振り向く向日葵
黒乃 緋色
想い出の中の君
「今日、君は死ぬ」
もしもそう言われたら、君は何を思うだろう。誰を想うだろう。
突然そんな事を言われても信じられないよね。僕だって君の立場だったら、きっと何言ってるのって鼻で笑ったんじゃないかな。だって君はまだ女子高生で。今日がずっと続いていく、そんな感覚だろうし。
……それでも僕は伝えたい。
君はそれを知るべきだと思うし、君にそれを受け入れてほしい。
どうか振り返らずに前を向いていてほしい。
そして、最後の瞬間に誰を想うのか……本当はもう、僕は知ってるんだ。
君を初めて見たのは高校の入学式、多くの新入生が列を作っている中に君がいた。肩の少し下まで伸びた黒髪。白いブラウスに紺色のスカーフ、それと同色のスカート。僕たちの学校の制服が君にぴったりで本当に綺麗だった。背はそれほど高くないけど、少女ばかりの女子生徒たちの中で君だけが大人へと変わりつつあったね。
歩く度に揺れるスカートと絹のような黒い髪に、僕は目が離せなかった。
同じクラスだと知った時は胸が高鳴ったな。どんな声なんだろうとか、見た目通り頭が良いのかなとか、ただ君を知りたかった。通学中にばったり会ったら何て挨拶しようとか、たまたま帰る時間が一緒になったらどんな話をしたらいいんだろうとか、想像しては淡い余韻を残して消えていった。いざそうなったらきっと何も話せなかっただろうけど。
だって君と僕はあまりにも違うから。
君は向日葵のように、そこに居るだけで周りを明るくしてくれてた。君が笑うと世界が照らされていく、それは温かで優しい光。そんな君は皆から愛されてたね。
そう、僕とはまるで正反対。内気な僕はあまり誰かと話をしない。運動神経は良くなかったし、かと言って他人よりも勉強が出来る訳でもなかった。休み時間だっていつも小説を読んでたから、話しかけてくるクラスメイトも居なかった。全くって訳じゃなかったけど。いつも僕は空気に溶け込んでいた。僕を見てくれる人はすごく少なかったんだ。
でもあの日、君が僕に見せた何気ない笑顔。今でも鮮明に覚えているよ。
誰も居なくなった放課後の教室で、僕は静かに小説を読んでた。タイトルは……ごめん、忘れちゃった。きっと君のせいだ。忘れ物を取りに教室に入って来た君が「何読んでるの?」って聞いたからだよ。それに答えると、君は何か面白そうって笑った。それからずっと心だけがちょっと浮いてるみたいな感覚で。家に帰っても頭に浮かんでくるのは君の事ばっかりだった。
本当の意味で二人が出会った瞬間だったと思う。
それから僕たちは話をするようになったね。まあ、たまに、だったけど。
それがたまらなく嬉しかった。
それだけが楽しみだった。
唯一の学校に行く理由だった。
覚えてる?
忘れもしない、あれは八月の暑い日だった。肌を焦がすような日差しが降り注ぐ、暑い夏休み。君と僕と、あとは何人居たか忘れたけど、近くの川に遊びに行ったね。僕たちは履いてた靴を脱いで浅い川に入った。
君が動くたびに水飛沫が上がって、羽みたいにキラめいて、可愛くて……目が合うと君は微笑んでくれた。君は気付いてなかっただろうけど。いつもは紺色のハイソックスを履いてる君の、濡れたふとももや素足にドキドキしたんだ。
たまたま、一緒になった帰り道。
夕暮れに伸びた、少し距離の空いた不揃いの影。
知らない誰かの家のプランターに咲き誇った赤紫色のリンドウの花。
塀に背を向けた郵便ポスト。
どこまでも続く街並みと通り過ぎていく街並み。
それはいつもの景色で、まるで見た事も無い景色だった。特別な会話なんてなかったけど、誰と歩くかで世界はこんなにも変わるんだって初めて知った。
僕にとってはね、君はたった一つの光だったんだ。それは今でも変わらない。
たとえ、もうずいぶんと僕たちが会っていなくてもね。
会わなくなった原因は下校中の横断歩道で僕が車にはねられた事。運転手の飲酒運転が原因の事故だったから、両親はすごく怒って、泣いてた。
それから僕は学校には行かなくなった、いや行けなくなったが正しいか……。
君は何度か僕の家を訪ねてくれたけど会いたくなかったんだ。ごめんね。でも嫌いになった訳じゃないよ。僕の顔には無数の傷跡が残ってしまったから、君が見たら嫌いになるんじゃないかって……恐かったんだ。
でもずっと部屋にこもってた訳じゃないよ。辺りが暗くなった頃に、何となく街をうろついたりしてさ。もしかしたら君に会えるんじゃないかって、でも君に会ったらどうしよう……なんて矛盾がさ、頭の中をぐるぐると行ったり来たり。
可笑しいよね、自分でも笑っちゃうぐらいだよ。
それから、何度か街を歩いていて気付いたんだけど、すれ違う人が僕を見ないんだ。こんな顔だから見ちゃいけないって思うのかな?
