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 六月十六日 AM八:三七



 いつも通り、寝ぼけ眼で鳴り続ける目覚ましに手を伸ばす。

 適当に画面を触り、音が止んだのを確認して、


「……んぬぅ」


 もう一度布団に潜る。本来ならこのまま起きるが今日は土曜日。大体の人が休日である今日は例に漏れず、僕も休みだ。日頃疲れている僕へのささやかな祝福といっても過言ではない。


 偶にはこうして惰眠を貪るのもいいだろう。情報を探すのも大事だがそれより前に身体を壊しては意味がないし。神も許してくれる。

 と、自分に言い聞かせながら瞳を閉じた。おやすみなさい。


『パラリラパラリラ~』


 再び夢の世界を訪れようとした瞬間、枕元のスマホが息を吹き返す。それもさっきとは違う音楽が流れ始めた。

 これは目覚まし用に設定したものじゃない。電話だ。

 しょぼしょぼする目を擦りながら着信元を確認する。画面には『非通知拒否』の五文字。


 ……ッチ、僕の安眠を邪魔しやがって。

 赤いボタンを即座に押してスマホを投げ捨てる。寝起きだからか、少々気が荒ぶっているのは気のせいだ。ついでにマナーモードに切り替えるのも忘れない。これで次来ても大丈夫。


 振動を繰り返すスマホ。だが全て無視。もう僕は寝るって決めたんだ。

 十回目に到達しようとした時、ようやくスマホが沈黙した。やっと安心して寝れる。

 じゃ、改めて。


 おやすみと心の中で言う前に金属を叩いたような、鈍い打音が部屋中に響く。それも結構強めに。

 電話とノックのダブルコンボで僕は怒髪天。誓って寝癖ではない。

 布団から飛び上がり、足音を大きく立てながら音源へ向かう。鍵を外し、勢いよく扉を押し開けると、


「おはよ……って、まだそんな恰好なの? もう九時近いけど」


 私服姿のユイが腕を組みながら立っていた。

 なんでこいつが此処に? 

 混乱している僕を尻目に彼女は玄関に足を踏み入れる。一度しゃがんで綺麗に靴を揃えると遠慮なく部屋に入った。


「おお、結構綺麗だね」


 ベッドの上に腰掛けるユイ。まるで自分の家にいるようなくつろぎ方だ。

 最近色々言いたい事ばっかりだな……。

 ユイの前で仁王立ちする。僅かな圧を感じたのか、彼女の顔が僕に向いた。


「どうして僕の家を知っているんだ」

「教えてくれた」

「……誰に」

「ヒロとよくいる人に」


 誠也か!

 スマホを掴み、アドレス帳を開く。登録している人は親とあいつぐらいしかいないので直ぐに見つけられた。

 画面をタッチして犯人に電話をかけると、


『――もしもし?』


 一瞬で出た。


「もしもし、じゃない。なんで僕が起こっているか分かるな」

『は? 全くもって分からないが』


 あくまでもしらばっくれる気か。

 感情任せになりそうになるが深呼吸で心を静める。三回繰り返してようやく落ち着いた。


「なんでユイ――神白に僕の住所を教えたんだ」

『神白ちゃんからお願いされたから』

「ああそうかい」


 こいつ……。

 今度は震える手を気合で静める。他人に人の住所を教えるとか馬鹿か。このご時世、個人情報の流出が命に関わるというのに。


『あ、もしかして彼女が家に居るんだな? 全く、惚――』


 台詞を遮るように赤いボタンをタッチする。『ツーツー』と虚しい音がスマホから流れた。

 元の場所に戻し、ユイに視線を戻す。「ちょっと前に電話したのもお前か?」


「うん」

「電話番号も誠也から?」

「そうだよ」


 彼女を怒るのはお門違いだな。こいつが悪さをした訳じゃない。普通の人ならこの時間帯は普通に活動している。僕が悪い、という事にしておこう。

 眠気覚まし(最も、眠気はとっくに消えているが)の為に冷蔵庫から缶珈琲を取る。一応来客だし、ユイにも確認した方がいいか。


「……飲むか? ブラックだけど」

「大丈夫」


 なら一本でいいな。

 いつもなら耐熱マグに移し替えて温めるがそんな気力はない。今日は冷たいままで我慢しよう。プルタブを自分の方へ引く。プシュ、と空気が抜けるような音と共に珈琲の香りが広がった。


