居場所と情動



どうやら、私が運び込まれたのはかなり高い階数の部屋だったらしい。

少女に手を引かれて廊下の欄干を乗り越え、あっという間に地面に飛び降りた私は唯々驚嘆、の一言だった。

「飛び降ります」と、告げた少女は、決して手を離さない様にと忠告して

欄干を跨いだのだ。手を離したらどうなるの、という私の問いに、普通に落下します、としれっと答えた彼女の手はひんやりとしていた。着物の話なんかをした時はまるで普通の女学生と同じに見えそれ相応の接し方をしてしまったものの、彼女は神様なのだ。

神様なら、これくらい軽くやってのける事なのだろうと私は自分に言い聞かせた


改めて、地に足をつけて元居た方を見上げると、高すぎて、首が直角からもう二度と戻ら無い様な気がした。

未だ手を繋いで居る狐面の少女は、名前を教えてくれない。

動作にもどこか淡々とした部分があり、鈴を鳴らし乍歩き出す。

私の目線の高さより低い所で歩幅に揺れる後頭部を見乍ついて行くと、

街の様子が先程よりもよく解った。

高い建物や提灯はもう言わずもがな、初めに見たようなべっこう飴色の地面が透けていることに初めて気が付いた。本当に、飴の上を歩いている様な心地になる。

朱に琥珀に橙と、この世界は長く居ると色覚が温かいものだけに塗り替えられていくようだ。


透けた琥珀の地面を進むと、瓶覗(きかめのぞき)色に揺れる水面の川の流れが見えた。

水面には金平糖の様な小さな何かの欠片が波に身を任せて揺蕩っている。唯でさえ澄んでいる水面が、更に輝いている理由がそれであった。

その上を、私が邪神と向き合った様な石橋が渡っている。そして、橋の入り口両側に立つ大きな大きな燈籠。水面はとても綺麗なのに初めて見た化け物の姿まで思い出す様な気がして、あの時と大して変わらぬ物の並び様に思わず顔を顰めた。

「……いかがしました」

不器用に案じる声が聞こえて来る。狐の面が怪訝そうに傾げられていた。

「いいえ、平気だわ」


行き交う者の見た目は又それぞれで、人間の体を持っている者も居れば、お面では無い狐や神社の入り口を守る狛犬、確かに「神様」と私達が称する様々な姿を持った者もと多様だった。そんな彼らが、ゆうゆうと歩いて側を通り過ぎていく。


私は軈て、本当に街を一周案内してくれるつもりらしい狐面の少女に連れられて

今度は店の密集した角に足を踏み入れた。

提灯の道を何本か入り組んだ道に入ると、辺りの雰囲気ががらりと変わった。

飴色の地面は今度はよくある普通の石畳に変わり、どちらかと言えば少し寒色が多い待通りである。暖かな色彩に慣れた目には、その風景に少しの痛みさえ覚えた。

縁日と同じだ。石畳の道は道なり真っ直ぐに伸びていて、その両脇に小さなお店が隣り合って建っている。こちらの通りの灯りは然程多くはなく、陽が落ちると真っ先に暗闇に包まれそうである。邪神が現れあちらの提灯も掻き消された時など、どうなってしまうのだろうと思うと少し恐ろしくなった。


「……何か欲しい物は見つかりましたか」

並んだ鯉のぼりの様に鮮やかな色彩の着物の帯を並べている店、まだ沈まぬ陽に当たり硝子玉の煌めく簪の沢山置かれた店、和食の食事処、

御茶屋と順に共に覗いて回ったのち、ふいに私に面を向けた少女が問うて来た。

「欲しいもの?ご飯処は確かに美味しそうだったし、着物や帯も綺麗だったわ。

だけど欲しいものなんて、私、いまお財布持っていないもの」

密かに脳裏に残っている白薔薇の簪を思い浮かべたが、私は緩々とかぶりを振った。

すると、

「私が出します。……元の居場所にいつか帰られた際、その……此処での記憶も持ち込んだ物なども消えないので、……厄介でなければ、何か良い物があれば持って行って頂きたくて」 か細い声に、含み笑いの様な色が載って返って来た。矢鱈と良くしてくれようとする彼女に戸惑うも、


