二人の出会い

 全ての日本人が空手や忍術を習得していないように、ブラジル人だったらみんなサッカーが上手いということはない。それ以前に飯岡いいおか巧はブラジル人じゃない。

 いや正確に言えば、母の弘美ひろみの義父はブラジル人だ。よって巧はブラジル人の血が四分の一だけ流れている、クオーターと呼ぶことが正しい。

 ただ物心もついていない幼い頃に日本へやってきた義父も同様だが、飯岡家に住む義母や弘美達は全員ずっと日本で生活してきた。当たり前のように日本語だけを話して生きてきたのだ。

 ブラジル人と日本人のハーフなのに、外見は全くの日本人である父の幸二こうじでさえブラジルには行ったことは無い。地元企業の営業マンである彼が話せるのも日本語だけだ。さらに言えば父にはサッカー経験が無い。それはブラジル人の祖父も同じだった。

 それなのに巧は隔世遺伝という厄介なもののおかげで、顔の彫りが深く浅黒い顔をしており、幼い頃からよく黒人の子と間違えられた。

 友達に実はほんの少しだけブラジル人の血が入っていると説明しようものなら、英語とかポルトガル語って話せるの? とか、サッカーは上手いの? というお決まりの質問を浴びていた。

 日本語しか話せないことを知ると、相手は何故かホッとしたような表情で簡単に引き下がる。しかし面倒なことに、サッカーはほとんどやったことがないと聞いた時は違った。

「またまた、そんなこと言わずにちょっとやってみせてよ」

と気のせいか少し意地悪な笑いを浮かべながら、否応なくサッカーもどきの遊びに参加させようとすることだ。

 しかも無理やり誘ったにも関わらず、ちゃんとボールを蹴ることができないと判れば、

「なんだ、ブラジル人のくせにサッカー、下手だね!」

と馬鹿にされた。その後関心を失って放っておいてくれればいいのだが、子供の世界ではそう簡単にはいかないらしい。

「なんかブラジル人っぽい奴がいると、チームが強そうに見えるかも!」

と意味不明なことを言い出す子がいて、さらに

「今は下手でも、練習すればすごい選手になるかもしれないからさ。だってブラジル人の血が入っているんだから」

と全く医学的にも根拠のない理屈で、巧を八千草やちぐさ少年サッカークラブに無理やり誘ったのが、近所のスポーツ用品店店主の真壁まかべだった。

 彼は巧と同じ小学校の同級生の父でもあり、八千草サッカークラブのコーチをしていた。彼からすれば黒人顔をしていていじめられやすく、友達らしい友達がいない巧を心配してくれていただけかもしれない。

 クラブという集団の中に入れて自分の目が届く所にいれば、苛められることも少なくなるかもしれない、と母に相談してきたことがあったらしい。というのも彼は母の中学時代の同級生でもあるからだ。そこで

「真壁君が見ていてくれるなら安心だわ。巧も友達がたくさんできていいかもしれない。」

と彼の言い分を聞き入れ、自分の息子を欺いたのだ。

 子供というのは残酷な生き物だということを、大人になると忘れてしまうのかもしれない。または親になると判った上でつい、もしかしてと希望を持ったのだろう。

 後にテレビでハーフタレントやハーフ芸人と名乗る人達が、巧と似たような境遇を笑い話として語っている姿を見る機会があった。

 しかしトークのネタにはあるあると同感をしながらも、自分も含め母達も微妙に顔が引きつっていたことを覚えている。笑えるようになるにはもっと大人になった時なのだろうか、とその時思ったものだ。

 結局母は巧をサッカークラブに加入させた。時々こっそり見にきていた。けれど足が遅くボール扱いの下手な子供の居場所というのは、昔から自然と決まっていた。 

 皆がボールを追いかける中、一番後ろの位置でボールを蹴る機会は極端に少ない場所。しかもそこは運動神経のいい子供達がドリブルやパスを繋いだ先でもあり、怒涛のようになだれ込んで力の限り蹴飛ばされたボールが向かう最終地点だ。

 そう巧の居場所は、ゴールキーパーというポジションだった。容赦ない攻撃から身を守ることができなければ選手全員から罵られる。例え偶然でも無事ボールをキャッチしたりはじいたりできた場合でも、腕や胸に激しい衝打を受けて強い痛みを伴う。それでもゴールキーパーは大事なポジションだ。

 学生時代、サッカー部のマネージャーの真似ごとをやっていたらしい母が言っていた。一点を争うサッカーにおいて、最後の砦となるキーパーは守備の要であり、チームのリーダー的存在であることも多い、と。

 ただしそれはチームの正GKや、それに準ずる選手に限られる。三番手、四番手どころか、運動神経のいいDFや他のプレイヤーが臨時でやった時よりも下手な巧のような選手は、試合に出ることもまずなければまともなシュート練習の相手にもならない。

 シュートの下手な選手に、自信を持たせる役目としてならうってつけだったのかもしれないが。

 それでも巧はチームに在籍し続けた。なぜなら小学生が総勢百人以上いる八千草サッカークラブは、周辺の地域でも一目置かれるほど優秀な成績を収めていたからだ。その為所属しているだけで、他の子達から酷いイジメに合うことは無かった。結果的に黒人顔の巧が、身を守るにはその方法が一番だったとも言える。

 またクラブには、母の同級生でもある真壁がいたからだろう。彼の目が届く範囲では、黒人顔をいじられたりすることはあっても、イジメに合うことなく過ごすことができたのだ。

 グレーではあったものの、この違いは大きい。それに加えて巧が在籍し続けられたのは、下手でもサッカー自体を嫌いにならなかったことも大きな要因の一つだった。

 しかしそれ以上に巧がサッカー、そしてGKというポジションをその後ずっと続けることになったのは、彼女の存在があったからに他ならない。灰色な、時には黒い闇に覆われそうになった巧の少年時代に光をもたらしたのは、間違いなくあの子がいたからだった。

 棚田たなだ千夏がこの街に来て八千草サッカークラブに入部したのは、巧が小学三年生の時だ。彼女は巧の一つ上の四年生で、転勤の多い父親の都合で三重の四日市市からの転校してきた。その前は静岡市に住んでいたようだが、元々生まれはこの八千草で二歳の頃にこの地を離れ、戻ってきたのは八年ぶりだという。

 巧達が住んでいる八千草市もそうだが、静岡市や四日市市もサッカーが盛んな地域だ。彼女は三歳の頃、静岡で初めてボールを蹴り始めてからサッカーが大好きになったらしい。

 そこで上達した彼女はその後に転校した先の四日市の少年クラブにおいて、十歳以下のチームで男子に交じってレギュラーだったと、自己紹介の時に話していた。巧はそれを聞いて、とても逞しい子が来たものだと驚いたものだ。

 当時八千草サッカークラブには、他にも女子が二十人近く所属していた。四年生以上の女子だけで一チームが作られ、対外試合でもなかなかの成績を収めていた。

 それでも男子を含めたレギュラークラスに選ばれる女子は、これまでいなかったと聞く。小学生でも上級生ともなれば、男女の体力差が大きくなってくるからだろう。

「このチームでもレギュラーを目指して頑張ります」

 皆の前でそう宣言した彼女の目は真剣だった。四年生にしては背が低く、チビだった巧と同じ位か少し下回るほどの彼女は、男子のような短髪で日焼けした精悍せいかんな顔立ちをしていた。

 気の強そうなクリッとした大きな目と、愛嬌のある小さな鼻と口が対照的だ。よく焼けた黒い手足は引き締まり、見るからに足が速そうな体つきをしていた。

 また幼い頃だけでなくその後もあまり成長は見られなかったが、彼女の胸は平らで見た目は男の子と良く間違われた。その見た目により当初女子の人気は高かったけれど、男子からは疎んじられていた。入部早々の生意気な発言もあったからだろう。しかしすぐにその評判は覆された。

