【一話完結】最後に一度だけでいい、会いたいんだ

@KKOOKK

第1話

私は『あなた』が欲しいのに、あなたは平気で嘘をつく。吐き捨てるような嘘をつく。


「俺は真っ当に生きられない。お前の為に生き方を変えられるほど殊勝でもない。ぐだぐだ言わずに俺から離れろ。」 


そう突き放されたのは、去年の冬のこと。考えてみれば、私とあなたの間を繋ぐものは何一つと言っていいほどなかった。むしろ今まで繋がっていたことが不思議なくらいに。あなたはもうきっと不惑を過ぎていただろうし、私は高校生に甘んじていた。


「傍にいて」なんていう願いを自ら叶えることなんて、押し切る力なんて到底無かった。だから……私がそんなだったから、あなたは私から遠く離れた場所に行ってしまった。私の目の届かない何処かに隠れてしまった。


高校生と中年男性、何を言われるかなんてもう分かりきっている。年の差があり過ぎるだろうだとか、相手にされないだろうとか、犯罪者にするつもりかとか。全部身に沁みて分かってる。痛いほどに分かってる。

全てあの人に言われたことだから。


それでも……できなかった。諦めるなんて無理だった。忘れようとすることさえ、苦しくて。ねえ、今の私を見て、あなたはきっとこう言うんでしょうね。


「無様だな。あんの気高くて、プライドの高いお前が俺くらいで、何を苦しむことがある?忘れろぉ、忘れろぉ。綺麗さっぱり捨て去って新しい記憶と取りかえろ」


そしたらきっと私は「わかった」と言う。ただ無表情に、体裁だけを取り繕って。あなたに見合う女になりたいなんていう一心で、天の邪鬼な嘘をつく。本当に損な性格をしている。素直に可愛らしく甘えられたならどれだけことが楽に運ぶだろうか、運んでいただろうか。どんな後悔を並べたとしても、今となってはもう遅い。「気持ち悪い」と一蹴されてきっと終わる。心に傷をつけられて。 


「ねぇ、そろそろ未練がましく想い続けるのはやめたらいいじゃない」


放課後の教室。もう室内に人の気配はない。私と親友のカオリだけ。カオリは私の気持ちを知っている。それどころか、私とあの人の間に起きたこと全て知っている。私が話したからだ。どう頑張っても、諦めがつかないことを知りながら、それでもなお「やめたらいいじゃない」と言い続けてくる。彼女は本心からそう思っているのだ。私を大切に思うがゆえの言葉。先の見えない恋など忘れて新しい道を選ぶべきだという真っ当な意見。私の中の半分はそう思っている。それでも、もう半分は「嫌だ、嫌だ」と泣き言を言う。


忘れようとも思えないのだ。それどころか、ずっと心においておきたいのだ。それほどに、私はあの人に心酔している。


「分からないわけじゃないわ、あなたの気持ち。誰だってそうよね、それが心の底から好きだと思えた人なら尚更。でもね、それじゃ、あなたがあまりにも報われない。……何度でも言ってあげるわ、もう諦めなさい。あの人はもう……」


彼女は時に強い言葉で私を諦めさせようとする。でも、そんなことで変えられるようならもうとっくの昔に冷めている。

自分の気持ちは自分しか制御することができない。勉強をしようにも、何か新しいことに挑戦しようにも、思いや意志がなければ実行なんて不可能だ。たとえ誰かに強制されたとしても、成し遂げることなんでできない。

私にはこの恋心を捨て去る意志がない。


「この際だからちゃんと言っておくわ。いい?あの男があなたのもとから去ったのはねぇ、あなたの為なのよ。あなたが道を踏み外さずに生きていけるように、あの男は身を引いたの。あなたと肩を並べて生きていくのは自分じゃないって、自分じゃ不足だからって。そこは……その点に関して言えばいい男だとは思うけど、それでも目を覚ましなさい」


「…………わかったよ」


こう言わなければ、この不毛な会話は永遠と続く。続きうる。何を言われても諦められない私と彼女との会話は堂々巡りで、一向に解決へとむかわない。互いに主張しあう平行線の会話にこれ以上時間をかけるのは無駄というものだ。


