第7話 年下同級生と友達になる
来夢は、高校入学と同時に一人暮らしを始めた。いつまでも叔父の家に居候するわけにはいかない。十八歳になり、大きな体で他人の家族といつまでも一緒に暮らすのが気詰まりになってきた。自立したいと叔父に頼み、1Kのアパートを借り、昼間はアルバイトをしながら夜は学校に通う生活が始まった。学校は五時過ぎから始まるので、昼間にバイトする時間は十分あった。来夢は、慣れた建設会社の仕事と駅近くのスーパーでのバイトを掛け持ちすることにした。そこでは、短時間の勤務が可能で、学校に通うことが可能だった。
仕事を終えた来夢は、ジーンズにトレーナー姿でリュックを背負い学校へ向かった。駅から徒歩十分ぐらいのところにある高校は、通学もしやすい場所にある。港にも近く「かもめが丘高校」というネーミングの通り、時折船の汽笛が聞こえてきた。
ブレザーを着た女子同士が挨拶している。お、あの少女がいる。誰かに話しかけられている。
「こんにちは」
「あら、野乃香。同じクラスでよかったわ」
知り合いらしいその少女は、親しみのこもった声でいった。
「あたしも。誰も知りあいがいなかったらどうしようかと思ってたの」
野乃香も話しかけられてうれしそうに微笑んでいる。
「これからも仲良くしようね。中学の時は、大人しい子だなあと思ったけど、最後はだいぶ話せるようになったもんね。せっかく友達になったのに、もうお別れなのかなと思ってたから、あんたの姿を見てほっとした」
更に野乃香の表情は明るくなり、にっこりとうなづいている。
「うん、あたしも」
「全日制の受験に失敗しちゃって、もうどうでもよくなっちゃったんだけど、野乃香と一緒だから、これからは楽しくなりそう」
ああ、あの時の小学生が、こんなに成長していて、一人前の高校生に育ったかと思うと、感慨はひとしおだ。
―――月日が経つのは早いものだ。
子供の成長を喜ぶ親のような気持でしばし二人の会話を聞いた。
―――しかし、若いなあ。それに可愛い会話だ。
すると、野乃香と話していた少女が、こちらを見た。
「あの人、野乃香の知り合い?」
「い、いいえ、別に知り合いというほどのものでは」
「でも昨日話しかけられてたよね。随分親しそうだったから、話しかけずらくなって先に帰っちゃったんだ」
「あ……あっ、そう。そうだったんだ」
「ねえ、どういう知り合いなの? かっこいい人じゃない。ねえ、ねえ、誰なの? ひょっとして彼氏?」
もう一人の少女は、興味津々で野乃香の顔を覗き込み、質問している。
「このクラスの中では、一番素敵なんじゃない。知り合いだったら……紹介してよ」
「あっ、あの人は……、ちょっと……、止めた方がいいと思うけどな」
―――野乃香は、言おうか言うまいか迷っているようだ。
―――これ以上彼女に喋らせたらろくなことを言わないかもしれない。
俺は、すっと立ち上がり、彼女たちの傍へ寄った。
「やあ、君たち、こんにちは! 俺は、明月来夢です。よろしくね」
精いっぱい爽やかに、満面の笑みを浮かべて、二人に声を掛けた。すると、野乃香の友達は、にっこり微笑んで答えた。
「こんにちは! 私、若名美留久。みるくって呼んで下さい」
「あの~、君たち、俺に敬語を使わなくてもいいよ。同級生なんだから」
美留久は赤い舌を出して、微笑んだ。
「ちょっと、年上に見えたものだから」
「まあ、実際三歳ぐらいは年上だけど、気にしないで! ここでは同級生なんだから」
この二人には、好印象を持ってもらわなきゃな。
「じゃあ、そうします。あのう、野乃香とは知り合いなんでしょう。昨日とっても仲よさそうだったから」
「まあ、ちょっとした知り合いだけど」
「やっぱりそうだったんだ」
野乃香は困ったような表情をしている。来夢は、野乃香のほうをちらち見ていった。先ほどの話を聞いていてわかったが、聞いていなかったふりをして訊いた。
「二人は?」
「中学の時の同級生。ここでは知り合いは野乃香だけ。ねえ」
「そうか。じゃあ、一緒でよかったね」
「まあね」
美留久は来夢に手を差し出してきた。
「あの、これから野乃香共々よろしくお願いしま~す!」
「こちらこそ、よろしくね」
来夢は彼女の手をしっかり握って握手した。柔らかい手の感触が伝わってきて、心が和んでいくのがわかった。これで俺の印象はぐんとよくなったはずだ。後は、野乃香の誤解を解かねば。
