第35話 少し変わった彼女

「ねぇ孝平くん、美術部のことなんだけど」


 ある日、玲奈がやけに真剣な表情でそう切り出してきた。


「元は……その」


 若干、言い淀み。


「私と顔を合わせるのが気まずいから、入部しなかったのよね?」


「まぁ……そう、かな」


 玲奈も察してるみたいだし、誤魔化す意味もあまりないかと思って苦笑気味に頷いて返す。


「ごめんなさいね、孝平くん。私のせいで……」


 少し目を伏せていて、真摯な表情で謝罪してくる玲奈。


「ははっ、そんな重く考えんなって。中学の時に美術部に入ったのだって、ほとんど気まぐれに近いもんだったし」


 俺は、そう言いながら軽く笑う。


「でも、私とのことがなければ美術部に入っていたんじゃないの?」


「んー……どうだろうな」


 流れでそうしてた可能性は高いので、否定はしづらかった。


「てか、そういう意味じゃさ。今ならもう青海さんがいても平気っしょ? 今からでも入部しないの?」


「そうだな……」


 優香の問いかけを受けて、考える。


「いや、やめておくよ」


 それから、そう結論付けた。


「今の状況で美術部に入部しちゃうと、『勝負』に影響がありすぎるだろ?」


 それが、理由だ。


「……そう、ね。確かに」


 納得した様子ではあったけど、玲奈は残念そうな表情を浮かべている。


「ま、でもアレだよね。孝平としても、美術部に入部したくないってわけでもないんでしょ?」


「ん? まぁ、そうかな」


 優香の問いに、軽く頷いて返した。

 元々、中学時代は美術部で楽しかったし。


「なら、見学くらいは行ってみてもいいんじゃない? 早めに行っといた方が、この『勝負』の後でどうするかも決めやすいんだしさ」


「……何を企んでいるの?」


 さっきから明らかに玲奈を利する話を続けている優香を、玲奈はめちゃくちゃ怪しんでいる顔だ。


「やだなー、青海さんったら疑り深いんだから。今回は単純に、孝平のためを考えたらそれが一番ってだけだよ」


「……そう」


 だけど、優香の言葉に納得した様子だ。


「そうね。疑って、ごめんなさい」


「その代わりと言っちゃあなんだけど、見学にはアタシも同行させてよね! アタシ、絵を描いてる時の孝平も好きなんだよねー! 真剣な表情でキャンパスと見合う姿がさぁ……! 思い出すだけで、ちょっと興奮してきちゃうよねぇ……!」


「今の謝罪、返してもらっていいかしら?」


 喋りながらどんどん表情が緩くなっていく優香に対して、玲奈がジト目を向ける。


 とはいえ……たぶん、これは優香の気遣いだろう。

 玲奈が気にしすぎないよう、道化を演じてくれてるんだと思う。


「はぁ、セェクスィー……うへへ」


 ……うん、まぁ、半分くらいは本気も混じってる気はするけど。

 半分で済むかな? 済むといいな。


「というか……どうして貴女が、絵を描いている時の孝平くんを知っているの……?」


「ウチの中学の美術室って、グラウンドに面してたでしょ? 周回の度に、窓から見える孝平の姿から元気を貰ってたんだよねー」


「なるほど、その頃から既にストーカーの素質は芽吹いていたというわけね」


「恋する乙女のいじらしいエピソードをストーカー案件扱いしないで欲しいんだけど!? ていうか、今のアタシは立派なストーカーとして花開いてるみたいな言い方もやめてもらえる!?」


 なんて言いつつも。


「……だけどそういうことなら、見学は昼休みがいいかもしれないわね。放課後だと紅林さんも部活でしょうし」


 玲奈も優香の気遣いは理解しているようで、優香を慮ったプランを提案してくれる。


「へぇ、昼休みも活動してるんだ? 随分と熱心なんだな」


「と言っても、昼休みはほとんど昼食がてらの談笑の場になっているようだけれど」


 伝聞系ってことは、玲奈はあんまり昼休みの活動には参加してないってことなのかな?


「孝平くんも一緒なら……まぁ、大丈夫でしょう」


 ポツリと、最後に漏らされた呟き。


「?」


 優香は、意味がわからず首を捻ってるけど……俺は、なんとなく察していた。



 ◆   ◆   ◆



 そして昼休み、手早く弁当を食べ終えて美術室へと向かう。


 既に中には部員さんたちがいるらしく、談笑の声が僅かに廊下にまで届いていた。


「失礼します」


 そんな中、玲奈が扉を開けて軽く頭を下げる。


『……あっ』


 瞬間、空気が凍った……とまでは、言わないまでも。


 どこかピリッとした雰囲気になったのは、確かだった。


「えーと、お邪魔しまーす」


 俺は愛想笑いを浮かべながら、玲奈の後ろから顔を出す。


 一通り中にいる人たちを確認して……よし、知り合いがいる!


