街での初陣

未だ時折不審そうな目を向けてしまう私に構わず、彼は自分の事を飛翔と名乗った。

ひしょう、と反芻すると、葡萄の様な瞳は得意げに細められる。

「高く羽ばたくという意味ですよ」

こんなに不思議な場所に居るのに、とても内容の薄い話をし乍。

私は先行く飛翔に着いて歩き、いつしか鳥居をくぐっていた。


提灯が爛々と輝き、目が痛い程。一面が淡い赤色に染まっており、建物の装飾も絢爛豪華と云う言葉がぴったり似合う。

下駄を鳴らして足を踏み入れた私はよそ者だけれど、きちんと溶け込んで見えているのだろうか。

「……綺麗な所ね。眩しくて。此処はいったいどういう街なの?」

「此処は、神社に宿る神様の為のお宿やお店、そういったものが集まった街ですよ」

「お宿……?神社とは違うの?」

「神社もお宿とされますが、それは参拝しに来る人間たちと向き合う場所でもあるので、完全自由なお宿ではありません。それと比べてこの場所は、神様の執務というよりは娯楽向けのお宿なのですよ」


和菓子のお店なんかもあります、と呑気に遠方を指さしてみせる飛翔の言葉に頷き乍、私は一先ず納得した。しかしそんな凄いものが私の住む元の街の近くにある筈も無いので、やっぱり私は今とんでもない場所で前代未聞の経験をしているのだ。

「そう。神様も遊びが必要なのね。……ところで飛翔、貴方は私をどこに連れて行こうとしているの?それと、闘う……って言っていたわよね、その話も詳しく教えて欲しいのだけど……」


いきなりの風景の変化と移動に戸惑っていた私に、「役目を果たして」と飛翔は言って居た。その役目は恐らく邪神なるものと闘うことだろう。帰れないよりは帰りたいのでいずれ本当に闘わなくてはいけないのだあろうが、それにしても未だ何も知らないに等しいのだから、少しでも情報が欲しかった。

「役目は勿論あるのですが、それを円滑に進める為にも一先ず、貴女が暫く居る事になるこの場所を先にひとめぐりしておこうかと思いまして。ご心配なさらずとも貴女のことを何も永遠に此処に閉じ込めておくつもりはありませんし、……おや」


黙って話を聞いていたが、不意に飛翔が言葉を途切れさせた。

長い睫毛に縁取られた瞳がすっと細められ、ふと遠くを見つめる。

「何?」


知り合いでも居たのかと思った。

遠くを見つめる飛翔の顔を覗き込もうとしたその時、私は地を離れて高く高く跳び上がった。

下駄が脱げるのではないかという程の勢いをつけて身体が浮き上がる。

石の地面が一瞬のうちに真下に消え去り、飛翔は痛いくらいにしっかりと私を支えている。先程は見上げて居た縦長い建物の廊下が、何段も何段も目の前を通り過ぎていく。恐らくそのてっぺんなのだろう、軈て天守閣の様なものの付いた屋根の上に下ろされた時になってようやく、私は飛翔と共に跳んだのだと理解した。


「ちょ、ちょっといきなり跳び上がるなんてびっくりするじゃないの!」

一瞬の風に乱れた羽織を直しつつ少しの恨みを込めた視線を向けると、飛翔は私の視線など微塵も気にした様子は無く小声で告げた。

「あそこを」

そして指を差し、その指の先に見えたものに私は思わず戦慄する。


何が居るのか、理解が出来なかった。

そこに居たのは、真っ黒な、三十尺はあるのではないかと思われる巨大な影。その大きさの影が、街の上に覆いかぶさって徘徊しているのだ。然し、彼の真下の街を壊すようなことは無かった。

そしてその巨大な体をぐるりと一周する様に、無数の目が瞬いている。

大型動物の様な獣の目、などという可愛いものでは無い。人間の目を模した様な妙に本物臭い目が、余計に気味の悪さを際立たせていて、

「気持ち悪い……」

「彼奴が邪神です」

「ねえ、あれと戦わなくちゃあいけないの?私が?」

思わず身震いをする。自分の体が大きすぎて視界に入って居ないのか、向こうは私たちには未だ気づいて居ない様だった。



正直に言えば、いいえ、あれは違うものです、とでも言ってほしかった。

しかし、飛翔はそんな素振りを少しも見せずに頷く。

「そうですよ。貴女が闘わなければいけないのは彼奴です。丁度良く現れてくれましたね」

「何が丁度良くよ、私あんな化け物と闘えないわ!」

ぬるぬると動き回る怪物が怖くて飛翔の背後に回るも、賽銭箱で話して居た穏やかさは何処へやら、彼は静かな声のままでいる。


「貴女は最初から決まっていたのです、此処に来ることになった理由も、此処から帰る方法があれと闘うことだという事も。私はずっとこの世界に居るので今まで色んな人間を受け入れて来ましたが、帰る方法は人によって違いました。貴女が帰るべき方法はあれだった、それだけです」


