第8話 無数の赤眼
アルタイル砦の呪縛を解いた翌朝、エバンらはシリウスに向かうため出発した。
オリトン城の手前にある、堅牢堅固を誇る砦──シリウス。その背には山を抱え、北側から南下していくエバンたちにとってはどうにか迂回しなければならない厄介なものだった。
「まずは川沿いのリヴァウェイって街に行こう。遠回りだけど、大きな街だから何か情報を掴めるかも」
ゼノの親戚の家でもらった地図を眺めながらエバンが言う。
「オリトン城に次ぐ大きさみたいね。誰かに聞けば道もすぐ分かりそう」
「ま、人影なんて見えねぇけどな」
ゼノが辺りを見回して肩をすくめる。
三人は来たことのない地方に戸惑っていた。地図だけでは頼りない。
今は目の前に広がる草原を進み、川沿いに歩いていくしかないのだ。
ここから距離のあるリヴァウェイまでの間には多少の村がある事だろう。エバンらはまずそれらを目指す事にした。
「魔物と兵士に気をつけて、行こう」
少年少女たちはエバンを先頭に遠い道のりを歩き始めた。
歩き通しの三人の目の前に、ようやく小さな集落が見えてきた。辺りはすっかり夕日で赤く染め上がっていた。
「よかった。とりあえず休めるぞ」
エバンはリンディを目立たせないよう心掛けた。
村の中に民宿を見つけ、親戚の家へ向かうのだ、などと適当な理由を説明して一泊する事にする。
手持ちの金は、母ミーザが用意してくれたものとゼノの親戚が持たせてくれたもので十分足りた。しかし、シリウス砦まで行く事になるとは思わなかったため慎重に使う必要がある。
「明日もこのまま川沿いに南下しよう。森の近くを通るから魔物も出るかもな…」
「だったらこいつの初めての出番だな。楽しみだぜ」
「魔物は出ないに越したことはないけれどね」
蒼槍を片手に少年らしいキラキラした笑顔のゼノをリンディがさりげなくたしなめる。
部屋で地図に頭を寄せ合いながら簡単な計画を立てた後、三人は眠りについた。
翌日はエバンの予想通り、歩く三人の目の前に魔物が姿を現し始めた。
「吠えろ、金聖!」
「走れ、蒼槍!」
エバンが金聖を振りかざすと、ゼノも負けじと蒼槍を突き立てる。魔物はあっという間に始末された。
槍を振り払って鞘に納めると、ゼノはふと思い立ってエバンを見た。
「そういえば何で『吠えろ』なんだ?」
エバンも剣をしまうと、少し恥ずかしげに答えた。
「え?あぁ……何て言うか、カイトスの見よう見まねなんだ。声を掛けた方が力が入る気がして。ゼノは何で『走れ』なんだ?」
「……別に……大して意味もないけど。な、何となくだよ!」
突き放すように言うゼノだったが、追及を逃れるように先を急いだ。その耳朶がわずかに朱に染まっている。なんの事はない、ゼノもエバンの真似をしていたのだ。
「この調子なら明後日には着くかしら」
「かもしれないな」
遠くを見つめるリンディにエバンが答える。
広い草原を歩く少年少女の姿は目立った。すれ違う人々は皆、傭兵や護衛してもらっている商人が多い。
草原を大分南下すると、そんな商人の姿が増えてきた。街が近いのだ。
「次の町を過ぎたらリヴァウェイだ」
地図を確かめたエバンの顔に笑みが浮かんだ。
時折現れる魔物も大した数はなく、手間取る事もなかった。
そしてリヴァウェイの手前にある町で一泊した翌日、三人は南下を再開した。
「はぁ……やっぱ遠いな。リヴァウェイ」
三日間歩き通しでさすがに疲れたゼノがため息混じりに言う。
「大丈夫。今日中に着けるから……多分」
エバンも疲れた顔で答えた。
「あ、見て。街らしきものが見えてきたわ」
その声に二人は弾けたようにリンディの指差す方向を見上げた。
高い建物の屋根が森の向こうからちらほら見えだしていた。
歓喜を上げようとしたその瞬間、エバンは微かな物音に気づいた。二人もそんなエバンの様子に気付き周囲を警戒する。
「……いた」
小さな声でエバンが呟く。視線の先の草むらの中に赤い光が二つ並んでいた。
剣の柄を握ると、それが飛びかかってきた。咆哮してエバンに牙を向ける。
獅子を思わせるような外見の魔物だった。
「エバン!」
リンディが悲鳴を上げた。
魔物をはねのけて振り返ると、リンディの目の前には伸ばせば人の身長をも越えそうな蛇が現れていた。その魔物の目も赤く染まっている。
「……っ!ゼノ!」
「させるかよ!」
エバンの呼びかけと同時にゼノは動いていた。
「走れ、蒼槍っ!」
ゼノは槍をおもいっきり魔物に投げつけた。槍は見事に魔物の頭を貫き、地面に縫い付ける。魔物は一瞬で絶命した。
「ありがとう……!」
安堵したリンディがまだ少し強ばった顔で言う。
ゼノは答えず、自身の槍を取りに行こうとした。
