵ちゃんに是非それで飲んで欲しいから」


「本当?楽しみだわ、私にも教えて」

本当に、女学生の級友たちと変わらない。もう何年も共に居たような錯覚を起こすほどの居心地の良さ。弾む会話に胸まで躍らせてお宿へ帰る。

夕焼けが薄れて行くと共に、闇が迫っていた。

本当は、私達の直ぐ傍から。




*

お宿へ戻ると、中は何やら大変な騒ぎであった。

「千恵さん、牡丹、無事でしたか」

椿が押し殺したような声で出迎える。狐面の下に隠れて居る表情は窺えないが、良い空気ではない様だ。呑気に野菜の詰まった買い物籠を下げて帰って来た私達が場違いに思えて来る。

「邪神が出たんです。丁度二人が買い物に行った方向だったらしいのだけど、少し前から話題になっていた、根っからの邪神では無い者みたいで、……下手に殺せないと言いますか、まだ討伐されていない様で……飛翔さま達もで出払っておられるみたいなので、心配で……」

そこまで聞いて、ようやく何が起きて居るのか理解した。牡丹と二人困惑顔を見合わせて居る間に、炊事をする少女達によって買い物籠が回収されていく。

困惑気味の皆の声をぼんやりと聞いていたが、私は籠を持つ少女を追いかけた。


「待って、本当に多いから私も持つわ。重いでしょう」

牡丹を置いて廊下に出ると、少し先に先程の少女が見えた。中見の沢山入って歪な形になった買い物籠を危なっかしく下げて進んでいた彼女は振り返った。


「本当?有難う、勝手に引き取ったはいいけれど正直重くって」

狐のお面が苦笑する。椿とは違う模様だ。鈴の音も微妙に違う。

私に狐の面と耳に優しい音色の鈴が付く日は来たりするのだろうか。

「ごめんね、一緒に運ぶわ」

誰とも被らないで、でも目立ちすぎない柔い音色の鈴が良いなどと思い浮かべて、

重たい籠の取っ手を半分掴む。重さを半分こにして、私達は廊下を進んだ。


しかし、頭の中では邪神のことを考えて居た。

先程の空気を打ち消す様に他愛無い話をしつつも、心のどこかでは闘いたいと思って居た。大きな化け物を倒したい。そうしたら、そうしたらきっと私は自信を持てる筈だと、誰に教えられるまでも無くそう感じていたのだ。


長い長い廊下を行き軈て中央厨房に辿り着くと、その思いは決定的なものになった。

ここは、飛翔に短刀を貰った場所だ。あの時は洗い物をしようとしていて、今日は買ったものを仕舞いに来ているのだけれど、同じ場所での記憶は私の心を震わせた。


―――先程の話に上がった邪神、

「……まだ討伐されていないのなら、私が倒したい、……」

意図する間も無く、唇から零れていたらしい。

「え?」と、吃驚した様な声で隣の少女が訊き返した。はっと口を噤むも、遅い。

「先達て椿が教えてくれた邪神、私が倒したいの」

開き直って告げる私に、少女は心配そうな声音を隠すことなく問い掛ける。

「でも貴女は、まだ戦いには慣れて居ないんじゃあ……聞くところ、相当大きな邪神なのよ?」

案じてくれる彼女の気持ちを邪険にするつもりは無いけれど、今も懐に忍ぶ短刀のことを思えば体中の血が湧き立つ様だった。根拠のない自信が勝手に湧いていた。

「平気よ、初陣の時とは違うもの。私、自分の力で勝ちたいの。ちっぽけな邪神を倒しても嬉しかないわ」

使われる時間では無い為に電灯が消えて薄暗い厨房で、私達だけの声が漂っている。困惑した様な彼女の声に胸を傷め乍も、それは私の勝手のせいだと思うと余計に変な意地が湧く。けれど、確かな気持ちも失ってはいなかった。

