第18話 白瀬君の影

 地上戦。


 弾幕のない、しかし流麗な演技が繰り広げられていた。例を見ない地上戦ながらも、観客は闘気溢れる戦いに息を呑む。


 白瀬君と僕は暗黙の了解で、全日本選手権のそれぞれのSPを滑って飛行力に変えようとしていた。グラビティLv.5の持続時間に納まる演技といえばそれしかない。スケートの技の難度は飛行力の優劣に直結するようだ。

 SPは僕の方が白瀬君よりわずかに難しい構成にしてある。だけどそれはノーミスで滑れれば、の話だ。


「っ――!」


 最初の四回転ループジャンプを辛うじて堪える。回り切ってはいるが、GOE(技の出来栄え点)はお世辞にも良くないだろう。

 ちらりと彼を見ると、華麗に四回転サルコウジャンプを決めたところだった。王者にふさわしい圧巻の演技。


 どくんと全日本選手権の失敗が頭をよぎる。

 三回転アクセルジャンプはパンクし、コンビネーションは抜けて、ステップはガタガタで……。


 顔を強張らせていると、ふと演技中の白瀬君と目が合った。


『また無様を晒す気ですか?』


 あの呆れと憐憫を含んだ視線が、僕を貫く。ひやりと心臓が止まった気がした。過去と現在の境が曖昧になる。


(怖い、次のコンビネーションが跳べる気がしない!)


 次は四回転サルコウ+三回転トウループの連続ジャンプなのに。こんな思いを抱えたままクリーンに降りることなんてできない!

 混乱する僕を嘲笑う様に、目の前で白瀬君は四回転トウループ+三回転トウループをしなやかに降りた。

 ステップを刻む身体が強張りかけたその時、ガレオンの声が響いた。


「落ち着け!」


 言い聞かせるような、励ますようなその声に意識が吸い寄せられる。


「俺と戦った時を思い出せ! お前が俺に勝てたのはマグレじゃないだろ。 集中していたからだ。俺に気を取られず一手一手丁寧に捌いたからだ。白瀬を見るな、意識するな、比べるな! まず、お前の中にいる白瀬を倒せ!」


 その言葉にぱちりと意識が切り替わる。


(僕の中の白瀬君を、倒す)


 そうだ、僕は白瀬君を意識しすぎたんだ。ナンバー2と言われ続けて、比べられ続けて僕の中で彼の存在が大きくなりすぎたんだ。


 僕の中の白瀬君が嗤う。僕は震える手で彼の心臓にまっすぐ剣を突き立てる。

 ずぶずぶと沈む手ごたえに、想像の中の白瀬君はそれでいいとでも言いたげに、僕に向かって微笑んだ。


 意識が、覚醒する。


 左足のインエッジで後ろ向きに入り、右足を振り上げる。力強く踏み切ると、身体は空中で反時計回りにぐるりと四回転した。そして着地してすぐに流れるように三回転トウループ。


(出来た!)


 久しぶりにクリーンに降りられて、もう自分の体じゃないようだった。

 ああ、音楽が聞こえる。あの懐かしい僕のSPの曲だ。

 僕はその音楽を愛しむように滑り続ける。

 満員の観客の喝采が心地よく耳に響いた。


 もう、僕の中に白瀬君の影はどこにもなかった。

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