第38話 陸上部のエース
【青海玲奈】
「青海さんも、ゆっくり見学していってね」
「はい、ありがとうございます」
部長さん? らしき上級生に、軽く頭を下げながらお礼を伝える。
「だけど急にウチの見学だなんて、どうしたんだい?」
「それは……付き添いというか、流れでというか……」
正直、そうとしか言いようがなかった。
「あっ、そうだ。いっそ青海さんも陸上部に入部してみない? 青海さんってスポーツも万能って聞くし、いいとこいけるんじゃないかなー?」
「いえ、それは遠慮しておきます」
と、断言してから。
わざわざ見学に来ておいてこの物言いは、ちょっと感じが悪かったわね……と反省する。
「すみません、今のは別に陸上に興味がないとかそういったわけではなくて……」
「ははっ、わかってるって」
取り繕おうとした私の肩に、腕を回してくる部長さん。
随分と距離感が近いわね……というか、『わかってる』とは……?
「拒絶の言葉じゃない、ってことだよね?」
「はぁ、まぁ……」
「確かに、優香の言ってた通りの子みたいだねー」
「は?」
思ってもみなかった言葉に、思わず部長さんの顔を凝視してしまった。
っと、これも睨んでいるように見られて……。
「おっ、これが噂の『睨んでるように見えるけど別に睨んでるわけじゃない視線』ってやつだね。ははっ、確かに事前知識がなければ睨んでるようにしか見えないなー」
だけど、部長さんはそう言って笑うだけ。
さっきの言葉通り、紅林さんが何か入れ知恵してるんでしょう。
「……紅林さんは、私のことをどんな風に?」
特に興味はなかったけれど、尋ねてみる。
本当に欠片も興味はないのだけど、ほら、その……会話の流れというものがあるものね。
私は、ちゃんと空気の読める女なのよ。
「そうだねー、確か……」
まぁどうせあの女のことだから、面白おかしく話しているのでしょうけれど。
「ちょっと口下手(歪曲表現)で、ちょっと目付きが悪くて(歪曲表現)、ちょっと空気が読めなくて(歪曲表現)、ちょっと言動が珍妙で(歪曲表現)」
ほら、この通り……。
「だけど、格好良くて本当は優しい女の子」
「………………えっ?」
さっき以上に意外な言葉に、部長さんの顔をまた凝視してしまう。
「ここまで、原文ママだよ」
イタズラを成功させた子供みたいに、部長さんはニッと笑う。
「そう……ですか」
正直なところ、私自身も少し驚いているのだけれど。
部長さんの言葉を、全く疑っていない自分がいた。
紅林さんなら確かにそう言うでしょうと、確信出来る。
あれは、そういう女……本当に、厄介なことに。
「おっ、優香が走り始めるよ」
部長さんが指差すものだから、釣られてそちらに視線が向いた。
ただの、何てことのない短距離走。
だけど……妙に、目が引き寄せられる。
躍動的で、活力に溢れていて、真剣な表情なのに楽しそうなのが伝わってきて。
私は、気が付けば瞬きもせずにジッと彼女の姿を見つめていた。
頭の中のキャンパスに、猛烈な速度でその姿を描き残していた。
嗚呼、なんて『絵になる』。
仮に同じ速度で走れたとしても、私の姿があんな風に人から見えることはないでしょう。
いつまでも見ていたかったけれど……当然、すぐに終わりは来る。
ゴールしてしまったことを残念に思っている自分を否定出来ない中……チラリと横に目を向けると、孝平くんの視線もやっぱり紅林さんに釘付けになっているみたいだった。
どこか熱に浮かされたようだった彼の表情が、微笑みに変わる。
私もまた紅林さんの方に目を向け直すと、他の部員に囲まれて談笑する紅林さんの姿がそこにあった。
「優香先ぱーい。最近私、なんか伸び悩んでるんですけどアドバイスとかありませーん?」
「んー、そうだねー。じゃあフォームをチェックしてみよっか」
「あっ、ズルいズルい! 自分も優香先輩チェック受けたいでーす!」
「はいはい、希望者はまとめて見てあげるから」
「やった!」
「じゃあ私もー」
頭では理解していたつもりではあったけれど……今、本当の意味で理解した気がする。
一緒にいる時は、どうしてもアレな姿が印象に残ってしまうけれど……改めてこうやって客観的に目にすると、よくわかった。
「んー、そうだねぇ。そこは、もうちょっとだけ腕をガッてする感じかな」
「出た、優香先輩の感覚指導!」
「全く伝わってこねー!」
「えっ、嘘でしょ? 今のはかなり論理的だって! ガッ、だよ! ガッ!」
「優香先輩……可哀そうに、今まで『論理的』って言葉の意味をずっと勘違いしたまま生きてきたんだね……」
「青海さんみたいなこと言わないでくれる!?」
「あっ、今の青海先輩みたいでした? やった!」
「喜ぶところじゃないよ!?」
『あははっ!』
彼女の存在が、如何に明るさに満ちているのか。
仲間と一緒に笑って、仲間を笑わせて、気遣って。
紅林さんの周りには、自然と人が集まっていく。
「あっ、自分わかってきたかも! 肘をもう数センチくらい引きつけろってことですねっ!?」
「そうそう、そんな感じだよたぶん!」
「たぶんって言っちゃったよこの人!」
「まー、実際のとこはねぇ……ちょっと触るね? ここを、こうじゃなくて、こう! わかる?」
「あっ、なるほどー」
「紅林先輩、こうですかっ?」
「オッケー、いい感じだよ! じゃ、そのまま一本走ってみよっか? こっからチェックしとくから」
「あざーす! いつもすみません!」
「いいってことよ!」
きっと孝平くんも、あの明るさに惹かれたのでしょう。
あの優しさに、救われたのでしょう。
私が彼に残してしまった傷を……紅林さんこそが、癒やしてくれたのでしょう。
少なくともその点に関して、私は心から彼女に感謝していた。
……だけど。
そんな紅林さんが相手だからこそ、私は──
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