第5話 嵐の前の静けさ

 俺を巡る『勝負』が始まった、翌朝。


「おっはよー、孝平」


「おはよう、優香」


 昨日は、各自色々と消化したい想いもあるだろうってことであのまま解散したんだけど。

 日を跨いで再会した優香は、意外な程に平常運転だった。


「あっ、もう! また寝癖付いてるよー!」


「いや、ははっ。今朝ちょっとバタバタしててな……」


「いつもそんなこと言ってるじゃん。ほら、ちょっと頭下げて」


「んっ……」


 優香の方に向けて頭を下げると、優香は鞄から小型の霧吹きを取り出してシュシュッと俺の頭に吹き掛ける。

 そして、もう片方の手で俺の髪を整え始めた。


 なんか、撫でられてるみたいでちょっと恥ずかしいな……。


「ふふっ、いい子でちゅねー」


 優香も同じ認識だったのか、からかうような調子でそんなことを言ってくる。


「それは勘弁してくれ……」


 思わず、苦笑が漏れた。


「はい、オッケーだよ!」


 最後にポンポンと撫でられ、寝癖直しは終了したらしい。


「っと、ネクタイも曲がってる。しょーがないなー」


 かと思えば、今度は俺の首元へと手を伸ばしてくる優香。


 ネクタイの位置を少しズラして、真っ直ぐにしてくれた。


「いつも悪いな」


「ふふっ、こういうとこはホントだらしないんだから」


 こんな会話も、慣れたものだ。

 前々から、優香とは割とこういう距離感だった。


「……あの、さ。こういう風にしてると」


 ふと、優香は少し俯く。


「アタシたち、周りからどう見えるかな……? なんて」


 そう言いながら、少し赤くなった顔を上げてきた。


「そうだな、この距離感だと友達ってよりはやっぱり……恋人、じゃないかな?」


「んふふぅ、やっぱりぃ? やっぱりそうかなぁ?」


 俺の答えに、優香は満足げに笑った。


「……ん?」


 そんな中、ふわりと心地良い香りが漂ってきた気がして俺は片眉を上げる。


「おはよう、二人共」


『おうわっ!?』


 かと思えば青海さんが俺たちの間に無理矢理割り込んできて、俺と優香の声が重なった。


「ちょ、ちょっと青海さん! なんでわざわざアタシらの間に割り込んでくるわけ!?」


「言いがかりはやめてもらえる? 私は、ただ真っ直ぐ歩いてきただけ。たまたまその先に、貴女たちがいたのよ」


「それはそれで物理的にゴーウィングマイウェイすぎて問題だと思うけど!?」


「それより」


 優香の抗議を意に介した様子もなく、青海さんは俺へと視線を向ける。


「私に、挨拶を返してはくれないの?」


 ジッと見つめてくるその様は、睨んでいるようにも感じられた。


「あぁ、うん。おはよう、青海さん」


「………………」


 挨拶を返しても、その目は変わらず……むしろ、抗議の色が強まったような気がする。


「孝平くん。貴方は昨日、私たちの勝負に対して真摯に協力すると言ったわね?」


「そうだね、言ったよ」


 突然話題が変わったようにも思えたけど、事実なので頷いて返した。


「なら、私たち二人に対して平等であるべきよね?」


「もちろん、そのつもりでいる」


「今の状況、少し不公平だと思わない?」


「……?」


 今の状況……?

 ちょっと優香とイチャついてた感じだったから、今度は青海さんとイチャつけとかそういうことか……?


 ……いや、もしかして?


「違ってたら、申し訳ないんだけど……こういうことかな?」


 その思いつきを、口にしてみることにする。


「玲奈」


「っ……!」


 名前で呼ぶと、青海さんは勢いよく顔を背けた。


「ごめん、やっぱ違ってたかな……?」


「い、いえ……」


 顔を逸らしたまま、青海さんは軽く深呼吸をしているようだ。


 そのまま、しばし。


「正解よ。流石は孝平くん、私の秘めた想いをよく汲み取ってくれたわね」


 再びこっちを向いた青海さん……もとい、玲奈の口元はヒクヒクと痙攣するように動いていた。

 たぶん、ニヤけそうになるのを堪えてるんだろう。


「あんまり秘めれてなかったと思うけどねー」


 と、優香が唇を尖らせる。


 ここまで口を挟まなかった辺り、玲奈を名前呼びすること自体は黙認する構えみたいだけど。

 やっぱり、思うところがないわけでもないみたいだ。


「……ところで貴女、それいつも持ち歩いているの?」


 優香の言葉をスルーして、玲奈は優香が手にしている霧吹きを指差す。


 すると、途端に優香が笑顔になった。


「そうだよー。孝平の寝癖を直してあげるために、持ち歩くのが癖になっちゃったっ」


「……そう」


「いやー、ごめんねー? ずっと前から彼女みたいなことしちゃっててさー」


「それを言うなら私だって、中学時代の三年間孝平くんと美術室で蜜月を過ごしたわ」


「むっ、そんなんただの部活仲間じゃん」


「多くの部員たちと一緒にいても、不思議と孝平くんと二人きりの気分になったものよ」


「……それは、単純に孝平の他に青海さんへ話しかける人がいなかったからなのでは?」


「そうとも言うわね」


「そこは認めるんだ……」



   ◆   ◆   ◆



 そんな風に。

 玲奈が加わりはしたものの、優香との関係はそこまで変化しなかった。


 ……この時点では、そう思っていたんだ。

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