第7話 空中戦

『こ、これは……』

『まさか現日本チャンプをここまで追い詰めるとはなぁ。それだけアルイが地上戦で稼いだボーナスが強いってことか』


 空がぐるぐると回転する。太陽の位置は上になったり、一瞬後には下になったり目が回りそうだ。

 ガレオンと僕はお互いの後ろを取り合おうと競り合っていた。僕たちが空に描く軌道はもつれあった糸のようだ。ロール、宙返り、急加速に急降下。

 今は僕がガレオンの後ろを取って、彼を必死に追いかけていた。


 一瞬でも距離を取られたら負けだ。ガレオンに弾幕を撃たせる隙を与えてはいけない。彼の舌打ちが響いた。


 僕の伸ばした右手からは間断なく白いニードル弾が撃たれているが、ガレオンに急旋回に付いていけず命中しない。虚しく蒼穹に吸い込まれていく。


 ラジオからも実況の戸惑っている声が聞こえる。


『それにしてもアルイ選手、ガレオン選手の後ろを取っても頑なに弾幕を撃たない! ショットオンリーです』

『うーん、なんでだ。この距離なら、拡散性の弾幕を撃てばガレオンを落とせるだろうに。遊んでる……にしては余裕がねぇな。まさか弾幕を撃たないんじゃなくて、撃てないってか?』


 僕は唇を噛みしめた。


(ジンさん正解!)


 弾幕は事前に弾幕作成ソフトでプログラムを組まないと、実戦で使えるレベルにならないらしい。

(そして、僕は弾幕をプログラムしてない!)


 ましてや即興でプログラムを組めるわけもなく。

 この一ヶ月はひたすら飛ぶ練習に費やしていて、弾幕の練習はからっきしだったのだ。初心者サイトでも《弾幕ソフトの使い方は教えるので、後は自分で頑張ってくださいね》と肝心なところは教えてくれなかった。


 なんとか会得したのはショットと呼ばれるまっすぐに飛ぶ単純な弾のみ。

(でもそろそろガレオンの飛行力が尽きる頃だ。それまで粘ればチャンスがあるはず!)


 ひたすら追撃を続けていると、ふっとガレオンの身体が浮いた。そのまま太陽に吸い込まれるように急上昇していく。僕は追おうとしたが、燦然と輝く太陽に目が眩んだ。


 あれほど恐れていたガレオンとの距離が、開く。


 途端、ガレオンの周囲に魔法陣が展開する。彼がこちらを振り返り、掲げる腕ときたら、名指揮者のような力強さと威厳に満ちていた。


「いい加減堕ちろ! 《攻壁 黄長城!》」


 ガレオンの叫びと共に、その腕が振り下ろされる。

 光と共に横一直線の長大な壁に似た弾幕が展開された。慌てて距離を取るも壁は次から次へと何枚も迫ってくる。ある程度時間が経つと、壁は爆散し、小さな弾幕をまき散らした。


 泡を食って大きく避ける。避けきれなかった弾幕が身を掠めて、カリカリと音を立てた。


(くそっ。落ち着け、まだ壁のままの方が避けやすい。ここはあえて近づく!) 


 一瞬だけ息を整えると、僕は弾幕に突貫した。壁を構成する弾幕にはところどころ隙間があって、ここを通り抜ければこの弾幕も恐れるに足りないと思ったのだ。

 しかし……。


『! なんと、アルイ選手弾幕に突っ込んでいく! まさかガレオン選手の鬼畜弾幕を知らないのか!?』

『あー、これはやっちまったなぁ。ガレオンのこの弾幕はボムでパスするのがセオリーだっていうのに』


 ラジオの声に応えるようにガレオンがニヤリと笑った。嫌な予感に怯む。

 彼が横薙ぎに腕を払うと、小さな弾幕がガレオンを中心に渦巻いて発射される。その数に圧倒された。


(ッ!? 動きが速いうえに、読みづらい! 壁の隙間が小さな弾幕で埋められていく)


 僕は低速移動に切り替えて下がりながら、弾幕同士の蟻の這い出るような隙間を見つけてようやっと一つの弾幕をすり抜けた。しかし次から次へと弾幕が襲ってくる。


『アルイ選手、辛うじて躱していきます。しかし、この弾幕の真骨頂はここからです』


『そうそう、これから時間の経過と共に速度も回転方向も違うばら撒き弾が更に加わる。ちょい避けで避けられ続けるほど甘くはないってもんだ』


『元世界チャンピオンのジンさんもこの弾幕はボムでパスしてましたねえ』


 しみじみとした実況の声に、ジンさんがちえっと舌打ちした。


『意地が悪いぜ実況さん。この弾幕は強すぎるんだよ。クリアした奴なんか見たことねぇや』


『はは、貴方にそこまで言わせるんだから、アルイ選手もボムで安定でしょうね』


 笑って納得し合う二人をよそに、僕は混乱の極致だった。


(ボムって何!?)


 弾幕の研究はからっきしなんだってば! と憤ってみるもこの状況では誰にも聞こえない。

 ジンさんの言う通りに、ばら撒き弾は更に増え、弾幕を追いきれなくなってきた。隙間を見つけくぐり抜けるのもやっとだ。


(でも、まだ勝機はある! 弾幕はいつまでも続かない。こうなったらガレオンの飛行力が尽きるまで、粘ってみせる!)


 スケートで鍛えた僕の動体視力と持久力と俊敏性を舐めないでほしい!

