第111話 目覚めたミハイル

 俺はミハイルを連れて、ついに禁忌の地へとたどり着いた。

 そう、18歳未満立ち入り禁止のBLコーナーだ。

 昔からこのブースは地獄門と呼んでいる。

 赤子の頃からくぐってきた修羅の道だ。この先は死ぬ覚悟をした者だけがくぐれる門だ。


「ミハイル、いいか。うかつに知らないサークルに近寄るなよ?」

 俺は左右に出店しているサークルのご婦人たちを指差す。

「え、なんで?」

 見てわからんのか……各ブースには裸体の男たちが絡み合っているポスターがデカデカと貼っているというのに。


「まあ俺から離れるな。絶対だぞ?」

「タクト……そんなにオレが心配なのか☆」

 笑顔で喜ぶミハイル。

 けど違うからね。

 俺はあくまでもあなたを守っているだけなの。


「よし、行くぞ!」

 生唾をゴックン。

 ここはいつ来てもピリッとした空気が流れる。

 だって、俺が男子だからね。

 100パーセント女子の中に男が二人。

 完全にアウェイ。


 目的のサークルまで何人もの腐女子に睨まれたり、クスクス笑われたりする。



「なんやあいつ……なめんとかぁ!」

「ワシらのシマに入っといて、ただじゃすまさんぞ、ゴラァ!」

「うふふ……隣りのハーフの子、使えそうじゃね? 写メっとこ♪」

 だから嫌だったんだ。



 鬼のような目をしたご婦人たちをかいくぐり、どうにか母さんの言っていたサークル“ヤりたいならヤれば”に着いた。

「こ、これは……」

 今まで見たブースの中で一番酷い。

 デカデカと看板が立てられており、『ようこそ! 抜いていってください!』とメッセージ。

 それに左右には等身大のフィギュアが飾られている。

 もちろん、裸体の美青年だ。

 しかもスピーカー装備で常に「あぁぁぁぁ!」「兄ぃさん!」「ぼく、もう我慢できないよぉ!」などというセリフが爆音で流されている。


「いらっしゃいませ! ゲイの方ですか?」

 30代ぐらいの大人の女性で、地味な格好だが、言葉は桁違いだ。

「違います、ノンケです」

「あらぁ、残念ですね♪ お似合いのお二人なのに」

 ニッコリ笑うが底知れぬ闇を感じる。

 ヤベェよ、サイコパスじゃん。


「え? オレとタクトがお似合い……」

 頬を赤く染めるミハイル。

 真に受けちゃダメですよ。

「ええ、とってもお似合いですわ。絡み合っている姿を想像すると久々に生モノへとまた手を出したくなりますわ」

「生モノ……?」

 危険、危険! それ以上はダメ!

 俺が助け舟を出す。


「すいません、“今宵は多目的トイレで……”っていう作品を50部ほどください」

 その発言に今までクールだったサークルの女性が慌てだす。

「ご、50部っ!? な、なぜそんなに……」

 気がつけば、他のサークルの女性陣も身を乗り出してざわつく。



「なんなの、あのガキ。まさかガチホモ?」

「ガチよ、絶対。教本として買う気ね!」

「この後二人でめちゃくちゃ……」

 やらねーよ、バカヤロー!



「いえ、俺は母さんに頼まれて買いに来たにすぎないんすよ」

 一応、言い訳しとかないと汚名を被ったままは嫌だからな。

「お母さん…? ひょっとして私のサークルのファンの方ですか?」

「そう言えば、ツボッターでいつもお世話になっているケツ穴裂子っていうバカです」

 言っていて自分で顔から火が出そうだ。

 クソみたいなアカウント名にしやがって。


「なんですって!? あの伝説の……ケツ穴さんが私なんかの同人誌をっ!?」

 驚きを隠せない腐女子。



 周りの女性たちも群がりだす。

「ウッソ! 界隈でケツ穴さんに目をつけられるとバズるっていう伝説の!」

「マジ? 裂子さんに宣伝されると書籍化率、100パーセントらしいね」

「つまり、あの子はサラブレッドね。BL界の王子よ」

 いらない、そんな称号。



「ちょ、ちょっとお待ちください! ただちにBL本を揃えますので!」

 席から立ち上がると、後ろにあるダンボールをガサゴソ探し出す。

「あの、急いでないんで。慌てなくても大丈夫ですよ?」

 一応声をかけたのだが、耳に入っていないようだ。


「ヤ、ヤバッ! ケツ穴さんに認められちゃったよ! あのBL四天王の一人に!」

 あんな気持ち悪い女性がまだ3人もいるんですか?