 彼女は足が速くボール捌きも上手くて、それでいてシュート力もあった。身長が低いためゴール前の競り合いには向いていなかったが、負けん気の強さと別のテクニックでそれをカバーした。

 一度ボールを持てば、男子にも当たり負けしないキープ力があった。さらに視野の広さから繰り出される味方への正確なパスは、監督やコーチ、全国レベルクラスのレギュラー陣からも認められるようになったのだ。

「チカー、やるじゃないか!」

 そんな声が飛び交い、彼女が上級生の男子達から評価されるようになるまでそう時間はかからなかった。

 だが逆に上級生や多くの同級生の女子達からは、嫉妬からか敬遠され始めた。その上彼女の激しい性格が、男子達をも恐れさせた。

 相手が年上だろうとそうでなかろうとも、男子が女子や後輩の男子にイタズラしているのを見つけると、三重弁と静岡弁が混ざっているのか奇妙な関西弁の口調で、

「あんたら何しとんの! 蹴飛ばされたいんか!」

と怒鳴るのだ。

 しかも口だけでなく、実際言った通りの行動を起こすところが怖い。クラブを卒業する頃には、クラブ内で彼女にお尻を蹴られたことのない男の子は全体の三分の一ほどしかいないという逸話からも、その乱暴ぶりが良く判る。

 それほど正義感が強いというか喧嘩早い彼女が、巧のような存在を見逃すはずがない。巧を取り巻いていたエセ外人弄りをする奴らを、片端から追い払ってくれた。

 といって彼女が自分に対し、好意を持っていてくれていた訳では無い。それどころか、気性の激しい振舞いによる当時の一番の犠牲者は、巧だったかもしれない。当然お尻を何度も蹴られたことがある。

 何も悪いことをしていないのに、

「黙って弄られとるあんたも悪い」

と、どれだけ足蹴あしげをくらったことか。それだけでは無い。彼女は巧を捕まえては、声をかけていた。

「クラブの練習は終わったけど、家に帰る前にちょっと公園に寄って練習するよ。」

 彼女の家は巧の家から五十mほど離れたところにある公園を挟んで、さらに五十m近く歩いたところにある。つまり彼女とは直線で百mほどしか離れていないご近所さんだった。

 東海圏を中心に展開している地方銀行に勤務する彼女の父、つかさの実家がすぐ隣の区にあるらしい。今回三度目の転勤で生まれ故郷である八千草に戻ってきたことを機に、今後の子供の教育なども考えてこの地に家を購入しようと決めたという。

 彼女自身も転校が二回目で、今度転勤するとなると中学校の途中になる可能性が高い。転校先によっては、後の高校受験や大学受験にも大きく影響を受けると親が懸念したようだ。

 地方銀行といえども司の転勤の範囲は国内だと北は東京、南は兵庫までと広い地域に支店があり、その上アメリカなど海外の可能性もあったという。

 転勤先については、本人や家族の希望が通るものでもない。その為どこに行くか、その土地に何年いるかはその時にならないと判らなかった。

 それならば生まれ故郷でもあり、比較的大きな都市で教育環境もいいこの八千草という街に家を建てようと決断したのだろう。しかも司の実家に近い場所ならば、娘の教育上もその後の選択肢が増えて安心だろうと考えたようだ。

 とにかくクラブに入ってもそれ以前と変わらず友達らしい友達のいない巧は、転校してきたばかりのサッカー命である彼女にとって、格好の練習相手になっていた。

 クラブや学校からの帰り道が一緒で、家は近くだ。女子とはいえ同じクラブの先輩でしかも上級生男子も恐れる彼女に、巧のような小心者が逆らえるわけがない。

 それにお互い一人っ子同士だったことから、彼女にとって巧はまさしく弟であり、下僕のような存在だったのだろう。

 彼女が来る前の巧は、クラブ練習が終わったらさっさと帰宅していた。シャワーで練習の疲れと汚れを洗い流し、夕飯が出来上がるまでの間にリビングに寝転がってぼんやり夕方のテレビアニメを観ていたのだ。

 それが彼女の練習に付き合うようになってできなくなった。一度だけ勇気を振り絞り、以前はそうしていた、ゆっくりテレビが観たいと彼女に言ったことがある。すると斜め前を歩いていた彼女は立ち止まり、首だけを動かして振り向きパッチリとした黒い目でジロリと睨んでこう言った。

「あんたのことやからどうせすぐ眠とうなってぼうっとして、テレビの内容もほとんど頭に入ってへんやろ。そんな無駄な時間を使うくらいなら、もっと練習せな。あんた、サッカー、上手くなりたいんと違うの。それでクラブに入ってるんと違うの。それとも友達が欲しくて入っとるの? どちらにしてもあんた、このままやとサッカーも下手なままで、友達もまともにできへんよ」

 的確な指摘にグウの音も出なかった巧は、それ以降一切文句も言わずというか言えず、黙々と彼女の練習に付き合うことになった。

 ただ巧のサッカー技術を上げるための居残り練習ではない。もっとボールを蹴り続けたいという彼女の相手をし続けていれば、ついでに巧の練習にもなるだろうというのが実態として正しい表現だった。

 母は時折心配だったらしく、家の窓から二人の練習風景をこっそり見守っていたと後に聞いた。すると公園では彼女からボールを奪おうと、巧はバタバタと走り回るだけ。一方的にドリブルや体を回転させてボールをキープし続け、巧に触れさせることすらほとんどなかったと言っていた。

 実際にそうだった。彼女が小学生でいた間は、ボールを奪った記憶などない。その練習に飽きると今度は彼女がボールをシュートし始める。巧の役目は当然キーパーだ。

 いや球拾いと言った方が正確かも知れない。公園にサッカーゴールはないから、地面に線を引きゴールラインにみたて彼女のシュートを受ける。はずなのだが、まず触れない。

 近所のその公園は、試合で使うサッカーコートの四分の一程の広さしかなかった。しかもブロック塀などで囲まれてもいない。だからボールを思いっきり蹴ると、外の道路や家に飛び込んでしまう。

 よって彼女は公園のほぼ中央に四、五mくらいの線を引き、そこに立つ巧に向かってドリブルし、一対一で近距離から右へ左へと軽くシュートをしていた。 

 それでも全く止められない。手や足の間をすりぬけてコロコロと後ろに転がるボールを、公園から外に出てしまうまでに必死に走って取りに行くのが主な役割だった。その時ようやくボールに触れるといった具合だ。

 しかしそのおかげか巧は以前よりも足腰が鍛えられ、右へ左へと動く反復横飛びや五mダッシュは、小学校を卒業する頃同級生でも上位五人の中に入る位になった。だがそれだけではチームでも通用しない。

 実際の試合で一対一には強く、手足を伸ばした先の左右一mくらいに飛んで来るボールには反応できるようになった。だがそれ以上先、または頭から上の高い場所にシュートされると、全くと言っていいほど手が出なかった。 

 小学生の間は身長がなかなか伸びなかったこともあり、特に高いボールを苦手としていた。持久力も人並み程度で、走っても最初の数歩以降はスピードが伸びず、足はそれほど速くない。

 それでいて足でのボール扱いも上達していないから、キーパー以外に通用するポジションはどこにもないままだった。

 それでも巧はクラブに所属している間、キーパーをやり続けた。クラブ内で第三、第四キーパーだった為試合には出られないが、練習だとゴールを守ることができる。グランドを駆け回る千夏の後ろ姿を見られることが、その頃の巧にとって楽しみになっていたからだろう。

