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八月十六日 AM十一:〇九
梅雨が終わり、毎日のように最高気温が更新される季節。今年も夏が満を持して到来した。夏と言えば楽しいイベントが多い。学生生活の最高潮である夏休みは勿論、海、バーベキュー、祭りなど盛り上がる事間違いなし。正にフィーバータイム。人生のジャックポット。大穴、万馬券。
ところがどっこい、現実はそう甘くない。気になるあの子ときゃっはうふふ、なんて理想は有り得ない。
で、僕が今いる場所は――。
「ぐぉぉおおお! 終わらねぇえ!」
大学内の図書館でしたとさ。
何故休みだというのに此処に居るのかというと、隣で唸っている誠也のせいだ。
卒論。大学生が最も苦労する試練を、こいつは必死にやっている。その量A4三十枚。書く内容が決まっていたとしても、到底終わるはずがない。
誠也以外にも、卒論に苦戦している人は多い。本来なら静かであるべき此処も、哀れな子羊達の溜まり場となっていた。司書も分かっているのか、若干ハイになっている生徒に注意しない。通ってきた道だから共感しているのだろう。
「ミズノォ……終わっているのなら助けてくれ」
「嫌だ。自分でやれ」
僕だって時間を見つけてちまちまやってきたんだ。幾ら卒業前に死ぬ可能性があるからって、そこの所は真面目にやる。仮に生きていたとしても、提出しなかったら留年になるし。もう一年高い金払わされるのは流石に避けたい。
それに卒論を共同制作するのは禁止されている。昔に全学生が一つの卒論を作り、それを提出したからだとか。聞いた時はそんな訳あるか、と思ったけど……どうやら本当らしい。ゼミの教授が嘆いていたからね。
だが、誠也の言う事も分かる。こんな量を一人で書き上げるのは無理がある。パワポもありにして書く量を減らす形式にして欲しい。切に願う。
「あのな、僕だって暇じゃないんだ。だらだらやっているなら、さっさと帰るぞ」
この手の課題は、一気に片付けない方がいい。膨大な枚数だから少しずつ丁寧にやっていくのがベスト。疲れたら今日やった分の要点を纏めて、明日に持ち越した方が気持ち的にもやりやすい。
「……そうだな。今日はもう止めとくか」
そう言うと誠也はキーボードを弄る。恐らく保存をしているのだろう。数秒経つとパソコンを閉じ、鞄の中に仕舞った。
「さて、飯でも食いに行くか! 今日は奢ってやる!」
「ありがと。一番高いの頼んでやる」
「……それは止めてくれ」
二人して高らかに笑う。図書館だというのに、そんな事も忘れて。
そう、夏休みはまだ始まったばかり。卒論も大事だがそれだけに囚われては駄目だ。
席から立ち上がり、肩を並べて出口に向かう。冷房が効いた部屋から出るのは名残惜しいが、昼ご飯が僕らを待っている。早く行かないと。
……あ、流石に司書から怒られた。そりゃそうだ。
「で、今年の夏はどっか行かないのか?」
昼ご飯を食べに訪れたチェーンラーメン屋で誠也から質問される。というか食べ終わってから喋れよ。口に含んだまま話すな。
「どこにも行かない。面倒くさいし」
ただでさえ暑いのに外へ出るとか正気の沙汰じゃない。それでなくても忙しいのに。そんな暇あったら情報収集する。
奢って貰ったスペシャルチャーシューラーメン(ぴったり千円)に箸を伸ばす。あまりの高さに躊躇して注文出来なかったが……美味いな。中太麺に豚骨特有のどろっとしたスープ。チャーシューも普通のとは違い、分厚くて肉質を感じられる。正に至極の一品。この値段設定も納得がいく。
「ハァ…………」
「どこか行くつもりだったのか? ごめん無理」
溜息を吐く誠也。今年の夏は去年と違い忙しいんだ。悪いが他を誘ってくれ。
「違う。神白ちゃんとは遊ばないのか?」
……またか。
「遊ばない。ったく、もうそのネタにも飽きた。僕とあいつは友達でもなんでもない」
「そりゃ分かっているさ。でも、何かと一緒にいるだろ? 夏休みの一日ぐらい、お前から誘ってみろよ」
「……めんどくさ」
鬱陶しい。だがこうなった誠也は何が何でも止まらない。僕の方から折れるしか対処法はない。もう慣れたけど。
スマホのロックを外し、電話帳アプリを開く。や行にある、ユイの文字。結果は分かりきっているけど……。
『――――おかけになった電話番号は、現在電波のない所にあるか』
電話を掛けると待機音も鳴らずに無機質なアナウンスが聞こえた。やっぱり。
「どうだ? 連絡付いたか?」
「不在だった。あいつも忙しいんだよ」
ここ最近、というか二か月ぐらい前からだ。何故か彼女がよそよそしくなっている。聞きたい事があったから話しかけても無視。電話しても出ず。メールも偶に返してくれればラッキー。大学では倦怠期に突入したか、と囁かれる羽目に。違う。僕は悪くない。
そもそも今までがおかしかっただけであって、別にユイとは友達じゃない。だったらこれぐらい普通。あいつにも用事の一つぐらいある。でも急に変わったからな……心配だ。
「おーい、大丈夫か」
「――――ッハ!」
危ない。思考の沼に嵌る所だった。
「ごめん。つい」
「おいおい……お前がこんなになるなんて。相当惚れ込んでいるな」
「そんな訳ない。単純に心配なだけ」
全く……おかげで少し冷めたじゃないか。
立ち込めていた湯気が収まりつつあった。急いで食べないと不味くなる。麺を掬い、器の底がなくなったのを確認してからスープを飲み干す。
「ご馳走様でした。っと、そろそろ出るぞ。この後用事あるんだ」
「また調べ物か? お前も懲りないな」
「うるさい」
席から立ち、店主に挨拶をしてから外へ出る。
日差しは一向に収まらない。ほんの少し不安げな心も、一掃してくれればいいのに。
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