第4話 彼女たちの勝負
一年前に青海さんから言われた「別れましょう」は、「今日はここで解散しよう」って意味だった。
なるほど、ギリギリそれはわかなくもない。
が、しかし。
「えっ、でも、もう連絡もしてこないでって……」
流石にこれは、他に意味の取りようもないだろう。
そう、思ったんだけど。
「あの日、私は悟ったの」
青海さんは、なぜか少し遠い目となって語り始める。
「私は、貴方のことが好きすぎるって」
「っ……!?」
思ってもみなかったことを真顔で言われ、思わず言葉に詰まった。
「け、けど青海さん、あの日はずっと不機嫌そうで……」
「不機嫌? 初デートに緊張はしていたけれど、気分はウキウキだったわよ?」
「そうなの……!?」
再び、一年越しに明らかになった驚愕の事実。
「だからこそ、私は反省したの」
もう、ここまで来たら何を言われても驚かない気がする。
「そして、『孝平くん断ち』を決意したのよ!」
気のせいだった。
というか、意味がわからなかった。
「男は、女に追われるよりも女を追いかけたがるもの。なのに当時は、完全に私の方が孝平くんを追いかけていたわ。孝平くんのことが好きであると、全身で主張してしまっていた」
いや、めちゃめちゃ俺の方が一方的に追いかけてるつもりだったんだけど……。
あの日、完全に愛想を尽かされたと思ってたんだけど……。
「このままでは、遠からず破局してしまうかもしれない。だから私は、断腸の思いで孝平くんと一旦距離を置くことにしたの。中途半端はよくないから、一切連絡もとらないことにして」
連絡もしてこないで、っていうのはそういう意味だったのか……。
「まずは、自分で描いた孝平くんの絵を相手にすることから始めたわ。それでもドキドキしてしまって、最初はあえて崩して描いたもので慣れていった。それからどんどん精緻な絵、写真、動画とランクアップしていって……そうして、『修行』すること一年」
どこか遠い目となって、青海さんは小さく息を吐く。
「今朝、一年ぶりに実物の孝平くんを間近で見たことで確信したわ」
それから、誇るように胸を張った。
「完璧に、仕上がったと! 修行の甲斐あって、今の私はこの距離で孝平くんと話してもあまり動揺していないもの! 一年前は結局呼べなかった『孝平くん』という呼び方だって、こんなに自然に使いこなせているし!」
「……あのさ、孝平」
ここまで黙って青海さんの話を聞いていた優香が、ちょんちょんと俺の袖を引いて口元に手を当てながら小声で話しかけてくる。
「青海さんって、もしかしてちょっとアホの子なの?」
「いや、その、まぁ……どうだろうね」
否定することが出来なかった。
「孝平くん」
こっちの心情など知った風もなく、青海さんは己の胸を手の平で指す。
「今の私を見て、何か思うところはない?」
言われて、ジッと青海さんのことを観察してみた。
そうすると……俺の方も、ずっと動揺してて気付けていなかったけど。
「綺麗に、なった」
自然と、その言葉が口を衝いて出た。
「一年前より、一段と大人びて。ちょっとだけ、お化粧もしてるんだね。自然なその彩りが、青海さんの素材をますます魅力的に見せてると思う。あと、何気ない仕草にも美しさが感じられるようになった気がするな」
「っ……!」
青海さんが、なぜか突然顔を伏せた。
なぜかっていうか、たぶん照れてるんだろうけど。
「そ、そう……私は孝平くんに慣れる修行と同時に、この一年自分を磨いてもきた。追いかけてもらえるような女になるためにね。どうやら、その成果も上々みたい」
再び上がってきた青海さんの顔には、やはり自信が満ち溢れて見えた。
「さぁ、孝平くん」
その手が、こちらに向けて差し出される。
「一年前のやり直しを、始めましょう?」
俺は、それに対してどう返すべきなんだろうか。
ようやく気持ちの整理も付いてきたところだったし、何より今の俺には……。
「……なるほどね」
視線を向けたところで、ちょうど優香がそう口にする。
「そういうことなら勝負しよう、青海さん」
「……?」
何を言っているかわからないらしく、眉根を寄せる青海さん。
「アタシと青海さん、それぞれが孝平にアプローチして……そうだね、期間は三ヶ月くらいにしようか。三ヶ月後に、孝平に惚れられていた方が勝ち」
優香は、淡々と告げる。
「どう? シンプルでしょ?」
「……どういうつもり?」
それに対して、青海さんは訝しげな表情だった。
「このまま、どっちも自分が彼女だーって主張し続けても不毛でしょ? 青海さん、譲るつもりとかほんの少しでもあるの?」
「あるわけないでしょう」
「だよね。もちろん、アタシだってそんなつもりは欠片もない。だったら、ルールを決めて勝負してハッキリさせた方がいいでしょ?」
「……だけど、正直に言えば」
ここにきて初めて、青海さんはどこか自信なさげな表情を見せた。