 そんな巧とは違い、彼女はサッカーの才能を如何なく発揮していった。八千草サッカークラブにおいても上級生の男子を押しのけ、結局入団して一年後の小学五年で入団当初に宣言した通りレギュラーを獲得した。

 やがて彼女が六年生の時に八千草サッカークラブは強豪ひしめく県大会を勝ち上がり、全国大会への出場を果たしたのだ。

 残念ながら全国大会では、二回戦で敗退した。けれども女子ながら得点を上げる活躍をした彼女は、地元の新聞社やテレビ局に取り上げられるなど注目を集め、八千草地区では有名な選手へと成長していった。

 巧はそんな彼女を憧れの目を持って見守っていた。こんな有名な選手と、ほぼ毎日のように練習しているということが誇らしかった。一部の数少ない友人にだけは、こっそり自慢したことがある。

 その後地元で名を馳せた千夏は、小学校を卒業して中学に上がったのを機に八千草クラブを退団した。女子サッカークラブユースから誘いを受け入団することになったからだ。

 彼女の入ったクラブのAクラスは、女子サッカーの社会人リーグに参加していた。中には日本代表に選出され、なでしこジャパンとして世界と戦っている選手がいるほどの有名なチームである。千夏は将来の日本代表への道を、着実に歩き始めていたのだ。

 本来なら、巧のような平凡なサッカー少年からは手の届かない所に行ってしまったはずの彼女だった。しかしなぜか公園での練習は、彼女が中学に入学した後もしばらく続いていたのである。 

 その頃二人は同じクラブでも無く、通っている学校も違うので当然一緒に下校するようなこともない。さらにサッカーの練習時間も、彼女の所属するユースの方がずっと長かった。その為かつてのような、平日の夕方にボールを蹴り合うことはできなくなっていた。

 その代わり二人の練習は、平日の学校へ行くまでの朝早い時間帯に行われた。同じ公園で彼女はボールを蹴り、巧はそれを拾い続けた。

 もしかして二人は付き合うようになったのか、と思う人もいたかもしれない。だが当時の彼女は、巧のことを出来の悪い弟のようにしか見ていなかっただろう。それに巧自身も彼女のことは異性というより、怖いが格好いい姉または先輩として憧れていた程度だったと思う。  

 とにかく彼女といる間は男女の垣根も無く、ましてや不細工な黒人面を揶揄やゆされたり差別されたりすることもなかった。ただの純粋なサッカー小僧でいられることが、巧には心地よかったのかもしれない。

 多少乱暴に扱われてはいたけれど、二人の間位には温かい何かが流れていたことを感じていたからこそ、長い間続けていられたのだろう。

 それでも彼女がユースに移ってから姿を見る時間が減り、巧は寂しい思いをしていた。クラブだけでなく学校も違うため、見かける機会が少なくなった。だから巧は彼女と同じ地元の中学に入ることを楽しみにしており、次の春がとても待ち遠しかった。

 そして桜が咲き、無事に巧も彼女と同じ中学へ入学できたと喜んでいた。しかしその後の巧達の人生を狂わす一つ目の大きな出来事が起こった。千夏の父親である司が、自動車事故で亡くなったのだ。

 司は八千草で約三年勤務した後、課長職に昇格して東京支店への異動を命じられていた。辞令が出たのは千夏が中学に入った年の六月のことで、七月一日から東京へ着任したという。

 当然棚田家は家を購入したばかりで、当初の予定通り司は単身赴任を覚悟していた為に一人で東京へ赴任した。それから初めての春を迎えてすぐの事だった。

 地下鉄など交通網が発達していた東京では、普段司は仕事のための移動に電車を多く使っていたらしい。だがその時は珍しく東京都内の首都高速を車で移動していた彼は、対向車線からセンターラインを越えて飛び込んできたトラックと衝突したのである。

 即死だったそうだ。原因はスピードを出し過ぎた過積載のトラックがバランスを崩し、ハンドル操作を誤って起こった事故と警察は発表した。八千草で発行される新聞にも、小さく掲載されていた記事を巧は読んだ。

 お葬式は司の生まれ故郷であり、両親もいる八千草で取り行われた。勤務中の事故だったこともあり、銀行関係の人々も駆けつけていた。千夏の中学校の同級生やユースサッカーのチームメイト、さらに八千草サッカークラブの生徒達も集まった。

 その為用意された中規模の葬儀場では入り切れないほどの大勢の人達が顔を合わせ、式場はごった返していた。巧も母と一緒に葬儀場へと足を運んだ。焼香するだけで十分以上並び、ようやく千夏と母親の真希子まきこの姿が目に入った時、巧と母は声をかけることができなかった。

 ただただ呆然ぼうぜんとしながらも訪れる人達に対し、機械的に何度も頭を下げている憔悴しきった母子には、巧達の慰めなど何の力も持たないと思ったからだ。

 告別式が終わって一週間ほど経った時、巧はほぼ同時に学校へと向かう千夏の姿を久しぶりに見かけたが、なんと声をかけて良いのか判らなかった。その為ただ彼女と少し距離を置いて後を追いかけるように歩き、そのまま同じ中学へと辿り着いた。 

 彼女と同じ中学に入学したが、学年が違うため教室も一年は一階、二年の彼女のクラスは二階と階が異なっていた。そうしたこともあって、校内で顔を合わすこともほとんどない。時々彼女のクラスが体育で校庭を使用している折に、教室の窓から姿を見かける程度だった。

 放課後になると、学校の部活動に入っていない彼女はすぐに下校した。ユースの練習に参加する為である。家とは逆方向にある駅に向かって歩き、電車に乗って移動していた。 

 巧は中学に入っても八千草クラブに所属していたため、彼女同様授業が終わるとすぐに下校していた。しかし一度帰宅してから練習場へと向かう為、例え彼女と下校時間が一緒になっても、小学校の頃のように彼女と帰り道が一緒になることは無かった。

 だが司の事故以降最も大きく変わったことは、巧と彼女との間で行われていた朝のサッカー練習がなくなったことだ。夫が亡くなってから妻の真希子は精神的に落ち込み体調を崩したため、朝食の用意や家事を彼女が手伝うようになったかららしい。

 今後は朝の練習を中止させてください、と真希子から母を通じて巧に伝えられた。その時は、黙って頷くしかなかった。おそらく失恋とは違う喪失感というものを、初めて味わったのだと思う。

 ただとうとうこの日が来たとも感じていた。いずれは離れる日が来ると、覚悟はしていたからだ。それでも憧れの彼女は、思っていた以上に早く本当に近くて遠い存在となってしまった。言いようのない悲しみが、徐々に襲ってきたことも覚えている。

 だがその後の彼女は、ユースの練習さえ休むことが多くなったとの噂を耳にした。その理由は母が近所の方から聞いていた。体調がますます悪化した真希子を病院へ通わせる為、彼女が付き添うようになったからだという。加えて家事全般をやらなければならなくなったそうだ。

 棚田家は働き手がいない母子家庭となっても、経済的には困っていなかったらしい。これも近所の噂好きな方達から、母が情報を仕入れていた。

 司の死で交通事故による相手方からの賠償金に加え、仕事中に起こった死亡事故により銀行からも死亡退職金や見舞金などが支払われたようだ。さらに個人加入していた生命保険金も家を新築した際に増額していたことが幸いして、かなりの大金が彼女達の手に入ったという。

 そのおかげといっていいのか、住宅ローンを完済した家は彼女達の持ち家となった。その為贅沢さえしなければ、親子二人しばらく生活していくには問題ない経済環境らしく、それだけは不幸中の幸いだと周囲の人達は言っていた。