今まで迷い込んだ人間はほぼ飛翔が世話をしていた故、加えて彼女は日頃お宿の世話ばかりしていた故に、見た目の変わらぬ少女と共に街を歩くのが珍しく嬉しい。


私が何か言うより先に続けられたその言葉が、私の背を後押しした。


―――――「それじゃあ、先達て(せんだって)見かけた簪が素敵だったわ。

あんな綺麗な簪を挿してみたかったの」

頷く様に、少女が少し首を傾けた。口角の上がった化粧の狐が揺れると、鈴の音がした。

私達は、簪の並んでいた店まで戻ると、色鮮やかなそれらを一つ一つ手に取っては貯めさせて貰いを繰り返した。

今日出会ってただ街を案内してもらっただけなのに、買ってもらった簪を挿すと、昔から仲の良い、若しくは同じ女学生の女の子と歩いて居るかの様に彼女を親しく思えた。






「必要ならば、軽食も……」

やはり彼女なりにも楽しくなっていたのであろう、先へと進む途中再びそんな言葉を向けられた。

「でも、いいわ、そんなにお金を使ってもらっちゃ私の気が引けちゃうもの」

石畳の道を行き乍、少し遠慮した。簪は、この街で作られたものは私の予想よりも上等らしく、普通の女学生である私からすれば充分に値の張る物であったし、もとより他人から自分の為にお金を使われるのは申し訳ないと思う質なのである。


そうですか、と、表情が見えない故然程落ち込んだ色も見えない声で返事が返って来て、ごめんなさい、とこちらも応じようとした時、頭上を さっと何かがよぎった。


「……あ、」

遅れて風がやって来た。人が通り過ぎた後の風とは度合いが違う、踏ん張らないと身体が吹っ飛びそうな爆風。

財布の中身を覗いていた彼女が一、二歩よろけて、その拍子に財布が落ちた。

小さな硬貨が転がり落ちて、彼女が声を上げる

然し、同時に驚いた私に「拾って」とだけ言い残し、そのまま駆け出して行ってしまった。

「え、ちょっと、」

次第に弱まり乍も未だ渦巻く風の中で不器用にしゃがみ込み、言われるままに私は硬貨を拾い集めた。神様の街では、お金さえも飴玉の様に綺麗。呑気な考えが一瞬だけ浮かんだが、何やら慌ただしい周りの空気に気付いて直ぐにそれを打ち消した。

石畳の隙間に挟まった一枚を引っこ抜くのに苦心していると、不意に足元が暗くなって来た。濃紺の影がまず私の居る場所を包み込み、次いで、水の入った器を倒したかの様にじわじわと範囲を広げていく。

そして、ふっと一気に明度が落ちた。まるで停電、そう、向こうの通りの灯りが消えた。

何か騒いでいる声と、人々の走り抜ける足音が重なって届いて来る。

「……もしかして」


邪神だ。


気付いた瞬間、私は立ちあがった。彼女は。彼女は何処へ行ったろう。

零れた硬貨を拾う様に言いつけて、何処かへ走り去って行ってしまった。

私は走り出す。身動きに合わせて鼓膜を擽る鈴の音を探して、宛てなどほぼ無い状態で彼女を探す。



影の落ちている道を下駄で急ぎ、同時に邪神の姿を探した。飛翔も探した。

そういえば飛翔は何をしているのだろう。警察みたいな役割だと言って居たのに、

邪神が現れているのにそれらしい姿は望めない。

焦る私の手の中には、可愛らしい縮緬の財布。財布を両手で握り締めてこんな不安な心持で走り回る、これじゃあ私はまるで迷子の幼子だ。

軽い気持ちでそう思って、だけど強ち(あながち)否定できない事に気が付いた。

今の私は、この街の中だけでは無い、迷子なのだ。

私の友人とは思えない程にしっかりした紅ちゃんなら、こういう時、まずどうするだろう。

考えてみるけれどやっぱり走るしか考え付かずに足を速める。濃緑の着物は、提灯がともっていれば夕日の海に揺蕩う水草の如く柔らかに見えただろう、然し薄闇の中では金色の刺繍糸が頼り無くちらつくだけである。


下ばかり見ているとなんだか落ち込みそうだと視線を上げた、その刹那、白鷺の様な弓矢が一本視界に閃いた。

それと同時に淡い沈香の香りが降って来て、邪神と闘う彼女の姿が飛び込んできた。

「! あれは、……」

狐のお面は紐が解けて緩み、平常時には花弁の様な唇しか見えないその表情が顕に成って居た。美しい切れ長の目が邪神を見据えて、迷いなく白鷺の矢を放つ。冷たくも見える顔つきに、鈴の音が相反して可愛らしい。私よりも小さな背丈、体をしているというのに、凛々しくしなやかな猫の様に身軽に闘っていた。

