第61話 繋がった絆

 事務所の扉を開けたら即一秒、辛辛館の元店員さんのラーメン屋的な挨拶に迎えられたわけだが。

 この人、確か今はカフェでバイトしてたはずでは……?


「わたくし、夏の間は割の良いこちらの短期バイトにも入っている次第でございますー」


 俺の顔に疑問が出ていたのか、尋ねるまでもなく店員さんはそう説明してくれた。

 つーか、色々やってんなこの人……。


「時に、お客様ー。これから申し上げるご質問は、もしかするとわたくしの正気を疑いたくなるようなものとなるかもしれませんが、ご容赦くださいませー」


 何なんだ、その前置きは……。


 なんて半笑いを浮かべる俺から視線を外して、店員さんは玲奈、優香と順に顔を見て、最後に美月のところで視線を止めた。


「そちら、まさかの三股目のカノジョ様という認識でよろしかったでしょうかー?」


 めっちゃストレートに聞いてくるな……。


「えーと……まぁ、はい……」


 そう問われると、頷かざるをえなかった。


「ありがとうございまーす! どうやら正気を疑うべきはわたくしの頭の方ではないとわかり、ホッと致しましたー!」


 ていうかこの店員さん、会う度に遠慮という概念が消失していってない……?


 いや、別にいいんだけどさ……。


「それでお客様、本日どのようなご用件でございましょうかー?」


「あ、はい……」


 そんで、めっちゃ普通に営業トークに入るよな……。

 ちょっとそのスピード感についていけなくて、咄嗟には頷くことしか出来なかった。


「あー……更衣室とシャワーを借りたくてですね。その後、バスで駅まで送っていただければと」


「承知致しましたー、ライン下りからのお帰りということでよろしかったでしょうかー?」


「はい、そうです」


「それでは、上流で受け付けした際の半券をお見せいただけますかー?」


「はい、これです」


「ありがとうございまーす、それではこちら更衣室とシャワルームの鍵でございまーす。男性が右側、女性が右側、それぞれあちらの角を曲がった先にございますー」


 接客自体は、普通にいい感じなのにな……。



   ◆   ◆   ◆



 とにもかくにも、シャワーと着替えを済ませ。


「それでは、こちらが駅前行きのバスでございまーす」


「ありがとうございます」


「今回お客様方の貸し切り状態になっておりますので、お好きな席にご着席くださいませー」


 店員さんは、親切にもバスの中まで案内してくれた。


「ふぅ……ライン下りって、ただ座ってるだけっつっても結構疲るもんだなー」


 俺は、そんな感想を漏らしながら手近な席に腰を下ろす。


「そうだね、孝へ……」


「そうね、孝平く……」


 それぞれ同意を示しながら、優香と玲奈が俺の隣へと座ろうとした……二人、同時に。


『は?』


 そして、これまた同時に睨み合う。


「いやいや、ここはアタシに譲るべきじゃない? 『元カノ』さぁん」


「全く思わないわね。そんな形式上の呼び方に意味などないもの」


 あー……案の定というか、いつものやつが始まっ……。


「お客様ー」


「うおっ!?」


 二人に意識を取られていたところに話しかけられて、思わず驚きの声を上げてしまった。


「この後のご予定は、どの程度詰まっておられますでしょうかー」


「や、まだそこそこ余裕はありますけど……」


「それは幸いでございますー」


 どういうことだ……?


 そして、なぜ店員さんは運転手さんと目を合わせて頷き合ってるんだ……?


「実はこの辺りに、大変程よいスイムスポットがございましてぇ」


 あぁ、営業トークが継続中なのか。


「彼氏様の隣の席に座る権利を、競泳によって決めるというのはいかがでしょうかー?」


 いやこれ、営業トークか!?


『っ……!』


 優香と玲奈も、「それだ!」みたいな顔になってるし……とはいえ。


「俺たち、今回は水着持ってきてないんで……」


「ご安心ください、事務所にて水着のレンタルも行っておりまーす。弊社の他のサービスをご利用いただいたお客様ですと、なんとレンタル料は五〇%引きでございますよー」


「……ていうか俺たちはいいとしても、そっちはその勝負の結果なんて待ってて大丈夫なんですか? バスの時間とか、決まってるんじゃ?」


「はいー、本日今のところお客様たち以外にご利用される方がいらっしゃらないようでしてー。わたくし共、良い暇潰しを見つけ……もとい、ここは少し時間を遅らせてでも水着のレンタル料までせしめた方が利益になると考えておりまーす」


 言い直したけど、そっちも普通は言っちゃ駄目なやつじゃない?