 しんどいです。


「タクト……これって」

 気がつくとミハイルはテーブルに置いてあったサンプル本を手に取っていた。

 いかん! 見てしまったのか!?

「ミハイル、すぐに元に戻せ。今なら引き返せる」

 思わず、声が震える。

 18禁のBL本をまじまじと見つめるミハイル。

 顔は赤いが真剣そのものだ。


「男同士なのに、なんで裸で抱き合っているの……」

 くっ! 守れなかった、ミハイルの操をっ!

「それはだな、あくまでもフィクションだからな? だから、もう読むのはやめておけ、なっ」

 俺が彼の肩をポンッと軽く叩いたが、ミハイルは気にも触れない。

 BL本に熱中しているヤンキー少年。

「なんか胸が…ドキドキしてきた……」

 ダメダメ、したらアカンて!


「あらぁ、そっちの彼は私の作品に興味がありますか?」

 ニヤニヤ笑う腐女子。

 両手には大量の薄い本。全部、俺が持って帰ることになるんだよね。

「え? 興味があるっていうか。なんか男同士なのになんでその…キ、キスとかしてんのかなって……」

 言いながら途中で恥ずかしくなったようで、サンプル本をテーブルに戻す。

「それは至極当たり前のことです。好きになった人がタマタマ同性だったのです。男だけにですね♪」

 うまくないから、ただの下ネタだから。

「そんなのおかしいよ! だって男は女しか好きにならないじゃん……」

 その話し方にはどこか悔し気に感じる。

 時折、俺をチラチラ見て。


「あらあら、見たところ、金髪のあなたは未成年ですよね? まだ本当の愛を知らないんですね」

 さっきまで生モノ発言していた人に言われたくない。

「じゃ、じゃあ……男同士がキスしたり…好きになってもいいの?」

 ミハイルは悲痛な叫びをあげる。

 やはり以前俺が彼に「男のお前とは恋愛関係にはなれない」と言ったことを気にしているのだろうか。


「いい、ボク。この世はすべてにおいて愛で包まれた世界なんですよ。そこに性別や人種、年齢。全て関係ありません。あなたが『スキ』になった気持ちがあるのなら、それは本物の愛です」

 おいおい、ここは同人誌の売り場だよね?

 痛々しいBLのポスターやフィギュアの前でなに語っているの? コイツ。

 怪しい宗教の勧誘みたい。

 ま、教祖っぽいよね。


「スキ…ホンモノ?」

 言葉を失って、腐女子のお姉さんの洗礼を受ける信者。

「そうです、BLの神は言っています。あなたが自然体であられることを……」

 どこどこ? その腐って生臭い神様、おっさん? おばさん?

「そっか……オレの知らない神様はそんなことを言っているんだ」

 鵜呑みにしちゃダメ。でたらめだよ。

「きっと、あなたも真実の愛に気がついたのでしょう。ならばこそ、この本をあなたに」

 と言って、目を覆いたくなるような薄い聖書が。

「いや、オレは……そんなつもりじゃなくて」

 腐女子のお姉さん、いや教祖は優しく微笑んでこういった。


「これも何かの縁です。ケツ穴裂子さんに在庫全部買ってもらえたので、そのサンプルはあなたに差し上げます」

 いや、俺の母さんのせいなの?

「あ、ありがとう……大事に勉強します」

 顔を赤くして薄い本を受け取るミハイル。

 勉強しなくていいから、君は早く一ツ橋のレポートをやりなさい。


「はい、良い心掛けですね。私の作品はネット上にもあるので是非チェックされてください。きっとあなたの愛に対する考えが変わるでしょう」

「うん。スマホで見てみるよ☆」

 知らね、もう俺は知らん。


「あ、ケツ穴さんによろしく言っておいてください。袋はサービスしておきますね♪」

 ドシンッとテーブルに出されたのは痛々しいBL紙袋が4つ。

 これ持って帰るの? しんどい。


「良かったな、タクト☆」

「うん……」

 俺の頭は真っ白になっちまった。

 燃え尽きた、殺されたのさ。腐女子の皆さんに。

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