04

 入学式の終了時刻が近づき、僕は荷馬車で運ばれる羊の気持ちになりながら誠也と共に体育館付近へ足を運んだ。しかし、既に入口は人で溢れかえっていて……というかさっきより人が増えていないか?


「……なあ誠也」

「どうした?」

「なんでこんなに人が多いんだ? サークルの勧誘にしてもこれは多すぎるだろ」


 大学のサークル数はそこまで多くなかった気がする。それなのにこの状況ははっきり言っておかしい。

 絶対、何かがあるに違いない。


「ああ……サークル以外の奴らは黒の令嬢を見に来たのかもな」

「……黒の令嬢?」

「そういえばミズノには教えていなかったな。今年の新入生にとびきりの美少女がいるらしい。試験の合否結果日に居たらしいが……格好が黒一色だったから黒の令嬢、なんて渾名が出回っているのさ。しかも広報部が情報元だから確実。だから例年に比べて多いのは彼女を一目見に来る奴らが多い」

「……なるほどね」


 そういう事か、確かに人がこんなに集まるのも納得だ。……理由はしょうもないが。

 とにかく、この有様では僕らの入れる余地はない。


「どうするんだ? こんなに人がいたら勧誘どころじゃないだろ」

「待て、俺に良い考えがある。ミズノ、早くそれを被れ」


 誠也の指示に従い、嫌々ながら装着する。

 うっ……視界が狭まって良く見えない。


「……これでいい?」

「ぶふっ……ああ、いい感じだ」

「おい、今笑っただろ」

「……すまん。それより作戦を説明するぞ。俺が叫んだらお前はその後に続くだけでいい。カウントダウン、いくぞ」


 ちょっと待て、いきなり過ぎないか。

 声がくぐもって喋りづらいので頷く。誠也はそれを了承と受け取ったのか直ぐに頷き返した。


「オーケーだ。――三、二、一、ゴー!」


 誠也の掛け声と同時に集団の中へ突入する。周りの視線が痛いが……顔がばれていない分どうにかいける。

 さて、誠也はなんの策を――「お前ら、馬神様の御前であるぞ! 頭が高い!」っておい、そんなのでどうにかなる訳が「ひえぇえええ! すみませんでした!」……どうにかなった。


