最終話 テイクアウトのスープカップ(前編)
鬱蒼と茂る葛と雑木に隠れるように、フェンスに穴が開いていた。数年前に新築されて塗装もまだ新しい安全柵が、捻じ曲げられ、千切れている。ちょうど人ひとりが通れるくらいの穴の形に。
大倉マキは、それを眺めて思う。これ、メイがやったんじゃないよね。いくらメイが力持ちでも、こんなこと…… きっと交通事故でヨロイか車がぶつかって、役所が修繕の仕事をさぼってるだけだ。そうに決まってる。
「いいのかなあ、こんなことしちゃって」
ひとりごとを言いながら、マキは手提げ袋を抱えて第六封鎖区画のフェンスの穴を通り抜けた。ケータイを出して、改めてメールの内容を読む。そこにはフェンスの穴から、メイハがいるという大きな廃屋までの経路が書かれていた。
昨夜遅く、行方知れずだった親友兼モデルから来た一通のメール。そこには、集めてほしいもののリストと、届けてほしい場所、遊園地跡の大きな廃屋までの地図が記されていた。末尾には「これで石崎ナニガシの件は帳消しにする」と。そして「玖成メイハ」の署名の後に「無理を頼んですまない」と思い出したように書き加えてあった。
あのメイハが頼みごとかあ。マキは経路に従って歩きながら、中等部一年からの親友について思いを馳せた。ぱっと見、すごい美少女なのに、浮世離れという言葉を明後日の方向にかっ飛ばした変人。最近はマシになってきたものの、団体行動が苦手を通り越して不可能。クラスメイトで同性で、割と近くにいたマキは大層苦労させられた。社会科見学中に列を離れる。給食を食べ尽くす。何度ミハタっちと方々に謝って回ったか知れない。
それでも、いいやつでもあるのだ。マキが上級生女子のグループに難癖をつけられスケブを奪われた時など、目にも止まらぬ速さで奪い返してくれた。その上級生女子連中の鞄もすべて奪って、湾から臨む水平線の彼方にぶん投げたのはまあ、やり過ぎだとは思ったけど。
そんなメイハが、マキに何かを要求したことはこれまでなかった。
あたしはしょっちゅう絵のモデルを頼んだりするのに。ここは一肌脱がねばなるまい。マキは避難所の人々がまだ起き出してこない頃を見計らって、シェルターを抜け出した。こちとら生まれも育ちもこのネリマだ。ガキんちょの頃の探検活動で、警備の穴や非常用通路など知り尽くしてる。
昼の陽射しが、水浸しの遊具に反射して眩しい。しかし東の空を臨んで見ると、暗く濃い雲が徐々に迫ってきていた。
「でもこんなに……どうするんだろ?」
手提げ袋の中身を見て、マキは首をかしげた。メイハのリストに書かれていたのは、魚、肉系の缶詰、カルシウムやビタミンの錠剤、ペットボトルのミネラルウォーター。缶詰系は大倉家の非常食として備蓄していたからすぐに揃えられたものの、錠剤は集めるのに苦労した。明け方に開きっぱなしのドラッグストアを探して歩き、代金と書置きを残して持ち出す羽目になった。
ゆるやかな坂を上って、マキは目的の大きな廃屋に着いた。開けっ放しの入口から入ってみると、屋根は半分かた崩れ落ち、残った半分も所々破れて陽射しが射し込んでいる。
その日陰となって薄暗い場所に、親友とその妹はいた。
「おーい。来たよー」挨拶代わりに呼びかけて、マキは二人の元へ向かう。「こんな時に二人して何してんのさ……って何それ!?」
日陰に目が慣れてくると見えてきた。黒い、巨大な武者の像が。
屈んだ武者像の横腹からケーブルが伸び、アヤハが膝に抱えるノートPCにつながっている。更にノートPCからは別のケーブルが伸び、巻物が高速で回転する装置へとつながっていた。
アヤハは視力矯正ゴーグルを着けたまま、マキに関心を示すことなく一心不乱にキーを叩いている。液晶画面に何かが流れていくが、あまりに速くて、マキが近寄って見ても何が打ち出されているのかさっぱりわからない。
落ち着いて近くで武者像を見上げると、見覚えがあるような気がする。マキは記憶を掘り起こした。確かあれは、中等部二年の社会科見学の時。歴史の勉強で、資料館の映像で観た。失地回復戦、当時に使用された武装祭器。最初の甲種方術甲冑。確か名前は
「コンゴウ……」
「よく知ってるな」
マキが振り返ると、メイハがそこに立っていた。学校指定のあずき色ジャージ姿で。もりもりと骨付きチキンを食べながら。
「ん、持ってきて、くれたんだな」メイハはマキの手提げ袋を覗き込んだ。言葉を区切る度に、ガリゴリと軟骨をかみ砕く音が混ざる。「助かったよマキ。来てくれなかったら、その辺の魚を獲らなきゃならなかった。ありがとう」
メイハはぽいと骨を放ると、呆然と立つマキから手提げ袋を受け取った。
骨は食べないんだ、骨ごといきそうな勢いだったのに。じゃなくって。マキは我に返ると、溢れる勢いのまま矢継ぎ早に質問を浴びせた。
「それみんな一人で食べんの? いやいやちがくて、こんなとこでアヤっちと何してんのさメイ? んで、あのヨロイは何? そもそもなんでシェルターに避難しないのさ!」
「まず、これは全部ワタシが食べる」
言いながらメイハは袋からツナ缶を出すと、プルトップを引き開け中身を一息に飲み干した。
