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  二一:〇七


 喫茶店での密会を終えたユイは、この街の中核でもある繁華街に足を運んでいた。チカチカと煌びやかに彩られた装飾、店から溢れ出た騒音とキャッチの声をBGMにしながら人混みを掻き分けるように進む。時々、キャッチから夜のお仕事の誘いがあったがユイは全て無視した。


「……また此処に来る羽目になるなんて」


 このまま途方もなく歩き続けるかと思いきや、ユイは途中で足を止める。彼女の隣には一本の道があったのだ。

 右にはバベルの如く聳え立つ雑居ビル、左にはシャッターで閉められた何かの跡地。それら狭間に道は存在していた。

 普通の人であれば入るのにすら躊躇する路地裏。しかしユイは臆する事なく、一歩を踏み出した。吸い殻や空き缶が無造作に捨てられ、挙句の果てには腐敗臭が周囲に漂う。彼女には似つかわしくない道をユイはひたすら進んだ。

が、数分で行き止まりに辿り着いた。


 鉄骨が所々剥き出ている、コンクリート調の壁。それを見つめる少女。此処で彼女の旅は終わるのだろうか。

 だがユイは慌てず、ジャケットのポケットから携帯電話を取り出した。

 パカッ、と蓋を開け、小さい指でボタンを操作する。最後まで押し切ると子気味のいい電子音が狭い路地裏に響いた。


『プルルルル、プルルルル、プルルルル』


 三度繰り返されるコール。四回目を超えようとした瞬間――。


『――はい』


 男性の声がスピーカーから出た。


「私。さっさと開けてくれない?」

『はいはい。君はせっか――』


 一瞬で会話を終わらせ、ユイは蓋を閉じる。すると、何処からともなく重低音が鳴り始めた。

 壁面を震わせ、地面を揺るがす。数十秒経つと何もなかった壁に一つの穴が増えていた。ぽっかりと、空間を切り取ったかのように奥へ続く道。光一つないそこは、まるで深淵が内側から手招いているようだった。

 摩訶不思議な出来事にも驚かず、ユイは動き出す。前へ二十歩、十三段の階段を七つ上ると彼女の目的地である場所に到着した。


「入るね」


 ノックもせずにユイはドアノブを捻ると内側から青白い光が漏れ出る。

 其処は部屋と言うには酷く、無機質な場所であった。だだっ広い部屋には殆ど物がなく、照明すらない。中央にオフィスデスクとソファが置かれ、デスクトップパソコンと配線が卓上を占領している。それ以外の必要品は何一つなかった。

 そして――。


「おいおい、ノックもしないなんて……無遠慮だねぇ。一体何時からこうなったんだい?」


 一人の男がその全てを支配しているように、ソファに座っていた。

 その男を一言で表すなら“矛盾”であろう。男にしては長く、適当に後ろで結わえた髪。手入れを施していない髭。それなのに羽織っている白衣はパリッとしていて、中に着込んでいるスーツにもシワ一つすらない。飄々とした言動も合わさって“矛盾”という言葉を見事に体現していた。


「五月蠅い。別にこうなのは普段の事。……さっさとどいてくれない?」

「おお! そういえばこれはキミの特等席だったねぇ。いやはや、久しぶりに逢ったからつい忘れていたよ」


 男が態とらしい身振りでソファから離れるとユイは空いた場所に向かって身を投げ出す。ソファが悲鳴を上げ、重さを受け止めきれず形を変える。だがそんなのもお構いなしに背もたれに体を預けるとユイは目を男へ動かした。


「なんか依頼、来てる?」


 男は意外そうな目で答えた。


「キミから依頼を頼むなんて……珍しい事もあるもんだ」

「唯の気まぐれ。私だって、所属している以上貴方達の力にならないと思ったから」

「それでも、私にとっては嬉しいよ。ええっと……何処に置いたかな、っと」


 マウスに手を添えると男の顔が電子光によって淡く映し出された。角ばった骨格の上に張り付いた皮、ぎょろぎょろした白と茶色のビー玉とそれを覆う厚底眼鏡。血の気のない、妖怪じみた顔は不自然としか言いようがない。

 男は枯れ木のような細い指でキーボードを叩いた。筐体から溢れ出る動作音と合わさり、二重奏を奏でている。


「はい。これなんかどうかな?」


 最後に大きな音でエンターキーを押した男はユイに確認を取る。直後、彼女から小規模の地震が起きた。

 ポケットに手を入れ、正体を調べるユイ。


 発信源は携帯電話からだった。

 画面を開き、ユイは中身を操作する。送られてきたメールの封を開けると写真が添付されていた。

 暗闇の市街に映る人影。監視カメラで撮影したせいなのか画質が粗く、細かい所までは視認出来ない。しかし一つだけ奇妙な点があった。


「……?」


 腕の大きさが極端に違っていたのだ。


「一か月前からF区で確認された存在だ。特に実害はないし、放置しても通報程度だから我々も見逃していたんだけど……ここ最近どういう訳か、活発になったんだよねぇ。今はまだホームレスとかにしか被害はないけど、いつ表沙汰になるか分からないからさ」

「一々回りくどい。で、私は何をすればいいの?」

「キミには対象の駆逐を頼みたいんだ。まぁ、殺人鬼であるキミには楽勝な仕事だと思うけど……気を付けてねぇ」


 パソコンから離れる男をユイは苛立ちを込めた目で睨み付けた。

 自分の事情を知っているのに顧みない男の態度、言動。

 彼女の中には男に対する苛立ちが燻っていた。


「おお怖い怖い。一般人の僕には何も出来ないからねぇ……キミに頼るしか方法がないのさ」

「……嘘つけ」


 ――これ以上話していると不快だ。


 そう判断したのか、悪態を吐き捨てたユイはソファから立ち退き、そのままドアノブに手を掛ける。

 少しだけ半身を後ろに下げると、


「……何か進展があったら報告する」


 勢いよく扉を開け、部屋を出て行った。


「よろしく頼むねぇ~」


 上機嫌で彼女を見送る男。少ししてから手を振るのを止め、視線をパソコンに戻した。

 自動的に立ち上がった画面。先程送信された写真以外にも異形の存在で埋め尽くされている。

 フォルダ名は――。


「…………これでようやく」


 『twelve specter』

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