 もちろん生活していくお金も大事だろう。だがそんなことよりも巧が残念に思ったのは、彼女が大好きなサッカーを思い切ってできない状態にあると知ったことだ。 

 彼女には間違いなくサッカーの才能がある。それは実績が証明していた。彼女は女子サッカーユースでも、一年の時からレギュラーで活躍していた。背は低いが天才的なテクニックを持っていて、周囲から“チビーニョ”と呼ばれ女子サッカー日本代表のユース選抜からも声がかかっていたほどなのだ。

 そんな彼女が家の都合で、というより真希子の健康的な事情によりサッカーができなくなっていたことはとても苦しいに違いない。また巧も含め周囲の人々がそのことを歯がゆく思っていることが判った。

 彼女はもはやこの八千草だけでなく、未来のなでしこジャパンの一員として期待されている逸材だったからだ。

 それに引き換え巧は、中学に入ってもなお第四キーパーあたりの役割だった。主にレギュラーや第二、第三キーパーの練習の手伝いや、補欠の補欠レベルの選手達のシュートを受けたり、ボール拾いをしたりするだけの毎日を過ごしていた。

 ただ身長は急激に伸び始め、体格がしっかりしてきたおかげか逆に威圧感がでてきたらしい。その為黒人顔を弄られなくなった。それでも彼女と練習ができなくなったこともあり、巧は急激にサッカー熱が冷め始めクラブ練習に行くこと自体苦痛に感じていた。

 そんな巧の中学一年が終わろうとしていた頃、千夏を取り巻く環境が少し変化し始めたという話を耳にした。真希子の体調が徐々に良くなりだし、千夏が以前のように毎日ではないが、ユースの練習へ少しずつ参加できるようになったらしい。

「ほんと、一時期はどうなることかと思ったけど、落ち着いてきてよかったわ」

と母は当初巧にそう言っていたが、話はそんな簡単なものでは無かった。

 彼女の父が亡くなって一年も経っていないというのに、母親が新たな男の人と付き合い始めたらしいと近所ではちょっとした騒ぎになっていたからだ。やがてその男性と再婚したという話を聞いたのが、その年の夏のことである。

 相手は父親と同じ銀行の後輩だった西村にしむらという男らしい。母親が意気消沈しているところを慰め、家に籠ってばかりいたらいけないと彼女に働き口を紹介したことがきっかけだという。

 就職先は西村が勤める銀行の関連会社である保険代理店で、事務の仕事を始めた彼女は西村に様々な相談をするようになり、二人は男女の関係になったようだ。

 近所の人達の間での噂話が絶えなかった理由は他にもあった。二人が結婚した後、西村が銀行の借り上げ社宅から出て、千夏達の住んでいる家に引っ越してきたのだ。しかも当然のように、表札が前の棚田から西村へと変えられていた。

「司さんが亡くなって一年ちょっとしか経ってないのに、全くなんてことかしら。なにより千夏ちゃんが可哀そうよ」

 母はそれまで同情していた真希子を軽蔑し、巧の前でそう言った。

「千夏は何て言っているの?」

 そう尋ねると母は困った顔をしたが、正直に知っている事と思っている事を答えてくれた。

「あの子は何も言わないらしいの。真希子さんの好きなようにすればいいって。でもそれは絶対本心じゃないと思うわ。だって千夏ちゃんはあれだけ落ち込んでいた真希子さんの姿をずっと見てきたでしょ。今はその西村という人のおかげで元気になったんだから、反対だなんて言い出せなかっただけだと思うの」

 巧は母の言葉に同調し、何度も頷いた。母から見ても千夏は無理していると思ったのだろう。普段は気の強い彼女だが、小学生時代には家に寄ってくれて巧の相手をする姿をずっと見てきた母と巧は、根が優しく実の所気の弱い部分があることを知っていた。

 後に彼女が母の予想通り、母親の為に反発したい気持ちを隠していたことを知る。しかしそれが仇となり、大きな事件にまでなるとはこの時は全く想像もしていなかった。

 彼女の母親に関して、近所の話題はそれで止まなかった。なぜなら再婚して半年も経たない秋頃に、西村が暴力を振っているのではないかとの噂が飛び交ったからだ。

 再婚当初は元気を取り戻していた彼女だったが、西村と暮らし始めたのを機に仕事を辞めて再び専業主婦になった。それから徐々に近所の人と距離を置き始め、顔も合わそうとしなくなったらしい。

 再婚話が出た当時は陰で悪口を言っていた母も、しばらくして以前ほど深くではないにしても真希子と再び交流を持つようになり、少しずつ近所付き合いするようになっていたという。

 そこでどうやら真希子の様子がおかしいと思い始めた頃、決定的な証拠を見てしまったようだ。

 ある日隠れるように買い物に出かけ、急いで家に入ろうとする彼女を見かけた母が呼び止めて振り向かせた所、顔に大きな青痣が見えたらしい。咄嗟に逃げようとする彼女の腕を握った時、異常なまでに痛がる様子を不審に思ったそうだ。そこで彼女の長袖をまくり上げたところ、大きな痣が何箇所もあったことに気づいたという。

「あなた、これどうしたの?」

 母の問いかけに彼女は、なんでもないと首を激しく振って家の中へ飛び込んだ。そんな姿を見かけた人は他にも居て、それ以降近所では西村に暴力を振るわれているという真実味を帯びた噂が立ち始めたらしい。

 そんな中、年が明けると西村が勤める銀行では人事異動の発表があり、二月から東京への転勤が決まったという知らせが飛び込んできた。千夏も真希子も亡くなった司の時の事もあるのでと近所の方々にはそう言い残し、家族揃って東京へ移り住むことを告げ逃げるように引っ越しを済ませ、居なくなってしまったのだ。

 千夏達が住んでいた家は、西村の勤める銀行の借り上げ制度を使って他の社員への借家として活用することとなったらしい。その為しばらくすると西村と同じ銀行に勤める子供連れの家族が住み始めた。

 全く知らない人に貸し出すよりは安心でき、また安定的な家賃収入も見込める。将来家に戻ってくる場合も銀行が優先して融通してくれる制度であるため、とてもお得らしいという近所からの情報を母から聞いた。

 それでもDVが疑われた途端に姿を消したことや、銀行の制度は司が東京へ異動した時もあったらしく、近所に住む人達の間ではどうして前回は使わず今回利用したのかとの疑念が囁かれていた。

 なぜなら千夏はこの四月から高校生になる時期だったし、地元の高校への推薦がほぼ決まっていたはずだったからだ。

 司が以前東京への異動が決まった時は、彼女が中学に入学したばかりで転校するには中途半端だからという理由で、千夏と真希子は八千草の家に残ったはずだ。それなのに今回は千夏まで連れて出ていくのはおかしいと様々な憶測が飛び交った。

 もちろん西村の考えと司の考え方が違うとか、司を単身赴任させたから事故に遭った縁起の悪さから、それを避けたという言い分も判る。しかしそれ以上に彼女の顔や腕に痣があったという事実は消せない。

 しかも推薦が決まっていた娘の高校への入学を、取り辞めてまで家族で引っ越すというのは、やはり逃げたに違いないという結論だけが近所の間では定着していた。

 巧と母がその噂話を聞いて真っ先に心配したのは、DVが事実ならば千夏にまで被害が及んでいないかということだった。もちろん同じ心配をする人達も近所には沢山いた。

「あの子は男勝りで気の強いところがあるから、逆に心配なのよね。真希子さんを庇って殴られるなんてことが無ければいいけど」

 巧も心配して胸を痛めていたが、体だけが大きくなっただけの相変わらず小心者にできることなど無い。千夏達はまさしく逃げるように引っ越しを済ませたため、巧は彼女とまともに話せず、さよならの言葉も言えないまま別れた。

