第69話 決死

「……私を殺して下さい」


 そう泣きながら懇願する少女。


 だが、アルフォンスは静かに首を振ると、少女の申し出を拒否する。


「嫌だ」

「どうして……」


 少女は暗く淀んだその瞳で、アルフォンスをじっと見つめ返す。

 ここで命を拾っても、もはや先の見えない日々を過ごすばかり。

 それならば、いっそのことここで楽になれればと思うのは当然ではないか。

 

「……どうして」

「まだだ……」

「えっ……?」

「僕は君の本音を聞いていない。君は本当はどうしたいんだ?」

「わ、私は……」

「君は本当に死にたいのか?生きたいのか?奴隷に甘んじるのか?自由を得たいのか?」

「……」

「もちろん、本当に死にたいというならばそうすることも引き受けるよ。でも、それは本当に君の願いなの?」 

「願い……」 

「ああ、僕は村を出てきたばかりだけど、ここに来るだけでも、たくさんの出会いや驚きがあったよ」

「……」

「知らない景色もいろいろ見れた。この世界は果てしなく広いんだ。ねえ、もったいないと思わない?」


 そんなアルフォンスの言葉に、少女は大きく心を揺さぶられる。

 できることなら、自分だってそんな世界を見てみたい。

 だからこそ、やり場のない現状に絶望しか持っていないと言うのに。


「なら、どうしろっていうの!?何も知らないで勝手なことばかり言わないでよ!」


 彼女の今まで抱いていた感情が爆発する。


「わっ、私だってこんなこと言いたい訳……うぐっ」


 そうして想いのままに言葉を紡ぐと、隷属の首輪がそれに反応する。

 彼女の感情を反抗と捉えたようだ。

 作動した首輪が彼女首を締め付け、身体には耐え難い痛みが走る。


「うううう……ああああああああっ!」


 苦しむキャロル。


 だが、少年はそんな彼女の苦しむ姿を見てもなお、首輪に抗うように語りかける。


「頑張れ!魔道具なんかに負けずに、自分の気持ちを持ち続けるんだ!」


 少女は耐え難い痛みの中で、少年の言葉に反発する。


(どうしてそんなことを言うの!もう、本心なんてもうどうでもいい。こんな苦しみから逃れるなら、いっそのこと殺してよ!)


 死にたい……そんなこと、心から望んでいる訳ではない。


 やりたいことも、楽しみなこともたくさんある。

 でも、隷属の首輪が着けられたこの状態では望むべくもない想いだ。

 こんなに痛い思いをするくらいなら、この先玩具のように弄ばれて、心を壊すくらいなら……死んでしまえばいい。


 そんな後ろ向きの思いから出た言葉だった。


 だが、目の前の少年は、わざわざそんな気持ちを揺り動かそうとしている。


 理由は分からない。


(私が苦しむ姿を見て喜んでるの……?)


 そんな邪推が頭をよぎるも、その考えはすぐに否定する。

 なぜなら、少年の慈愛に満ちた眼差しからは、決して興味本位や酔狂で聞いているのではないことが読み取れたから。


「わっ、私は……」


 彼女はその慈しむ瞳に背中を押され、隷属の首輪に逆らって、自分の想いを口にしようとしたとき、突然の金切り声が言葉を遮る。 


「ふざけるな、そんなことは許さんぞ。黙れ、黙れ、黙れぇ!」


 アルフォンスとキャロルから不穏な空気を感じた奴隷商人が、イーサンの制止を振り切って戻って来たのであった。

 蛙のような風体の商人が金切り声で叫ぶ。


「余計な話ばかりするなら、死んでしまえ!」


 奴隷商人から黙るようにと命令されたそとにより、先程までとは比べ物にならないほどの強制力が生じる。


 キャロルの身体には今にも張り裂けそうな痛みが走り、締め付ける首輪で意識を失いそうになる。


 それでも少女は脂汗を流し、涙を流しながらも訴える。


「わっ、わだじば……いっ生ぎだい」


 それは奴隷の身である彼女に出来る精一杯の抵抗だった。 


 こんな奴隷商人の言いなりになるくらいなら、死んでも構わない。


 だが、本当の気持ちを押し殺したままで死ぬことは嫌だった。

 どうせ死ぬのなら精一杯抗って死んでやる。


 キャロルの覚悟が決まった。


「私は自由に生ぎだい!お義父さんにも、おっ、弟にも逢いだいでず!わだじば、自由になりだい!」


 死を覚悟して生を願うのはおかしなことではあったが、それがキャロルの本心であった。


 彼女が涙を流し、決死の思いでそう叫ぶ。


 このまま、隷属の首輪に殺されるだろう。

 でも、想いは言い切ってやった。


 ――――どうだ!


 キャロルは内心でほくそ笑みながら、やがて来る死を迎え入れる。

 こうなったら、ひとりの人間として尊厳を持って死んでやる。

 そんな覚悟であった。


 ――――が。


「よく頑張ったね」

「………………えっ!?」


 彼女の耳が、少年の優しい声を捉える。


 同時に……。



 パキン



 乾いた音とともに、少女の首を締め付けていた隷属の首輪が地面に落ちる。


「「「「えっ?」」」」


 アルフォンス以外の、その場にいた全ての者が一斉に驚く。

 誰もが目の前の出来事が信じられない。


「……どうして」


 少女が首もとに手を当て、自分を縛っていた鎖が解けたことを確認する。


「なっ、何をする!貴様ぁぁぁぁぁ!この私の商品に何てことしやがる!」


 理由は分からないものの、隷属の首輪が外れたことで奴隷の支配が解けたと理解した奴隷商人が、真っ赤な顔で激昂してアルフォンスの胸ぐらを掴み上げようとする。


 しかし、その手はアルフォンスには届かない。

 カウンター気味にアルフォンスの右拳が、奴隷商人の頬に突き刺さる。


「げろおっ!」


 奴隷商人は殴られた勢いのまま、仰向けに地面に叩きつけられ、蛙が潰されたような声をあげる。


 もちろんアルフォンスが本気で殴れば、奴隷商人の頭など粉々に砕けてしまうので、そこは力をセーブしている。


「にゃ、にゃにをすふ?」


 奴隷商人が精一杯の虚勢を張るが、アルフォンスは虫ケラを見つめるような、冷めきった目で告げる。


「人の意志を侮るなよ」


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