05
AM 十一:五三
運命的な出会いを果たしたのも束の間、僕は彼女の手を掴んで真っ先に大学を後にした。
彼女について色々聞きたかったのもあるが……誠也から色々問い詰められそうだったので一刻でも早く逃げたかった。
逃亡先に選んだ場所は純喫茶ホーミィ。和風モダンな内装と磨りガラスから差し込む柔らかな明りが不思議な雰囲気を生み出している。
中外共にお洒落な店だけど……立地が悪いせいかお昼時だというのに全く人がいない。来る度に潰れないか心配だったが今日ばかりはそれが幸いだ。
受付を済ませ、一番奥の席に座り、僕は彼女と改めて対面した……のはいいけど、何から切り出せばいいものか。
かれこれ十数分経過しているがお互いに黙ったまま。僕は注文した珈琲を飲みながら、彼女は窓をぼんやりと見つめていた。
改めて彼女の容姿を確認する。
艶のある濡羽色の髪は入学式だからか、一房に纏められ、背中に流している。クローバーをモチーフにしたピアスは彼女が少女ではなく女性である事を強調していた。身体つきも三年前とは――此処から先は止めておこう。
とはいえ美少女から美女になったのには変わりない。まだあどけなさが残っているのも彼女を魅せる原因の一つだ。
……あの日がなければ舞い上がっていたのに。
「ハァ……」
珈琲に溜息が溶け込む。それに反応したのか、彼女は視線を僕に向けた。
「どうしたの? なんか疲れているけど」
先程とは違い、丁寧な口調が幼い感じに変化している。これが本来の彼女なのだろう。
「……なんで僕の大学にいるんだ。……僕を殺しに来たのか」
「違うよ、貴方に会えたのは偶然。普通に受験で受かったから入学したの」
……本当にそうか?
言っている事が事実という確信はない。それに関しては信用するしかないが……会って直ぐ「なら安心」なんて言える程僕はお気楽ではない。
それに彼女の行動次第で僕の命は間違いなくお陀仏。なるべく気に触れる事は喋らないほうが良さそうだ。
「なんかびくびくしているなぁ。ま、別にいいけど。――取りあえず確認、貴方は私の事を覚えている?」
「……当たり前だろ。あんな目に遭っておいて……そうそう忘れるものか」
「それなら良かった。でも三年前の事だからさ、忘れていないか心配だったん――あ、ありがとうございます」
途中で会話を止め彼女は店員から差し出されたミルクティーをソーサーごと受け取る。そのまま目の前に置くとテーブルの脇に置いてあるシュガーポットに手を伸ばした。
「じゃあ話は早いね。――貴方の記憶通り、三年前人を殺したの」
ス、と彼女が目を細めた直後、得体の知れない何かが身体中を突き刺した。
ぞくりとかヒヤリ、では言い表せない。とにかく“やばい“と緊急信号が鳴り響いている。蛇に睨まれた蛙どころではない。心臓を直に鷲掴みにされている気分だ。
「へぇ、目を逸らさないんだ。ま、動けないだけかもしれないけど……いいね」
何がいいね、だ。こっちは文字通り必死なんだぞ。
震えが止まらない右腕を反対の腕で抑えながら反抗心を送信する。しかし、彼女はそれを物ともせず、シュガーポットの蓋を開けた。
とぽとぽと角砂糖が白濁した海に投身する様子を眺める。ああ……僕もこいつらと同じ目に遭うのか。
「話を戻すね。人を殺したのにはちゃんと理由がある。でも殺した相手から脅迫とかはされていない。偶々あの場にいたから殺したの。なんで殺したのかと――うん、一々説明するのも面倒だから結論だけ。
殺人鬼なの。種としての、ね」
『殺人鬼』
僕はその言葉を頭の中で反芻させた。
殺人鬼と言えばジェイソンとかチャッキーとか、何人のも人を殺し、それに対して何も思わない人物を差す言葉。……チャッキーは厳密に人ではないが。
話を戻そう。殺人鬼、通称シリアルキラーとかと呼ばれている人は実際に存在する。有名どころでは切り裂きジャックやジル・ド・レとか、この国でも一時期シリアルキラーが行った殺人がニュースで取り上げられた。確か十年前だった気が……まあ、それは置いといて。
「……種、というのは?」
「その通りの意味」
僕の問いに威圧する彼女。……この先は触れるな、という事か。
「……それを聞いた僕はどうすればいいんだ? 他言無用、とかでいいなら喜んで受けるけど」
此処で僕は初めて自分の意見を口にした。
関わる事は金輪際必要ない。それに進んで探りたくもない。好奇心は猫を殺す、僕は猫になりたくはない。
だが、僕の願いは早々に裏切られてしまった。
「そう、此処からが本題。貴方あの日の行為を目撃してしまった。それが現場帰りだとしても、他意があろうとなかろうと関係ない。“目撃した”っていうのに問題があるの。だから改めて宣言。
来年の二月二十九日、貴方を殺す」
『殺す』
物騒な物言いだが口にしてみれば単純。友達にふざけて言った事もあるし、嫌な事があったら死にたい、なんて思ったりもする。
彼女が言葉にしたのも例外では――。
「―――本当に、殺すよ?」
ない、とは思えなかった。
今まで聞いてきた脅しでも、遊びでも、冗談でもない。彼女は嘘偽りなく「殺す」と言ったのだ。
刹那、僕の身体は異変に包まれる。
先程まで潤っていた唇はかさつき、喉は渇きを帯び、周りに漂う珈琲の香りがアーモンドみたいな匂いに変化する。へらへらとしていた思考に冷や水をかけられ、正常に機能していた心臓は音を失くす。だというのに肉体は小刻みに震えていた。
『死』という存在に、捕まらないように。
「嫌だ……死にたくない」
僕の顔はどうなっているのだろう。自分からは見えないが人に見せられない程ぐしゃぐしゃになっているに違いない。
そんな僕に対して彼女は殺気を消し、子どもを見守る母親のような慈愛に満ちた表情を浮かべた。
「そうだよね。死にたくないよね。――なら、言う事を聞いてくれるかな?」
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