第11話 引導と謎のロシア人
と思ったら、そうは問屋が卸さなかった。
翌日。
まず、マネーマッチの対戦相手に全額返金しに行き、その後ネット記事用に炎上事件の詳細(つまりは謝罪)インタビューを受けさせられた。
初めて入るガレオンのお城の応接間はあまりにも威容に満ちていて、ガチガチに緊張しながら一生懸命説明する。
「そういうわけで、お金は返しましたし、ガレオンにも謝罪しました。この度はお騒がせして誠に申し訳ありませんでした」
ガレオンも頷いて、言葉を添えた。
「この通り俺がこいつの後見役に納まりますので、もう問題は起こさせません。安心してください」
インタビュアーの女性はにっこり笑って頷いた。
「ありがとうございました。インタビューは以上です。記事を作ったらメールでお送りしますので、ご確認ください。その後ネットにアップします」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
インタビュー慣れしたガレオンがそつなくお礼を言う。僕も慌てて追従した。
「よ、よろしくお願いします」
女性は僕たちを微笑ましそうに見て、「ええ、こちらこそありがとうございました」と頭を下げた。
――――
二人で僕のリンクに戻ってきた。
「なんというか、マメだね……」
リンクサイドのフェンスに寄りかかり、ぐったりとため息を吐く。
「炎上は燃え始めの対応が肝心なんだ。覚えとけよ」
やけに含蓄のある言葉に、ガレオンも炎上したことがあるんだろうかと疑問に思う。だけど、聞かぬが華だろう。
彼はぐーっと背伸びして、肩を鳴らした。
「さて、バリバリしごくか。今日は弾の躱し方な。自機狙い弾と固定弾とばら撒き弾の違いを知ってるか?」
「もちろん知りません!」
元気よく答えると、ガレオンは「だと思った」としょうがなさそうに笑った。
「まず、自機狙い弾には二種類あって」
と、ガレオンは目の高さにぽんぽんぽんと点のような弾幕を置いた。そこから少し離れたところに、アルイと書かれた点。これが僕みたいだ。
わくわくと続きの説明を待っていたが、彼は急に眉をしかめた。
「わりぃ、師匠からメールだ。見ていいか?」
「あ、うん」
ガレオンは宙をなぞってウィンドウを出現させるとメールを読み始めた。師匠って誰だろう。
彼の眉間にはどんどん皺が寄ってきて、最後には深くため息を吐いた。
「俺の師匠、お前には解説のジンって言った方がわかるか、あの人がな、『明日の手術が不安だから一緒に呑もうぜー。ちょっと大事な話もしたいしよー』だとよ。不安感じるってタマかよ」
呆れた口調だけど、目には心配って文字が透けて見える。僕もつられて心配になってきた。
「ジンさんどこか悪いの?」
「太ももから先を事故で失くしたんだ。多分それ関係の手術だと思うけど、詳しくは教えてもらってない」
僕は慌てた。
「だ、大事故じゃないか! そりゃ不安にもなるよ。僕のことはいいから、すぐに行ってあげて!」
「いや、事故って言っても昨日今日の話じゃないから大丈夫なんだろうけど。……そうだな、行ってくる」
ありがとな。とガレオンは小さく笑って、すぐに転送していった。
そういえば手術なのにお酒呑んで大丈夫なのかと一瞬思ったが、ここはVRの世界だ。呑んだつもりでもアルコールは一滴たりとも体に入らない。
なら大丈夫か、と僕は無意識に緊張していた肩から力を抜いた。
もうガレオンは戻ってこないかもしれないから、自主練でもしようかと、リンクサイドでストレッチを始めかけた時――。
警報が響いた。
目を見開いて飛んできた通知に目を凝らす。
『侵攻者です! 洞窟のトラップエリアが突破されました! もうすぐ最深部のリンクに到達します!』
(やだ、ガレオンの時と同じだ!)
