1-3 腐れ根性を叩き直す薬

 このまま引き返すのでは夜を迎えてしまいます、そうなれば森を抜けるのは難しいでしょう、だから今晩は泊まっていってください――そう案内するのは私の役目だ。


 ヴィンセントにあれだけこき下ろされると普通の人はメンタルかプライドがズタズタにされる。だから拒否されることが多い。

 個人的には当然だと思う。だって散々罵倒された後にどんな顔で同じ空間にいればいいんだろう。私はどんなヴィンセントでも一緒なら幸せだけど。


 それでもあの女性は工房で一夜を明かすことを選んだ。


「どうなんですかねえ?」

「何が」

「ヴィンセントに罵倒されて居座るドMさんなんているのかなと思って」

「目の前に実例があるだろうが」


 私に向かって人差し指を突き出すヴィンセント。


「違います、私のは愛の折檻ですから。ヴィンセントは私のことを大好きすぎてツンデレな対応しちゃうんですよね?」

「その腐りきった脳味噌をどうにかしろ虚言癖」


 アイスブルーの冷ややかな視線が投げられても平気だ。私はヴィンセントのそれは愛だとわかっているから。


 他のひとには誤解を与えてしまうけど、さっきの女性への言葉だって無責任な魔術師なら希望を持たせることを言えた。贅肉を消滅させる薬はなくても贅肉を薬は作れる。燃焼性の高い物質を混ぜれば理論上は可能だ。

 でも、体内で薬なんて、誰が喜んで飲むというのだろう。そういう闇魔術師ペテンが金儲けをしているのもヴィンセントは気に入らないらしい。都会に近寄らない理由のひとつかもしれない。


「それより」


 ヴィンセントが呆れたように嘆息する。


「薬を調合する。手伝え」

「えっ」


 私がヴィンセントの調合を手伝う、というのは特別な意味を持つ。薬の調合自体は魔術が使えなくても、つまり私でもできる。ヴィンセントが評判の薬師なのは魔術とのハイブリッドでより効能の高い薬を精製できるからだ。

 その過程に私が必要、というのが私がここにいる理由だ。


「なんで驚く」

「あの女性に薬を調合するんですか?」

「痩せ薬なんて夢は見せないが、ここまできたガッツは褒めてやる。手土産のひとつでもやらんとな」


 こういうところに世話焼きの気質が出てるんだけど、ヴィンセントに言うとはっ倒されるので口には出さないでおいた。

 どうしてここに来るだけの運動を家でやれなかったんだろうな、とヴィンセントがひとりごちた。


 女性は二階のゲストルームで眠っている。夕食には安眠に効果のある香草を使ったからいい夢を見れていると思う。

 私たちはというと、地下の隠し部屋に来ていた。秘密基地のようで私ははじめて見たときすごくワクワクした。今は別の意味でワクワクしている。


「言っておいた素材は並べたな?」

「はい。元気なマンドラゴラがいて良かったです」

「こんなうるさいやつのどこがいいんだか」


 マンドラゴラ可愛いじゃないですか、と言ったらドン引きされた。ひどい。


 ヴィンセントは顔にかかったプラチナブロンドの髪をかきあげ、精神集中の段階に入る。私は並べられた素材とヴィンセントを交互に見ながら、そのときをただ待っていた。

 ヴィンセントは大袈裟な呪文を使わない。たった一節、「仕上げ」に呟くだけでいいと言う。その一節も私には聞きなれない言語で、何を言っているのかと尋ねても教えてくれなかった。


 そういえば、ヴィンセントはどんな薬を調合するつもりなんだろう。薬師見習いだけど彼の作る薬すべてを把握しているわけではない。マンドラゴラと活性化させる薬品を何種類か。この組み合わせははじめてだ。


「シャル」


 短く名前を呼ばれた。私はこの瞬間が一番ドキドキする。

 ヴィンセントの腕が私の腰に回り、ぐっと距離を詰められる。胸が当たったらときめいてくれないかな、とか考える余裕さえなかった。

 間近に迫ったヴィンセントの表情はとても真剣で。それでいてどこか余裕のないものにも映る。そんな彼を一瞬でも独占できることが、私にとっての喜悦だった。


「目を閉じてろ、馬鹿」


 本当はずっと見ていたいのに、彼は照れ隠しにそんなことを言う。顎を引くはずの手で目蓋を無理やり閉ざされた。

 こうなれば私は諦めて目を閉じるしかない。それから永遠に思える一拍があり、彼の吐息が唇にかかる。


「――――」


 例の一節が唱えられ、私と彼の唇が重なった。

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