「で、今日はなんの用だ?」


 一口飲んでから改めて質問。

 情報収集とかなら遠慮したい。明日は真面目にやるから許してくれ。


「ちょっと頼みたい事があるの」


 そう言って足を組むユイ。ミニスカートとニーソックスの間にある白い肌に目を奪われそうになるが……ばれてないよな。


「車、出して?」


 思わず珈琲を落としかける。なんとかキャッチ。寝ぼけていたらカーペットが悲惨になっている所だった。


「……車?」

「F市に行きたいんだけど……徒歩で行くには時間かかるし。ヒロが持っているならそれ使った方が楽でしょ?」

「電車使えよ」

「嫌だ。人混み嫌い」


 我儘な奴だな。

 結局の話、家に来たのは車目的で僕をアッシーにする為だった。F市かぁ……結構遠いんだよな。


 F市とは中心部から少し離れた場所にある市の事だ。大型ショッピングモールが出来て以来、その影響で一気に都市化が進み、今では都会の田舎ぐらいに街並みが変化した。僕も友達(誠也)と行ったがあるが平日なのに人、人、人だらけ。人混みが苦手な僕は二度と行くかと思っていたが、まさか休日に行く羽目になるとは。


「……行ってどうするんだ?」

「買い物」


 殺人鬼も買い物するんだな、という質問は藪蛇だよな。

 悩む事数分。僕は躊躇しながらも、


「……分かった。車、出してやるよ」


 そう答えるしかなかった。反論してもどうせ無駄だし。


「着替えるから時間くれ」

「ん、分かった」


 取りあえずユイにはベッドで待機してもらう。僕はほぼ寝起きだし、出かけるとなれば流石にこの格好はまずい。本当なら一日中このままだったのにな。

 愚痴を交えながら服を選び、ヘアアイロンの電源をつける。着替えている間に使用できる状態にしておくのが時短のコツだ。顔を洗い、十分に熱されたヘアアイロンを巧みに操りながら寝癖を整える。スタイリングとか出来ないので最低限、人前でも出れるように。……よし、これでOK。


「準備終わったぞ」

「……随分早いね」

「男の支度なんてこんなもんだ」


 車の鍵を忘れずにポケットの中へ入れ、玄関を出る。家の鍵を締め、外付けの階段を降りれば直ぐに駐車場へ辿り着いた。


「ヒロの車ってどれ?」


 僕は黙って隣を指差す。わくわくしたユイの眼差しが一瞬で地の底に落ちた。


「うわぁ……」


 おいそこ。車の所有者がいる前だぞ。ま、確かにそう思っても仕方ないが。

 隣にある赤色のオープンカー――『ロードスター』に目をやる。一人暮らしする前に親父から受け継いだ(パクった)車だ。今では滅多に見かけないリトラクタブルのライト、マニュアル式、極めつけに二人乗り。大学生において車とは人をどれだけ多く乗せられるかが重要なのにその点では最悪の評価だ。

 でも僕は、免許証を取った日からずっと乗っている。運転してる感じがして楽しいのだ。


「……これ大丈夫?」

「安心しろ。乗っている最中に分解はしない」


 親父が若い頃に乗っていた車なので色々な所にガタがきているが……車検は去年通せた。大丈夫。多分。

 未だに「大丈夫かなぁ」とユイが文句を言っているので頭部を叩く。若干涙目で睨んできた。


「痛い」

「つべこべ言わずに乗れ。嫌なら電車でも徒歩でもどうぞご自由に」


 先にドアを開け、車内に入る。いつもながら狭い。

 渋々といった様子で僕の後に続き、ユイが助手席に座る。この場所に人が座るのは滅多にない。変な緊張感だ。


「シートベルトしたか?」

「ちゃんとしたよ」

「了解。――それじゃ、行くぞ」


 ブレーキパッドを深く踏み込み、鍵を捻る。

 ファンファーレのようにエンジンが鼓動を始めた。

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