第459話 訪問者


 入院して、1週間が経った。

 だが依然として俺の治療は、思うように行かず。

 病院食を口にしても、たった数口で終わってしまう。


 

「また食えなかったのか?」

 宗像先生は何度も同じ光景を見て、苛立ちを隠せない。

「はい……味がしなくて」

「味がしないねぇ。恋わずらいのくせして、格好つけてんじゃないぞ」

「別に、そんな意味では……」


 俺だって食おうと思っているのに、身体が受け付けないんだ。


「そうか。ま、新宮がそんな状態なら、私が奪ってもいいってことだな」

「へ? なにをですか?」

「ふふふ……」

 俺がそう尋ねても、先生は不敵な笑みを浮かべているだけ。


 

 宗像先生は自身のスマホを取り出すと、誰かと電話を始めた。


「おう、私だ。この前教えたところまで持って来てくれ」


 通話を終えると、先生はニヤニヤ笑いながら、俺を見つめる。


「ヒヒヒッ」


 き、気味が悪いな。


  ※


 病院の食事は、いつも早めに届けられる。

 これぐらいしか、楽しみがないから……だとナースさんが話してくれた。


 今日の昼ご飯はカレーライス。

 美味そうだが……やはり今の俺じゃ無理だ。

 ひと口で諦めてしまう、ヘタレぷり。


 その時、部屋の扉が勢い良く開いた。

 宗像先生が満面の笑みで、大きな弁当箱を持って入ってくる。


「だぁはははっははは! お昼だ、お昼っ! やはり外食よりも、人が作った料理に限るぞ!」


 この人に料理を作ってくれる相手なんて……いないだろ。


 簡易ベッドの前に、ローテーブルを持ってくると。

 わざとらしく、弁当箱のふたを開いてみせる。


「おおおっ! こりゃすごい! 愛の詰まった弁当だ」


 気になった俺は、ベットから身を乗り出す。

 覗き込んで見ると、確かに作った相手の優しさを感じる弁当だ。


 タコさんウインナーに、玉子焼き。ハンバーグに焼き鮭。

 そして、びっしりと埋められた白米には、大きなハートが何個も並んでいる。

 何だ? この異常な女子力は。


「いただきまぁ~す!」


 と言いながら、ハイボール缶を取り出す宗像先生。


「かぁ~ うめぇ! 今度から毎日これをつまみに飲めるなんて、教師になって良かったぁ♪」


 その言葉を聞いて、ようやく気がついた。

 先生が持ってきた弁当……アンナが作ったな。


「ちょ、ちょっと! なんで先生がアンナの作った弁当を、食べているんですか!?」

「あぁん? そりゃお前が悪いんだろ。真面目に食事を食べないから、ケガも治らない。一生、ここで過ごす気か? その点滴くんと」


 そう言うと、点滴の袋を指差す。


「うっ……それは」

「これを食いたいなら、さっさと病院食ぐらい食べてみせろ。まず、それからだ」


 クソっ!

 人の女を女中扱いかよ……。


「分かりましたよ! 食べます、食べりゃ良いんでしょ!?」

「おほ~ 怒ったか? そりゃあ良いことだな。怒るってのも意外とパワーが必要だからな♪」


 先生に煽られて、見事この日のお昼ご飯は、全て完食した。


「やりゃあ、できるじゃないか」

「ハァハァ……こんなことを毎日、続ける気ですか?」

「当たり前だ。お前が治るまでずっとな。それから、新宮。忘れていたけど、この弁当を作った本人だが。今この病院の1階にいるぞ」

「えっ!? アンナが?」


 驚きのあまり、飛び起きるが、先生に身体を抑えられた。


「この空になった弁当箱が帰ってくるのを、ひたすら待っているそうだ……私ではなく、新宮が食べてくれると願ってな」

「そ、そんな……じゃあ先生は、騙したんですか? アンナを」

「騙したというより、お前らのためを思ってやった行動だ。結果的に、新宮も病院食を完食できたし、古賀も安心できるだろう」

「……」


 確かに先生の言う通りだ。

 例え、汚いやり方でも。


「古賀は喜んで引き受けてくれたぞ。『タッくんのためなら、毎日行きますっ!』てな」

「アンナ……」


 俺のせいで、こんなことに。


「ということでだ! 新宮、お前がしっかり食べられるまで。私はずっと古賀の愛妻弁当を毎食、奪ってやる。あぁ~、今から夜が楽しみだ。あいつの作る料理はつまみに丁度、良いんだよ」

「こ、この……」


 拳を作ったが、すぐに引っ込める。

 込み上げてくる怒りは、全て明日へ向けよう。

 そのために、どんな料理でも腹にぶち込むんだ。

 

  ※


 それから毎日、目の前でアンナの弁当を、美味そうに食べるところを見せつけられた。

 宗像先生に煽られたからではないが、俺も負けじと病院食を残さず、完食する。

 

 日に日に、体重は戻っていった。

 ただ病院の食事を食べているだけなのに、体重は55キロほどに上がっている。

 元の体重より、まだ痩せているが……。

 随分、身体を動かしやすくなった。


 並行して、折れた左脚のリハビリも開始している。

 この調子で行けば、あと3週間ほどで退院できるらしい。


 だが、そんな俺を見ても、宗像先生は満足していなかった。

 むしろ、不満そうだ。


 食事を取れるようになって、身体も回復してきたところで。

 先生が今まで溜まっていたレポートや、前期のテストを持ってきた。


 退院する前に全て書き終えろ、と注意された。

 仕方なく、デスクテーブルの上でレポートの空欄を埋めていく。

 

 以前は公式のラジオを聴きながら、問題を解く……というか、答えを教えてもらい。

 レポートを書いていたが。

 今はもうそれすら、面倒くさくなって、教科書も読まずに、答えを書いている。

 前後の文章を読んでいれば、なんとなく分かるからだ。

 だって所詮は、義務教育の下級生レベルだよ?



 一人で黙々と勉強を続けていると、部屋の奥から扉をノックする音が聞こえてきた。


 ナースさんの問診かな?

 でもいつもより、早いし……。

 今は宗像先生が部屋にいないので、大声で叫んでみる。


「はーい! 開いてますよ!? どうぞ~!」

「……あの、本当に入っても良いかな?」


 ん? なんだこの控え目な話し方は。


「失礼ですが、どなたですか!?」

「お、オレだよ……タクト」

「はっ!?」


 まさか……でも、アイツとは絶交したはずだ。


「ミハイルだよ、入ってもいい?」

「……ああ、もちろんだ! いや、入ってくれ!」


 なんてこった。アイツ自ら、赴いてくれるなんて。

 そうか。俺が交通事故にあったから、心配してくれたんだ……。


 この時、俺の心臓は高鳴っていた。

 大きな胸の穴も、どんどん塞がっていく気がする。

 俺にとって、そんなに大事な人間だったのか……。

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