「それより、帰ろうよ。ほら外も少し暗くなってきた。それにカオリは塾があるでしょ?遅れちゃうよ」

 

「ええ、それもそうね。でも、あなたが諦めない限り私は何度でも言うわ。それがあなたの為だって、信じてるから」


「うん、ありがとう」


誰も居なくなった教室から出て、鍵を取りに職員室に行き、分厚い扉に鍵をかける。そうして、校門を出てしばらく歩いた。何か楽しい話をしたような気がするけれど、どうにも上の空だったようであまり覚えていない。そのうちに、塾に行くカオリと別れた。


一人になった。慌ただしく動き回る人々を見つつ、ただぼんやりと歩を進める。本当にあの人は何処に行ってしまったのだろう。雪が振り始めた頃に音もなくこの街を訪れて、雪解け水が流れ出す頃には、この街で関わった人間に何一つ言葉を残すことなく去っていってしまった。


そういえば、今年ももうすぐ冬になる。まだ雪は降っていないけれど、そろそろコタツを出してもいい頃だ。


シャラン―――


音が聞こえた。いや、実際に聞こえたわけではないのだけれど、思わずその方向に振り向いた。


いた……。あの人が、およそ見えるか見えないかくらいの位置に。普通なら見逃してしまうくらいの距離にひっそりと佇んでいた。おそらく私には気づいていない。この距離ではおそらくとしか言えないが、それでもあの人だということははっきり分かる。

ずっと目で追い続けてきたから。


「行かなくちゃ……」

咄嗟にそう思った。この機会を逃したら、もう二度と会えなくなるかもしれない。 


走った。見失わないように、視界の中にはっきりとあの人を捉えて。「お願い、待ってて」心の中で何度もそう思った。そして、持ちうる限り全力で足を動かした。


「…………いない…………」

全速力で走った先にあの人はいなかった。あり得ない、つい先程まであの人の姿をしっかりとこの目で見ていたはずなのに。見慣れた佇まいはもうそこにはいなかった。まるで、初めから存在していなかったかのように。


「幻覚……だったのかな……」

思い焦がれたあの人が、やっと手の届くところに戻ってきてくれたのかと、ようやく私は欲しいものをこの手で掴み取れると思ったのに。 

もう逃したりはしないと、決意したのに。


シャラン―――


また、音がした。今度は閑静な住宅街が立ち並ぶ、大通りとは少し外れたところから。確かに聴こえる。幻聴じゃない。


「お願い、逃げないで」


走った。走るにつれて音は大きくなる。まるで私を導いているかのように。途中、この音についていってもいいのだろうかと不安になった。あまりにも音が長く続いていたから。それでも「これを逃したらもう二度と会えない」と、音を追いかけた。

何分経ったのだろうか。辺りはもう暗闇で、この場所は何処かわからない。人気はなく、一軒の住宅さえ見つからない。あるのはただ、赤い鳥居を堂々と構えた神社だけだった。音はもう消えている。どれだけ耳を澄ましても、聴こえるのは虫たちの微かな音だけだ。


ふぅ―――


息を吸った。長く走りすぎたせいで流石に息が荒い。元来汗は出ない性質なのだが、今だけは大量の汗が体中から吹き出している。少し経って息も正常を取り戻してきた頃、意を決して神社の中に入った。


長くそびえ立つ階段を一段一段、呼吸が荒くなりすぎないように登り続ける。久しぶりに走ったせいで脚を持ち上げるのも覚束ない。やっとのことで登りきり、あたりを見回した。


「なぜ、ここにいるんだ」


苦しげな顔をしたあの人が、目の前に立っていた。紛れもなく、私が恋い焦がれたあの人だ。去年の冬に私を突き放して以来、消息をくらましたあの人。これ以上ないくらい顔を見たかったあの人。私は思わず飛びついた。今度は、今度こそは私の腕の中にいてほしかった。私が安否を確認できる範囲内で、ずっと抱きしめていたかった。