マキは唖然と親友のあんまりな食べっぷりを見つめた。ツナ缶は飲み物って? カレーは飲み物なノリかよう。
マキの視線を余所に、メイハはカルシウム剤の小瓶を出すと、蓋を開けてこれもジャラジャラと口に投げ入れる。ガリガリとかみ砕きながら彼女はミネラルウォーターのボトルの封を開け、口をつけて錠剤を腹に流し込んだ。
「ちょ、そんな食べ方、お腹壊すよ!」
「食べながらで、すまん」マキが言っても、メイハはサバ缶を開ける手を止めない。「血肉と骨が要る。時間が、ないんだ」
「時間がないって……」
マキは食べ続けるメイハと、キーと叩くアヤハを交互に見た。どちらもその顔が強張り余裕がない。例え明日に世界が終わるとしてもマイペースを貫きそうなこの二人が、こんな顔になる原因は一つくらいしか思い当たらない。
「これから、そのヨロイで」言ってメイハは顔を上げると、廃屋に続く浅い水溜まりの彼方を見据えた。「湾にいる、でかい界獣を、殺しに行く」
「メイ、その目……」
マキは最後まで言葉を続けられなかった。在り得ないものを目の当たりにして。
普段なら少し青みがかって見えるだけのメイハの瞳。その左目の青い部分が濃さを増し、うねうねとアメーバのように蠢きながら、目の周りから左半顔へと広がりつつあった。
* * * * *
午後になって、急に風が強くなりはじめた。雨が近いのだろう。ネリマ保安部施設の埠頭から新トウキョウ湾を臨むと、東の空に暗い雲が集まっているのが見える。
ケイが左手首の時計を確かめると、針は14時18分を示していた。普段はケータイの時刻表示を見ているから、まだ少し慣れない。腕時計は、ケータイが先の〈落とし仔〉との戦いで故障していたために、海浜警備隊から支給されたものだ。
今、もしケータイが手元にあったら、僕は何をするだろう? ケイは自問した。誰かに電話? それともメール? 心に一瞬、二人の顔が浮かんで消える。打ち棄てられた遊園地で出会ってから六年。母さんの回復と、病気の再発と、幸と不幸が目まぐるしく入れ替わった日々を、どうにか拗ねずにいじけずに生きてこられたのは、きっと二人といたからだと思う。
ケイは頭の左の傷痕に手を当てた。この傷はあの日に負った罪だ。幼い全能感で何でもできると思い上がって、二人を危険に晒した。もしかしたら今もまた、同じ過ちを繰り返そうとしているのかもしれない。
一緒にテスト勉強をしていたあの夜、この傷に触れたメイハは何を言おうとしていたのか。ケイは無性に訊いてみたくなった。そんな時
「Ciao! Sir Cai!」
威勢よく陽気な異国の挨拶が、背後から投げかけられた。チャオってブリタニアじゃなくて、確かEUの、どこだかの挨拶じゃなかったっけ? ケイがそんなことを思いながら振り返ると、翠色の目を持つ髭のブリタニア人がそこにいた。
「キース隊長」
ついさっき、ケイはアルビオンの彼の部隊と、シミュレーターで作戦行動の確認を終えたばかりだった。
「何を黄昏れているんだ。戦いはこれからだぞ?」
彼は流暢なニホン語で話しかけてくる。今朝、ウルスラから本場の軍人の人と一緒に戦うと聞いて、どんな恐い人だろうと緊張したのが記憶に新しい。でも会って話して、シミュレータを使ってみたら、すごく気さくな人物だった。
「やっぱり恐くて」ケイは正直に言った。「キース隊長は、平気なんですか?」
「平気なわけない。死んだことがないからな。死を恐れないのは、狂人と死者だけだ」飾らない言葉で、キース隊長は答える。「若者よ、正しく恐れよ。恐れながらも、立ち、動け。さすれば勝利を得るだろう」
「誰か有名な人の言葉ですか?」
「そうとも」キース隊長はニヤリと笑う。「この私の言葉さ」
この人流の冗談なんだろうか。ケイは自分の口元もゆるんでることに気づいた。気を遣ってもらってるなあと思って、話題を変える。
「チャオって、ブリタニア語の挨拶じゃないですよね?」
「キミに何となく似ている友人がローマにいてね。てっきりそっち系なのかと思ったのだが。違うのかい?」
「僕は生まれも育ちもニホンですよ」
ケイ自身、同級生の顔と比べると、少し彫が深いかなくらいは思っている。しかし家系に外国人がいるなんて聞いたことはない。
「そうかね」そう言うものの、キース隊長の顔は納得していなかった。「ま、そういうことにしておこうか」
ケイがキース隊長と他愛もない話をしていると、ジャラジャラと鋼同士がぶつかる音が近づいてきた。
まず目につくのは腹まである黒髭と、眼光鋭い灰色の目。隆々とした筋肉で膨れ上がった太い右腕に、幾つもの鋼の輪が嵌っている。今朝この人物をウルスラに紹介されて、ケイが連想したのは"手足の生えた達磨人形"だ。
左脇に小さな樽を抱えてやって来た彼は、クレイノン。ブリタニアのミスティックレイス。髭もじゃ短躯の
当のウルスラは今、試験場で〈夜明けの風〉を始めとした再突入部隊の星辰装甲、方術甲冑の最終調整に没頭している。
「おう坊主、戦の前だ。呑んでおけ」
クレイノンは赤銅色のゴブレットに樽の中身を注ぐと、ケイに差し出した。