 けれど彼女の持っていた携帯の電話番号やメールアドレスだけは知っていたので、何度も連絡を取ってみればと母から促された。それでも巧はどういう言葉をかければいいのか判らなかった。

 そういう母も結局巧同様、何も行動できないまま時間だけが過ぎていった。

 それから一年が経とうとした時に、千夏の噂を新たに耳にした。彼女は東京でなんとかスポーツ推薦を貰って入学した高校へ通い、有名な女子サッカークラブに入って活躍しているとは聞いていた。

 その後実力が認められ、これまでも女子サッカー日本代表を数多く輩出している東北の高校へ特別推薦され、そこへの中途編入が決まったという話だった。彼女はその高校でサッカーの英才教育を受けるために、東京に住む両親から離れて寮生活をすることになったらしい。

 その話が事実だと判った時、巧は母と一緒に喜んだ。彼女の活躍もさることながら、暴力を振るわれる可能性があった西村の元から離れて生活できるのだ。大きな懸念が一つ減ったことになる。

 もちろん真希子はそのまま西村と生活を続けていたのだから、DVが続いていれば彼女のことが心配なのは変わりない。それでも遠く離れた他人がどうにかできる話では無かった。

 巧も千夏とよく遊んでいたため、小さい頃からお世話になった、優しく接してくれる大好きな“真希子おばさん”のことではあったが、司が亡くなってからの彼女はまるで別人になってしまっていたし、縁も薄くなっていた。

 また巧にとっての最大の関心事は、千夏が東北のサッカー名門高校へ編入して活躍する舞台がさらに大きくなったことだ。しかし同時に寂しい気持ちになったのも事実である。憧れだった彼女が、また巧から遠ざかって行く。

 物理的な距離でも、心理的な距離でもサッカーというスポーツを通しても、彼女と巧との距離は広がるばかりだったからだ。

 巧はサッカーというスポーツを決して嫌ってはいなかった。だから小一の途中から加入したクラブの練習に、ずっと通い続けられたのだと思う。しかし相変わらずレギュラーになるには程遠い実力だ。

 中学を卒業する間際になった今でも、レギュラーや第二キーパーは他の同級生だ。第三キーパーですら、年下の次世代はレギュラーを期待されている有望な二年生がなった。巧は何とか第四キーパー、下手をすれば第五キーパーの位置に下がることすらあった。

 体格だけは中学に入って身長と手足が伸び、キーパー向きになったと真壁からも言われてはいた。けれども相変わらず高いコースや、体から遠い場所へ蹴られた時の反応を苦手としていた。

 それ以上に巧の消極的な性格が仇となり、キーパーに求められる守備陣への的確な指示ができないことは大きな弱点となった。それではレギュラーになれるはずもない。

 それでもシュートする相手選手と一対一になった時や、近距離で蹴られた時の反応だけは良いと褒められた。今はレギュラー選手相手の練習で、限定的な状況をイメージした場面ではなんとか参加できるまでに成長した。巧の努力は少しずつだが報われていたのである。

 しかし中三の冬、巧は最後の大会でもベンチ入りすることは叶わなかった。サッカー歴約九年の間、補欠のまま過ごすという結果に終わった。その為巧は高校受験のためにサッカーから遠ざかり、地元の高校へ進学したことを機にクラブチームに通うことを辞めたのだ。

「本当にいいの? 巧はサッカーが好きだったんじゃないの? だから補欠でもずっと頑張ってきたんじゃないの?」

 母からは何度もそう尋ねられた。それに対して巧は言った。

「高校になれば、もっともっと上手い奴等が集まってくるからさ。ずっと補欠でいるのも疲れちゃったんだ。高校では他の部活で頑張ってみるよ」

 だが高校入学後も、結局はサッカー以外の運動系に興味が持てなかった。そうかといって文科系の活動をする気も起きない。その為ずるずると帰宅部のまま高校生活を過ごしている間に、同じく部活に入る気がない生徒達と遊ぶ機会が多くなった。

 幼い頃から黒人顔を弄られてきた巧だったが、高校入学後はさらに身長も百八十㎝弱まで伸び、手足も長くなった。しかも補欠とはいえずっとクラブで鍛えられた体格は、苛められる対象にはならなくなっていた。

 それどころか浅黒い外人顔が、相手に怖い印象を与えたらしい。何もやってこなかった帰宅部の友人からは、一目置かれる存在にまでなったのである。

 いつも華々しいレギュラー陣を遠巻きに見ていた巧が、帰宅部の友人の間では中心になれたことで調子に乗ってしまったこともあるだろう。それまで弄ってきた奴らを見返したいという反動からか、気付けば巧は周囲からは不良グループの一員とみなされていた。

 母は心配していたようだが、成人男性と比べても大きな体格になった男の子に対し、この反抗期の時期に何を言っても聞かないことは判っていたのだろう。ただ巧の性格上万引きや恐喝、苛め等犯罪に関わることをしなかったことが幸いだった。

 それでも地下から弱虫と呼ばれていた巧は、人と喧嘩するようになったのである。巧達のことを気に入らない同級生や先輩達に絡まれた時、仲間から煽られ初めて人を殴った。母が担任から呼び出されそのことを聞き、かなり驚いたという。

 これまでにサッカーで鍛えてきた力は、思った以上に強かった。ボールをパンチングする要領で手を延ばせば、長いリーチで相手の手が届く前に巧の拳が相手の顔面を捉える経験をその時初めて知ったのだ。

 さらにゴールキックで鍛えた力は、相手の足や腹に当たれば一発で立ち上がれなくするほどの威力があった。また何人かに囲まれ、パンチやキックを繰り出されても平気だった。

 近距離からの強烈なシュートに比べれば遅く感じられ、慣れれば怖く無くなったからだろう。パンチが当たっても、鍛えられた体にダメージは受けなかった。相手の拳や蹴りを避け、手や足で弾き飛ばすことなど容易になっていた。

 その力を積極的に使おうとはしなかったが、巧は自分や友達の身を守る時には存分に発揮するようになった。自由気ままに法に触れない程度の遊びをし、そのことを気に入らないと襲ってくる連中にだけは、暴力で対抗するようになったのである。

 だが他人から見れば、荒れた高校生活を過ごしていた巧の生活行動を改めるきっかけがあった。それは突然のように飛び込んできた、衝撃の事件だった。なんとあの西村が真希子と千夏に暴力を振るったことで、逮捕されたというニュースである。

 巧が高二になった夏頃だ。その時千夏は高三の十八歳で、日本代表Uー二十一の選抜メンバーに入り、次は日本A代表メンバー入り確実とまで噂されていた。

 そこで代表合宿へ入る前に、東北の寮から東京の家に一時帰宅した千夏は、真希子に対して暴力を振るい続けていた西村と争いになったらしい。カッとなった彼の怒りが頂点に達したのか、母子共々ボコボコになるまで殴る蹴るの暴行を受けたようだ。

 その異常な悲鳴と怒声が入り混じる声を聞いた近所の人が警察に通報し、西村はその場で逮捕されたという。

 この事件は、衝撃的なニュースとして全国に流れた。それは母親が全治二ケ月の怪我で済んだのとは対照的に、止めに入った千夏の頭に西村の拳が何度も命中したらしく、当たり所が悪かったのか目の神経が損傷し、彼女は失明に至る重傷を負ったからだ。

 皮肉なことに巧と母は、テレビで千夏の姿を久しぶりに見た。被害者として何度も映し出された為である。彼女の顔写真や、事件前の元気な姿という名目で流された映像でサッカーをしている姿を見た限り、高校生になってから大人びていた。