しかし、手を伸ばそうとした時、新たな魔物が姿を現した。
「なっ……!」
ゼノは思わず飛び離れた。このままでは槍の回収は叶わない。
その間に自分と対峙していた魔物を始末したエバンは、二人の前に飛び出した。
「吠えろ、金聖!」
黄金に煌めく剣が、魔物を確実に捕らえる。返す刃でもう一度切りつけると、魔物は力尽きた。
さすがに息が上がった。エバンは油断せず周囲を見渡す。
「何だ……?何でこんなに魔物が出てくるんだ?」
今までもこんな頻度で一度に魔物が出現する事はなかった。そもそも、魔物は本来群れを成すものではない。
「分からないわ。……でも、今の魔物……普通のとは違ったような」
エバンの疑問に、リンディも不安そうに答える。そして言いにくそうに続けた。
「操られていた兵士たちみたいだった……」
「どういう事だ?」
ゼノはリンディに詰め寄った。父が被害にあったため、過敏になっているらしい。
「どう説明したらいいのかしら。他人の意思で動いてるような……本人の意思が見えない……」
悩みながらリンディが答えていると、その後方から新手が現れた。
「まだいるのかっ!」
エバンは金聖を構え、赤い瞳の魔物に立ち向かった。
「しつこいぜ!」
さらに逆の方向から出てきた魔物はゼノが対峙する。
しかしそれでもまだ足りず、魔物は次々と増えてきた。一斉に無数の赤い目が三人に集中する。
「何で減らないんだ……!?」
金聖を振り回しながらエバンが絶望的な声をあげた。どう見てもあり得ない状況である。本能が危険だとひっきりなしに警鐘を鳴らしている。
「二人共、伏せて!」
突如聞こえたリンディの声にエバンは即座に従った。ゼノは理解に時間がかかり、少し遅れて目を庇った。
詠唱が終わった瞬間、眩い光が辺りに広がる。
すると、光を浴びた魔物たちは瞬間、夢から覚めたような顔をしていたが、一転何事もなかったかのように踵を返して辺りに散っていった。
「何だったんだ?」
背を向けた魔物たちを呆然と眺めながらゼノが呟く。
エバンはリンディを見た。視線を感じたリンディはしっかりと頷いてみせた。
「やっぱり魔物も操られてたみたい」
「魔物を……一体どうやって……」
想像できない事態にエバンはぞっとする。
「何らかの手段で人間も魔物も操る事ができる。……すべてシリウスがやっているのかしら」
リンディは思案しながら、魔物たちが姿を消した方向を見つめていた。
三人が安堵したのもつかの間、新たな敵が近寄ってきた。
それが灰色の兜の兵士──グレイだと気づくと、エバンはリンディを庇った。
確かにゼノの言う通り、胸元の印は大犬の横顔──シリウス隊の紋章──だった。
「おまえは、アルタイルの前で会った…」
槍を握りしめながらゼノが唸る。
「あんたがあの魔物を連れてきたのか?あれは何なんだ?」
返答は期待してなかったのだが、意外にもグレイはエバンの問いに答えた。
「シリウスの魔物だ。ボイド博士の魔物」
「ボイド……?」
さらに問い詰めようとしたが、グレイはついに剣を引き抜いた。
結果は分かっていても、立ち向かわねばならない。
リンディを守りながらエバンは金聖を握りしめた。隣には同じように蒼槍を構えたゼノがいた。
一歩踏み出すと、グレイは一気に間合いを詰めてきた。凄まじい一閃をかろうじて受け止める。
受け止められるのは承知の上だったのか、すぐさま二撃目が襲ってきた。
グレイの横からゼノが槍を繰り出し、その隙にエバンは飛び離れた。
「こいつ、あの光効かないんだよな!?」
槍を振り回しながらゼノがリンディに問いかける。
「ダメみたい。他の兵士とは何か違うのよ、この人は……」
そのリンディは青い顔をしていた。初めて遭遇した時もそんな事を言っていたな、とエバンは思い出す。
「グレイ……何者なんだ、あんたは」
エバンの呟きは本人には聞こえていないようだった。相変わらず怒濤の攻撃を仕掛けてくる。
二人掛かりでもグレイに一太刀も与えられない。
連戦のせいでさすがに疲弊したエバンがよろけそうになる。グレイはその隙を見逃さなかった。
兵士の剣がエバンに斬りかかる、まさにその瞬間だった。
「
どこからか凜とした声が響くと、輝く獣のようなものが飛び出してきた。
思わずグレイは飛び離れたが、その獣はすぐ姿を消した。
「唸れ、
間髪置かず先程と別の声が響く。声と共に赤い刃が飛んできた。
グレイはそれを受け止め、力業で跳ね返した。
飛ばされた人物は、宙で一転してから着地する。驚く事に、それは若い女性だった。
「なっ…?!」
突然現れた男女二人組にエバンらは目を白黒させるしかなかった。
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