第3話 VRAB(ヴァーチャルリアリティエアバトル)
足はすでにスケート靴に覆われている。
僕は氷を蹴って、ゆっくりと滑り出した。
スケート靴のエッジ(刃)を使い、氷上に描くのは8の字だ。
フィギュア(図形)スケートの語源となっているコンパルソリーと呼ばれるそれは、スケートの基礎中の基礎。僕にとっては準備運動のようなものだ。心を落ち着けるのにも有効。
無心で滑っていると、焦る気持ちがゆっくりほどけていく。
そうそう、リンクのステータスも確認しなきゃ。
「うん、ちょっと体が軽いかな。重力魔法が劣化しているのかも」
空中に手をかざして、マイメニューを開く。
リンクのステータスを確認すると、バッドステータスのマークが普段の五つから四つに減っていた。
思った通りだ。
「エリア魔法、グラビティLv.5」
そう呟くと、ズンと体が重くなった。心なしかビリビリと空気が痺れている。でもこれでいつも通り。ついでにリンクの摩擦係数も弄ると、僕はまた氷上に図形を描く練習に戻った。
それにしてもこのVRゲームはとてもいい!
現実でリンクを一人で貸切ったら月に三十万円、年間では三百六十万円もかかる。
(でもこのゲームなら月額千五百円!)
滅茶苦茶お得!
このゲームをスケートの練習に使おうと思いついた自分に拍手を送りたいくらいだ。
このゲームはその名もVRAB(バーチャルリアリティエアバトル)という。
名前の通り対人戦がメインのゲーム。フライトギアと呼ばれる靴で空を飛びながら、弾幕と呼ばれる複数の弾のパターンで相手を撃ち落とす弾幕戦が有名だ。
弾幕バトルで相手の陣地を奪うエリア戦ときたら、観戦者は万人単位でいるらしい。
生の観戦チケット収入やらYouTubeに投稿されたエリア戦の広告収入やらで、VRABで一財産築いたプロプレイヤーはそこかしこに存在するとか。
(まぁ、僕はスケートの練習に使ってるだけで、エアバトルなんかしたこともないんですけどね)
このゲームのもう一つの特徴が僕にとっては大事だった。
なんと、リアルの脚力を忠実にゲームに再現できるのである。
リアルで足に装着するグリーヴの無数のセンサーのおかげだ。つまりこのゲームでは現実と遜色ないトレーニングができるのだ。
ここで幾度となく苦手なジャンプを練習したおかげで、現実ではするりと跳ぶことができたのは記憶に新しい。
ふと、意地悪い考えが頭に浮かんだ。
(いっそVRABだけでスケートの練習をしてみようか)
ふふふと笑いが漏れて思わず足が止まった。
もしそうなったら、リンク代の年額三百六十万円が丸々浮く計算だ。スケート靴も摩耗しないからスケート靴の代金の二十六万円も得をする。
振り付けもVRゲーム上で確認して、指導を受ける。海外遠征でかかる五百万円もゼロに!
むずむずと愉快な思いが胸に湧き上がってきて、ついには腹を抱えて笑いだす。リンクに笑い声が響いた。
はぁ、と涙を拭ってため息。
(まぁ、イメージトレーニングだけで勝てるほど、フィギュアスケートは甘くないんですけどね)
しょせんは皮算用だ。いつだって資金の悩みは尽きない。急激に虚しくなって、どっと疲れが湧いてきた。
(今日はもう上がろうかな)
マイメニューを開いて、ログアウトしようとしたとき……ポォンと着信音が響いた。
ぱちりと瞬きすると、視界の隅に緑のメールマークが点滅する。運営からだ。
疑問符を浮かべながら、メールを開く。文面は以下の通りだった。
『来たる二月二十九日並びに三月一日に、VRAB日本選抜大会を開催致します。選抜大会で優秀な成績を収めた選手は世界選手権に出場することができます。奮ってご応募ください。参加条件は以下の通りです。
一、エリア防衛率が八十%以上
二、……』
ぐっと胃が痛んだ。競技が違うとはいえ、リアルの日本選抜でボコボコにされた身としては、『日本選抜』の文字を見るだけでキツイ。
(そういえば、去年もこの時期に大会やってたな……)
興味がなかったので忘れてた。
惰性でメールをスクロールしていくと、とある項目に目が吸い寄せられた。
『賞金
優勝 一千万円
二位 五百万円
三位 三百万円』
驚きのあまり「はぁっ!?」 と間抜けにも大声が出た。
(今のゲームってこんなに賞金がもらえるの!?)