 以前の男勝りのボーイッシュな顔立ちから成長し、女性らしく柔らかな愛嬌のある可愛い女性へと変化していたことに驚いたほどだ。

 その年の七月にW杯で女子サッカー日本代表が優勝したため、なでしこ人気が急激に高まった影響もあったのだろう。彼女のビジュアルも手伝い、次世代の期待の選手として以前からマスコミの注目を浴びていた。

 その為名門女子サッカー部で活躍する彼女の姿や、映像がテレビ局などには多く残っていたらしい。そんな女性アスリートが、義父の暴力によりその後のサッカー人生を絶たれたというニュースは、マスコミや世間にとって多くの関心を呼び込む格好の材料として扱われたのだ。

 事件発生後から連日のように流されるニュースを見て、母は悔しく幾度も涙を流した。

「あの時に私が勇気を振り絞って、警察や役所に連絡をしていれば良かった。どんな手を使ってでもあの暴力を表沙汰にしておけば、こんなことにはならなかったのに」

 巧は別の意味でこの事件を聞いた時、衝撃を受けていた。あれだけ才能に恵まれ、なにより大好きなサッカーができなくなった彼女のことを思うと、自分は一体何をしているんだ、という思いが沸き起こった。

 彼女ほどの能力は無かったが、巧もサッカーは好きだった。それなのに今の自分はいつでもボールが蹴られる環境にありながらも、それをやらずに漫然と虚しい日々を送っている。

 だが彼女は、今後どれだけサッカーをやりたいと思ってもできないのだ。当たり前のようにいつでもできる、できていたことが突然できなくなる恐怖を想像した。そこでまさしく彼女が陥った立場で想像してみると、居てもたってもいられなくなったのだ。

 今できることをやらなければ、必ず後悔するだろう。そう思った巧はすぐに付き合っていた不良仲間との関係を絶ち、真壁のいるスポーツ店へと足を運んで頭を下げた。

「今まで済みませんでした。フットサルチームへの紹介の件、よろしくお願いします」

 丸刈りにした巧の頭を見た真壁は、それこそ目を丸くして驚いていた。しかし意思が固いことを理解して、すぐに了承してくれたのである。

 仲間と遊んでいた時は黒人顔の強面を強調するため、短いドレッドにして気取っていた巧が、小学生時代も含め初めて坊主頭になった。そこまでしないと強い決意を持った行動だと周囲の人達にも判ってもらえないと思ったからだ。そうやって今までの愚かな自分と決別するために、必要と考えての行動だった。

 高校に入学してから、クラブチームを辞めたまま生活が荒れ始めたことを母や周りの同級生達から聞き知った真壁は、巧の姿を見かける度に何度もフットサルチームへの入部を進めてくれていた。そのことは母も知らなかったらしい。

「今のお前は、どこのサッカーチームに所属してもつまらないだろう。だからサッカーを続けろとはいわない。でも本当のお前は、サッカーが好きだということを知っている。だからどうだ。フットサルをやってみないか。フットサルのキーパーなら、巧に向いていると俺は思う。反射神経の良さが存分に発揮できると思うんだ。一度考えてみないか」

 八千草ではサッカーも盛んだったが、フットサル人気もあった。全国的に有名なフットサルチームがあり、そこから日本代表の選手も多く排出されていたからだろう。それにフットサルのゴールは、普通のサッカーゴールよりも小さいハンドボールゴールほどの大きさだ。それが巧に合っていると真壁は何度も力説していた。

 身長があり手足も長い巧は、近距離からのシュートや手足の届く狭い範囲に飛んでくるボール処理には長けていた。その能力がフットサルのキーパーには必要なのだ、と。

 最初の頃は聞く耳を持たなかった。けれども徐々に真壁の言う通りかもしれないと、頭の片隅では納得していた自分が常にいた。やはりサッカーが、放たれたシュートからゴールを守ることが好きだったキーパー魂が、心のどこかに残っていたのだろう。

 千夏の事件をきっかけにして目を覚ました巧は、真壁に紹介されたフットサルチームに顔を出し、入部テストを兼ねた練習に参加することとなった。そこで高い評価を受け合格し、U-十九のクラスではいきなり正GKとまでいかなかったものの、入部して間もなく第二キーパーに選ばれたのだ。

 全く皮肉なものだと思う。巧が真壁達に評価された至近距離で飛んでくる強烈なボールをはじく動体視力や、手が届く狭い範囲に蹴り込まれるボールへの反射神経は、小学生の頃から一日中ボールを蹴り続けていたくてたまらないサッカー大好き少女、千夏の練習に付き合わされて培った能力だ。

 そんな巧が一度サッカーを捨てたにもかかわらず、サッカーを続けられなくなってしまった彼女の事件を機に、再びフットサルという新たな場所でボールを蹴り続けることができるようになったのだから。

 テレビでは、日々次々と起こる様々な凶悪事件やワイドショーを騒がすゴシップが流れ、またその年の春には東日本大震災が起こったからだろう。大津波や原発問題等から日本全体が騒然となっていたこともあり、事件から半年も経たない年明けには、千夏に対する世間の興味も失われていった。

 彼女と真希子が共に巧達の住む街のあの家に帰ってきたのはそのしばらく後であり、巧が高二の終わりの春休みが始まってすぐの頃だった。

 母が近所からかき集めてきた情報によると、あの事件後に真希子は西村と離婚したらしい。また刑事事件と並行し、民事事件としても暴力を受けたことと後遺症が残った千夏に対する賠償や慰謝料を請求したようで、最近その示談がまとまったという。

 元々西村の実家は裕福で本人も銀行員で収入もあったため、金銭的余裕はあったそうだ。おかげで再び母子家庭となってしまった千夏達だが、司が亡くなった時の遺産も含め経済的には困らない環境のまま、持ち家である八千草の家に帰ってきたという。ちょうど千夏もこの春で高校を卒業できたため、いいタイミングだとのことだった。

 ただ千夏達が帰ってきた当初は、逃げるように引っ越していった時とは異なり、母も含め近所の多くの人達が彼女達に同情して積極的に声をかけていた。ただそれが逆効果だったのかもしれない。真希子達は以前にもまして家の中から出てくることは少なくなった。それも後になって思えば当然のことだったと思う。

 障害を負ってしまった娘と、周りの心配する声に耳を傾けずこの地を去った真希子からすれば、どんな顔をして近所の人達と顔を合わせばいいのか判らなかったはずだ。また二人に寄ってくる人達みんなが、親切心を持っていたわけでもない。

 単なる好奇心を持った野次馬レベルの人や、過剰な同情心を持って接していた人達も確かにいた。その事に嫌気が差したのだろうとも思う。

 その為か母や近所の人達が千夏達をみかけるのは、彼女が視力の関係で病院や福祉施設に通うか、真希子自身が暴力によって受けた精神的な傷害を癒すために、心療内科へと通うため家を出入りする時ぐらいだったようだ。

 真希子が買い物に出かける姿を見かけることは稀で、食料品などは生協やネットショッピングで購入しているらしい。宅配業者の車が毎日のように“里山さとやま”という表札がかかった家の前に止まっているのを何度か見かけた。

 “里山”というのは真希子の旧姓で、千夏は棚田から西村へ、そして今は里山千夏、という名に変わったのだ。

 その頃の巧は、今後の進路を真剣に考えなくてはならない高三になっていた。だがそれ以上に、千夏のことを心配していたことも事実である。幸い彼女は高校を卒業できたようだが、視力に後遺障害が残ったこともあり大学への進学も諦めたと聞いた。

 またサッカーができなくなったショックもあってか、働くことなど今のところ考えられないらしい。彼女は病院やリハビリのための福祉施設以外には、どこへも行かず家に籠っているという。