近隣の人々が一時的に逃げ出して閑静な街の一角で、橙色の着物が空を舞う。

真っ黒な邪神と灯りの無い薄暗い色の空に、それだけが鮮やかだった。

軈て彼女は高い建物の欄干に跳び上がり、手すりを蹴りつけて邪神の体へと飛び移った。

矢を一本抜いて、今度は打たずにそのまま振り上げる。質量の窺い難い化け物の背中に、それは深々と突き刺さった。叫び声。血飛沫。私が少し前に経験したのと同じ光景を見る。同じ光景なのに、結果は全く違った。


深く抉られ傷を負った化け物が霧散し、闘いを終えた彼女が器用に建物を伝って地面に降りて来る。不思議な事に、彼女が浴びた筈の返り血は、見ていられない程着物を汚しているにも拘らず 却って彼女を一層強く見せている様だった。用心深くお面の紐を後ろで結び直しつつ、走り寄る私に声を掛けて来た。


「追って来たのですか。……大丈夫でしたか……?」

一瞬だけ見えたあの顔はもう隠れてしまっているが、私の脳裏に焼き付いている。

あの綺麗な顔が、私を案じている。

「ええ、なんとか。お金もちゃんと拾えたわ」

「……助かりました」

安堵らしい吐息を織り交ぜた口調で答えた彼女に、私は話し掛けずにはいられなかった。

「貴女、凄いのね。貴女が闘っている姿、とても綺麗だった」

「あれくらい、褒められる事では」

「いいえ、私は褒めるわ。あんなに身軽に闘えるなんて、邪神も貴女にはきっと敵わないんだわ」

話しているうちに勝手に高揚して来て、私は思わず彼女の手を取った。すべらかで、冷たい。

「……貴女も、簡単に闘えるようになります」

「訓練や稽古をするの?」

「いいえ、飛翔さまの様な方達は特殊な訓練を受けておられるみたいですが、しなくたって、私は、それを見ていつの間にか。だから貴女も」

 ――きっとそのうち。

「私には、貴女が邪神と対等に闘っている御姿が、とても容易に想像出来ます」

曖昧な励ましを寄越して、其の口元が綻ぶのを見た。飛翔と言い彼女と言い、具体的な方法は教えてくれないが、今の私の中には違う気持ちがじわりと湧くのを感じていた。

包んだままの彼女の手を痛みは無い様更に強く握って、言葉を区切り乍告げた。


「私、さっき貴女が闘っている所を見ていたの。強い貴女と違って、私はただお財布を握って立って居ただけ。でも、私もあんな風に闘える様になりたいわ。今本当にそう思ったの。私も、貴女みたいに強く、迷いのない闘いをしたい」


不意に湧いた感情ではあるが、嘘偽りはないと思った。自分で反芻するうち、少しその気持ちは確かなものになる。

神様の悪戯とはこういうことを言うのだろうか。

私が正直に告げた直後、申し合わせたとでも云う風に街の灯りが戻った。

粋な偶然に、勝手に胸を熱くしてしまった。

私に手を握られ乍黙って聞いていた彼女は長い間何も言わなかったが、軈てそっと身を翻して「椿」と一言言った。

前置きなく告げられたその一単語を何かと思ったが、直ぐに彼女の名前だと理解した。

感じたことの無い照れくささと焦燥感に、やっぱり胸が熱くなった。

建物に戻ってから、椿はこれまた何の脈絡も無く私を振り向いた。

紡がれた言葉によると、

戻って来た朱い灯りを背にした私は其の色彩に煌めいて、大層綺麗だったらしい。

*









*

椿の闘い方に感銘を受けたからと言って、直ぐには元の街には帰れないらしい。

帰る術も、それがいつになるかも知らない私は、椿と同じく橙の着物に着替えて住み込みでお宿の仕事を任されている。最も、初めに迷い込んで来てから、日数にしてどれくらいの時間が経ったのかは定かではないが、開き直ってしまったのか何なのか、もう戸惑いや恐怖心などは薄れて来て居た。しかし帰れないと家族や級友は心配する筈なので椿に問い掛けてみると、此処と外では時間の流れ方が違うらしい。神様の街では、元の世界の何倍も早く時間が進む。四季が巡る。


