2-4 いいこのキスじゃ満たされない

「やはりな」


 ヴィンセントはネイヴィー・ハーピーの翼を睨んで呟く。


「シャル、見てみろ。こいつ翼に焦げ跡がある。不自然な円形……火を使われたな」

「火属性魔術を使われた、ってことですか?」

「火炎球を放出できる道具を錬金術師が錬成した、でもいいぞ」


 ヴィンセントの言葉とは裏腹に、口ぶりはそんなことはあり得ないと言っている。


 魔術は自然にあるものを素材に別の物質を作る術。火は古くからある自然の概念だ。火を司る精霊もどこかの霊峰にいると聞く。

 強力な火炎を放つ魔術も確かに存在する。このネイヴィー・ハーピーは、誰かから火の魔術による攻撃を受けてしまったということなんだろうか。


「そのせいでこいつは人間に対して強い敵愾心を抱くようになってしまったんだ。人里を襲うようになったのも自分のテリトリーから天敵を追い払うためだろう」

「人間のせいで……」

「さて、じゃあさっさと用件を済ませて帰るとするか」


 ヴィンセントは採血用の瓶を手に取った。私は何も言わなかった。


「……俺を薄情者だと嗤うか?」


 ふと、ヴィンセントがそんなことを言うので、思わず私は目を丸くした。


「私が? ヴィンセントを? 何故です」

「何故って」


 ヴィンセントの方が困惑したようで、ぷいと視線を逸らされる。ネイヴィー・ハーピーに注射器を挿して、生命維持に差し支えない範囲で血を頂戴する。

 抜き取られた液体は夜の海みたいに深い青をしていた。海に反射する星空の色と似ている。


「ネイヴィー・ハーピーを殺さずに血を持って帰る。レーデさんの依頼を完璧にこなしているじゃないですか」

「まあ、そうだが」


 歯切れの悪い言葉尻に、ちょっとだけ悪戯心がくすぐられてしまう。大丈夫、あなたが言葉にしなくても、その不満げな瞳が言いたいことをきちんと語っていますから。


「人が触れてしまったものは、自然に返すことはできない。可哀想だと拾った雛はもう巣に戻すことはできません」

「シャル」

「この子は確かに人に傷つけられて憎んだりしているかもしれませんが、その心を元通りにしようなんてそれは驕りです。あなたはあなたが拾ったものだけ、責任を持って最期まで見届ければいい。魔術師の両手は存外小さいんですよ」


 そうだな、と呟いた横顔は私を見ることはなかった。美しい群青色の血を見つめるアイスブルーの瞳は、わかりやすく沈んだ色をしていた。


 ああ、あなたは優しすぎる。私だけを可愛がっていてくれればいいのに。もっとたくさんを手にすくおうとするから、出会った可哀想なものを何とかしたいと願うから。そんな身の程知らずな思いを傲慢な仮面に隠している。


 背中に手を回して、静かにヴィンセントを抱き締めた。ドラゴンに乗っていたときよりも鼓動はかなり落ち着いている。

 ヴィンセントの身体が一瞬強張ったけれど、彼も私の意図をわかっている。悔しさのあまり怒りを滲ませる彼の薄い唇は、赤い血が滲んでいた。


 血を流さないでヴィンセント。あなたに赤は似合わない。あなたはアイスブルーの瞳をした凛々しい魔術師なんだから。


 その赤を見たくないから、それは私が舐め取ってしまいます。回した腕に力を込めて、身を乗り出して唇を重ねる。鳥が餌をついばむみたいに。

 ちゅ、と短い音を立ててから私は唇を離す。名残惜しいのでぺろりと自分の下唇をなぞってしまって。血の味が口に広がる。ヴィンセントの体温ごともらったような気がした。


「まあ、私はそんなあなたが好きですけど」

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