「ありがとうございます」
何だろう? ケイはゴブレットを受け取ると、中身をみて、匂いをかいでみた。色は透き通ったこげ茶。ミントのような澄んだ香りがする。
「ほらぐっといけ、ぐっと」
ケイはちょっと怪しい気もしたが、キース隊長が飲め飲めと目で言っているので一気に呷った。
「っ!?」
そして即、後悔した。ほのかな甘みのある灼熱に喉と鼻と胃を焼かれ、ゲホゲホと思い切りむせ返る。
「な、なんですかこれ? お酒じゃないですか!」
呼吸を整えながらケイが恨みがましい目を向けるも、キース隊長とクレイノンは吹き出しゲラゲラ爆笑している。
「ノッカーの薬酒さ。飲めばここが」訳知り顔のキース隊長が、頭を指さす。「少々鈍くなる」
「……ふぅ。って、戦いの前に鈍くなったらまずいじゃないですか」
「この世のモノが相手なら、な」クレイノンがニヤリと不敵な笑みを浮かべて言った。「〈古く忘れられた統治者〉を、その眷属を相手にする時は、少々頭が鈍いほうがいい。でないと、いらんものが頭に入ってきて戦うどころじゃなくなっちまう」
そういうものなのか? ふとケイは思い出す。そういえば前、ウルスラに「いい意味で鈍感だね」みたいなことを言われた覚えがある。待てよ、ということは。
「もしかして」ケイは空になったゴブレットを、クレイノンに差し出した。「界獣と戦うのに向いてる人って……」
「あっちのヤツらを殴るのに必要なもんは」ゴブレットを受け取りながら、クレイノンが言う。「鈍さと不屈、そしてちょっとの勇気だけだ」
「それって暗にバカが最適って言ってません?」
「そうとも言えるな!」
キース隊長は言うと、クレイノンと二人で再び爆笑した。
「何を皆で大笑いしてるんだい?」
大きな笑い声を聞きつけたのか。海浜警備隊一等警士の伊勢が、キース隊長率いるカレドヴール隊の残りの2名、セドリックとグリフと一緒にやって来る。
「おう、ちょうどいいところに来たな。エイジアの戦士よ」
クレイノンがゴブレットに薬酒を注いだ。
あ、同じことをやるつもりだ。ケイが皆を見渡すと、伊勢を除くこの場の皆が顔を引き締め無表情を装っている。
* * * * *
タブレットに流れる「完了」を意味する文字を見て、ウルスラはほっと安堵の溜息をついた。現在の時刻は14時53分。やった。間に合った。昨夜、伏莉とヒヨリに見せてもらった秘儀の舞踊と、かつてクトゥルーの〈落とし仔〉を20年余の長きに渡って封じたスズヤシノの舞う映像。この二つの映像資料を、エーテルリンクを介してアルビオンのロンディニウム本部に送り、解析と星図の算出を頼んでいたのだ。こっそり撮影してデータを録画してたのがバレたら事だが、背に腹は何とやらだ。
ダウンロードが完了した星図データの付記には、ウルスラの推測どおり、舞踊の中に、星々の座標を示す情報が散りばめられていたことが述べられていた。あと『この短時間に無茶も大概にして。こっちは残業続きなのに全員徹夜だわ。帰ったら覚えてなさい』とも。
この星図は、既に一度クトゥルーの〈落とし仔〉を放逐寸前まで追い詰めた力、その持ち主たる神格、高位存在を示す座標だろう。この価値に比べればモイヤ姉さまの小言など何でもない。〈大いなるクトゥルー〉に敵対する神格、〈名状しがたきもの〉の力で足りないのなら、次はこっちを試してやる。ウルスラ自身、賭けに近い自覚はある。しかしどのみちここで〈落とし仔〉一柱も滅ぼせねば、4年後に予想されるルルイエ浮上の阻止など、夢のまた夢だ。海浜警備隊に向けて切った啖呵に嘘はない。
ウルスラは早速、〈夜明けの風〉に星図を設定し、〈星に伸ばす手〉機構の深淵発動機を起動した。星界探査針が〈大いなる天河〉に潜行。星図に従ってその神の座を、力の源を探り……当てた。
「星辰コード……"UNCHARTED STARS"?」
タブレットに示された文字列に、ウルスラは首をかしげた。常ならば人や妖精の発声に近い音声表記で、その神格の座の名が表示されるはず。しかし今、出ている文字列は"UNCHARTED STARS(未踏の星々)"。深淵発動機はエーテルリンクを介して、アルビオン図書館のセラエノデータベースを参照。探り当てた座標に対応する星々や、次元世界の名を示すのだけれど。
「セラエノデータベースにも記述がない神格か……」
ニホンの秘儀舞踊から抽出された星図が示したのは、〈古く忘れられた統治者〉について余すところなく記されているはずの、セラエノデータベースにもない神の座。
興味は尽きないけれど、ゆっくり調べている時間は無さそうだ。
* * * * *
沙凛……と鳴った剣鈴の音が、再突入開始の合図。凛、凛と鈴の音は続き、玲瓏たる謡が始まる。もはや人の発する音に聞こえないそれは、この地から遥かな過去に去った神への呼びかけなのだと、伏莉と名乗った綺麗なひとが説明してくれた。
埠頭に造られた仮設演台で、面を付けた巫女が舞い始める。たん、と板張りの床を踏んで跳び、着地して、ダン。