もしも、もしもだ。優勝できれば、来シーズンに必要な資金の四分の一が賄える。
残りの資金はスポンサーに融通してもらわなければいけないからスポンサー探しは必須だが、それでも提示金額が下がればスポンサー要請に頷いてくれる企業もいるかもしれない。
僕は目の色を変えて、参加条件を熟読した。心はすっかり日本選抜大会に奪われていた。
(エリア防衛率ってなんだ!?)
どうやらエアバトルの専門用語らしいけど、ちんぷんかんぷんだ。こちとら、このゲームはスケートの練習にしか使ってないんだぞ。
理不尽な怒りを感じながらマイメニューのヘルプページを読み漁る。
様々なアチーブメントが並ぶ中、下の方にエリア防衛率の説明を見つけた。
『エリア防衛率とは、敵プレイヤー侵攻時に防衛できたあなたのエリアの割合です。敵にエリアが奪取されると防衛率は低下します』
そして、僕のエリアの防衛率も表示されていた。
『あなたのエリアの防衛率は百%です』
(……うん、まぁそうだろうね)
僕は狐につままれた気分だった。
エリア防衛率百%もさもありなん。だって、このリンクに侵攻してきたプレイヤーは一人もいないのだから。だって侵攻する理由がない。
エリア戦を行うには広大なエリアが必要だといわれている。
複数人での弾幕の撃ち合いともなれば弾幕が空を埋め尽くすため、生半可な大きさのエリアでは弾幕を避けることができなくなってしまう。
翻って僕のエリアは、リンクまでの道中(長ーい洞窟)を除けば六十メートル×三十メートルのリンクがポツンと一つだけ。観客席もないし、エリア戦を行うには狭すぎる。
それにエリア戦はお互いのエリアを賭けて戦うが、猫の額のような僕のエリアのために自分のエリアを賭けるにはリターンが少ない。
まぁ、これでもエリア戦を仕掛けられるのが怖くて、このリンクまでの道中の洞窟にしこたまトラップを仕掛けたのだ。ひやかしで何百人かは挑戦してきたみたいだが、このリンクにたどり着けた人は一人もいない。
初心者の僕が自力でクリアできる程度のトラップだから、そんなに難しくないと思うんだけど……。
僕のエリアは初心者フィールドにあるから挑戦者も初心者なのかもしれない。
(おかげで、日本選抜大会の出場条件は満たせるみたいだから、いいんだけどね!)
いつの間にかすっかり参加する気になっている僕だった。それだけ一千万円は魅力的に過ぎた。ま、まぁ挑戦するだけならデメリットはないし。
メールを最後まで読んだが、他の参加条件もクリアできそうだ。
(よし、や、やるぞ!)
震える手でエントリーボタンを押す。混乱のあまりおめめはぐるぐるだ。
カチッと軽い手ごたえの後、なぜかファンファーレが鳴った。
驚いて目を丸くしていると、新たなメールウィンドウが開く。
『おめでとうございます。あなたは全選手中、唯一のエリア防衛率百%です。この功績により予選が免除され、本選からの出場が認められました』
僕は目を瞬かせた。
(ら、ラッキー。……なのか?)
喜びより困惑することしきりだった。
僕は本当に追い詰められていた。やったことのない弾幕バトルの大会に初見で参加しようとするくらいには。
VRAB日本選抜大会。一体、どんな試合になるんだろう……。
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