第10話 激昂

「い、一日で三十万もゲット!」


 あれからすぐにVRAB内の酒場の掲示板でマネーマッチの対戦相手の募集を始めたが、すぐに人が殺到した。嬉しい悲鳴を上げながらも、身元のしっかりして優しそうな人を選んで契約成立。


 僕のリンクでは狭すぎるので、対戦相手のエリアに行ってバトルして余裕で勝った。一日で三人とバトルして三十万円。ボロい商売である。


(でも、このままだと三千万円集めるのに、三ヶ月以上かかるんだよな)


 リンクサイドでクールダウンのストレッチをしながら、うんうんと唸る。

 僕の体力的に一日で出来るバトルは三回が限度だ。もっと効率のいい方法を考えなければいけないかもしれない。


 よし、今日はもう上がろうかと、マイメニューを開いてログアウトしようとした時、ビービーと警報が鳴った。

 目を見開いて飛んできた通知に目を凝らす。


『侵攻者です! 洞窟のトラップエリアが突破されました! もうすぐ最深部のリンクに到達します!』


(えっ、なにこれ! 僕どうしたらいいの!?)


 あわあわしていると、カツンと誰かの足音がリンクの出入り口に響いた。飛び上がってそちらに目をやる。

 そこにはボロボロに疲れ切ったガレオンがいた。


「てめぇ、何考えてやがる!」

「なっ、ガレオン? どうやってここに?」


 驚く僕に対してガレオンが吠える。


「トラップの山を越えてきたんだよ! なんだあの鬼畜トラップ! グラビティLv.5が掛かったまま、針の穴を通すような滑走をしないと一発アウトだと!? 飛べねぇし一瞬たりとも休めねぇし、殺す気か!?」

「生きてるじゃないですか」

「今ここにいるのは百回死んだ後の俺だ!」


 その勢いに呑まれて、思わず一歩引いた。


「は、はぁ。そうですか。お疲れさまです……?」

(なんでこの人ここに来たんだろ? 暇なの?)


