第51話 飛翔

 子狼は大陸中央のゼルトザーム大森林で生を受けた。


 彼女の母親は、他の魔物の襲撃から逃げた挙げ句にたどり着いた、人が決して寄り付かない大森林の最深部の洞窟内で土に還る。


 彼女には、生まれた時から父親の姿はなかった。

 

 唯一の肉親である母親を失い、彼女は生まれてすぐに孤独になったのだ。


 本来ならば、親が獲物を襲う姿を見せて、自分も狩りの仕方や力の使い方を覚えるのだが、彼女にはそれを学ぶ暇がなかった。


 昼夜を分かたず、外敵から逃げ続けなければならなかったからだ。


 周囲には、産後間もなくで力を減退させた母親や、幼い彼女を獲物として狙う敵ばかり。


 特に空を飛ぶ魔物たちが、執拗に彼女たちを付け狙っていた。

 空の魔物たちの親玉が、彼女たちを弄びながら、醜悪な顔で嗤っていた姿を、彼女は生涯忘れることはないだろう。


 そこに何らかの因縁が存在したのかは、幼い彼女には分からない。


 ただひとつ言えることは、力なき母子に対して大森林の魔物は優しくなかった。


 こうして、ひとりきりになってしまった彼女。

 彼女は生き抜くために、いつしか逃げること、隠れることばかりを覚えていた。


 ときには腐肉をあさり、ときには木の皮を喰んで命をつなぐ日々。


 このままでは、いずれ朽ち果てる未来しか残っていないと思われた。


 そんな彼女がに気づいたのは、空を我が物顔で飛んでいる【ハーピー】から逃げているときであった。


 木の洞に身を隠していると、を感じた。


 母親との短い逃亡生活で、どうすれば強くなれるか、生きていけるかを学べなかった彼女ではあったが、本能でがあれば自分は強くなれるのだと悟る。


 こうして彼女はを追って、ゼルトザーム大森林を出ることになる。


 大森林を出ても執念深く彼女を狙うハーピーの群れに襲われながら、必死で逃げ隠れしを追いかける。


 だが、そこでひとつ予想外のことが起きる。


 荒野に出たとたんに食料事情が悪くなったのだ。

 荒れ果てた大地には、これまで糧としてきた腐肉や木の皮すらなかったのだ。


 獲物を狩る術や力のない彼女は、日に日に痩せこけていく。


 しかも、ハーピーの群れがいつまでも彼女を追ってくる始末。


 彼女の苦難は続く。

 

 ようやくに追いついた彼女ではあったが、そこで絶望感に包まれる。


 の傍らには、恐ろしいほどの力を持った化け物がいたのであった。


 逃げてばかりで戦闘経験がほとんどない彼女ですら、ひと目で理解できるほどの強者。

 大森林で時々見かけた殺戮者たちと同類。

 化け物――――黒い髪の少年は、それほどの存在であった。



 もはや、を得ることは不可能であったが、諦めきれない彼女はいつまでもついていく。


 そんなある日、彼女に幸運の女神が微笑む。



 何故か化け物がから離れて行ったのだ。



 ついに巡ってきた千載一遇の機会に、彼女の鼓動は早くなる。


 肌がチリッとする透明な幕を突き抜けると、の気配を最も濃く感じる木造りの箱に飛び込む。


 早くしなければ化け物が帰ってくると気が気でないために、つい力が入ってしまいあちこちの箱を壊してしまったが、結果的に探しものは見つからなかった。


 探している途中で、自分を犬呼ばわりする失礼な狐を張り倒したものの、それ以外には手を出すことはしなかった。

 他の障害物は敵ではないのだから、むやみに傷つけることを良しとしなかったのである。


 それは自分が理不尽な暴力を受けており、やられる者の悔しさ、悲しさを知っているからであった。


 を見つけられなかった彼女は木造りの箱から離れると、グッタリとうなだれる。


 どれくらいそうしていたろうか、気づくと黒い髪の化け物に背後を取られていた。

 

 恐怖を感じて必死で逃げる彼女。


 だが、化け物は逃してくれない。 


 恐ろしい笑みを浮かべてどこまでも追いかけてくる。


 永遠とも思えるほどの時間、彼女は力の限り逃げ続ける。


 やがて精も根も尽き果てた彼女は、大地に身体を投げ出して己の死を受け入れる。


 もはや一歩も動けないのだから仕方ない。



 だがそこで奇蹟が起きる。



 化け物は彼女の傷を魔術で癒やしたばかりか、体力まで回復させる。



 そして、貴重な獲物まで分け与えてくれた。


 何が起きたのか理解できない彼女であったが、何故か化け物の言葉は理解できた。


 に手を出すな。


 そう告げられた彼女は、もうへの関心を失っていた。

 化け物の言葉を無視すれば、己が命は無いと悟ったからだ。


 その後、何故か額に強い衝撃をうけて、一瞬気を失ったが、これは化け物の大切なに手を出した報いだと受け入れることにする。


 この流れで彼女は気づいた。

 もしかすると、あの化け物は自分の敵ではないのではないか?


 敵であれば、すでに力を使い果たした時点で命は無かったろう。

 それ以前に背後を取られた時点で死んでいてもおかしくない。


 変な化け物だ。


 ―――だが、あの化け物のそばにいれば、を得るよりも強くなれるはずだとの直感を抱く。




 こうして彼女は、黒い髪の化け物に付きまとうこととなった。



 そして毎日のように、化け物と彼女の追いかけっこが繰り返されることになる。

 体力と気力の限界まで追いかけ回されて、彼女が大地に横たわるまでがいつもの流れ。


 最後には化け物に体力を回復させられて、梟の顔を持つ熊を餌として与えられる。


 限界まで力を使い、十分な栄養を得る日々。


 こうして、少しずつ、かつ確実に強くなっていく彼女。 




 そして今日、ついに彼女は空を駆けることに成功する。


 いつもどおり、化け物に追いかけ回されていた彼女は、自分の四肢がやたらと熱くなっていることに気づく。

 体内から湧き上がる何かに、四肢が反応したのだった。


 そして彼女は本能的にやれると感じる。


 次の瞬間、彼女は何もない空間を踏みしめて空を駆けていた。



 これが、彼女が自らの魔力を使いこなした瞬間であった。



 己が空にいると気づいた彼女は、先程まですぐ後ろにいたはずの化け物の様子を伺う。



 すると化け物は、はるか下方の地面から彼女を見上げつつ拍手をしていた。



「おみごと」



 彼女をそう称賛する化け物。



 彼女はついに、化け物から逃げ切れたのであった。


 その日、化け物が彼女のためにと置いて帰った獲物は【金剛豚】であった。


 彼女は知る由もないが、ゼルトザーム大森林において、肉が最も美味いと称されている魔物だ。 


 その肉は実に柔らかく、噛みしめれば旨味が口の中に広がる。


 まさに極上の肉。

 


「がうっ!?」



 彼女が豚にかぶりつくと、その美味さに思わず驚きの声が漏れる。

 これまでに食してきた何よりも美味い獲物であった。 



 まさに、あの化け物に初めて勝った記念としては最良の獲物。



 たらふく食べて腹を膨らませた彼女は、そのままゴロンと木陰に横になると、心地よい睡魔に誘われる。



 きっとよい夢を見るのであろう。



 ―――翌日、調子に乗った彼女が、ドヤ顔でアルフォンスに挑んだのだが、空に逃げたところで少年に飛翔魔術を使われてギャン泣きしながら逃げ惑うことになる。


 

 そんな悲惨な未来が待っていることを彼女はまだ知らない。


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