第16話 アレとの遭遇

 放課後の恒例になっている、教室での勉強会を終えて。


「結構遅くなっちゃったなー」


 ふと窓の外に目を向ければ、すっかり日も暮れていた。

 教室に残っているのは、もう俺たちだけだ。


「でもその甲斐あって、紅林さんもようやく仕上がってきたわ」


「青海さんのスパルタのおかげでね……ありがたさとツラさがちょうどいい塩梅でブレンドされすぎてて怖いんだけど、どっかで調教のお仕事とかやってらっしゃった……?」


 涼しい顔で頷く玲奈に、優香が死んだ目を向ける。


「帰ってからも、ちゃんと復習を忘れないようにしなさいね?」


「はぁい、女王様……」


「誰が女王様よ」


「ははっ、確かに玲奈は女王様っぽいよな」


「孝平くんまで……」


 三人、雑談を交わしながら立ち上がる……そんな時だった。


 それ・・が、現れたのは。


「ひょえっ!?」


 最初にその存在に気付いたのは、優香だった。

 教室の隅の方を見て、顔を引きつらせる。


『……?』


 俺と玲奈も、そちらに目を向け……即座に、その理由を理解した。


『G……!』


 三人の声が揃う。


 名前を呼ぶのも悍ましい、アレ。


 その存在を認識した瞬間……俺は、心を無にした。



 ◆   ◆   ◆



【紅林優香】


 げぇっ、Gじゃん……。

 アタシ、あんま得意じゃないんだよなぁ……いやまぁ、アレが得意な女子なんてそうそういないとは思うけど……。


 あっ、だけどこれって逆にチャンスでもあるんじゃない?


「やぁん、怖ぁい! 孝平、どうにかして~!」


 ちょっと甘い声で、目を瞑りながら孝平に抱きつく。

 ふふっ、ここぞとばかりにか弱い女子アピールよ……!


 それに対して孝平は、力強く返事してくれる………………ようなこともなく。


 というか、何の反応もなかった。


「……? 孝平?」


 不思議に思って、目を開けて孝平の顔を確認する。


 すると、穏やかな顔で目を閉じ脱力している孝平の姿が目に入って。


「し、死んでる!?」


 思わずそう叫んじゃった。


 いや、ホントなんか真っ白になって安らかに力尽きてるみたいな感じだからさ……。


「咄嗟に心を閉ざすことで、目の前の事象を拒絶して精神が壊れるのを防いだのね……」


 顎に指を当て、青海さんが神妙な顔でそんなことを言った。


「G如きでそんなに……?」


 ていうか人間、そんな器用に心を閉ざすこととか出来るもんなの……?


「あー……でも、そういや孝平って虫駄目系男子だっけ……」


 なんか思い出してきた。

 中学の頃、山にキャンプに行った時も虫にビビってたっけ……。


 えー、でもじゃあどうしよ。

 アタシも、普通に近づくの嫌なんだけど……。


「……仕方ないわね、ここは私が対処するわ」


「えっ、ホント?」


 と思ってたら、青海さんが溜め息混じりに名乗りを上げてくれた。


「青海さん、虫いける系女子なんだ! 頼れる~!」


 今回ばかりは心からの称賛を送りながら、彼女の方を見る。


「……って」


 すると。


「いや、めっちゃ腰引けてんじゃん……」


 絵に描いたような、って言葉が相応しいくらいにめっちゃ腰を後方に引いている青海さんの姿が目に入ってきて、思わず半笑いを浮かべてしまった。


「別に引けてなどいないわ」


 なのに、表情だけは澄まし顔で青海さんはそんなことを言ってくる。


「引けてるよ。Wikipediaに『腰が引けている』のページがあったら今の青海さんの写真を貼り付けたいくらい見事な腰の引けっぷりだよ」


「言いがかりはやめてもらえる? 私は、虫如きにビビる安い女じゃないわ」


 ファサッと髪を振り払う青海さんだけど、めっちゃ腰が引けてる状態だから全然格好がついてなかった。

 ていうか、その体勢で髪を振り払えるとか器用だね……。


「なんでこんなとこで強がるの……? 高い女も、普通に虫にはビビると思うよ……?」


 前々から思ってたけど、青海さんって変なとこで謎のプライドを見せるよね……。


「いいよもう、アタシがやるから……」


 しゃーなしで、アタシから申し出る。

 まぁ苦手ではあるけど、どうしても無理ってほどじゃないし。


「いいえ、ここは私に任せて貴女は引っ込んでいなさい」


 だけど、なぜか青海さんに引く様子はない。


「ここ張り合う意味なくない……?」


「私は、貴女に何一つとして負けるつもりはないもの」


「アタシは別に、こんなとこは負けてもいいんだけど……」


 というか、負けられるなら積極的に負けたい場面ですらある。


 けど……。


「どう見ても青海さん、近づくのも無理だよね……?」


 絶賛腰引けスタイルの青海さんは、それどころかこのままじゃ歩くのもままならないと思う。

 むしろ、よくその格好で立ってられるね……辛くない……?