何やら理由があるらしい。飛翔の言って居る事は、理解出来なくはないが嫌なものは嫌なのである。だが私が背後に隠れて幾ら反対の意を見せたところで、飛翔は引かない。

物腰は柔らかい癖に、それゆえ却って有無を言わせぬ重さがある。


「僕は全て知って居ますよ。貴女が貴女のまま帰れなくても良いのなら無理にとは言いませんが」


私の全てを知って居るとはどういうことだろう。

嫌がる気持ちの中に、一筋疑問が閃いた。

「……どうしてそんな隠したような言い方をするのよ、私が帰ることと貴方が知っていること、教えてはくれないの?」

思わず眉をひそめて尋ねると、失敬というように又柔らかな笑みを戻して飛翔は笑った。


「いずれ教える時が来れば教えますよ。――さあ、早い初陣ですね」

建物のてっぺん、怪物の足元、屋根に上っている私達。

飛翔は私に頷いて見せた。行けということなのだろうか。

もう闘わなければどうにもならないという事は認めるしかないけれど、いや、でも。

「素手で闘えって言うの?」

「いえいえ、まさか。これをお渡し致します」


そう言った彼から、大きな大きな薙刀が手渡された。

何も持たない手ぶらのどこから取り出したのか、濃紫の柄を持つ巨大な薙刀。

手を伸ばして担いでみると、不思議な事に、通常の長さよりうんと大きい薙刀であり乍も重さは然程感じなかった。恐らく普通の長さの薙刀と同じくらいであろう。

これほど大きな武器を担いでも重さは少ない、という点で非常に助かった。

「なかなか様になって居ますよ」

「この薙刀で闘うの?あんな化け物が、普通の薙刀で大丈夫なの?」

つい疑問をぶつけると、大げさな動作で飛翔は首を振ってみせた。

「普通の薙刀だなんてとんでもない。その薙刀は僕の住む神社で作られたものですから、きちんとご加護が付いて居ます。簡単には死にません」


普通の薙刀ではないという言葉の力強さと、死ぬという言葉の重さに息を呑むが、

単純乍、柄をしっかり握って構えると少し強く成れたような気がした。

「あとは貴女の思うままに闘うのです、詳しいお話はまた後で」


ふと目線を上げると、足元でちょこまかする私達に漸く気づいたのか、邪神の怪は猫の威嚇の様に背を曲げてこちらを睨みつけていた。

彼にとっての敵の発見に怒っているのだろう、無数に浮かび上がった人間の目が釣り上がっている。

「ひ、……」

触ったらどんなものなのか。牙はあるのか。爪はあるのか。噛みつかれるのか。

闘わなければいけないという事実ばかり頭捻じ込み捻じ込まれ、肝心の敵である此奴の事は知らないことばかりである。

思わず引き攣った声が漏れるが、自棄になって私は叫んだ。


「怪物!私にはちゃんとした武器があるのよ。かかって来なさい!」






*

死に物狂いとはこういう事を云うのだろうと思う。

不気味な存在だという事はこの有り得ない見た目で一目瞭然であるが、どんなことをして来るかは一つも知ら無いのである。もし近づいただけで火を吐いてくるような怪物ででもあったら、十八年間平凡に生きて来て何とも戦った経験など持たない弱い私は即死である。

それゆえ、闘いたくなくても本気で挑むしかなかった。


私に気付いた邪神の怪物は、奇妙な生え方をした足を巧みに使って、私を追う為赤い街の中を這いずり回った。奇妙で不気味が過ぎるその光景は恐ろしくて目をを逸らしたかったが、薙刀の柄を握ると後には引けなかった。