「あっ、白石くん?」


 少し驚いた顔で俺を呼ぶのは、俺が中二の時に美術部の部長だった先輩だ。

 玲奈の話じゃ、どうやら今の代の部長でもあるらしい。


「ども、ご無沙汰してます部長」


「わー、久しぶりー!」


 懐かしげな部長、たぶん俺も似たような表情になっているんだろう。


「今日、どうしたの?」


「あ、はい……」


 ここで俺が出しゃばりすぎるのもどうかと思い、玲奈へと視線を向ける。


「白石孝平くん、見学希望なんですがよろしいですか?」


 玲奈は、静かな口調で必要最低限の情報を口にした。


 それに対して。


「あっ、そう……なんだね」


 果たしてと言うべきか、部長はちょっと気まずそうに一瞬玲奈を見ただけ。


「うん、もちろん大歓迎だよっ」


 笑顔は、俺に向けられたものだ。


「ははっ……ありがとうございます」


 相変わらずだなぁ……と、返す笑みはちょっと苦笑気味になってしまった。


「ちょっとちょっと青海さん、アタシも紹介してほしいんですけどー?」


「あぁ、忘れていたわ……こちら、その他一名も見学希望です」


「もう、ちゃんと紹介してよー」


「ピンク……いえ、桃林? なんだったかしら? 脳内がピンク一色に侵された女の情報なんて一ミリも留めておきたくなくて、失念してしまったわ」


「その場合、ピンクって情報しか出てこない青海さんの方がピンク一色の可能性の方が高いと思うんだけど!?」


 なんて、いつものやり取りを交わす二人。


 そう……俺たちにとっては、『いつものやり取り』だけど。


『!?!?!?』


 室内の美術部員さんたちは、幽霊でも見たかのような驚いた表情で眺めていた。


「あっ、えっと、紅林さん……だよね?」


 そんな中、最初に我に返った様子の部長。


「あっ、はい! ご存じいただけていたとは、光景です!」


 優香が、笑顔で頭を下げる。


「あはは、有名だからねー。最近は、特に」


「あははー」


 部長と優香が、若干乾き気味の笑みを交わし合った。


「それじゃ二人共、遠慮なく入ってね」


「はいっ、失礼しまーす!」


「失礼します」


 優香と二人、並んで部屋の中へ。


 それに、玲奈が続く。


「でも、ごめんねー。せっかく見学に来てくれたところ悪いんだけど……この通りでさ」


 部長が苦笑を浮かべて指す先には、お弁当を広げた机。

 玲奈が言ってた通り、昼休みまでガッツリ絵を描いてるってわけじゃないみたいだ。


「こんな状況であることは、最初からわかっています」


 って、玲奈……その言い方は……。


「えと、その、ごめんね? 青海さんはいっつもずっと真剣に取り組んでるのに、私たちはなんかユルい感じで……ごめん」


「あっ……」


 シュンと謝る部長の姿を見て、玲奈も自分の言葉の印象に遅れて気付いたみたいだ。


 この辺りは、やっぱり変わらないか……。

 玲奈も、ここで引いちゃうから余計に孤立しちゃうんだよなぁ……。


「……あの」


 と思っていたら、キュッと唇を引き結んだ後に再び玲奈が口を開く。


「すみませんでした、そういう意味ではないんです」


 ……おっ?


「こういう感じの雰囲気の中なら皆さんの邪魔にもならないし、肩肘張らずに見学してもらっても大丈夫だろう……と思っただけで。皆さんを批判するような意図はありませんでした」


 おぉっ?


「そう……なんだ?」


「はい。誤解を招く言い方ですみません」


「あっ、こっちの方向こそ! 変な誤解しちゃってごめんね!」


 なんということでしょう……玲奈が、俺以外の美術部員とまともに会話している……。


 いやまぁ普通であれば当たり前のことなんだけど、中学時代じゃまず見られなかった光景だからね。


 これって、やっぱり……。


「そ、それで孝平くん、実際に描いてみるわよね?」


 照れくさいのか、玲奈は早口でこっちに向き直る。


「そうだな、良ければ久々にちょっとだけ」


「紅林さんも描く?」


「ん、アタシは文字通りに見学だけで良いよ。絵とかあんまり得意じゃないし」


「そう、孝平くんを視姦するのに専念するというわけね」


「言い方ぁ! ていうか、今のところ青海さんの発言の方が絶対ピンク感強いからね!?」


「部長、この女がいやらしい目をしていたら容赦なく叩き出していただいて構いませんので」


 いつもの調子で、玲奈が部長へと水を向けた。


 そう……本当に、いつもの調子でつい、って感じだ。


「えっ……?」


「あっ……」


 目をパチクリと瞬かせる部長と、やっちまったとばかりに頬を引きつらせる玲奈。


 一瞬の間が空いた後。


「お、オッケー?」


「オッケーしないで欲しいんですけどぉ!?」


 恐る恐るといった感じでオッケーマークを作る部長に、優香がツッコミを入れる。


 ふふっ、と部長がおかしそうに笑った。


 他の部員さんたちは、そんなやり取りをポカンとした表情で見ている。


「………………」


 玲奈は、気まずそうに目を逸らしてるけど……同時に、少し頬が赤くなった顔はどこか嬉しげに見えた。


 たぶん……優香と日々言い争ってるのが、リハビリ的な効果を生んでるんだろう。

 思えば、金森さんと話す時とかも以前に比べりゃだいぶまともになってるもんな。


 なんつーか……玲奈が本当は孤独を望んで人を遠ざけてるわけじゃないって知ってる身としては、とても感慨深い気分だった。






―――――――――――――――――――――

近況ノートにも書きましたが、本作を書籍化していただけることになりました。

これも、いつも応援いただいております皆様のおかげでございます。

改めまして、誠にありがとうございます。

発売日やレーベル等、詳細な情報はまた公式より情報が出次第お知らせして参ります。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る