それよりも気がかりなのは、最近邪神が増えて来ているという報せであった。飛翔が居た初陣は、私は闘えず、残りは彼らや椿が何度か倒していたが、私にはあの化け物と闘えた、だとか勝てた、だとかいう良い思い出が未だに一つも無い。直ぐに闘えるとは言われたものの、何がきっかけなのかも解らない。

初陣で手放してしまった薙刀の行方などは今も少し思い出す。

つまりは、そちらの方が憂鬱なのだ。邪神の顕れる頻度が増えたというのは、闘えない私にすれば自分の肩身がどんどん狭くなって行く出来事でしかない。加えて、単純に怯んでしまうのだ。


外に蔓延る邪神がどれだけ怖くても、お宿の仕事は休まない。

この街は神様の娯楽の街であるから、いつもどこでも輝いて居ないといけないのだそうだ。飴色の地面、橋、廊下、部屋の窓。窓から見える風景の高さにももう慣れた。

橙色である私たちの主な仕事は掃除と炊飯である。初めは楽そうに聞こえたがこの二つだと侮ってはならない、と私は学んだ。単純に掃除と言ってもこの広さ、この階数。

炊飯と言っても同じくこの数なのだ。人手が何人あっても足りやしない。


だが、こうした日々を過ごすのが辛いわけでは決して無い。椿を初め同じ橙で狐面の少女たち数人と仲間になれたし、内では仕事をしているのかさっぱり見当もつかない飛翔の扱い方も、礼儀正しいように見えて彼に対しては冷たいところのある椿やその他の人達を見て大体解った。

慣れとは恐ろしいものである。


そんなある日、橙の着物を着た、牡丹という少女が一枚の紙を手に、大部屋へと入ってきた。牡丹は私より背が高く、いつか店で見た外国のお人形の様に柔らな髪をしている。豊かな其の黒髪の手触りは、私に真綿を思い出させる。

そしてこの大部屋は、私達働き人(私以外は椿同様小さな神様だが)が使って良いことになっている空き部屋である。私達は仕事の無い時分に此処へ集って、大抵お喋りをして時間を過ごす。沢山の狐面に囲まれると少し不思議な気分だ。

「ねえ見てこれ、これは大変な報せよ」

牡丹が、手にしていた紙を私達数人の方へと滑らせた。白魚の様な手が袖から覗き、花の香りがした。

「なあに、邪神の報せならもうとっくに知ってるけれど」

「違うのよ、邪神は邪神なのだけど、此処を読んで」

私が畳から紙を取り上げると、数人の少女が顔を寄せて来る。指差されていた箇所を、目で黙読してみた。


≪邪神ノ数 大イニ急増 邪神以外ノ気配有リ≫


「邪神以外の気配有り?どういうこと?」 

私に肩を預けていた一人が怪訝そうに声をあげる。他の面々も、いまいちぱっとしない表情で紙面を見つめていた。身の寄せあいの輪に入って居ない椿だけが、静かな声で言った。

「……邪神が増えていることには増えているのだけれど、根っからの邪神じゃない者も紛れている、ということでしょう」

牡丹は何度も首を縦に振った。


「そうなの。これって、大変な事じゃない?根っからの邪神ならまだしも、そうじゃない人……つまり、元々は私達と同じようなものだった人が邪神になっているとしたら、いつもの化物退治の様にやってしまったら、彼らは戻れない。それは、それは人殺しだわ」


部屋に沈黙が下りた。顔を見合わせている少女達の中では、椿だけが相変わらず淡々とした声で言葉を紡ぐ。

「……あの、でも、おかしいです。一般市民がなんらかの理由で邪神になってしまっているから数が増えている、それならもっと、街に居る人は減る筈ですよね。ここのところずっと邪神退治が続いて居て、凄い数……それなのに、街の人数は変わらない」


