第16話
僕は美沙になにを残すことができただろう。喫茶店で奥さんと話している美沙の姿を見てからずっと考えていたことだ。美沙は金沢に僕の影を求めて今回やってきた。それは兼六園でつぶやいた一言や今日たどった道程からも間違いないはずだ。
生前いつも見ていた明るい笑顔を浮かべた彼女は見る影もなく、今では死んだような顔でただ時間が過ぎるのを待っていたのが、思い出のアルバムを見てから急に行動的になったから、今回の旅でなにか少しでも変わるきっかけになればと思っていた。けれど彼女がこの旅に求めていることは変化ではなくて、心についた傷を舐めて痛みを再確認する作業のようで見ていられない。
自分がきっかけで彼女をこんなふうにしてしまったことへの自責の念が両肩にのしかかってくる。死んでしまった僕がこんなにも陰鬱とした気持ちになるのだ、彼女の小さな体にどれほどの負担がかかっているのか。
そこまで考えて僕はこのまま朝まで堂々巡りになりそうな考えを頭の隅に追いやって少し夜の金沢を見に行くことにした。雪が深々と降る中で、当てもなくゆっくりと回っていると、いつのまにか市場を抜けてひがし茶屋街へとつながっていく大きな通りへと出ていた。この道も美沙と一緒に歩いたっけな。雪の積もる街をなんとなしに見回せば、以前来たときにあった店が変わらずそこにある姿を見て、言いようのない安堵感が体を包んだ気がした。
「変わってないことがこんなに嬉しいなんて生きてた頃は思わなかったな」
ぽつりと漏れた言葉が幽霊になってから感じていたもやもやの正体のような気がして、我ながら納得してしまう。事故で死んで幽霊になってしまった僕。恋人を事故で失って塞ぎ込んで世の中と遠ざかってしまった美沙。僕たちは望まない変化を遂げてしまって、それが心に大きな影をかけている。数年前と変わらないこの街を見ていると、そんな僕たちのことを優しく迎えてくれている気がしてぬるま湯の中に使っているような気さえしてくるから不思議だ。
ひがし茶屋街へと向かう橋を目の前にして僕は元来た道へ向きを変えた。気づけばもうすぐ朝日が昇ってくるような時間になってきたのだろうか。近くの家々からも少しずつ生活の音が聞こえ始めてきた。きっともう少ししたら美沙も起きるはずだ。たとえ彼女に見えなくても朝一番でおはようを言いたいそんな気持ちで少し急いでホテルまでの道を戻って行った。
彼女の時計が動くまで りんごす @applevinegar
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