「あの足の踏む位置、音の大きさが、星々の地図なんだ」〈夜明けの風〉の左肩で、戦装束のウルスラが言った。「遠く失われた神への道標。聞けば、ミスティックレイスに頼ることなく伝えていたそうじゃないか。この国の民の気の長さに畏怖すら覚えるよ」
舞う巫女の右手には剣鈴、左手に六支の扇。鈴を鳴らし、扇を返して円を巡り、跳んで着地。同時に鈴の音。悪疫病魔、妖魅邪怪を追い払う秘儀。大海嘯後、人の生きる場所を護るために為されてきたそれは今、海を回遊する奉仕種族、〈深きものども〉を押しのけるために。
境界、不可触領域までの道行きは、ヒヨリの舞でおおよそなんとかなろう。
〈落とし仔〉の潜む領域までの海路の安全を、伏莉と神事院の巫女、演者たちが請け負ってくれた。
「カレドヴール隊、先行する」〈夜明けの風〉を駆るケイに、キース隊長からの通信が入る。「ケイ卿、殿下を頼むよ。露払いは我らにお任せを! Y Ddraig Goch!」
キース隊長が雄たけびを上げ、星辰装甲ウォードレイダーMkⅢを駆って先頭に出る。
「「Y Ddraig Goch!!」」
セドリックとグリフも同じく叫ぶや躍り出た。
あ、ずらいぐ、ごーっほって何だろう? そんなことを考えながら、ケイも後に続く。シミュレーションでは叫んだりしなかったのに、三人とも何であんなにテンションが高いのか。まだ叫んでるし。それにデンカって……ウルスラのことじゃないよね。
「ねえ、ウルスラ。キース隊長たち、何であんなに元気というか、テンション高いのさ?」
「彼らは、その、何と言えばいいのかな」ケイの視界左に映ったウルスラは、珍しく居心地が悪そうに目を逸らした。「そう、懐古主義。少し懐古主義者なだけなんだ」
「懐古主義者?」
ケイは何だかよくわからなかったけれど、とりあえず作戦行動の支障は無さそうなので放っておくことにした。
キース隊長の騎体を先頭に、カレドヴール隊の三騎が先行。その後をケイの〈夜明けの風〉、伊勢警士のコンゴウ改甲の順に続き、クレイノンの星辰装甲コリネウスが最後尾を務めて不可触領域へひた走る。
その隊列は、上空から見れば矢の形のように見えるかもしれない。ケイは空を見上げてみた。不可触領域に近づくにつれて、雲の色がその濃さを増してくる。ゆらめく壁の向こう側は、雨の只中なのか。
ポツ…と雨粒が一つ、ケイの視界を横切り装甲に弾かれた。
「舞踊結界の効果範囲はここまでみたいだ」映像のウルスラが表情を引き締める。「そろそろ〈深きものども〉が湧く。皆、油断しないで」
隊直上を中心に警戒にあたっている翅翔妖精たちから、D類特種害獣〈深きものども〉の位置が送られてくる。隊の前方に二体、右に一体、後方から一体……
隊前方、ほん僅かに頭頂部を突き出した〈深きもの〉に、キース隊長のウォードレイダーMkⅢが躍りかかった。左右の手それぞれに携えた戦斧で、頸部と背骨に類する部位をほぼ同時に断ち割る。キース隊長の騎体が戦斧を叩き込んだ姿勢を保つこと数秒。〈深きもの〉は崩れていった。
しかしその数秒の隙を、次の〈深きもの〉は見逃さなかった。体勢を戻そうとするキース隊長の騎体に向かって牙列を剥いて襲いかかる…… その前に、グリフのウォードレイダーMkⅢが隊長同様の技術でこれを仕留めた。その間、セドリックの騎体が周辺を警戒。更に湧いた〈深きもの〉を、セドリック騎が迎え撃つ。
D類特種害獣、〈深きものども〉の特性として損傷の再生があり、通常の生物であれば致命傷と思える傷でも、〈深きものども〉は瞬く間に再生してしまう。これを防いで消滅させるには、損傷組織に再生命令を出す中枢系、即ち頭部から脊椎に類する部位を二箇所以上同時に断ち、数秒を待たねばならない。
カレドヴール隊の戦い方は、この数秒、騎体を動かせない隙を互いに連携して埋める見事なものだった。
「すごい……」
「まあブリタニアの海を20年以上、護り抜いてる連中だからね」感嘆するケイに、ウルスラは言った。「そろそろこっちも来るよ!」
脚に翅を生やして、ウルスラが〈夜明けの風〉の肩から跳んだ。
右から来る巨影はケイも把握していた。黄色の光を帯びた大剣を袈裟懸けに斬り下ろして、〈深きもの〉の頭部を斜めに割る。数秒を待つまでもなく、〈深きもの〉は崩れていった。
これは〈夜明けの風〉だけが持つ特異な力だった。〈深きものども〉の再生力を無視して戦える。〈星に伸ばす手〉機構による対立神性の自動付与。要は傷つけた敵にとって、猛毒となる力を剣に与えられる。
そんな便利なシステムがあるなら、この〈夜明けの風〉以外にも、もっと量産すればいいのに。
今日の昼食時。ウルスラの解説を聞いたケイは、素直に感じた疑問を口にした。
ウルスラは海浜警備隊名物のカレーライスのスプーンを銜えたまま、そっぽを向いて俯いた。
「え、なんか変なこと訊いちゃった?」
「…………」沈黙すること数秒、ウルスラは蚊の鳴くような声を出した。「…………いんだ」
「え、何?」
うまく聞き取れなくて、ケイは訊く。するとウルスラは少しだけ声を大きくした。
「どうやってあのシステムを造ったのか、覚えてない……」
「は?」
思いがけない答えに、ケイは素っ頓狂な声を出してしまう。ネリマ保安部の食堂で、衆目が一気に集まった。