 口には出さなかったが、きょとんとした僕の顔から内心を読み取ったのだろう。彼は猛り立った。


「ちっがう! 俺はお前に言いたいことがあって来たんだ!」

「はぁ?」


 ガレオンはずかずかと歩み寄ると、僕のパーカーの胸元に掴みかかった。持ち上げられて、身体が浮く。


「っ――!?」


 状況に付いていけず、ぱちぱちと瞬きをする僕に顔を近づけて、彼は怒りのこもった声で静かに問いかける。


「てめぇ、金取って日本チャンピオンの看板賭けてバトルをしてるんだってな?」

「な、なんですか? 規約には反してないですよ。僕熟読しましたもん」


 言い訳じみた僕の言葉をガレオンは一喝した。


「ルールはこの際どうでもいい。俺が言いたいのは、俺たちの誇りを賭けるなってことだ!」

「誇り……?」


 予想外の言葉に、ただ繰り返すことしかできない。

 ガレオンはますます殺気立った。


「そうだ! 初代から俺たち歴代のチャンピオンは誇りを持って強さを証明し続けてきた! その証を、チャンプの称号を餌にして金を集めるなんざ……!」


 そこから先は感情が溢れて言葉にならなかったのだろう。ただ強く噛みしめすぎた唇から血がぱたぱたと僕の顔に滴り落ちて、それがガレオンの怒りをはっきりと伝えていた。


「が、ガレオン……」


 眉を八の字にする僕を見て、彼は吐息を震わせた。

 急に手を離されて、どさりと床に尻もちをつく。


「くそっ、俺がチャンピオンの座を託したのがこんな奴だなんて。師匠に、歴代チャンプに申し訳が立たねぇよ……」


 そう言ってガレオンは、唇の血をごしごしと拭った。


「何のスポーツをしてるのかは知らないが、お前、リアルでは名のある選手なんだろ? もしお前のスポーツのチャンピオンが、金でその名誉を取引してたらどう思う?」


 その言葉に脳裏をよぎったのは白瀬君だった。僕は弾けるように言い返した。


「白瀬君はそんなことしない! 彼は高潔な日本王者で。……ッ」


 見下ろすガレオンと目が合う。ガレオンは激昂していると思っていたが、彼の目ははっきりと悲しみをたたえていた。

 痛みに胸が引き絞られる。口を突いたのは謝罪の言葉だった。


「ごめんなさい、ガレオン」


 ガレオンはため息を吐いた。


「わかってくれたかよ。俺だって、お前を単なる金の亡者だなんて思いたくねぇ。なぁ、なんか理由があるんだろ?」


 僕は言いよどんだ。


「あるって言ってくれよ。そうじゃないとホントのゲス野郎としてお前をぶん殴らないといけなくなる。自分の今の立場を投げうってもだ」


 殴られても仕方ないことを僕はしたが、それじゃますますガレオンは悲しむだろう。僕は神妙に口を開いた。


「お金が必要なんです。僕がリアルの競技を続けるために」


 思ったよりも優しい声で彼は応じる。


「そうかよ。賞金じゃ足りなかったんだな。いくら必要なんだ?」


「……あと三千万円です」


 ぴしりと、ガレオンの動きが止まった。


「何のスポーツだよ!? F1か!?」


 激しいツッコミに思わず怯む。

「ううう……」


 彼は慌てて謝ってきた。


「わりぃ、リアルの詮索はマナー違反だったな」

「い、いえ。気にしないでください」


 僕ののっぴきならない理由がわかってもらえたのなら十分だ。ガレオンが悲しむから日本チャンプの称号を賭けるのはやめるけど、ただのマネーマッチなら大丈夫だろうか。

 僕はなにやら考え込んでいる彼を上目遣いで見上げた。


 ガレオンは覚悟を決めた目でこんなことを言い出した。


「わかった。俺がお前に一千万円寄付する。だから、もうマネーマッチはやめろよ」

「え、ええええええ!?」


 僕の叫び声がリンクに木霊する。ガレオンは怯んだ。


「な、なんだよ。それでも足りないのは承知してる。でもお前のマネーマッチのレートの百倍だぞ」


 違う、僕が驚いてるのはそっちじゃない!


「い、いや、こちらとしては願ってもないですけど。いいんですか!?」


 食いつく僕に、ガレオンは呆れ顔だ。


「あのな、俺が大会で何度優勝したと思ってるんだよ。一千万円くらいなら、まだ許容範囲だ」


 自分でもわかる。僕の目は輝いていた。


「遠慮なんかしませんからね。ありがとうございます! やったー!」


 座り込んだまま僕はガッツポーズした両手を天井に向けて突き上げた。

 彼は呆れていた。


「話は最後まで聴け。あと一つ条件がある」

「えっ。な、何でしょう」


 高揚から一転、ビクビクと震える僕に、ガレオンは手を差し伸べた。


「俺がお前を鍛える。世界選手権は五月だ。時間がない」

「……いや、僕は」


 その手を取るのをためらう。なんならウウウと唸り声まで上げた。


「なんでそんなに嫌そうな顔するんだよ。まさか大会出ないとか言わねぇよな。日本代表になっておいて」


 僕は顔を逸らした。バトルの特訓より、スポンサー探しとスケートの練習をしたかったからだ。特にスポンサー探しは急務! シーズンそのものが危ぶまれるのは避けたい。


 ガレオンは、はぁ~と特大のため息を吐いた後、厳かにこう言った。


「わかった。いいか、世界選手権の優勝賞金だが、大体一億円だ」


 僕は彼の手を両手で握りしめて、ぶんぶんと振った。


「やります! バリバリ鍛えてください!」


 一億円ときたら、二年分のシーズンの費用に充ててもまだお釣りがくる! スポンサー探しをしなくてもいいんだ!


 わーいわーいとあからさまに喜ぶ僕を見て、ガレオンは呆れて笑った。


「お前の扱い方がわかってきたよ。あと敬語は使わなくていい。むず痒いしな」


 僕はびしっとサムズアップしてこう言った。


「わかったよ、ガッちゃん!」

「誰がガッちゃんだ!」


 こうして、僕はガレオンと共にVRAB世界選手権に挑むことになったのである。

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