第四十七章 初めてのイブ

第417話 ハンカチーフの正しい使い方。


 俺はなぜ、あんなことをしてしまったのだろう……。

 この手でミハイルを抱きしめたのか?


 ミハイルと別れてから、もう半日近く経っているが、身体が燃えるように熱い。

 風邪でも引いたかと、体温計で確認したが、特に症状はない。

 じゃあ、なぜ。俺の頬はこんなにも熱いんだ。

 何度も何度も……脳内で繰り返し流れる映像。


 雪が降る寒空の中、抱きしめ合う2人。

 人目も気にせず、力いっぱい抱きしめて、キッスする……はずだった。


 思い出すだけでも、恥ずかしさがこみ上げてくる。

 それと同時に、後悔も残っているが。

 なんで、あの時もっと早くミハイルの唇に、自身の唇を重ねなかったのかと……。



 俺は家に帰ってから、そのことばかりで頭がいっぱい。

 飯も喉を通らず、ベッドの上で一人、放心状態だ。


 瞼を閉じているわけではないが、視界が悪い。

 それは俺の顔面に、とある布切れをかぶせているからだ。


「すぅ~」


 深く息を吸い込み、一気に吐き出す。


「ぶっはぁーーー!」


 そうすることにより、布切れは空中に舞い上がる。

 だが、あくまでも一瞬だ。

 重力には勝てない。


 ふわっと、俺の顔目掛けて、戻って来る。


「ちゅっ!」


 どこからか、可愛いらしい音が聞こえてくるのは、気のせいだろうか?


「すぅ~ はぁ~!」


 落ちて来た、布切れに残る甘い香りを、楽しむ。

 いや、正確には、脳内で相手の唇を味わっているのだ。


 この布切れは、俺が一番気に入っているブランド。タケノブルーの白いハンカチだ。

 そして、昨晩ミハイルの唇を、拭いたものでもある。

 女装していた時の口紅が、べったりとハンカチについている。


 洗ってはいない。

 アンナの……いや、ミハイルの唇が味わえるから。

 間接キッス。


 違うか。重力によるエアーキッスといえるな。

 ヤベッ……またすごいものを、開発してしまったぞ。

 天才すぎる自分が怖いぜ。

 自分の息を使い、何度も意中の相手と、キッスを繰り返し出来るなんて、めちゃくちゃエコじゃん。

 


 そんなことを昨晩から、10時間近くやっている。

 頭の中では、常にアンナとミハイルが頬を赤くして、唇を俺へと捧げる。

 アンナの方が可愛く感じるのに……。どうしても、ミハイルに目が行ってしまう。

 放っておけないからだ。


「俺は一体、どうしちまったんだ……なんでアンナじゃなく、男のミハイルを」


 ベッドの上で、一人そう呟くと、誰かが顔に被せていたハンカチを取り上げた。


「おにーさま! なにやっているんですか? 昨日から、ずっと『すぅ~ はぁ~』言って過呼吸なんですの!?」


 瞼を擦り、声の主をよく見てみると、妹のかなでだ。


「ああ……悪い」

「元気ありませんねぇ。今日はクリスマス・イブですよ? アンナちゃんと、デートとかしないんですか?」

「そうだったな……イブか……」


 正直、クリスマス・イブという存在すら、忘れていた。

 昨晩起きた出来事が、余りにも衝撃的で……。


 とりあえず、かなでにハンカチを返してもらい、学習デスクの引き出しに保管しておく。

 もちろん、チャック付きのポリ袋を使用し、鮮度を保つ。

 次のお楽しみに。


 マリアと取材か。なんか気が乗らないなぁ……。

 昨日の今日で、別の女とデートって。

 

 机の上に放置していたスマホの画面が、白く光っていた。

 どうやら、メールが入ったらしい。

 スマホを手に取り、画面を確認すると、数十件も通知が入っていた。

 電話やら、メールなど。


 相手は、本日クリスマス・イブを一緒に過ごす女の子、冷泉 マリア。

 一番最初のメールまで遡るのは、時間が掛かるから、とりあえず最新のメールに目をやる。


『タクト。今日の約束、忘れてないわよね? イブなんだから、2人きりで仲良くイルミネーションを楽しみましょうよ♪ でも、夜まで長いから夕方に、いつもの場所で会わない?』


 というと、やはり定番である、黒田節の像か?

 俺は即座に彼女へ返信メールを送信した。


『了解』とだけ。


 すると、すぐにまたマリアからメールが送られてきて。

『やっと起きたのね♪ まさかと思うけど、ブリブリアンナとキッスしたり、してないわよね? 取材と称して』

 

 ギクッ! 昨晩、素のミハイルにしようとしたんだけどなぁ……。

 まあ、アンナとはしてないから、セーフ!


『してない。俺は嘘が嫌いだ』

 と返信。

 うむ、嘘は言ってないもの。

『そう。なら、夕方に会いましょう♪ 今日が楽しみで仕事を頑張っていたの。タクト、大好きよ』


「……」


 最後の一言には、俺は何故か罪悪感を感じていた。

 

 好きか……。

 そんな簡単に相手へ想いを伝えられたら、どれだけ気持ちが楽になるんだろうな。

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