「どういう風の吹き回しだ?お前が俺に抱きつくなんて。天地がひっくり返ってもあり得ない」


「少し黙ってて」


そう言って、顔を見られないように、あの人の服の中に顔をうずめた。

懐かしい、好きだったあの匂いがする。香水と体臭が入り混じったこの人からしか感じられない匂い。同じ匂いなんて、見つけられないこの人の香り。


「お前知らないのか」 

さっきまで強がっていた声が、震えている。顔は見えないけれど、きっとこの人も私と同じ顔をしている。今にも溢れ出そうな思いをぐっと堪えたような顔。

それでも、堪えるほどに口がいつものように動かなくなり、声が不安定になる。


「知らないわけ…………ないでしょう、あなたがもうこの世にいないことくらい。そんなことわかってた」


やっとのことで出たセリフも、嗚咽で震えている。


「そうか……そうだよな」


「……いやに、素直じゃない。流石のあなたも死んでしまったらセンチメンタルになるのね」


堪えようと、わざと悪態をつく。

こんなこと、今、言いたくなかったのに。

すると、ごつごつした大きな手が、服に顔をうずめ、すがりついている私の頭にのせられる。左手は私の腰の辺りに添えられた。この人はかなり背丈が大きいから、まるで包み込まれているようだ。


「…………」


「…………」


お互いに何も言わない、言えないのほうが正しいかもしれないけれど。静かな沈黙が流れた。


「キスして」


先に、私が口を開いた。

もしもう一度会えたなら、何をしたいか、色々考えていた。手料理を食べてもらいたいとか、無理矢理ペアリングをつけてもらおうだとか、二人きりで旅行に行ってみようとか、でも今はただずっとそばにいたい。時が許す限り離れないでいたい。


「俺を犯罪者にするつもりか」


何度も聞いた答え。死んでしまったのだから、もうそんなこと、気にしなくていいのに。気にしないでほしいのに。あなたはそれを言い訳に、また私から逃げてしまう。


「それなら、もっと強く抱きしめて」


左手が私の腰を強く引きつけ、頭の上にあった手は後頭部を抱えるようにした。それはいいんだ。あれだけ犯罪者になるとか言っておいて。


「上向け」


低い声が私の鼓膜を揺さぶった。うずめていた顔を、仕方なく上げて上を見る。


唇が触れた。


「……犯罪者になるんじゃなかったの」


「それでもいいかと、思ってな」


そう呟いた。そうして、強い風が彼のみを取り巻く。私と彼は強風によって分断される。


「じゃあな」


「……うん」


「ああ、それと…………」


「なに?」


「幸せになれよ」


「わかってる」


そう言葉を交わした瞬間、彼はもうそこにはいなかった。


長い夢を見ていたかのように、私の記憶にだけ存在を残して消えてしまった。

周りはもう薄明るくなっている。

今日もまた学校があるんだった。


「帰ろ」


一年後、卒業式。


「ねえ、もう卒業ね」


「長かった、ほんとに。色々あった」


「特にあんたはね。良かった、吹っ切れたみたいで」


「ありがとう。忘れられはしないけどね」


ガタッ―――


「あの!沢原さん、俺、沢原さんには聞いてほしいことがあって。放課後、誰も居なくなった時に教室に来てほしいんだけど」


「ああ、本宮くん。…………いいよ。放課後ね」


「ありがとう!じゃあまた後でな!」


トットットッ―――


「行ってあげるの?」


「もちろんだよ、幸せになれって言われたし」


「そう。」


きっと、あの夜のことは一生忘れられはしない。私にとってこれ以上ないくらい好きだった人との別れ。

それでも、あの人がいなくなってしまったこの世界で、私は生きていかなくちゃならない。


苦しいけれど、それが現実。

でも、それならば苦しいほどに好きだったあの人の思いを受け取って、私は幸せになろうと思うんだ。少しでも、少しだけでも。


ガラガラ―――


誰も居なくなった教室の扉を開ける。


「本宮くん、好きだよ」



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