 ……と思ったら、全身がちょっとプルプル震えてるね。


「いいえ、やってみせるわ……!」


 にも拘らず、何がそこまで意地を張らせるんだろう……。


「そう、この命に替えてでも……!」


「覚悟が重い……」


 ていうか、G退治で命を失う方が難しいと思う……。


「……待ってくれ、二人共」


 そんな中、孝平が声を上げた。



 ◆   ◆   ◆



【白石孝平】


 虚無の世界に旅立っていた俺は、再び現世に舞い戻ってきた。


「俺が、やる」


 そう、宣言するために。


「二人に、こんな危険な役割を負わせるわけにはいかない」


「孝平くん……」


「孝平……」


 力強く言い切ると、玲奈が目を潤ませ、優香はなぜか半笑いを浮かべた。


「そんな……孝平くん、駄目よ! 見ただけで心を閉ざしてしまうような貴方が万一実物に触れでもしたら、もう二度と笑うことが出来なくなってしまうかもしれない……!」


 悲痛な表情で、玲奈が縋り付いてくる。


「青海さん、過剰な仮定の上に過剰な仮定を重ねて妄想するのやめない? 不毛だから」


「私は……私は、貴方の笑顔を失いたくはないの……!」


「いや……それでも」


 俺は、ゆっくりと首を振った。


「それでも、俺がやる」


 そしてもう一度宣言する。


 もう、覚悟は決まっていた。

 男として……そして、二人の『彼氏』として!


「二人のことは、俺が守る! ベットするなら、俺の命だ!」


「これ、G退治の話だよね? いつの間にか戦場に行く行かないの話にすり替わってたりしないよね? 命、どこにベットするつもりなの? ていうか、二人共なんですぐ命かけたがるの?」


「孝平くん……」


 玲奈が大きく目を見開く。


「……わかった」


 それから、フッと微笑んだ。


「そこまで言うなら、止めはしないわ」


 その表情は、どこか晴れやかなもの。


「だけど……私も行く」


「いや、それは……!」


「死ぬ時は一緒よ」


 玲奈、そこまで俺のことを……!


「ねぇ、もう駆除しっちゃっていい?」


「玲奈……」


「孝平くん……」


「いや、この流れでなんか好感度稼ぐのは流石にズルくない!? 馬鹿になれなかったアタシが馬鹿みたいじゃん! ほら、見つめ合って二人の世界作ってないで! もうやっちゃうからね!? G、駆除しちゃうよ!?」


 と、その時だった。


「っ、きゃあ!?」


『っ!?』


 優香の悲鳴に、俺と玲奈もハッと我に返る。


 優香は引きつった顔で一点を見つめていて、その先では……。


「ほらもう、二人がうだうだやってるから飛んじゃったじゃん!?」


 が、飛び立っていた……!


 しかも、こっちに向けて一直線に……!


「危ない!」


 俺は、咄嗟に二人を庇う形で飛び出し両手を広げる。


 二人のための盾になって散れるなら本望だ……!


 そんな俺の覚悟を前に、奴は──



 ◆   ◆   ◆



【紅林優香】


 アタシたちのことはスルーして、Gは開けっ放しの窓から飛び出していった。


『………………』


 孝平と青海さんが、それを呆然と見送る。


 アタシはといえば、とりあえず勝手に事態が収束したことに安堵していた。


 そのまま、三人共なんとなく沈黙することしばし。


「帰るか」


「そうね」


 何事もなかったかのように孝平が鞄を手に取って、青海さんもそれに倣った。


 いや二人共、切り替え凄いな。

 さっきまでの謎テンションを演じてた人たちと同一人物とは思えない落ち着きっぷりだよ……。

 まぁ、帰ること自体に異論はないけどさ……。


 ……って考えたところで、ふと思う。


「ていうかさ……アタシたちもう帰るだけだったんだし、駆除とか考えずに放っといてさっさと帰っちゃえばよかったんじゃない……?」


『ははっ、確かにー』


 確かにー、じゃねぇわ。


 はー、なんだったんだろうこの無駄な時間……。

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