 経済的には恵まれ、持ち家もあるために働かずとも生活できるせいか、母子ともに多くの時間を家の中で過ごしていた。そんな彼女達を外に連れ出そうとする人達もいたが、心の傷がいえない彼女達から頑なに拒否されたようだ。

 その為今は誰もよりつかなくなっているという。そういう巧も小心者は変わらないのか、千夏が帰って来てから一度も声をかけられていない。電話やメールでさえも連絡する勇気を持てなかった。

「心配なのよね。千夏ちゃんもそうなんだけど、それ以上に真希子さんは司さんを事故で亡くした時も、かなり落ち込んで精神的に参っていたから。そのせいであんなDV男の西村に、心の隙をつかれたんだろうと思うの。しかも千夏ちゃんがあんなことになったことを、絶対悔やんでいるはずよ。私が真希子さんの立場だったらそう思うもの」

 母がそう危惧して巧と話していたことが、やがて的中してしまった。娘の負った怪我は自分の責任だと思い悩み気に病んだ結果、診察を受けていた病院の帰りに真紀子は地下鉄の駅から線路に飛び込んで自殺を図ったのだ。

 幸い飛び込んだ様子に気が付いた電車の運転手が急ブレーキをかけ、直前で停止したため一命を取りとめたらしい。だがその後のうつ状態がひどかったのか、彼女は精神内科の病院へ入院することを余儀なくされた。

 しかしそこで救世主が現れる。あの家に目が見えない千夏一人が残されてしまうところを、司の両親で千夏の祖父母に当たる棚田夫妻が出入りし始めたのだ。元々近くに住んでいたから彼女の世話のため何度もあの家を訪れ、時には泊まったりするようになったという。

 千夏の世話を棚田夫妻がし始めため、ようやく母達は話が通じる人ができたと喜んだ。棚田夫妻から様々な情報を仕入れ、色々な悩みや相談事を聞くようになったという。そこで判ったことだが、棚田さん達も今まで困っていたらしい。

 棚田夫妻も真希子が西村と再婚すると聞いた時、最初は複雑な心境だったという。それでも孫の千夏のことや、まだ三十代という若さで未亡人となり神経を病んでしまった真希子の身になって考えると、それも止むを得ないことだと最終的には賛成して再婚を後押ししたらしい。

 それが失敗だったと棚田夫妻も後悔していたため、千夏達が今の家に帰ってきた時は、何でも力になろうと励ましの意味も込めてすぐに訪ねて行ったという。しかし真希子からは、もう自分は棚田の人間では無いからと強く拒絶されたそうだ。

 そうは言っても千夏は事故死した司が残した子であり、棚田夫妻にとっても可愛い孫であることに変わりは無い。だから家を訪ねることはできなかったものの、孫のことはずっと気にかけていたという。

 そんな時、真希子の自殺騒ぎがあり入院してしまったことを口実にして、千夏の面倒を見るために今は自由にあの家に出入りできるようになったよ、不謹慎だけどねと言いながらも嬉しそうに話していたそうだ。

 しかも千夏は祖父母である棚田夫妻に幼い頃から可愛がってもらっていたらしい。司が亡くなってからも良い関係を築いていたおかげで、すんなりと受け入れてくれたという。巧も小学校の頃、千夏と一緒に棚田のお爺さん、お婆さんの所へ遊びに行っていた。その時には、とても親切にしてもらったことを母も覚えていたようだ。

 ただ千夏の現実的な立場としては、棚田夫妻のことを受け入れざるを得なかったことも事実だ。これも棚田夫妻が千夏の家に出入りするようになって初めて知ったが、彼女の視力は今のところぼんやりとした影や光が見える程度らしい。

 その為月に一度は通わなくてはいけない病院や、視力障害者の為のリハビリ、または視覚障害者として生活をしていく訓練の為に、福祉施設へ週二回通うことも自力ではなかなか難しく苦労していたという。

 障害者の級別では一級に当たり、重度の後遺障害が残ったことには間違いないようだ。今後回復する可能性が無いと知った時には、巧も母も愕然とした。ただ幸いだったのは、彼女の顔に殴打による傷が残らなかったことぐらいだろう。

 以前は千夏の通院に、真希子が付き添うこともあったようだ。ただそれができなくなった今は、棚田夫妻が代わりとして病院や施設へ同行しなければならない。幸い彼らは二人とも年金生活者で時間は十分あるという。

 夫の正男まさおさんは、大手の保険会社に三十八年勤めあげて退職したために経済的にも余裕があるそうで、夫婦ともども悠々自適の生活を送っていた。

 今のところ夫妻は共に七十代ではあるが、体は元気だ。正男さんは地区の民生委員と児童委員を務めていて、時期によってはそれなりに忙しくしているという。奥さんの朝子あさこさんは、若い頃から趣味で続けていたお菓子作りが特技らしい。時折地域の児童養護施設などに材料を持ち込んで立ち寄っては、ボランティアで施設の人達と一緒にお菓子を作って子供達に食べてもらったりしていると聞いた。

 そんな夫妻だったため、地域活動や福祉活動への理解は深い。市の福祉担当者などにも頼りにされ信用もあったことも影響したのだろう。千夏が障害者となって棚田夫妻がその後見人として行動しだした途端、近所の人達だけでなくあらゆる福祉関係者達が親身になってくれたらしい。

「本当に助かっているらしいわ。以前真希子さんが付き添っていた頃は、本当に病院と施設を行ったり来たりする程度で、施設でも千夏ちゃんが今後障害者として自分の力でも生活できるよう周りがいろいろアドバイスしても、ほとんど受けられなかったらしいの」

 巧は母が集めてきた情報を時々聞いていた。必要最小限の手助けは千夏の為にしていた真希子だったが先のことまで考える余裕が無かったのだろう。なんとかその日暮らしをしているという印象だったそうだ。

 よって棚田夫妻が千夏の家に手伝い出した頃の彼女は、家の中でさえも一人でまともに生活出来ているとは言えない状態だったという。トイレに行く時も真希子に一声かけて手伝ってもらっていたようだ。

 食事もそれこそ手取り足とり、お風呂も一緒に入っていたらしい。ただそれ以外の時間は真希子がかけてくれる音楽をじっと聴き、ベッドに入って横になり真希子の手を煩わさないように生活していたという。

 そんな状況から少しでも自分一人でできることが増えるようにと、棚田夫妻は福祉関係者のアドバイスを取り入れ始めたようだ。毎日色んな取り組みをし、千夏の世話に集中するため近々正男さんは民生委員などを辞める予定らしい。

 朝子さんも千夏がある程度自立するまでは、お菓子作りのボランティア活動を休止するとすでに先方に伝えたという。その事を聞いた関係者の方々はとても残念がっていたそうだ。

 しかし状況からして引き留める訳にもいかず、逆に棚田夫妻は沢山の励ましの言葉をいただいたようだ。

「でもしょうがないわよね。今までは経済的にも時間的にも余裕があったから、他人の世話ができたのよ。でもまずは身内の面倒を見るのが先でしょう。ボランティア活動ってそれだけ自己犠牲が必要だし、それなりの覚悟が必要だから気軽にできるものでもないから。本当に千夏ちゃんの今後のことを考えると大変よ」

 巧も母からの話を聞いて頷いた。棚田夫妻だって今は元気でも高齢者であることは間違いない。やがては人の面倒よりも、自分の世話が大変になってくる時期が必ずやって来る。

 しかし千夏には今、頼りになる身内は棚田夫妻しかいなかった。真希子は自身のことで精一杯だろう。聞くところによると真希子の両親やその兄妹が、時折入院している彼女の様子を見に来るらしい。