いつの間にか僕は誰からも見えない人になってたんだね。それに気付いたら家から出られなくなってしまったんだ。もう何カ月にもなるかな。
会いたいな。
変わらない毎日は時間なんていう概念を簡単に壊したよ。もう何年、何十年と経った気がする。
君を最後に見てからどれくらい経ったかな。風に流れるような黒い髪も。凛とした立ち姿も。涙で濡れた笑顔も。白と紺の制服も。空に舞い上がる煙を見上げていた君もちゃんと覚えていたのに。少しずつ色褪せていく。
誰にも相手にされない。僕は誰からも必要とされない。誰の目にも、映らない。
いつしか朝日が昇ると街をうるさく感じるようになって、耳を塞ぐようになった。君がどんな声をしていたのかも忘れてしまいそうで、気が狂いそうだった。
会いたい。僕の中から君が消えてしまう前に。
会いたい。君の中から僕が消えてしまわないように。
もう誰もいないあの家でそんな事をずっと考えてた。
でも、僕は今、君に向かって進んでる。だって見てしまったから。君に伝えなきゃいけない事があるから。こんな時なのに外は青空が広がってる。いや、こんな時だからこそ良い天気なのかもしれないね。外に出たのは本当に久しぶりだよ。朝の風景ってこんなにも綺麗だったかな。あれだけ鬱陶しかった街の喧騒が今日は何だか愛おしくも感じる。
相変わらず、誰も僕には気付かないけど。
いや、いいんだ。
そんな事はどうだっていい。
ただ君に会いたい。
君の声が聴きたい。
君は今、高校に向かう途中だよね? 僕も同じ道を歩いてるんだ。慌てなくてもいいよ。もう少しで君に追いつくから。
それで、一つお願い、と言うか約束して欲しい事があるんだ。
それは、絶対に振り返ってはいけないって事。
絶対にだよ。
だって君に会いたいから。僕の想いを伝えたいから。その為に僕はあの家から出たんだから。窓から見つけた君は雰囲気が少し違うけれど気にしてない。
でも僕たちの高校はいつからブレザーに変わったんだっけ。まあ、高校にはもう行かないからいいか。
もう少しだよ。
君までもう少し。
たとえ、その腕を、背中を、何かが這うような感覚がしても……。
それは恐怖じゃない。
きっと悦びだよ。
たとえ、背中に何かの視線を感じても……。
人ではない何かの気配を感じても……。
振り返らないで欲しいんだ。
だって嫌いになるかもしれないだろ。
ああ、僕もぞくぞくするよ……君の、最後の瞬間が、僕で埋め尽くされるんだ。
ダメだよ、立ち止まったまま、まだ振り返っちゃダメだ。
君の後ろにいるんだよ……僕が。
だからまだ、ダメだよ。
まだ……。
振り返らないで。
顔を見ないでね。
もうここに……。
僕がいるから。
ほら……。
君の瞳も、声も、僕でいっぱいだ。
「
振り向く向日葵 黒乃 緋色 @hiirosimotsuki
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