第31話 ホカホカと二人きりの夜は更けてゆく

「色々と大変だったな」

「そうよね。来夢は色々な事がありすぎて、混乱してるでしょう」

「いくら考えても、分からなくなってしまうよ」

「考えすぎないほうがいいのかもね、こんな時は。心の中を無にするのも、いい方法かもしれない」

「どうやって無にするんだろう」

「まずは美味しいお茶を淹れましょ」


 すっと立ち上がってお湯を沸かす。こんな時の野乃香は、姉のようにも見える。電気ポットのお湯を湯のみ茶碗に注ぐと、湯気が立ち昇ってみているだけでほっとしてきた。少し茶碗を温めてから、茶葉の入った急須にその湯を注ぎ、静かに茶葉が開くのを待つ。意外と手際がいい。


「ふ~っ、こういう時間ってホッとするなあ。う~ん、お茶のいい香りがしてきた」

「そうでしょ。そして、茶葉が開いてきたら、茶碗にお茶を注ぎます。さあ、どうでしょうか、来夢さん」

「う~ん、いい香りだなあ。ふ~っ、いい色だな」

「さあどうぞ」

「おお、味がよく出てるなあ」

「少し冷ましてお茶を淹れると美味しいんですよ。うん、私もひと口。ふ~っ、いい香り。それに美味しいわねえ」

「なんだか、俺たちお爺さんとお婆さんみたいな会話してない?」

「そんなことない。れっきとした若者の会話」

「味に深みがあるし、のど越しがいいねえ」

「やっぱりおじさんみたい。のど越しって、お酒みたいだし。心が少し休まってきたわよね」

「そうだな」


 湯飲み茶わんを両手で包み、手を温めてみる。するとさらに、ほっこりしてきた。そのまま目を閉じて、心の中を無にしてみよう。


「なかなか心の中を無にするのは難しいな」

「目を閉じただけじゃ、ダメなのよね。何も考えないで、ただ呼吸だけを静かに繰り返すのよ」

「それが瞑想の仕方なの? では、何も考えないで……」

「その調子……」

「黙ってて……今瞑想中……」

「……お茶が、美味しいな」

「……」


 その間、来夢はじっと目を閉じ体の動きを止めた。野乃香はお茶をすすっていた。全く眼を開けようとしないので、野乃香は、来夢の顔をじっと観察した。


(わあ、結構まつげが長いのねえ。こんなにじっと顔を見たことなかったけど、目の横にほくろがある。鼻はすっと伸びてかっこいいけど、唇がちょっと丸っこいわね。芸能人だと誰に似てるんだろう)


 瞑想している来夢の顔を、野乃香の方はじっと見て観察を続けていた。いつまで見ていても見飽きることはない。どこが魅力か、と問われてもはっきりと答えることは難しいが、一言でいえば雰囲気が素敵なのだろう。確かに顔のパーツは整っているが、それだけでは魅力的とは言えない。


(こんなに観られてると思ってないよね、来夢。ふ~む、こんなに近くで顔を見ていられるなんて、素敵だわ。いつまで瞑想してるのかな。一時間ぐらい目を開けないのかしら。ちょっと後ろへ回ってみてみよう)


 肘をついたり、テーブルに突っ伏したり、立ち上がってすぐ近くまで行って後ろに回り込んだり、あらゆる角度から来夢の姿を観察した。その間も、全く来夢は動かない。これはいい光景だわ。まだ瞑想していてもらおう。周囲を一周して、再びテーブルに戻り観察を続ける。


「……あれ!」

「ふ~っ」

「瞑想は……終わったの」

「まあね」

「だいぶ目を閉じていたよね」

「そうだね、心の中がだいぶ空っぽになってきた」

「心が軽くなったでしょ?」

「いくらかは……」

「よかったわ」

「……あのさ……」


 再び目を閉じて、す~ッと目を細めている。目を閉じているようにもみえるが、ほんの少しだけ開けてこちらを見ているようにも見える。


「あら、あら、目を閉じているのか、明けているのか……どっちなのかしら」

「あのさ、俺の顔をず~っと観察してたでしょう」

「へっ?」

「俺にはお見通しだ」

「やだ、瞑想してたんじゃなかったの? だってずっと目を閉じて動かなかったし、呼吸もゆっくりだったし、どう見ても瞑想してたでしょ」

「空気が動いてたから、何がおきてるのかと思って心配で、薄眼を開けたら、案の定俺の顔を観察している野乃香の顔が見えた」

「は、恥ずかしい!」

「これが目的、瞑想の……」

「違いますっ! 断じて!」

「で、感想は?」

「……何の?」

「俺を観察した感想に決まってるでしょ?」

「あっ、それは勿論、魅力的で、素敵な人でした」

「他には?」

「えっと、こんなにかっこいい人を独り占めしちゃっていいのかしらとか、誰かが目を付けたらどうしようとか、色々考えてたんだけど……もう、そんなに追求しないで! ごめんなさい、瞑想してたのに!」

「ありがとう。少しは、気持ちが落ち着いたよ。じっと待つことも大切だってことにも気がついた」

「その通り。動物だって冬眠してる間は、じっとしてるんだから」

「そうだね。はい、はい。お詫びに、はい」


 もじもじと動かしていた野乃香の手を握ってみると、ずっと動かしていたせいか暖かい。その手を自分のポケットの中に突っ込んだ俺は、野乃香の手をカイロ代わりにして自分の手を温めた。太ももにまで温かさが伝わってきた。


「この手、カイロみたいだなあ」

「ああ、役に立つでしょ。便利だから、いつでも使って!」

「いいなあ」


 ポケットから手を出すと、頬に当てたりお腹に当てたりした。


「よかったね。寒い時にはカイロ代わりになるから」

「面白いこと言うな。じゃあ、観察してたお詫びにカイロにする!」


 全く、カイロ代わりだなんて自分で言うかな。まあいいか。その言葉に甘えて、体の冷えた部分に手を押しつけてカイロ代わりに温めていた。


「ふん、ふん、便利だな。この手は」

「あ~ん、いつまでカイロにしてるんですかあ。御免なさ~い」

「まだ、まだ」


 瞑想なんて、まだまだできそうもない。

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