第2話 さよならスポンサー

 全日本選手権が終わって三日後の夜だった。

 自宅でYouTubeを使い曲探しをしているとき、その電話は掛かってきた。スポンサーの××製紙からだ。


「す、すみません。今、何と?」


 あまりにも衝撃的なことを言われたたので、僕は自分の耳を信じられず聞き返した。

 電話相手の女性は、申し訳なさそうにこう言った。


「うん、もう一度言うね俊樹君。来月末で弊社は俊樹君のスポンサーから撤退することにしました。これは決定事項で、もうプレスリリースの準備もできているの」

「そ、そんな……」


 ざっと血の気が引いた。わざわざ決定事項と明言するからには、もうひっくり返る見込みはないってことだ。

 震える声で理由を問う。


「ぼ、僕の成績が不振だからですか?」


 女性は少し沈黙して、肯定した。


「表向きの理由はそう。俊樹君、B級大会から調子が悪そうだったし」

「表向き……?」


 うん……と彼女は少し言いよどんだ。


「会長はもっとはっきり言ってた。『井浦君からどんなに追い詰められていても、ナンバーワンに食らいつくという覇気が消えている』」


 ひゅっと、喉が鳴った。スマホを握りしめる手が震えて、ギリリと軋む。女性は悔しそうに続けた。


「『惰性で戦うなら、スポンサーを続ける意味がない』って……」


 その言葉に鼻の奥がツンと痛んだ。

(見抜かれていた)

 自分のふがいなさを見通された羞恥と自分に対する怒りで、涙が出そうだ。女性は辛そうに声を落とした。


「ごめんね、俊樹君。会長を説得できなくて……」


「いいえ、僕の力不足です。貴女にはたくさんお世話になりました」


 お互い謝罪を交わす。僕は恩知らずにも、今すぐに電話を切りたくなった。整理する時間が欲しい。


「その、今度今までの御礼を言いに会社にお伺いしてもいいですか?」

「ええ、スケジュール合わせはメールのやり取りでいいかしら」

「わかりました。メールをお送りします。……今までありがとうございました」


 ずっ、と電話向こうから鼻をすする音がした。そして涙声。


「こちらこそ、俊樹君の力になれて光栄でした」


 だめだ、僕まで声が震える。せめてもの意地で、泣きたくはなかった。


「ええ、それでは失礼します」


 電話を切ろうとしたとき、彼女の縋るような声が響いた。


「俊樹君。スケート、やめないでね」


 それきりスマホは沈黙した。僕は脱力して、天井を仰ぐ。重々しいため息が止まらない。


「続けようにも、お金と心が限界なんですよ……」


 僕は震える手で机の引き出しを開けて、通帳を取り出した。ペラリとめくると残高は百万円。

 普通なら二十三歳で百万円も溜められれば上出来だろう。アイスショーの出演料が僕を助けてくれた。

 しかし、フィギュアスケート選手のワンシーズンを支えるには、文字通りはした金にしかならない。

 四千万円。シーズンを不足なく戦い抜くにはそれぐらい必要だ。

 これまではスポンサーに頼り切りだったが、その唯一のスポンサーにたった今切られた。

 奥歯を砕けそうなほど噛みしめる。

(まだだ。ここで諦めるわけにはいかない!)

 僕は鞄から手帳を取り出すと、猛然と会社のピックアップを始めた。


 ――――

 一週間後、結果は惨敗だった。自室の机に突っ伏して、ふがいなさに唸る。

 フィギュアスケートに理解ある会社は、当然僕の昨今の成績を知っていて、やんわりと断られた。

 毎年四千万円も投入するなら勝てる選手を選びたいというわけだ。さもありなん。

 自棄になって手あたり次第の大企業にも営業を掛けてみたが、『フィギュアスケートってどんなスポーツですか?』と首を傾げられて撃沈した。

 仮にうまく説明し、興味を引けても、『必要な支援金は四千万円です』と言うと絶句される。

 そう、想像以上にお金のかかるスポーツなのだ。

 それにしてもいい加減八方塞がりだった。今は一月上旬。五月のシーズンオフが終わるまでにどうにかしないと。

 僕はふぅとため息を吐いた。焦っても仕方ないとわかっている。でも心のもやもやが晴れないのだ。


(こういう時は練習しよ……)


 すでに夜十時を回った。リンクも閉まっている時間だが、できる練習があるのだ。

 着るのは練習着じゃなくて、パジャマだけど。

 寝る準備をした後、ベッドヘッドの棚で充電していた『イメージギア』を頭に被る。

 そしてパジャマの上から、足首から太ももまで覆う、筒状でメカニカルな『センサーグリーヴ』を足に装着した。これで準備完了。

 ベッドに横たわり目を閉じると、眠りに落ちるように仮想世界にダイブする。


 再び目を開けた時には、僕は銀色のリンクに立っていた。

 フィギュアスケートの国際規格に合致する六十メートル×三十メートルの静寂な世界。

 煌々とリンクに反射する蛍光灯の光。

 頬を撫でる冷気。

 ここは僕だけのリンクだ。


 ――ただしVRゲームの中の、だけど。

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