対峙すると、解らなくて良いことまで見えて来るものだ。

この怪物には声がある。声とはっきり形容して良いのか解らないが、動き回る度に耳を塞ぎたくなる様な音を漏らすのだ。

怪物は幾つあるのか数える気にもなれないほどの目で私を睨みつけ乍、

一度跳び上がって私の方へと飛び込んできた。


怪物が浮き上がった途端に、腐った様な生臭い匂いが押し寄せて思わず顔を顰める。

私は今朝がたの羽織姿だ、可愛らしくてお気に入りの着物が怪物の臭いに染まるのではないかと思うと涙が出そうだった。この臭いでは、辺りに咲く桜も一斉に枯れそうだ。

屋根の下では人々の悲鳴が聞こえる。彼らもこの怪物が現れて居る事を知ったのだろう、慌ただしく逃げ惑う足音が更に胸を痛めさせる。


中途半端な正義感と個人的な恐怖感情の中で激しく揺れる私は、ひとまず怪物を誘き寄せようと屋根の上を走った。人の居ないほうまで行けば、存分に闘える筈。

下駄を激しく鳴らして駆け、屋根が途切れると松に囲まれた広場の様な場所へと飛び出した。屋根に代わった足元は空中の木橋。怪物はついて来る。飛翔は見えない。


「此処よ!」

叫んでみたが、薙刀を握る手は当然ながら震えていた。

共に橋へと降り立った怪物と向き合ったはいいが、どこがこの怪物の急所なのか解らない。

着物はここまででもう汚れてしまっていた。

然し闘えなければこの世界ではどうにも生きていけないのだと思い知らされた今、

然程気にはならなかった。

半端な着付けになってしまった着物の飾り帯を解き、背中に薙刀を緩く括りつける。

重さの無い薙刀を背中に担ぐことで両手が使える様になった私は、石橋の両側に立っていた、これまた大きすぎる燈籠によじ登る。

怪物の居場所が少し下になった。


怪物は唸って飛び掛かって来た。

橋の板からかなりある燈籠の上まで軽々と跳び上がるのを見ると同時に、

私は薙刀を引き抜いた。


噛まれるだか落とされだかする前に、斬ってしまわなければ。


慣れない手つきで柄を握って振り上げた、その時だった。




軽く跳び上がったかと思った化け物が、瞬きをしたくらいの一瞬のうちに、

私の目の前に迫っていたのだ。


いつ、どうして、どうしてこんなに速いの。

化け物が目の前に迫ってきた際に起こった風で、私の羽織も髪もぶわりと浮き上がる。

腐りきった魚を放置した様な臭いも共に舞い込んで、思わず顔を顰めたら、

今まで唯動き回っていただけの化け物が大きく其の口を開いた。

獅子舞の様に大きな口だった。だけど、中に並んでいた歯は獅子舞なんてものではなかった。


獅子舞ではない、本当の獅子の様に鋭く並び光る歯列を見、私は思わず怯んでしまった。 

―――噛みつかれる。

そして、恐らく何か仕掛けるつもりで再度跳び上がったのを確認すると、いよいよ頭が真っ白になってしまった。闘えない、いいえ闘い方なんて初めから知らなかった。

簡単には死なないと言われ預かった薙刀も、もう扱い方さえ頭から消し飛んでしまったみたいだった。

「飛翔……!」

私には闘えない。

怯える心の中で呟いた瞬間、あれだけ明るかった提灯の灯りが一斉に落ちた。

垢から灰へ、色が変わる。

しかし、耳までもが腐りそうな吠え声と共に化け物が私に向けて口を開いた次の瞬間、


「掴まってください」

私は救世主のお陰で戦線を退いた。




私を片手に抱えて、何処からか戻って来た飛翔は今居た所よりも高く跳び上がる。

一本歯の下駄なのに、ふらつきも転びも躓く気配さえも見せない。

遠のいた獲物に怪物は怒って又吠えた。私は薙刀を腕に挟んで、掴まっていない方の手で片耳を塞ぐ。


灯りの落ちた街の中で、飛翔は懐から一丁の鉄砲を取り出した。小さいものだけれど、赤と金に縁取られた本体には鳳凰の模様。私とは違うのだと、その模様を見て不意に思った。


「弱い獲物だと思ったら大間違いです」


静かに呟いて、彼は銃を向ける。見えているのかいないのか、怪物はそのまま此方へ飛び込んで来る。それにしても、彼の言う弱い獲物って、私のことだ。


痛いほどしっかり抱えられたおかげで、飛翔がどれだけ動いても私は下に落っこちない。

提灯のぶら下がった線を這い辿って、奴なりに戦法が有ったのであろう、動き回っていた相手は私達を喰らおうと、目と鼻の先まで帰って来た。


こんな怪物と闘ったことなんてないんだから。――そんな言葉を何度目かの言い訳に紡ぎ乍、私は、飛翔が怪物の眉間に銃を押し当てるのを見た。


銃声。

目の前の嫌な眉間から、柘榴の様な色をした血飛沫が噴き上がる。

霧散していく体とは裏腹に、其奴の血は私達の上に降り注いだ。

滅茶苦茶な押し付けられ方をしたとは云え、威勢良く叫んだりしたくせに何も出来なかった無力感に目を閉じる。

不意に心と体が緩んで、私は薙刀を取り落とした。共に、意識も其処で手放した。



意識が途切れる寸前の頭の中に浮かんだ言葉は、薙刀、と、羽織、だけだった。






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