「私も、今となってはわかっているの。客観的に見て、一年以上も連絡すら取っていなかった男女の恋人関係が続いていると見做すというのは少し……ほんの少しだけ、無理があるんじゃないかって」
良かった、一応その認識はあったんだ……。
「その上で、貴女が新しく孝平くんの彼女になったというのなら……貴女の方に彼女としての正当性があると、そういう見方もあるでしょう」
青海さんが優香に向けるのは、探るような目つきだった。
「なぜ、わざわざ私と対等な舞台に立って自分の有利を捨てるというの?」
「アタシは、青海さんに借りがあるから」
「借り……?」
「中学時代、孝平がアタシに向ける感情は純粋な友情でしかなかった。孝平の気持ちは、青海さんにだけ向いていたから」
それは……まぁ、その通りだったと思う。
「だけど、青海さんにフラれた……と思っていた孝平を慰めたり励ましたりしているうちに、ちょっとずつアタシのことを女の子として意識してくれるようになっていった。つまりアタシは、結果的にではあるけど青海さんを利用して彼女の立場を手に入れたことになる。そして、青海さんに孝平をフッたつもりなんてなかったっていうなら」
優香の目に籠もる力が、一段と増したような気がした。
「アタシたちは、公平な立場で戦うべきだと思う」
優香らしい、真っ直ぐな主張だ。
「それに……」
チラリと優香はこちらに視線を向け、すぐに青海さんの方へと戻した。
「たぶん、孝平の青海さんに対する気持ちはまだ残ってる」
……これもまた、その通りだ。
優香には、本当に申し訳ないけど……青海さんが俺を好きだって言ってくれたこと、想像以上に嬉しく思っている自分がいる。
「だからこれは、アタシにとってもチャンスなの」
優香は、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。
「青海さんと直接勝負して、孝平の未練を完全に断ち切ることが出来るんだからね」
「……そう」
青海さんは、静かに一度頷く。
「貴女の思惑はともかく、貴女の方から私に利する勝負を持ちかけてきたのは事実」
こちらの目に籠もる力も増したように感じられた。
「そんな貴女に敬意を表すると共に、私も過去の失敗を認め……ここは、あえて『元カノ』を自称しましょう」
それが、彼女にとっての譲歩ということか。
「そして、『今カノ』である貴女から孝平くんを奪ってみせるわ!」
優香に指を突きつけ、堂々と宣言する。
「よし、『今カノ』として受けて立つよ!」
優香も、胸を張ってそう答えた。
……うん。
俺を巡る勝負が、俺の意見不在で始まってしまった……。
……だけど、元はと言えば俺の優柔不断が招いた状況だ。
一年前、ちゃんと青海さんの気持ちを確かめていれば。
青海さんへの想いを引きずったままで、優香の告白を受け入れなければ。
こんなことには、ならなかった。
ならば。
「正直に言うよ」
そう切り出した俺に、二人の視線が集まった。
「優香が言った通り、今でも青海さんのことを好きだって気持ちは残ってる」
二人の表情が、少しずつ変化する。
青海さんが安堵したように、優香が痛みを堪えるように。
「だけど、優香のことも好きだ。その気持ちに嘘はないって、ハッキリ言える」
今度は、さっきと真逆の変化。
「だから」
二人には、苦しい思いもさせてしまうかもしれないけれど……。
「俺も、その勝負に真摯に協力するよ! だから二人共、『彼女』として全力でアプローチしてきてくれ! 俺も二人の『彼氏』になったつもりで接しよう!」
この決断が、正解なのかはわからない。
……というか、なんか違う気がするな? と思っている自分がいるのも事実だ。
それでも、二人がそう決めたのなら俺も全力で応えよう。
それが、今の俺が示せる精一杯の誠意だと思った。
『おぉっ……!』
俺の宣言に対して、なぜかクラスメイトからそんな声と共に拍手が巻き起こる。
……ちなみに、この騒動は残っていたクラスメイトたちにずっと注目されつつのものだった。
そりゃ、新しいクラスで初日から修羅場が展開されたらみんな興味津々にもなるよね。
俺だって、他人事だったら野次馬になるよ。
「白石の奴、なんて男らしく優柔不断なことを叫ぶんだ……」
「学年の二大美少女に対して、堂々と二股宣言か……」
「青海さんと紅林さんも、前向きなのか後ろ向きなのかわかんねぇなこれ」
「いやぁ、楽しいクラスになりそうだなー」
この瞬間、向こう三ヶ月は俺たちが野次馬対象とされることが決定したのだった。
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明日より、1日1話ずつ投稿していく予定です。
引き続き、よろしくお付き合いいただけますと幸いです。
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