でもガレオンには、リンクのパスを渡してある。わざわざトラップエリアを通過してくるわけがない。
だから今から来るのは全く知らない人だ。
はらはらとリンクの出入り口を見つめる。カツン、と誰かの足音が聞こえた。
現れたのは背の高く、彫りの深い顔立ちの男性だ。蒼い瞳に冬枯れの芝のような色の短髪。
『こんにちは、アルイさんですね?』
と、翻訳された抑揚のない男性の声が響く。チャットログで名前と翻訳前の言語を確認した。
(名前はセルゲイ。ロシア語だ)
しかし僕が驚いたのはそこじゃない。以前トラップエリアを潜り抜けたガレオンはあんなにボロボロだったのに、彼は全くの無傷だった。
「と、トラップエリアは?」
セルゲイはゆっくりと首を振った。
『僕は素人じゃない。あんな子供だましが通用するとは思わないことです』
抑揚のない声で恐ろしいことを言われ、ぞわりと背筋が泡立つ。
「き、君は一体……」
『あなたのファンですよ。少し話したいことがあって来ました』
「僕に話?」
彼は淡々と話し始めた。
『あなたはなぜVRABの世界選手権に出場するんですか?』
「なぜって……なんで君に言わなきゃいけないんだ」
呑まれない様に強気に言い返す。セルゲイは揺らがなかった。
『じゃあ僕が代わりに言ってあげますよ。あなたはフィギュアスケートの大会に参加するためにお金がいる。そのお金をゲームの世界選手権の賞金で賄おうとしている。……そうでしょう?』
目を見開く。なんでそれを知っているんだ!?
彼は鼻で笑う。
『馬鹿な人だ』
カッと頭に血が上った。
「な、なんだと!?」
『来シーズンもまた全日本選手権のような無様を晒しに来るんですか? 白瀬に勝つ気もないくせに』
なじるような言葉に、スポンサーから言われた言葉がフラッシュバックした。
《井浦君からどんなに追い詰められていても、ナンバーワンに食らいつくという覇気が消えている》
僕は幻想を振り切り、大声で反論した。
「そ、そんなことない! ぼ、僕は白瀬君に勝つつもりで今まで頑張って……!」
彼は明確にため息を吐いた。
『はっきり言ってやりましょうか。あなたは心が折れている。それをどうにかしない限り、また無様を繰り返すだけだ』
ギリギリと心が痛む。それを悟られない様に僕は奥歯を噛みしめた。
「僕にどうしろって言うんだ」
セルゲイは僕の言葉に納得したように頷いた。
『なるほど。まだあなたの答えは出てないんですね』
ぎっと睨みつける。図星だと言ってるようなものだ。
『じゃあ僕自ら引導を渡してやりますよ。その方があなたも幸せでしょう』
そう言うと、彼はにっこり笑った。
「えっ?」
どういう意味か聞き返そうとしたとき、――転送音がした。ガレオンが帰ってきたのだ。
「おい、アル! 先手を打たれた!」
青ざめた顔でそう言ったかと思えば、ガレオンはセルゲイの存在に気付いて彼を睨みつけた。
「……、お前誰だ?」
セルゲイは微かに苦笑してみせた。
『アルイ選手のファンですよ。そして貴方が持ってきた凶報の関係者でもある』
「てめぇ、それは一体どういう……!」
まなじりを吊り上げ食って掛かるガレオン。セルゲイはそれを相手にせず、優雅に一礼した。
『それでは、さようなら。井浦先輩と元日本チャンピオン』
「待て!」
シュンと転送音を立てて、セルゲイが消える。
「くそっ」
ガレオンは歯噛みして、悪態をついた。
彼の常ならざる焦燥ぶりにとんでもないことが起きていると悟る。僕は慌てて問いかけた。
「な、何があったの? 凶報って?」
ガレオンはやっと僕に向き直った。
「あ、ああ。いいか落ち着いて聞けよ。……お前のリアルの正体がバレた」
絶句。思ってもみない言葉に開いた口がふさがらない。
「これだ」
彼はウィンドウでネット記事を開いて、僕に見せてくれた。