「あ、すみません。何でもないです」ケイは立って周囲の海浜警備隊員の人たちに謝ると、席に戻って改めて訊いた。「覚えてないって……作ったのはウルスラじゃないの?」
「造ったのはボクで間違いないよ。理論を組んだのもボクだし」憮然とした顔でウルスラは言う。「ただあの時、ゴファノンのジジイが……あ、ゴファノンはクレイノンの親父ね、あのジジイがどっかでドラゴンの秘蔵酒を見つけてきて、もらって飲んだらこれが美味くて、飲んで飲んで完全に酔っぱらってて……気づいたら工房で寝てて、起きて見たら〈夜明けの風〉の〈
あんまりな話に、ケイが開いた口が塞がらない。
そんなケイを余所に、ウルスラは話し続けた。ちょっと恥ずかしそうに俯いて。
「試しに起動したら、構想してた仕様どおりに動いた。苦戦して詰まってた部分も全部クリアしてて……当然、同じものを造ろうとしたさ。でもダメだった。やっぱり詰まる。同じことができないかと思って、何度か深酒してみたりもしたんだけどさ」
そういえば、とケイは思い出す。初めて会って〈夜明けの風〉で戦った時、彼女がそんなことを言っていた。機構をいじってる時に酒飲んでたとか何とか。
「そりゃあ、誤作動するよね。うん」
まあ、あの日から変な動作不良はない。ケイは問題ない、と思うことにした。作戦開始まで残り3時間もない。もうこのまま行くしかない。
しかしそんなケイの言い方が癇に障ったのか。ウルスラは言った。キレ気味に。
「今はちゃんと動いてるんだからいいじゃないか! 技術者あるあるなんだよ! 何だかよくわからないけど、まあ仕様どおり動いているからヨシ!ってのは!」
とりあえず、この場に海浜警備隊の偉そうな人とかいなくてよかったと、ケイは心の底から思った。
次は正面から一体。少し間合いが近い、とケイが思う間に、滞空したウルスラがその〈深きもの〉の横っ面を戦鎚で殴り飛ばした。
ケイは体勢を崩した〈深きもの〉の横腹に剣を突き入れる。こちらはこちらで、界獣相手に戦い続けてきた者同士。自ずと呼吸は合っていた。
強力な白兵戦力を持たないコンゴウ改甲を、間に置いて護るように、〈夜明けの風〉とウルスラ、クレイノンのコリネウスは動く。
隊後方に現れた〈深きもの〉を見とめ、クレイノンのコリネウスが襲いかかった。騎手本人の体型にも似たフォルムと裏腹に、コリネウスは俊敏に駆け回ると、〈深きもの〉の背後に巨大な戦鎚を一撃する。同時にボッという音とともに、鎚頭の接触面から三本の
押し寄せる〈深きものども〉を排除しながら、隊は少しずつ前進する。
やがて暗い空の下、陽炎のようにゆらめく幕が見えてきた。
「エイリイ、皆を戻して」ウルスラは〈夜明けの風〉の肩に戻ると、翅翔妖精たちを呼び集めた。「お疲れ様。キミたちの仕事はここまでだ」
翅翔妖精は不可触領域内で活動できない。行けば世界とのつながりを絶たれて死んでしまうのだという。翅翔妖精たちは、ウルスラの手のひらに吸い込まれるように消えていった。
「皆、準備はいいですか?」ウルスラが隊の全騎体、傀体に呼びかける。たまに見せる、大人びた雰囲気で。「ここから先は、祀りえぬ神、強大にして悍ましい忘れられた統治者の王国。人類の敵の腹の中。人が人でいることすら困難な領域。神秘の種族も其処では無力。それでも私たちは進まねばなりません。人間の土地を護るために。我らの歩みを終わらせないために」
ここまで脱落者はいない。ケイは大剣の柄を持つ手に力をこめる。
「我ら〈
ケイの内に、恐怖を塗り潰すように高揚感が湧き上がる。ウルスラの言葉には、何か不思議な力があるのかもしれない。高まる緊張と昂りに身を任せながら、そんなことを思う。
「総員、突入」ウルスラが戦鎚を振り下ろし、真っすぐ前を指し示す。「eu lladd i gyd!!(皆殺しにせよ!)」
一気呵成。今、人と妖精が手を結び、祀りえぬ神の仔を討つべくその王国へと踏み入った。
腹の底から激しい熱が吹き上がる。獣の咆哮のような雄たけびを上げて、ケイは不可触領域へ飛び込んだ。瞬間、いつか感じた頭を揺さぶられるような衝撃を受ける。軽く頭を振って酩酊感を払いのけながら、ケイは目の前の光景を正確に把握しようと努めた。
キース隊長を先頭にカレドヴール隊の三騎が先を行く。ここまでは予定どおりだ。暗天を映して昏い海面の、そこかしこに〈深きもの〉が頭を出して謳っている。
nnNngggGgGggggllLuuUUuuuuiiiIIi!
降り注ぐ雨が祝福であるかのように。大いなる御子の復活を、讃えるように。祝うように。
濃い灰色の廃ビル群を背景に、黒く影した山のような隆起がある。
海を割って伸びあがる超大な触手を前に、ケイは〈落とし仔〉までの最短の道筋を探す。幸い、ある程度は人間の建造物が残っている区画だ。上手く使えば〈深きものども〉に邪魔されずに、〈落とし仔〉の近くまで辿り着けるかもしれない。
しかしそんな考えを嘲笑うかのように。
CthulhuuUUuuUUU rRrrRR'LlLlyEeEEeehhEeeeheeeEEe!!
