11
目の前は車。後ろはトラック。左を見ればのどかな風景。右は悠々と通り過ぎる車の群団。
家を出てからかれこれ数十分。その間、十分ぐらいはずっと停止したままだった。それもこれも全て渋滞のせいだ。休日なので、ある程度覚悟していたがこんなになるとは聞いていない。
雨が降っていたらもっと最悪だったが、久しぶりに晴れたのが幸い……とも言い切れない。梅雨前線はとっくに過ぎたのか、と言わんばかりの猛暑だからだ。
世界を平等に照らす太陽が、狭い車内でも真価を発揮している。冷房を稼働させても、古い物だからあまり効果はなく。ならば、と帳を開けても涼しくなるどころか、今度は直射日光が襲い掛かる。いい具合に干物が出来上がりそうだ。
うだるような暑さに悲鳴を上げている僕とは反対に、ユイは余裕そうに手を扇いでいるだけ。汗は出ていないし、白い肌も赤く変化していない。まだまだ元気そうだ。
これも殺人鬼の特性なのだろうか。凄いな、殺人鬼。
一旦現実に意識を戻す。すると前の車が少しだけ遠くなっていた。左足を一度踏み込ませ、少し浮かせる。のそのそと動く車。絶対歩いた方が早い。
「……なぁ、今日はもう諦めないか?」
正直家に帰りたい。二度寝したい。家に帰りたい。
だけど彼女はそれを許してはくれなかった。
「嫌だ。今日は行くって決めたの」
外を眺めている彼女。声を掛けたのにも関わらず、一度もこちらを振り向かない。
「運転手は僕だ。決める権利は僕にあるだろ」
「せっかくの休日なんだから。偶にはこういうのもアリでしょ?」
「……そうですか」
僕の意見は通らない。筋は間違いなく通っているはずなのに。
それでも僕は従うしかない。常に命綱を握られているから。
「でもヒロの言う通りかも。確かにこの状態が続いていたら、着く頃には夕方になってそうだし。ちょっとケータイ貸して」
僕の太腿に身を乗り出し、ユイが右のポケットを探る。おい待て。帳が閉じているならまだしも、車内が見えたままやるのはまずい。
「落ち着け! 流石に駄目だろ!」
「なんで?」
「なんでと申されても……」
言えない。言ったら確実に白い目で見られる。
「とにかく……スマホだろ? 何に使うんだ?」
「カーナビ」
……その手があったな。
人類の英知がふんだんに詰め込められているこの小さな存在を、僕はすっかり忘れていた。確かにスマホの機能を使えば、この状況から抜け出せられるかもしれない。
ロックを解除してから横にパスする。おぼつきながらも、画面に集中しているユイ。「これがこうで……」と呟きながら操作している。
「スマホ使った事ないのか?」
「うん、持っているのはケータイだし」
「色々と不便じゃないか?」
「電話しか使い道ないから。……よし、設定出来たよ。私が指示するから、それに合わせて」
左にある細道に入り、列から外れる。大通りから抜け出しただけで、一気に不気味さが増した。
「そこを右で――ああ違うよ、もっと先。次に左でまた右」
右、左、左、右? 見慣れない風景が目まぐるしく移り変わる。訳も分からず縦横無尽に車を動かし、ハンドルを左右に切るしか思考を割けない。脳のキャパシティーは、既にオーバーしていた。
指示に振り回されながらもどうにか運転出来ている。培ってきた技術がこれを成していた。
「――本当にこの道で合っているのか?!」
「大丈夫。道は全て、ローマに繋がっているから」
それは大丈夫じゃない人が言う台詞だ!
↓
「やっと着いた……」
自分でもよく分からない内に目的地であるF市――ショッピングモールへ到着した。
土曜日だけあってか、駐車場もほぼ埋まっている。渋滞していた道路にあった車全てがここに集結しているみたいだ。
ようやく見つけた空き場所に車を停める。外に出れば地面を踏みしめる感触。浮足立つ気分を平常に戻す。まだ頭がくらくらするが……運転している本人が車酔いってどういう事だ。
それはさておき。
このショッピングモールの特徴は、規模の大きさだ。大学の校舎よりも広く、駐車場も何倍も多く収容出来る。これだけでどれだけ大きいか分かるだろうか。一階は食品を取り扱っており、二階から四階には様々な専門店が所狭しと並んでいる。他にも映画館やゲームセンターなど、娯楽も多数備わっている。
これが本当の複合施設。我が県にも都市化の波がやって来た。
「で、何を買うんだ?」
ユイの直ぐ後ろを付きながら質問する。一口に買い物、と言っても目的が違えば行く場所も変わる。これだけ色々あれば何かしらあると思うが、先に聞いた方が行動しやすい。
「へ? えっと……そう、服。そろそろ夏だから」
意外にもありきたりだった。でもなんだか安心した。失礼だけどナイフとかハサミとか、物騒な物を買うのかと。
「そうか。――じゃ、後で合流しよう」
偶にはのんびり買い物するのもありだな。ちょうど欲しいゲームもあったし。
ユイに背を向け、反対側へ歩こうとするが、
「ぐぇ」
ジャケットの襟を引っ張られる。おまけに変な声が出てしまった。
「ヒロは荷物持ち。勝手に逃げちゃ駄目だよ」
僕が行こうとした反対側を進むユイ。え、もしかしてこのまま?
気分は精肉所へ連れてかれる羊。ドナドナが何処から聞こえてきそうだ。
ああ……無事に生きて帰れますように。
大量の袋を両手で抱えながら自動ドアを出る。雲が出始めたせいか、まだ陽は出ている時間帯なのに、既に薄暗くなっていた。僕らと同じように駐車場にはチラホラと人が見える。皆考えている事は同じみたいだ。
「もう十分だよな。そろそろ帰るぞ」
トランクの中に全部入りきるか? ……もし無理だったら郵送サービスでも使うか。
ぼやきながら車へ戻る。しかし、後ろから足音がしない。
「……ユイ?」
振り返るとユイが止まっていた。視線を地面に向け、スカートの裾を握りしめている。買い物している時からこの調子だったが……もしかして何か忘れ物でもしたのか?
尋ねようとしたが、声を掛ける前に彼女は顔を上げる。真剣で、神妙な顔付き。思わず喉がつっかえ、言葉が出ない。
「ごめん。先に帰ってて」
「は? ―――って、おい!」
僕の制止を振り切り、ユイは逃げ出した。後を追おうにも荷物が邪魔で思うように走れない。そうしている間に、僕との距離は更に遠く離れ、遂に闇の中へ溶け込んでいった。
一人残された僕。ただ虚空を見つめる事しか出来なかった。
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