【2】

 面談は続いている。かなめ先生が、模試の成績表に書かれた数字は受験直前の時期には大した意味がないこと、それよりも志望校ごとの過去問研究が大切であること、受験生の学力は本番までにまだまだ伸びる可能性があることなどを具体的な根拠や実例を交えて、ママに説明している。ただ、この人はわかってない。うちのママは、安心できる根拠が無いから不安なのではないんだ。不安でいたいから不安になっているのだ。娘の受験について心配することが、母親としての務めだと思っているような節がある。

 「でも、やっぱり、合格率30%っていうのがどうしても心配で」

  かなめ先生は、私にだけわかる程度に小さく肩を竦ませて、

 「それでは、2月3日の午前、S中の他に、もう1校滑り止めの学校に出願しておくということでいかがでしょう?1日か2日でM中かR中の合格が取れていれば、3日はS中にチャレンジする、ということで」

 と提案した。ママが何か言おうとする前に、かなめ先生が続ける。

 「同じ日程で2つの学校に出願するというのも経済的には大変だとも思うんですけど、それでも友希さんは今日までS中を目指して頑張ってきたわけですから、挑戦できる可能性は残しておきたいんです。友希さんはどう?」

 なおも何かを言おうとするママを無視して、かなめ先生が私に聞く。

 「それでいい」

 私は短く答える。途中からやってきた塾長に、かなめ先生が面談の経緯を簡単に伝えて、ようやく話がまとまった。滑り止めとして別な中学にも出願するということにはなったけど、私はそこを受験する気はなかった。

 中学校なんてどうでもいいんだ。

 どだい、私は中学受験なんかするほどに頭が良いわけでも、勉強が好きなわけでもない。塾に通うようになって成績が上がって、本来だったら絶対に縁のなかったであろう学校に分不相応な憧れを持ってしまって、かなめ先生がそれを本気にしてしまったというだけの話だ。私より本気になってしまったかなめ先生に感化されて、私までちょっとだけ本気になってしまっただけだ。


 かなめ先生は、今日まで一度も、私がなぜ学校に行かなくなったのかを聞いたことがない。私たちは3年弱、交換日記に色々なことを書いたけど、一番の問題(と思われること)について語り合ったことが一度もないというのは考えてみれば不思議な話だ。でも、私たちにとってはそれがとても自然だった。お互いそこに触れるのをつとめて避けているというふうでもなく、触れる必要がなくなったから触れていない。

 私も、自分がなぜ学校に行かなくなったかにあまり興味がなくなっていた。私とかなめ先生にとって、それはもう大事なことではなかった。


 かなめ先生は、私が受験する可能性のある中学校の過去問を全教科解いて、私の模試の結果を読み込んで、2月までの学習計画を作り上げていた。今更志望校を下げるなんてできるわけがない。


 S中は受験する。「やれることをやろう」とかなめ先生は言った。それがそのときの私の全てだった。


 クリスマスが終わって、年が明けたわけでもないのになぜか街はすっかり正月ムードに入っている。私は、年末年始の街の雰囲気が嫌いだ。誰も彼もわけもなく浮かれていて、何だか気持ちが落ちつかないんだ。去年のこの時期の日記に、そういうことを書いたとき、そのときはかなめ先生が珍しく「すごくよく分かる!」と同意してくれた。それからしばらく、私たちの日記は年末年始の街のざわめきやテレビの気抜けした雰囲気がいかに苦痛に満ちているかについての話題が続いた。不思議なことに、その不快感の正体を言い尽くしたと思える頃には、私はそれを好きにはなれないにしても、苛々に悩まされることはなくなっていた。


 「友希さんは、今、何を考えてるの?」


 かなめ先生の素朴すぎる問いかけから始まった私たちの日記は、私の机の引き出しにしまってある。結局のところ、私が何を考えていたのか、私はそれをうまく答えられているのかよくわからない。自分が思ったこと、感じたことを書こうとした。書こうとすればするほど、言葉が私の手からこぼれ落ちていくようだった。それでも、私がかなめ先生の問いかけに答えようとするなら、最後の最後は言葉ではなく行動で応じるしかないような気がする。私は、かなめ先生に応えてみせたかった。


 2月1日も2月2日も、1校も合格を取れなかったというのは想定外だった。私は、私が思ってた以上に本番に弱いらしい。そんなことを日記に書こうと思って、もう交換日記は終わっているのだということを思い出す。

 さすがに迷った。ママも塾長も、抑えで出願してる滑り止めの学校を受けるように言ってきた。当然といえば当然だけど、そもそもそこの学校なら受かるという保証もないではないか。私はかなめ先生に何か言って欲しくて、何度もかなめ先生に目線を送ったけど、かなめ先生は今にも泣きそうな顔で唇を噛み締めて俯いている。先生がそんなんでどうする、とでも言ってやりたかったけど、でもこれは結局のところ私の問題だから、私が決めるしかないのかもしれない。私の決めたことであれば、かなめ先生はきっと納得してくれるし、私の決めたことを受け入れてくれるだろう。


 そう思って私は、S中を受験して、落ちた。

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