聞く者の頭を殴るような、巨大な咆哮が轟く。海面が割れ、巨大な〈深きもの〉、ダゴン級と称される個体が姿を現した。
* * * * *
黒く強固な装甲に覆われた腕を上げ、指を動かしてみた。いつも扱ってきた丁種ヨロイより、少しだけ重いような気がする。メイハはコンゴウの傀体越しにそう告げた。何せ界獣と戦うなど初めてのことだ。少しの不安要素も解消しておきたかった。
「甲種と言っても20年前の傀体ですからね」
アヤハが立ち上がったコンゴウを見上げて言った。その隣でマキが不安げにこちらを見上げている。マキには悪いことをしてしまったな、とメイハは思う。今はそんなゆとりはないが、みんな終わったら謝らねば。
「宿曜炉の出力は今の丁種ヨロイでも比べものになりませんが、繰傀レスポンスは幾分劣ります。が」そこで言葉を切ると、アヤハは星図の円柱を出して見せる。「わたしが書いたこっちの星図を使えば、カバーできます。現行の甲種方術甲冑平均のおおよそ三・八倍の出力を出して、余剰分の星辰出力で擬筋組織を構成する星辰伝導繊維を賦活。伝導効率を上げてレスポンスをカバー。結果的には、後継傀体コンゴウ改の三倍程度の傀動力を引き出せます」
一般に、方術甲冑の動力源たる星図の記述は宿曜書士の職能範囲、方術甲冑本体の製作・整備・改装は甲冑技士の職能範囲とされる。アヤハはその双方の知識に通じていた。双方ともに、中等部生には学習困難な知識とされているのに。どうしてそんなことができるのか。かつてメイハが訊いた時、アヤハは言った。
わたしには、強いて言うなら星々の音が聞こえるんです。姉さん。
「ただ星辰伝導繊維の耐久性は、純粋に素材に左右される部分なのでどうにもなりません。昨夜も言いましたが、高出力で動かす間は、常に繰傀者に負荷がかかり続けます。姉さん以外の人間がこれを扱えば、全身の筋繊維が千切れ関節から骨が砕ける。汎人でも、恐らくは正しく発現した遺伝子調整者でも」
アヤハがこのコンゴウに施したのは、強大な力と引き換えに、それを繰る者の肉体を破壊する調整。常人がこれを扱うのは自殺行為でしかない。しかし異常なまでの頑健さと回復力を持つメイハだけは、これを扱える。
御幡ケイを取り戻すため、彼が戦う理由を無くしてしまうため、新トウキョウ湾に現れた〈大きく、強く、底知れぬほど深く、臨めぬほど高いモノ〉を、界獣どもを殺すにはどうすればよいのか。
二人の力で、界獣以上の怪物を造り出してしまえ。
それが、玖成姉妹の出した結論だった。
メイハは傀体内の時刻表示を見た。現在15時52分。再突入作戦が開始される一六時まで、あと僅か。調整に思っていたより時間がかかってしまった。さっさと行かねばケイが出る。メイハはコンゴウの右手で、脇に置いておいた大剣の柄を掴むと肩に担ぐ。りぃんと澄んだ音を鳴らすその緋色の刀身は、甲種方術甲冑であるコンゴウのおおよそ倍、十メートル近くあった。
「傍にあった以上、これがこのコンゴウの主武装だったのでしょう」アヤハがノートPCのモニタを見る。「このPCでの解析だけでも、高い星辰伝導率がわかります。これに比べれば、そこらに散らばった武装の類はそれこそガラクタです」
「そろそろやってくれ、アヤハ」
時計が進む。時間がない。
アヤハが手にした円柱をコンゴウ腰部のスリットに装填した。途端に、傀体内モニタ下部に赤い警告文が走り出す。『不正な星図の利用を直ちに停止してください。不正な星図の利用を直ちに――』鬱陶しいことこの上ない。
「何とかならないのかアヤハ」
「この機能だけロックが解けませんでした。諦めて我慢してください」
なら仕方ないか。メイハは気にするのを止め、膝を曲げてコンゴウを前傾させた。その動作だけで、レスポンスが向上したのがわかる。
「あ、あのさメイ」それまで黙っていたマキが、意を決したように顔を上げて言った。「ミハタっちに何かあったんだろうなとは思うんだけどさ。帰って、くるよね?」
「ああ、必ず」そのために行くのだから。メイハは告げると駆け出し廃屋を抜け、湾の廃ビル目掛け跳躍する。「!?」
メイハは驚愕に目を見張る。少し距離を稼ごうと軽く跳んだだけのつもりが、コンゴウの傀体は軽く中空を舞っていた。
しかし重力に従ってすぐに下降する。即座にメイハは落下先を見据え、湾に出る最短の経路を頭に描く。緋色の巨剣を持つ武者は、鉄筋の廃屋の屋根に着地した。即、これを踏み砕いて跳び、次は傾いた廃ビルの壁面を蹴って先へ。更に先へ。目指す場所は、中空に出ればひと目でわかる。晴れた新トウキョウ湾の空の中で、市街に迫る暗雲がある。
全身が、特に足が痛み出し、訴えるように痙攣した。ばつん、と右腿で何かが切れる感触にメイハは顔を顰める。右腿の痛みはすぐに消えたが、次は左足首が痛みをもって止まれと訴えてくる。しかし止まってなどやらない。どこぞの金持ちが愛人の胎を使って造った、無駄に丈夫なこの身体、今は大いに利用させてもらう。
回復したての右脚で、ビルを蹴ってまた壊して。自身の身体を壊し、直してを繰り返して。
メイハは緋色の巨剣を携え、空を翔ける。
* * * * *
行ってしまった。数秒前まで目の前にいた親友は、既にはるか先の空の下。そのヨロイの後姿はもう、豆物サイズにしか見えない。
「メイ、大丈夫だよね」
空に向かって、マキは言った。誰にともなく願うように。アヤハは、コンゴウ改の三倍の力が出せる代わりに、繰傀者にとんでもない負荷がかかるとか言っていた。いかにメイハが頑丈でも、そんなヨロイに乗って無事で済むとも思えない。
「もっと強力な調整でも、姉さんだけは死にはしません。マキさんのお蔭で、あれだけ食べられましたし」マキのすぐ傍らから、アヤハの言葉が聞こえてきた。姉妹故の信頼なのか。ひと欠片の疑念も心配も感じさせない声で。「実は三倍の傀動力云々も、ここだけの話、割と適当というか……もっと出てます、たぶん」
「ちょ、アヤっち。一体全体、何しようとしてるのさ?」
マキは問う。他にもメイハの目のこととか、訊きたいことはあったけれど。そもそも避難もしないで姉妹揃って、こんな廃墟で、とんでもない改造ヨロイを組み立てて何をしようとしているのか。
マキが隣に目を向けると、アヤハが膝を折って崩れるところだった。
「アヤっち!」地面にぶつらかぬよう、マキは慌てて抱き留める。「ちょ、すごい熱あんじゃん!」
触れた肌が常人にありえないほど熱い。額に手を当てるともっとだ。四〇度近くあるんじゃないのこれ? 医者、じゃなくて救急車。ってここは封鎖区画の上に、今は緊急事態宣言下だ。呼べもしないし来るわけない。