『無敵の初心者アバターの正体はフィギュアスケーター!?』
記事を要約すると、次のようになる。
『アルイ選手の地上戦の滑走はフィギュアスケートのスケーティングそのままである。現役トップスケーターの白瀬選手の実演と解説により、その滑走やジャンプ、ステップ等の癖からアルイ選手は現役フィギュアスケーターの井浦俊樹選手ではないかと推測される』
『もしそうなら、アルイ選手が行った、チャンピオンの称号を賭けたマネーマッチは、歴代の王者の誇りを踏みにじる行為である。金に汚く、スポーツマンシップに反する彼の性根が垣間見える行いだが、日本フィギュアスケート協会はアルイ選手の正体を知っていてそれを黙認しているのだろうか?』
推測の言葉を使っているが、九割がた断定口調である。
文責はジン。元世界チャンピオン、現・解説者。
ざっと顔から血の気が引いていく。ガレオンは険しい顔で口を開いた。
「師匠、これをわざわざ俺の目の前でネットにアップしやがった」
「ど、どうしようガレオン」
「その反応だと、この記事で推測されているお前の正体は当たってるんだな?」
「うん……」
彼は派手に舌打ちした。
「くっそ、師匠何考えてるんだ!? ゲームのいざこざでリアルを吊し上げるなんて禁忌にもほどがあるだろ!?」
僕だって衝撃で頭が真っ白だ。
「ぼ、僕も、白瀬君の考えてることがわかんないよ。軽蔑されてるのは知ってたけど、まさか糾弾されるまで憎まれてたなんて……」
うなだれる僕の手元の記事をガレオンはのぞき込んだ。
「ああ、もう相当拡散されて炎上してやがる。師匠は解説で実績積み上げてるから、あまりにも説得力がありすぎたか」
うつむく僕の両頬が熱いもので包まれた。ガレオンの手の平だ。グイッと顔が引き上げられる。間近に真剣な彼の顔があった。
「いいか、この記事は恐らく明日のテレビで報道されるはずだ。それ位センセーショナルな記事だから」
ぎくりと身体が強張る。
「だから、俺たちは今動かなきゃいけない。選べ、認めて謝罪をするか知らんぷりするか、だ」
「それで、炎上は止まる?」
ガレオンは首を振った。
「多分無理だ。特に後者はもっと燃えるかもしれない」
「……でも動かなきゃいけないんだね」
「ああ、後手後手に回ると取り返しがつかなくなる。最悪、お前の選手生命が断たれるかもしれない」
最悪の想像にびくっと肩が跳ねた。
「そうならないために、今、決めろ」
ガレオンは容赦なく決断を迫る。僕は泣きそうな顔で答えた。
「……認めて謝るよ。スポーツマンシップに反するなんて言われたまま、知らんぷりなんてできない」
彼は頷いて、僕の顔から手を離した。
「わかった。今日受けた謝罪インタビューを早急にアップしてもらおう。次に動画だ。まず謝罪文を考えて……」
ガレオンはこの後の対応を考え始めたようだった。その姿に僕はじわじわと胸にこみ上げてくるものを感じていた。
「僕を見放さないんだね」
彼は当然のことを聞かれたように、目を瞬かせた。
「当たり前だろ、一生懸命な奴を見放すなんて俺の主義に反する」
「そっか……、ありがとう」
僕の脳裏を白瀬君がよぎる。
(白瀬君は僕が一生懸命なだけじゃ、駄目だったんだ。勝とうとしなかったから、だから僕は見捨てられた)
ぽたりと涙が流れる。ガレオンは目を見開いた。
「アル?」
「な、なんでもない!」
ぶんぶんと首を振る。
(集中しないと。ガレオンにまで見捨てられたら僕はもう立ち上がれない)
僕は気合を入れるように頬を叩いた。今後の対策を話し合おうと、口を開く。
それにしてもさっきのロシア人の正体、まさか……。
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