 だがその対応だけで大変らしく、とてもではないが千夏の方まで面倒は見切れないと、棚田夫妻相手にそう言い切ったようだ。

「そんなこと、言ったの? そっちの家だって千夏は孫だし、姪なのに」

「真希子さんの方の家には真希子さんの兄と妹がいて、そっちに孫が五人もいるんだって。それに千夏ちゃんの曾祖母にあたる九十七歳になる方の介護も大変らしいの。そう聞けば、棚田さん達もしょうがないってなるわよ。棚田さんの所は一人息子を事故で亡くしたから、近い身内は孫の千夏ちゃんしかいないんだって。棚田さん達のご両親はお亡くなりになっていて、それぞれ御兄弟はいるようだけど東京や岡山や福岡とみんな遠距離に住んでいて、付き合いも年賀状のやり取りぐらいで疎遠だっていうから」

 それに千夏だって今は十九歳と未成年だが、来年には二十歳で成人を迎える。そうなれば本来なら、親から独り立ちしていてもおかしくない年齢だ。ただでさえ真希子の親戚筋にとってみれば、精神疾患で入院している病人以上に厄介事を抱え込みたくないのが本音だろう。

 だがもっと深刻な現実的な問題が母子の間にあった。それは二人共、世話をするにはお金がかかるということだ。入院している真希子の治療費や生活費なども、決して馬鹿にはならない。それ以上に、障害者の千夏には様々な点でお金が必要だった。

 まず千夏の家では段差を無くし手すりをつけ、完全なバリアフリーにする改装費がかかった。障害者手帳を持っていることでいろんな補助が受けられるとはいえ、外出する場合などに必要なガイドヘルパーをお願いしなければならない。

 日常生活を送るための白杖や音声が出る体重計など、あらゆる家電を千夏が一人でも使えるように買い替えたりする必要もあったという。

 例えば音声電磁調理器や音声の出る炊飯ジャー、あらゆるものの判別ができるように音声ICタグレーダーという、あらかじめ録音しておいた内容を音声で教えてくれる機器を備えたりしたらしい。

 もちろんそれだけでは足りない。パソコンやスマホなども使えるよう、画面に表示している内容を音声にして教えてくれるスクリーンリーダ―等のソフトウェアを入れる必要があった。

 小さなことだが家の中の電灯スイッチやドアなども含め、あらゆる所に点字のような印をつけたりもしたようだ。視覚障害者が生活していくためには、様々な面での工夫を凝らすための労力と物が必要となってくるらしい。

 身近に視覚障害者がいるようになって、初めて気付いたことが多い。本当に無関心から来る無知というのは恐ろしいと、つくづく感じるようになった。

 よく見れば今はいろんな家電のスイッチ等には、あらかじめ点字が打たれている。音声を発したりする商品は少なく無い。例えば最初からでこぼこが付いたものがシャンプー、つるつるしたものがリンス、というユニバーサルデザインと呼ばれるものが世間では普及しているようだ。

 しかしまず目の見えなくなった人全員が、点字を読めるかというとそうでも無いらしい。読めるようになるには大変な労力が必要で、千夏の場合も点字を覚えるのは最小限にとどめているという。

 それは点字も全てのものに備わっている訳では無いからだ。よって実際の生活の中でそれこそ手さぐりしながらこれは何、ここはこういう用途のものと一つ一つ身の回りのものを触って覚えていくことから始めていくしかないという。点字の勉強より、まずそういったことに労力と神経を使う方が先決らしい。

 そんな状況の中、真希子の親類側と棚田夫妻はお金の使い方について、弁護士を間に挟んで話し合いを始めたと聞いた。ただ千夏達には残された財産が多く、かつ棚田夫妻自身が余裕のある暮らしをしていたために、あまり揉めること無く折り合いがつきそうだという。

 それでも最初にきちんと決めないと後になって揉めないようにと行動を起こしたことは、さすがに元大企業出身の正男さんらしい判断だ。千夏の将来において少しでも懸案事項を減らしておくことは賢明だと、周囲の方々も感心していた。

 おそらく千夏と真希子は、今後一緒に暮らすことは難しいのではないか、というのが双方の見方だった。なにせ真希子は自分が選んできた再婚相手の暴力によって、娘が障害者になってしまったのだ。しかもたまたま帰省していた時に自分を助けようとしたから、との後悔が一生付きまとうに違いない。

 そのことが彼女の精神に負担を与え、再び病んでしまった大きな要因の一つでもあるという。それを取り除かないまま回復させるのは困難だろう。少なくとも精神が安定するまで、二人は距離を置く方が良いと担当医師達も口を揃えて進言したらしい。

 さらに棚田夫妻が聞きだしたところによると、千夏もまた本当は西村との再婚には反対だったようだ。けれど精神的に弱っている母の姿を見るのが辛く、元気になるのであればという気持ちもあったという。

 また心のどこかでは、再婚相手に面倒な母の相手をしてもらおうと押し付けてしまったという思いがあったらしい。その為西村との再婚後に、母だけでなく自分自身にも暴力が及んだ時、もっと適切な対応をしていればこんなことにはならなかったと千夏は千夏で悔やんでいるそうだ。

 母がどうしても我慢してくれ、本当は優しい人なのだからという言葉にほだされて我慢していたという。だが千夏自身は東北女子サッカー強豪高校への編入の誘いがあったため、結局これ幸いとその話に飛び付き、高一の途中で西村から逃げるように離れたのだ。

 千夏は西村を母に押し付けたと言われれば否定できず、その罰が視力を失うという形で自分に戻ってきたと、彼女自身が考えてしまうのも無理はなかった。お互いにそんな後悔を持ち続けてた。

 そんな経緯もあり、さらに自分自身も傷ついている中で二人が暮らせるようになるには相当な時間が必要であろうという棚田夫妻の話には、母から聞いた巧も納得した。

 彼女が棚田夫妻の力を借りて家に籠ることなく、積極的に障害者として生きる道を懸命に模索し始めている中、巧は巧で高校卒業を目前に控えている今後の進路についてとても迷っていた。それは続けていたフットサルのチームのスポンサーをしている会社から、

「あまり高い給料は出せないけど、もし進学しないつもりならうちの会社で働きながらチームに所属してくれないか」

という誘いを受けていたからだ。正GKでもない巧にそんな声がかかるのはとても光栄なことだ。しかもまだ十代と若い巧の将来性に、会社もクラブチームも期待していることは間違いない。

 しかし母からは本当に大学へ行かなくてもいいのか、フットサルは大学へ行きながらでも続けられるじゃないかと進学を勧められていた。一方で父は自分の好きなようにしなさい、でも後悔しない方を選びなさいと言いだし、そのことで二人は少し揉めていた。

 だがそれは当然だった。働く先があるとはいえその後の将来を考えれば、親の立場では一人っ子の巧の学歴を高卒で終わらせることが心配だったに違いない。

 とはいえ勉強はもともと得意では無い。特に荒れていた時期など、巧は全くといっていいほど机に向かうことなどしなかった。それに不良仲間と縁を切った後もフットサルに夢中だったため、日頃から学校の勉強を疎かにしていた。

 そんな巧が無理に勉強をして、中途半端な気持ちのまま大学卒という名が欲しいだけで進学していいのだろうかと悩んだ。しかもお金だけはかかる、無名の私立大学程度にしか入れないだろう。そうなれば大卒と言っても、正直その後の就職に優位になるとは思えなかった。 

 その上有名大学に入っていても就職できないとか、いい企業に入れないという時代だ。また入った所でブラック企業にこき使われ、心を病んで会社を転々とするだけという風潮もあった。

 そこで巧は学歴にこだわらず、声をかけてくれた企業へ就職してフットサルに力を入れようと自ら決断した。また将来は、日本代表入りを目指したいという気持ちが湧いてきた。その為巧の出した結論に、最終的には両親も納得してくれたのである。

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