「大丈夫ですよ、マキさん」あうあうと慌てるマキに、アヤハは言った。「ちょっと全力で星をみたので……すぐに治まります。水だけ少しください」
本当かな。マキは訝しむものの、今は他に何かできるわけでもなかった。傍にあったブルーシートにアヤハを横たえて、ミネラルウォーターの入ったボトルを持ってくる。
上体を起こしたアヤハにボトルを渡すと、彼女はおいしそうに一口飲んで
「何をしようとしてるのか……そうですね」メイハが飛んでいった空を見上げて、言った。「悪い魔女に攫われた騎士さまを、昔、助けられた怪物が助け出そうとしている。そんなところです」
ああ、アヤっちってやっぱり不思議系だと、マキは思った。
* * * * *
最も高い廃ビルを見定めると、ウルスラは〈夜明けの風〉の肩を蹴って跳んだ。海面から聳えるビルの壁面を駆け、跳んでまた別のビルを駆け、目的のビル屋上に辿り着く。
そこはクトゥルーの〈落とし仔〉と、姿を現したダゴン級の〈深きもの〉を一望にできた。
「そんなにあの一撃が痛かったのか? 随分とでかい番犬じゃあないか」
海上に聳える〈落とし仔〉を睨み据え、ウルスラはキースに呼びかけた。
「キース、聞こえるね?」
『Yn eich ewyllys!(御意に)』
通信感度は良好だ。〈夜明けの風〉をサーバにして構築した、ローカルエーテルリンクによる通話システム。急拵えだったが、不可触領域内でも正常に稼働する。この事実は今後、〈古く忘れられた統治者〉たちとの戦いを行っていく上での朗報と言える。起源体、〈落とし仔〉級の敵を相手に、騎体間の通信が不可能な環境で戦うのは至難という言葉を超えている。
しかしこれで、エーテルリンクの存在がニホンの知るところとなった。今後、開示を要求されるのは間違いない。
時間の問題ではあったけれど。本国の連中、良い顔しないだろうなあ。ウルスラは戦鎚を置くと、左手を巡らせ宙から紙束を取り出した。黒筆で文字と図形、記号が書かれたそれは、戦術陰陽士が操る人工精霊・使鬼の喚起媒体、呪符だ。
不可触領域内で、翅翔妖精たちは使えない。大地とのつながりを断たれ、おそらくは数分程度で消滅してしまう。それは使鬼も同じだが、こちらは術士の被造物。使い捨て前提の運用ならば何も問題はない。ウルスラはこの使鬼の呪符を、海浜警備隊の戦術陰陽士から手に入れ、独自の仕様に書き換えた。
「これも現場の判断さっ、と」
ウルスラは屋上から紙束を放る。紙束はバラバラと宙に舞い散り、その一枚一枚が赤い羽の烏に変じた。
赤烏たちは方々に飛び、観測情報をウルスラのタブレットに送ってくる。こちらも感度は良好だ。部隊各員の現在位置、〈落とし仔〉とダゴン級、この領域に点在する〈深きもの〉個体の位置が把握できる。
今のところ、状況は作戦どおり推移している。
「位置情報を送るよ。みんな、後は手筈どおりに」
* * * * *
なんてでかさだ。キース・ボーエンは驚愕した。アルビオンの創設期から星辰装甲を駆り、〈深きものども〉を始めとした界獣と戦い続けて20余年。大型亜種を含めて数えきれないほど、その個体を目にしてきた。が、これほどまで巨大なものは初めて見る。海面に出ている上体部だけで、ゆうに20メートルを超えている。海中の下体と尾を含めれば、更にその倍に届くのではないか。
『位置情報を送るよ。みんな、後は手筈どおりに』
我が心の主君からの通信と同時に、各騎体の位置情報が送信されてくる。ダゴン級を避けて〈夜明けの風〉は右に、コンゴウ改甲は左に駆け抜け〈落とし仔〉を目指す。それぞれが〈星に伸ばす手〉とアメノハバキリという切り札を持つ騎体だ。ここで損耗させるわけにはいかない。
このダゴン級〈深きもの〉の足止め、可能ならば殲滅は、我々アルビオン戦士団の役目だ。
「グリフは周辺を警戒。セドリック、クレイノン、続け!」
『『了解!』』『おう!』
「Y Ddraig Goch!」
キースが鬨の声を上げ、三騎の星辰装甲がダゴン級に肉迫する。
* * * * *
海没ビルの合間を抜け、伊勢ソウリは目的のポイントを目指してコンゴウ改甲を駆る。断続的に樹海の巨木のような起源体の触手が降りかかってくるが、躱しきれないほどの速度ではなかった。
ウルスラ嬢から送られてくる位置情報を確認。当初の予想どおり、C類起源体は少しずつ御幡少年の〈夜明けの風〉に寄っている。最初の遭遇戦で傷を負わされた影響で、C類起源体は〈夜明けの風〉の脅威度をより高く見積もるのではないか。そんな予想をウルスラ嬢は立てていた。
それでも、このコンゴウ改甲が放っておかれているわけでもなかった。D類特種害獣が海面から湧いてくる。その全てをソウリは避け、躱した。馴染みの現場で地の利は熟知している。廃ビル、廃屋、水深の浅い区画……その全てを利用してソウリは狙撃ポイントを目指す。C類起源体に射線の通る場所。再突入前にピックアップしていた候補の内の一つは、もう目前だ。
傀体内モニタに、D類の接近が知らされた。左前方。数は二体。
いちいち相手をしてはいられない。コンゴウ改甲は海面を蹴って跳び、廃ビル四階の窓枠に手をかけた。足元の空隙を、跳ねたD類の牙列が過ぎてゆく。それを顧みず、ソウリはビルを這い上る。右に左に順に手をかけ、爪先を壁面に叩き込んで進む。
屋上に到達すると、ソウリはすぐにC類起源体の位置を確認した。先の位置からほぼ動いていない。よし。
コンゴウ改甲をC類起源体に向け、ソウリは射撃固定具を展開する。両脚部の側面と脹脛から装甲が分離。装甲はビル屋上床面に接地すると、スパイクを打ち込んでコンゴウ改甲の傀体を固定した。
右肩の砲身を下げ、照準をC類起源体に合わせる。的はでかい。そのブヨブヨの蛸頭を塵も残さず消し去ってやる。
「さあ、終わらせてやる」
後は、合図を待つだけだ。
* * * * *
巨大な〈深きもの〉、ダゴン級をアルビオン勢に任せ、ケイは〈夜明けの風〉で右へ駆けた。海面の至る所で姿を現す〈深きもの〉を避けるため、左腕の
屋上に出るとすぐに駆け、縁から跳躍、別のビル屋上に着地してまた駆ける。劣化し脆くなった床面に、幾度となく足を取られながら。廃ビル群が続く限り、このまま距離を稼ぎたい。
〈夜明けの風〉は一路、クトゥルーの〈落とし仔〉を目指して跳び、駆ける。視界に徐々に大きくなる山のような影。顕わになったその巨大な眼と、ケイは目が合った気がした。瞬間
――――!