「おーし、それじゃ勝負といこうか玲奈! まー運動じゃアタシに分があるし、諦めて棄権しちゃってもいいけどぉ?」


「ふっ……純粋なフィジカル勝負ならともかく、水泳なら様々なテクニックが重要。脳筋に負ける気はしないわね」


「言ったねぇ! それ、負けた時めっちゃ恥ずかしいやつだかんね!」


「そちらこそ、負けた時の言い訳を考えておくことね」


 もう完全にやることは決定みたいで、優香と玲奈は火花を散らしながらバスを降りていく。


「あっはー、カノパイたちは相変わらずだねー」


「だな……」


 そんな風にバスを降りていく二人を美月が愉快げに、俺は苦笑気味に見送っていた。


「俺たちも、もっかい着替えないとな」


「えっ……?」


 そんな美月の手を引いて俺もバスを降りようとすると、なぜか美月は意外そうな顔に。


「参加すんの……?」


「ただ見てるってのもアレだし、せっかくだしな。まぁ、俺じゃあの二人には勝てないだろうけど賑やかし程度にはなるだろ」


「や、じゃなくてさ……」


「ん?」


「……コウ先輩は、そうやってウチの手も当たり前みたいに取ってくれるんだね」


 ……もしかして。

 さっきのは、美月自身が参加することについて言ってたのか……?


 そこはもう大前提だと思ってたんだけど……。


「コウ先輩のそういうとこって、さ」


 少し俯いた美月が、上目遣いに見つめてくる。


「……クッソ真面目だよねー」


 そして、俺をからかうようにニカッと笑った。


「平等を重んじる、誠実な態度だと言ってくれないか」


「誠実とは真逆の状況のド中心人物のクセに、超ウケるんですけど~」


「ぐうの音も出ねぇとはことことだな……!」


 俺も冗談めかして返すと、美月がケラケラと笑う。


 優香とも玲奈とも違う、美月とのこの距離感を……俺は、割と心地よく感じていた。



   ◆   ◆   ◆



 なお、数十分後。


「なんか……山にまで来て何やってんだろうね、アタシたち……」


「全く以て同感ね……」


 バスに揺られながら、俺たちの後ろに隣り合って座る優香と玲奈はどこか虚ろな目をしていた。


「やー、なんかごめんねー。ウチが隣になっちゃってさー」


「ははっ、別に謝ることでもないだろ」


 玲奈と優香が互いに妨害し合って結果的にスピードが落ちていたところを、普通に美月が抜き去ってゴールインした形である。


「でも、コウ先輩だってカノパイたちのどっちかの方が良かったっしょ?」


「……なんで?」


「えっ、なんでって……そりゃ……」


 ちょっと引っかかって尋ねると、美月はどこか言いづらそうに言葉を濁した。


「俺はむしろ、美月で良かったと思ってるよ。二人のどっちかだと、禍根が残るような気がするしな……」


「あっはー、おおげさー」


 冗談めかして肩をすくめると、美月は相好を崩す。


 二人から、何かリアクションはあるか……と、振り返ってみると。


「くぅ……」


「すぅ……」


 優香と玲奈は、互いにもたれかかる形で寝息を立てていた。


「こうしてると、仲良いもんなんだけどな……」


 二人が揉める元凶ある俺がこういうのもアレだけど……。


「あっはー、別に起きてても仲いいじゃん」


「ははっ、確かに」


 けど、美月の言う通りだ。


 俺のせいで始まってしまった、この『勝負』。

 俺をきっかけに、二人は対立して……やがて、それは絆になった。


 二人には申し訳なく思ってるし、最低な状態であることはもちろん自覚してるけど……それでも。


 結果的に、ではあるけれど。

 二人を繋ぐ役割を果たせたことだけは、胸を張っていいんじゃないか……なんて。


 そう、思ってるんだ。

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