 弾幕の間隙に身を滑らせる。上も下もなく、低速移動になったかと思えば、高速移動に切り替えて大胆に弾幕を潜り抜ける。

 時間と共にばら撒き弾は更に数を増していく。降ってくる雨を躱し続ける方がまだ易しいんじゃないだろうか。落ち着け。慌てれば撃ち落とされる。


 額から汗が滴り落ちた。

 ひっきりなしに弾幕がカリカリと身を削っていき、その度に息が止まりそうになる。

 一分、二分、……四分。


『……ありえない。アルイ選手、ガレオン選手の弾幕を未だノーミスで躱し続けています!』

『マジかよ……。普通なら耐久できる弾幕じゃねぇってのに』


 ああ、くそ。俺もアルイと戦いてぇな。と悔しそうにジンさんが呻いた。


(はっ、元世界チャンピオンにそんなこと言ってもらえるなんて、光栄、だねッ!)


 僕は弾幕を躱し続けながら、勝気に笑った。笑わないとやってられない。それぐらいキツい。集中力が針のように研ぎ澄まされていく。


 ガレオンの表情が焦りを帯びる。信じられないと、目を丸くしていた。


 彼はふらりと傾いだ。とうとう飛行力が尽きたらしい。弾幕が乱れる。道ができた。


 その隙を見逃す僕じゃない!

 自分の残りの飛行力を全てスケート靴につぎ込むと、一気に突撃した。迫る弾幕がカリカリと身を削るが、一顧だにしない。


 数秒後、僕はガレオンに肉薄していた。

 ガレオンの腹に右腕を差し向ける。ほとんど接射だ。

 彼の表情は凍りついていた。「嘘だろ……?」とその目が語っている。僕は不格好に口の端を吊り上げた。


(嘘、――じゃないよ!)


 一呼吸置いて、僕の右手からニードルショットが飛び出す。ガレオンは身をひねったが避けきれない!

 ガガガガガガ!! とショットをひたすら叩き込む。ガレオンは撃ち込まれるショットに不随意にガクガクと痙攣した。


 ショットを止めると、彼はふらりとよろめいた。空から落ちていく。


 落下しながら光に包まれて、ガレオンは――消滅した。


 しんと、世界は静まり返っていた。観客達もラジオも息を呑んで絶句している。ただ、空を飛び交うドローンの羽音だけが低く響いていた。


 はっはっはっ……と肩で息をする。心臓がせわしなく鳴っていて、心地よい汗が頬を伝い落ちた。むずむずと達成感が湧いてくる。

 我慢しきれず、僕はぐっと握りこぶしを作ると、空に向かって力強く突き上げた。

 途端にラジオも観客も息を吹き返して、歓声が世界を埋め尽くした。


『や、やりましたあああ!! アルイ選手、現日本チャンピオンのガレオン選手を破って決勝進出!!!!!』


『ああくそ、すげえバトルだった! 弾幕も使わず、ポテンシャルだけでチャンピオンを落としやがった。くそ、なんで対戦相手が俺じゃないんだ!』


 ジンさんが心底悔しそうに言うものだから、僕は思わず笑った。

 観客席からも波のような歓声が響いて、耳に心地いい。僕は汗の滲む髪を掻き上げて、安堵のため息を吐いた。


(勝てた。あのチャンピオンに……!)


 高揚感が次から次へと湧いてきて、身が震える。

 焦がれるような達成感を味わっていると、ポォンとメールが表示された。


『準決勝での勝利おめでとうございます! 次は決勝戦です。試合が開始されるまで、マイエリアでの待機が必要となります。今すぐマイエリアに戻りますか?』


 僕は震える指で『YES』を押した。歓喜が指先まで響いていた。


 身体が光に包まれる。瞬きをすると、もうすでに自分のリンクの中央に立っていた。

 急にどっと疲れが足に来て、リンクの上に大の字に寝ころんだ。


 のぼせた身には背中からひんやりと伝わる冷気が心地よい。

 リンクを照らす大きな蛍光灯に向けて手を伸ばす。光をぐっと握りしめた。


(ああ、強かったな、ガレオン……!)


 地上戦で降り注いだ弾幕。驚異の大ジャンプ。空の上での追いかけっこ。そして最強最悪の鬼畜弾幕との耐久戦。


 ぞくりとまたバトルの高揚感を思い出してきて、はぁと熱い息を漏らした。


 弾幕バトル初心者にしてはハードすぎる試合だったけど、すごく、すごく楽しかった!

 スケートを始めたばかりの頃を思い出す。あの時はなんでもできそうで、どんな相手だろうと勝てると自信満々だった。


(そうだ、スケート……)


 はっと、冷や水をぶっかけられたように我に返る。バトルの楽しさに当てられて、この大会に出場した理由が頭から飛んでいた。

 どくどくとこめかみが脈打つ。


(目的を忘れるな。これで二位以上は確定。最低でも賞金五百万円はゲットしたことになる。次のシーズンにわずかにでも望みを繋いだんだ)


 握りこんだ手の甲をそのまま額に押し付けて、嘆息する。

 叶うなら、このままお金のことを忘れてバトルの高揚感に浸っていたかった。


(でも僕の生きる世界は、フィギュアスケートの世界だから)


 僕は立ち上がると、ぐっと両足でリンクを踏みしめた。

 パシンと頬を叩いて気合を入れると、ゆっくりと滑り出す。

 氷上に描くは8の字――コンパルソリーで心を落ち着けようと試みる。


 僕の顔にはいつの間にか笑みが浮かんでいた。


 諦めの微笑みだった。

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