〈落とし仔〉から、音楽の時間に聞いたオーボエに似た、奇怪な咆哮が上がった。
「ぐっ!」
耳から頭を殴られたような衝撃に、ケイの胸の空気が強制的に吐き出される。が、かつてのように前後不覚になるほどではなかった。慣れたのか。あるいはノッカーの薬酒のお蔭か。
左から薙ぎ払うように、〈落とし仔〉の超大な触手が襲いかかった。ケイはこれを前に向かって跳躍し、ビル屋上を転がってやり過ごす。転がる勢いのまま立ってまた駆ける。見れば〈落とし仔〉は変わらず其処にいる。
よし、このまま。流れる汗を拭う間もなく、ケイは〈夜明けの風〉を駆る。僕の役目は陽動、兼、切り札。どちらの役を果たすにも、〈落とし仔〉をダゴン級から引き離し留めねばならない。
間もなく廃ビル群が終わる。そろそろ決着をつける時だ。
――――――――!
再びの咆哮を聞き流し、ケイは廃ビルからその身を躍らせた
「ウルスラ!」
『深淵発動機潜行、深度限界』ケイの呼びかけに応え、ウルスラが〈
振りかぶった〈夜明けの風〉の大剣が一瞬で、黄色い炎の衣をまとう巨大な柱と化す。その刹那、ケイの視界にかつて見た異様な世界の光景が押し込まれた。高く聳え立つ尖塔群、黒い液体で満たされた湖とか知るかうるさい。この光景を押し込んできたモノへ向け、ケイは声に出さずに言い放つ。今はそれどころじゃないんだ。怒りを奮い起こして、吐き気と眩暈に耐える。
降下の勢いに乗って〈夜明けの風〉の大剣を振り下ろす。黄衣の柱が真っ向、縦の軌道を描いて、〈落とし仔〉の膨れた頭頂部に当たって、僅かに喰い込み
ぬめるように、逸れた。
海面に着水した〈夜明けの風〉の剣は、〈落とし仔〉の触手を幾本か斬り飛ばすに留まった。
「クソっ!」
悪態をつきながら、ケイはすぐにその場を飛び退いた。直後に〈夜明けの風〉が居た位置を、一際太い触手が叩く。
「ダメだウルスラ!」巻き上がる飛沫を切り拓くように、ケイは黄衣の柱を振るって迫る触手の群れを薙ぎ払う。「前より手応えはあったけど、今のままじゃ、剣は通らない!」
『ケイ、プランBだ!』
「了解!」
即座に頭を切り替えると、ケイは〈落とし仔〉を巡るように全速で駆け出した。
* * * * *
巨岩のような右手を掻いくぐり、キースはダゴン級〈深きもの〉の背後を取った。跳びかかると同時に、双手の戦斧をその背に叩き込む。浅い。もう一度。
yyYYYgGAGGaaaAAaaa!!
ダゴン級が苦鳴のような咆哮を上げ、その巨体をうねらせる。
振り落される前に、キースはダゴン級の背を蹴って跳び下りた。単純に巨体故に構成組織が厚く、ウォードレイダーMkⅢの戦斧では、脊柱に類する中枢系まで刃が届かない。巨木を伐る要領で何度も叩いて削れば、いずれは届くかもしれない。しかし〈深きもの〉の再生力を考えると、それは現実的な策ではない。コリネウスの穿撃戦鎚であれば、あるいは。
「セドリック! クレイノン! "磔刑"だ!」キースはアルビオン勢に、対大型亜種用戦術の一つを指示した。「鎗はクレイノン!」
『了解!』
『おう、任せな!』
返事を皆まで聞くまでもなく、キースはダゴン級の右側面に回る。振り落される水かきの右腕を避け、騎体左腕の
ダゴン級がキースを認め、左腕を振り上げる。その左腕に、今度はセドリック騎の射出した錨が撃ち込まれた。
キースとセドリックは互いの錨が固定された瞬間に、高速で後退を開始。ダゴン級の腕を右と左に引っ張った。
giGgGaaaiiiAyyyAAA!!
両腕を広げた状態で固定され、ダゴン級が呻くように咆えた。それでも無事な上体を激しくゆすり、拘束を逃れようと足掻く。
『させるか!』クレイノンがダゴン級の背に錨を撃ち込むと、鎖を巻き上げその背に取りついた。『死んでオレの
クレイノンが咆え、コリネウスの穿撃戦鎚をダゴン級の背に打ちつける。瞬間、ボボッという乾いた音とともに鎚頭から三本の
GI..GGGAgagaAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!
一際大きな咆哮を上げ、ダゴン級が激しくその身をよじる。
クレイノンは落とされまいとしがみつき、ダゴン級の背を穿った
キースは数を数えた。un、dau、tri、pedwar……何秒経っても、ダゴン級が崩れる気配はない。まだ浅いか。
「クレイノン! もう一度だ!」
『おうよ!』
コリネウスは
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