周りと同じように闘いたい。大きな敵に打ち勝ちたい。自分に自信が欲しい。

そうして、何もない自分を好きになりたい。

「決めたの」

過ぎた我儘を取り繕うかの如くそう告げると、狐面の少女は曖昧に頷いた。

「まあ、迷い込んで来た人間の身としてはよく闘える様になった方だものね……

でも良いこと?死んでしまったら元も子もないんだからね」

透き通った声が案じてくれる心地良さに身を預けそうになるのを堪え、私も頷く。

他の少女達に明かした時の反応を思い浮かべたが、椿はもとより私が闘える様になるのを喜んでいる様子を見せていたし、牡丹は好戦的な所があるし、残りの少女達は彼女達が肯定するのを見れば恐らく留めはしない筈だ。


もうすぐ夜になる。提灯に照らされた街はまだまだ明るいが、街を行く人達もお宿に引き上げて夕飯を頼みに来たりして、概念的な夜が来る。

月の様に輝いていた白銀の短刀を携えて、私は化物に打ち勝つ自分を想像した。

そして、あわよくばそれで元の世界に帰れやしないかと、薄々そんな事も考えていた。

温かな神の街は、飴色に麗しい箱庭の様である。

だけど、自分が元居た街をそろそろ忘れてしまいそうで、それが怖くて、出来れば早く元の世界に帰りたいと、この時期になって感じ始めていた。








*

未だ困惑気味、心配そうな少女と共に元の部屋へと戻って来ると、買い出しから帰って来た時よりも慌ただしい空気が辺りを包んでいた。おまけに、お宿の廊下に人が溢れている。

「ちょっと、どうしたの?」

「邪神に決まっているでしょ。先程見つけられた邪神が、お宿の近くでずっとうろうろしているらしくて、危険だからってお客様を皆別館にご案内して居た所」

「それより椿はどこ?」

「別館のお花は綺麗なのに、避難なんかで見て貰うことになるなんて厭ね」

「椿なら未だお客様たちを先導しているわ。あの子に任せておけば絶対安心よ」

色々な会話が飛び交う中、私は密かに、懐の短刀の柄を握り締めていた。又口々に混ざる会話の中、何度も名が上がり求められている椿が少女達の中で最も頼りにされているらしいことに気づいて、心が震えた。



それと同時に、夜を含んだ空気も震える。

びしびしと窓を鳴らして、予告も無く辺りが真暗になった。何度も経験した停電は、提灯が落ちた証拠。つまりは邪神だ。この時分に現れたと云う事は、先程話に上がった邪神で間違いないだろう。

「来たんじゃないの?」「椿が帰って来たら……」「お客様は大丈夫かしら」

「普通の邪神じゃないらしいものね」

少女達の言葉が教える通り、根っからの邪神ではなく何らかの強さを持つ個体らしい。

建物を丸ごと飲み下してしまうのではないかと思える程に、私達は今すっぽりと、怪物の陰の中に居るらしい。数は熟せど異例の事態なのだろう、闘い慣れて居る筈の少女達の間に、じわりと困惑の色が滲み出る。

揃って困った素振りを見せる狐面が、ずらりと並んでいる。動きが小さい為に、鈴の音も控えめに鳴る。その中で、抑えきれない決心に震えている私だけが飛び出した。


「私が行くわ」

買い物籠を共に運んだ少女以外は、其の言葉を聞いて静まり返った。一瞬静かになった空気は、そののち多大な心配の波となって私に押し寄せる。

「流石に特攻も動いて居る筈よ。千恵が行かなくたって」

何度目の言葉かもう解りもしないが、責任転嫁をする程弱くて狡い少女達では無い。

純粋に迷い者である、『人の子』である私への心配だ。それでも私は繰り返した。

「今回は、私が行く」 

そうして、着物に包まれた柄をもう一度確かめると、私は窓の外へと滑り出たのだった。


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