 誠也の言葉に感化された集団はモーセの十戒のように中央を開け、道を作った。

 僕を置き去りにして周囲の人達が異様な盛り上がりをしている。……大丈夫か、この大学の学生達は。


「おい、お前からも何か言え」


 誠也から小声で耳打ちされる。何か言えって……適当に神感を出せばいいか。


「……我は全ての馬を司る神、馬神だ。我に逆らう者は神の名のもとに神罰『逆サジタリウス』を与える」


 「ははぁ」と数秒の狂いもなく同時に頭を下げる群衆。……この学校の未来が心配だ。


「行きましょう、馬神様」


 誠也に手を引かれながら出来上がった道を進む。後ろは見えないが誠也のサークルメンバーが大名行列のように付いて来ているだろう。

 数分も立たない内に一番奥、体育館の扉に辿り着く事が出来た。


「皆の物、ご苦労であった! もう戻っていいぞ」


 誠也の言葉を皮切りに僕らが通って来た道は一瞬で消えた。


「……いいのか。殆ど詐欺みたいなものだろ」

「大丈夫、ノリが良い奴ばっかだから。――それよりさっさと急げ、もたもたしていると新入生共がやって来るぞ」

「はいはい」


 いそいそと看板を掲げると誠也は周りに向かって叫んだ。


「サークル存続は俺達の手にかかっている。――いくぞ!」


 その言葉と同時に体育館の扉が開かれた。

 中から出てくる新入生。それに襲い掛かる在校生。はっきり言って――混沌だ。


「入学おめでとう! 是非ミス研に来ないか?」

「いいや! 男なら黙ってウエイトリフティング部! そこの君、筋肉で青春を謳歌しようではないか!」

「ダンスサークルはどうだい。キミと一緒に踊りたいな」


 叫び声にも似た悲鳴があちこちから聞こえる。

 それもそうだ、外を出たら目の前には人がわんさか集まっている。そうなれば誰だって驚くに決まっている。

 ……新入生が可哀想で仕方がない。僕だったら裸足で逃げ出す自信しかない。


「俺達も負けていられるか。――入学おめでとう! この後に活動やるから、良かったら見に来ない?」


 他サークルに負けじと誠也は声を張る。先程のあくどい顔から一変、如何にも好青年らしい口調だ。

 それを見た新入生、特に女子が歓声を上げていた。


「また始まったよ……」


 誠也はかなりのイケメンだ。灰色に染め上げたソフトモヒカンと筋肉質の浅黒い肌が男らしさを際立たせている。精悍な顔立ちと亭々たる背丈もあってかモデルに間違われる程だ。

 中学からの付き合いだけど……彼の容姿に目を奪われた女子は数知れず。この大学でも密かにファンクラブが設立されていた。


「おいおい、ちゃんとやってるか?」


 某っとしていると誠也に肩を叩かれた。


「ハァ…………」

「……なんだ、その長い溜息は」

「いや別に。誠也が勧誘と言う名の口説きをしていたとか思っていないし。人にはこんな仕打ちしておいて自分は悠々としているのが気に食わないとか考えていないし」

「……怒っているな」

「ああ怒っているよ」


 無言で誠也と睨み合う。傍からすれば人と馬が面を合わせているように見えるがそんな事関係ない。


「あのな、俺だって好きで誘っているんじゃねぇ! 全てはサークルの未来の為だ!」

「だったら誠也がこれ被ればいいだろ! なんで僕にやらせるんだ!」


 ぎゃーぎゃーと言い争いが始まる。これのせいで新入生から変な物を見る目を向けられているんだ。自分で決めた事といっても流石に辛いものがある。

 周囲が必死に僕らを止めようとするが二人して跳ね除け、取っ組み合いが勃発する――


「――あの」


 と思いきや、突然の介入によって僕達は手を止めた。

 声がした方向へ視線を向けると、一人の女の子が立っていた。


 黒い髪に黒のスーツ、パンプスまで黒と全身黒ずくめ姿の彼女。しかしスーツから覗く肌は相対的に白い。

 小さな顔を僕達に向け、大きな瞳で彼女はじっと見つめていた。


「……なんで、あいつが」


 恐らく目の前の彼女が黒の令嬢本人なのだろう。

 だが、僕の眼には――三年前、夜道で遭遇した人殺しが映っていた。身体つきとか多少違うが……絶対に見間違えるはずがない。


 どうして、あいつが此処にいるんだ。

 全身から冷や汗が止まらない。落ち着け、この格好のおかげで素顔はばれない。なんとか誤魔化せるはずだ。

 心に強く言い聞かせていると彼女が僕達の方へ近づいた。


「流石にこんな所で喧嘩はよくないですよ」

「あ……すんません」

「馬の貴方もですよ。こんな格好で――」


 誠也から僕に矛先を変えた瞬間、彼女は口を半開きにし、大きな瞳を更に広げた。

 それを見た誠也は怪訝な顔で僕と彼女を交互に首を反復する。


「どうしたんだ、急にそんな顔して? ミズノに何か付いているのか……あ、顔から血が出てる」


 指摘された箇所に指を当てると生温かい液体が付着した。先程の取っ組み合いのせいだろう……って違う、今はそんな事気にしている場合じゃない。


「…………やっと」


 フリーズした状態から一転、彼女は小声で呟き、恍惚とした表情へ変化させる。あ、これ絶対にまずいやつだ、早く逃げないと。

 身体を反転させようとしたがその前に腕を掴まれてしまった。


 ぐい、と身体ごと引っ張られ、頼みの綱であった馬の被り物を外される。そして僕の頬に両手を添えると鼻がくっつくまで身体ごと顔を寄せた。

 視界一杯に広がる彼女の瞳。黒目の奥深くが怪しげに、紅く揺らいでいる。


「やっと、逢えたね。久しぶり」


 手を口元に付ける彼女。吐息が混じった声で囁き、待ちわびた恋人かのように微笑んだ。

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