帰り際に野乃香に声を掛けた。
「ちょっとだけ、いいかな」
すると、気を利かせたつもりなのか、美留久はこちらを向いて挨拶した。
「あたしは先に帰るから、じゃあまた明日ね、野乃香!」
「あっ、待ってよ!」
「あたし用があるから、じゃあね」
そう言うと、ウィンクして行ってしまった。
「さて、野乃香ちゃん。今日は君の誤解を解くために、一緒に行ってもらいたいところがあるんだ。ついて来て!」
「どこへ? 変なところへは行かないわよ」
―――また、上目使いに俺を見ている。
―――まだ悪いやつだと思ってるのか。
「自転車に乗って行くんだけど、君は」
「あたしは、バスで学校に来ているから、持ってないの」
「じゃあ、歩いて行こう。それほど遠くはない」
「分かった」
時刻は九時を過ぎていた。歩道は薄暗かったが、気持ちはなぜか弾んでいた。俺は自転車を押して歩き、野乃香がすぐ隣を歩いている。
―――四年前は、彼女の身長は俺の肩よりも低かったはずだ。
―――今は……、やっぱりあまり変わらない。
―――だけど、四年の月日は短いようで長い。
俺は、しみじみといった。
「四年前もこんなことがあったんだけど……」
「その時は……」
「自転車の後ろに乗ってた。乗って行く?」
「そうしようかな」
俺は意外な返事に驚いた。断わるだろうと予想して訊いたのだ。体も大きくなっているから、体に触れるのを嫌がるかもしれないと思ったのだ。
「じゃあ、歩道をゆっくり進むから、しっかりつかまってっ! それから、横座りしないでね。不安定だから」
野乃香は、後ろの座席にすとんと飛び乗った。リュックは背負ったままだ。その座り方で、腕をしっかりと俺の腹の方に回して、ぎゅっと両手を握った。ああ、あの時と同じように俺にしっかりつかまっている。こんなふうにつかまられると、体温が伝わってくる。野々香は背中に自分の体をぴったりくっつけた。胸も俺の背中に触れている。あの時は、小さな固い二つのふくらみが、俺の骨ばった背中にすっとくっついていた。今は、ふんわりと柔らかく、温かい。
「こ、こうですね」
「さあ、出発するから、しっかりつかまってるんだよ」
自転車が動き出すと、野乃香の腕はさらに俺の腹をしっかりと掴んだ。自転車のペダルを踏むと、重量感がありなかなか前に進まない。それでも、ぐっと体重を掛けて踏み込んでいると、次第にスピードが上がってきた。
―――思った以上に体重があるんじゃないのか。
これでもか、これでもか、と踏み込むと、するすると歩道をすべるように進みだした。このくらいでちょうどいいかな、と思ったあたりで、踏み込んでいた足を緩めた。俺は後ろにも聞こえるように、少し大きめの声で言った。
「風が気持ちがいいね」
「うん、道が凸凹してて、お尻がちょっと痛いけど……いい風が吹いてるね」
後ろから聞こえてくる声は、俺の耳元で響く。それほど距離が近い。揺れる度に野乃香の体は、俺の背中にぶつかったり離れたりする。脚をぶらぶらさせているので、白く細い足が揺れている。ほんのちょっとした段差があると、ガタリと揺れて体の振動が伝わってくる。
「大丈夫?」
「まだだいぶかかるの?」
「もう少しだよ」
赤信号でストップした。すると、その勢いで彼女の顔が俺の背中にぶつかった。一体どんな顔をして乗っているのだろうか。気になって後ろを振り返ってみた。すると、頬を赤らめた野乃香と目が合った。彼女は恥ずかしそうに背中から顔を離した。
彼女が嫌がっているとばかり思っていた俺は、少々驚いた。彼女はにっこり微笑んでいたのだ。嫌がっているどころか、俺の背中に顔をくっつけて、にこにこしている。
「嫌がってるのかと思ったけど……」
「お尻は痛いけど、気分はいいよ!」
「それならよかった」
気持ちがほどけてきたのが嬉しい。
「もう少しでつく」
「じゃあ、頑張ってこいでね」
「青だ! 出発するよ!」
「う、うん。つかまってるね」
ほんの十分かそこら乗っただけなのに、野乃香はここに座っていることに慣れてきた。これから何でも一人で困難に立ち向かわなければならないと思い、氷りついた俺の心は、彼女の熱で少しづつ溶けていくような気がした。
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