若しも空気に色が付いていたのなら、きっと今の空気は見るからに重たげな色を含んでいることだろう。

「確かに、数が増えていること以外街に変化は……」

気付けば大人しくなっていた牡丹の代わりに、又誰かが呟く。


「じゃあ、邪神を装った他所からの流れ者が、この街を襲おうと……?」

化物と闘う飛翔達特攻、そしてその手伝いをする橙の少女。微妙な空気が漂った。

闘いに出られない私を、此処にいる橙の少女誰も、咎める事はしなかった。

「貴女はまだなだけ」「私も随分と時間がかかったわ」

励ましや慰めの言葉に心身をくるまれ乍、闘えないならせめてと、私は人一倍にお宿の仕事に尽力した。

誰もが考え込んでしまうあの空気のまま大部屋を後にした時点で、午後になっていた。

提灯の灯りで昼も夜もいまいち解らない街だが、やはり時間という概念はある様で、午前、午後、と私は働く。

神様のお宿の街で働くだなんて、此処に来るまではそんな縁起の良さそうな経験は当然だが一度も無かった。

「ええと、東館のお客様のお皿をお下げして、中央厨房で洗い物をして……」

遣ることが多い時は口に出す。橙の袖が忙しそうに翻るのを見るのは、私自身満更でもなかった。受け入れられた気がした。

「千恵さん」

前の見えなくなりそうな高さの食器を抱えて廊下を進んでいると、上の方から声がした。

「飛翔!」

飛翔は私の持つ食器を半分ほど軽々取り上げつつ、、こちらを見下ろして微笑んだ。

「なかなか様になっていますよ。お疲れ様です」

「何か御用?」

「ああ、そうです。実は千恵さんを探して居たのですよ。お渡ししたい物がありまして」

「何よ」

軽くなった両手は元気を取り戻し、ついでに脚も元気になり、中央厨房と呼ばれる一番大きな厨房にそれらを運び込み乍、私達は声を交わした。飛翔は建物の中でも一本下駄である。土足で良いのだろうか。初めに比べて、私達の口の利き方も随分砕けたものだ。

「最近、邪神が増えて来て居るでしょう」

「厭というほど聞いたわ、もうその話は」

何度目かの切り出しに、小さくため息をつく。

「なので護身用に、これをお渡ししようと思って探して居たのです」

話を聞き乍洗い物をしようと袖を捲り上げていた私の視界に、何やらそれなりに大きな物が飛び込んで来た。慌てて私は流し台から目を上げる。

飛翔が差し出していたのは、一振りの短刀であった。

柄は白銀、鞘も白銀、飛翔が抜刀してみせた際に見えた鍔だけが濃紺。清廉で眩しい白を、その紺色がくっきりと締めていた。板目肌の美しい地鉄を持つ其の短刀は、刃こぼれひとつ無い新刀の様だった。

「…刀?」

「貴女の護身用です。こちらが遅いというのもありましたが、貴女だけが丸腰ですから」

「これを私が護身用として使っていいということね」

「その通りです」

初めて邪神と向き合った日、初陣で渡された薙刀と似たような色合いだった。

消えることのない闘いの記憶がじんわりと胸の底から滲み出て来る。

やはり話と洗い物を並行しようと流し台に盛り上がる泡の中に両手を突っ込んでいた私は、自分の中で何かが音を立てて切れるのを感じた。

「有難う。でも私、飛翔が思っているほど弱い子供じゃあないわ」

何を言っているのだろうと思った。私は実際初陣で闘えず、それ以降闘いすらしていない、たった一度の戦闘で、飛翔に丸投げして、私自身は負けてそのままだったというのに。

「千恵さん」

「飛翔の気持ちは受け取るわ。この刀も大切に使う。でも私は、……」

短刀を授けた際の飛翔の言い方は、特別人の神経を逆撫でしたりする様なものでは断じてない。私の身を案じてくれた本心だろう。

だけど、だからこそきっとそれが癪に障ったのだ。私はもう気付いていた。

気持ちに任せて泡を多少荒々しく洗い流しつつ、私は目線を真直ぐ飛翔に向けて続ける。


「私、それほど、護身だとか『守らなくては』って思われなくても平気よ。自分で闘うわ。私はもうきっと闘える気がするの。飛翔や、仲間のあの子達を見続けて来て思ったの。

私、もうお宿のお仕事だけじゃなくて、皆みたいに自分で闘いたい。

役に立つ人間になりたいの」


飛翔は怒らなかった。その代わり、満足そうに声を上げて笑った。

「そうですか。千恵さんもお強くなられた様ですね」

「……飛翔」

「今の貴女には、迷い込んで来た時のひ弱と言いますか、腰が引けていると言いますか、あの様なものは感じられません」


「貶してるのか褒めているのかどっちなの」

「勿論褒めているのですよ。貴女に闘いたい意思がおありなら、彼女達と共に邪神の元へ飛び込んで行くことも、もう出来るでしょうね。そうとなれば、その短刀も、護身用とは言いましたが普通に戦闘に使えます」


そこまで話すと、では頑張ってください、と打って変わって適当な挨拶を残し飛翔は厨房から出て行ってしまった。傍らの棚に残された短刀を見詰めつつ、私は意気込む。


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